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第3部 ①



 昭和一三年の末から、国府軍は台湾及び南西方面に於ける航空戦線を放棄し、その残存戦力を続々と満州から半島方面へと移動させ始めていた。


 昭和一二年末より一時期中断していた九州方面への敵空軍の活動は同時期再び活発化し、対馬、朝鮮海峡上空では警戒に当たる陸軍航空部隊とそれに「殴り込み」をかける国府軍及び朝鮮軍戦闘機との空戦は、未だ散発的に続いている。


 この時期、敵空軍は列国より最新の戦闘機を続々と導入し、戦力の充実を図っていた。従来型の複葉機であるソ連製I―15はもとより、九六艦戦と同じ単葉のI―16などもそうだ。特に後者は最高速度四八九km/時と、従来の日本機の常識を超えた驚異的な速力を誇っていた。


 これらの機材の導入が始まった同時期、国府空軍戦闘機軍団は新たな戦術の模索を始めていた。中心となったのは、ヴェルサイユ体勢打破を唱え、列国の懸念を他所に再軍備を為し遂げたヒトラー政権の意を受け、国府空軍で指導的な力を発揮していたドイツ人の軍事顧問である。


 彼ら自身作戦上の意思決定に深く関与し、時には自ら戦闘機を駆り日本機と空戦を交えた経験から、格闘戦性能に優れた日本軍戦闘機隊に対抗するためには、日本機に勝るこちらの装備機の加速力と火力を生かし、さらに編隊間の連携を織り交ぜた戦法の必要性を確信するに至ったのだった。


 まず、これまで三機が標準だった一個小隊の編成を、四機で一個に改める。


 編隊の最小戦闘単位は二機一組の「分隊」であり、空戦では二個分隊から為る小隊が分離もしくは合従して敵機に当たる。


 対決すべき敵機もまた、此方より少数もしくは著しく劣位にあるときなど、完全な勝利を狙える場合のみ攻撃を仕掛け、それが不可能な場合は素早く退避する。


 攻撃法はなるべく速度、高度を生かした一撃離脱戦法に徹し、日本軍の戦闘機とは決して格闘戦を行わない。その予兆を感じた場合には、加速を生かし素早く日本機の攻撃圏外にまで退避する。


 方針を示せば研究の進展は早かった。国府空軍がそれらの戦法を可能にする機材に恵まれていること、さらには日本側に先駆けて急速に普及を始めた高性能無線機の存在が、戦術の完成に拍車を掛けた。


 「狼群戦術」


 ……と、ドイツ人の軍事顧問は自分達が編み出した戦法をそう命名した。


 彼らの脳裏には、飢えた狼の群れが羊の群れを巧に追い回し、攻撃をかけるに有利な態勢に誘導。そして遂に止めを刺す光景が浮かんだのに違いない。その「羊の群れ」とは、もちろん日本の戦闘機!


 その実証の機会は彼らの予想より早く、そして劇的な形で訪れた。


 ときに昭和一三年の暮れの一二月一六日。


 対馬海峡上空で陸軍の新鋭九七式戦闘機八機と国府軍のホーク戦闘機六機が交戦、程なくして形成は機材の性能と乗員の練度に優れた九七戦部隊の優位に進み、低空に逃れるホークとそれを追って高度を下げた九七戦隊という構図が繰り広げられるに至った。


 そこに、牙を研ぎ澄ましていた別働隊八機が上空から襲い掛かった。機種はドイツ製He51!


 高度差を生かした最初の一撃で一機の九七戦が撃墜され、二機が戦闘続行不能の損傷を受けた。自慢の旋回性能を生かした九七戦の反撃も、一撃離脱と分隊間の相互連携を駆使した国府軍の前に悉くが空振りし、そこに体勢を立て直したホーク隊の反撃も加わり、空戦は対馬住民と守備隊が見守る中、一方的な日本側の退勢へと転換してしまったのである。


 出撃した九七戦部隊の内、九州の基地に帰還を果たしたもの僅か一機。後は悉くが撃墜されるか損傷して対馬、壱岐への不時着を余儀なくされた。


 以後、九州方面で活動していた陸軍航空部隊は、敵の新戦術に対応できぬまま守勢に立たされることとなった。


 まず、彼らにとって衝撃的だったことは、これまで此方の思うとおりに格闘戦に入ってくれた敵が、全くこっちの誘いに乗ってこなくなったことだ。少しでも背後に回りこもうとしても、加速と気速を生かしあっという間に距離を離される。それでも追おうとすれば、無線通信を受けた敵の列機が何処からとも無く飛んできて妨害を加える。此方の列機は、たとえ此方が敵機に追尾されようとも、自分の空戦に夢中な余りてんで援護にも回ろうとしないというのに……


 それ以前に、敵機は以前のように古風な一対一の空戦は絶対にしなくなった。一機に対し二機、二機に対し四機といった感じで、絶対に数の上での優位を確保してから此方に襲い掛かってくる。よほどの技量の持主ならば対抗のし様もあるだろうが、これでは敵機を捕捉するどころではない。


 万難を排し、喩え敵機を捕捉し得たとしても、以前より弾を幾ら撃ち込んでも敵機は墜ちなくなった。戦法の改変を図るとともに、これまでの戦訓から防弾装備の充実を図るようになったのだ。そこでさらに意固地になって敵機を追尾しているところをまた、背後から新手の敵機に襲われる。


 絶対的な連携の上に、数の優位と優秀な通信機が加われば……個々の技量、機材では幾ら相手が優越しているとはいっても、我が方は空戦で圧倒的な優位を得られる……日本機と戦ってきた結果に得たドイツ人の戦訓は、まさに現実に即したものだった。




 一方で、彼我の戦機は熟しつつあった。


 台湾方面における航空戦は国府側の一方的な撤退で一段落したものの、それは主攻軸の転換に伴う戦力の再配置を意味したに過ぎないことが判明するまで、一ヶ月も必要としなかった。


 海軍の八試特偵に加え、陸軍の九七式司令部偵察機によってもたらされた半島から満州の動静は、半島に続々と増設されている飛行場の様子と、引っ切り無しに離発着を繰り返す新鋭機の一群を伝えていた。


 これらの各拠点に展開する敵空軍の総数は、最小の数値をとっても戦闘機約一〇〇〇機。爆撃機約五〇〇機。その他作戦機については三〇〇機を越えるものと判断された。


 その事実は、国府空軍の保有する作戦機の七割がこの満州から朝鮮半島にかけての地域に展開し、再び日本本土への航空攻勢を目論んでいることを無言ながら雄弁の内に物語っていた。


 半島方面情勢の緊迫と、台湾における情勢が平穏化したことを受け、指揮系統の統一と効果的な航空兵力の運用を期すべく大本営に新たに新設された陸海軍統合防空作戦本部は、陸軍サイドからの強い要請により、南西諸島から台湾に展開する海軍航空部隊の戦闘機隊主力を、九州方面の防空戦闘機部隊に引き抜くことを決定する。


 ぼくが横須賀海軍航空隊に派遣され、戦闘機戦における新戦法の講習に参加していたのは、まさにそういう時期だった。




 ―――――九五式艦上戦闘機の二機編隊が、策敵に専念するぼくらの遥か下方を航過していく。


 『――――サクラ、サクラ……一一方向二機通過。追尾せよ―――』


 編隊統制官の指示を伺うまでも無かった。ぼくと蔡三空曹は主翼を翻して降下する。


 開いたスロットルに反応し、エンジンが猛禽のような悲鳴を上げる。


 水平速度。


 突っ込んだ際に加わる気速・・・・アシの速さは此方が勝っている。


 複葉の旧型機の捕捉などどうということはない……はずだった。


 自分でも驚くような速さで二機を射程に収めかけた瞬間、九五艦戦は二機同時に急上昇した。その息の合った機動に、ぼくは内心で舌を捲く。飛行機ではない、何か別の生き物でも相手にしているような感覚だ。さすが横空の練達搭乗員は腕が違う。


 再びイヤホンに、統制官の声が聞こえてくる。


 『―――サクラ! 追うな……イチョウに任せろ。元の位置に戻れ―――』


 追えといったのはお前じゃないかっ!……追従に熱中する余り、軽い反発心が自分でも知らないうちにぼくから自制心を奪っていた。


 ――――そこが、「敵」の狙い目だった。


 宙返りの頂点に達したぼくらが気付いた時には、機影は空に吸い込まれたかのように眼前から消えていた。


 後ろっ……?


 反射的に振り向いた先――――ピッタリと此方を追尾する二機の九五艦戦の機首が、獲物に食いつく肉食獣の鼻先を思わせた。


 『―――サクラ……貴様らは撃墜された―――空域より離脱せよ』


 まただ……溜息と共に、これまで蓄積された疲労が肩に圧し掛かってくる。


 首を上げ、見上げた太陽の真ん中に浮かび上がる細い双発機の機影――――あの機内から空戦の一部始終を見ていたであろう統制官の、苦虫を噛み潰したような表情をぼくは想像した。


 「撃墜」されたのはこれで何度目だろう?……そんな取り留めのないことを考えながら、ぼくらは相模灘上空を北上している。


 三浦半島南端に達した所で、ぼくらは南下する四機の九六艦戦と行き会う。時を同じくして、舘山からも仮想敵の九五艦戦隊が発進しているはずだ。


 三浦半島上空――――九七式空二号無線受信機の周波数ダイヤルを変換する。


 「こちらサクラ……只今より帰投する。どうぞ?」


 やや間を置いて、横須賀から管制員の声が入ってくる。


 『―――こちら横須賀。了解した―――』


 ―――二ヶ月前。新しい空戦法の講習を受けるべく降り立った横須賀海軍航空隊で、ぼくらが最初にやらされたことといえば、去年の末から配備が始まった新型無線通信器の取り扱いに関する講習と実用訓練であった。


 新型無線機とは、有体に言えば、「聞こえる無線機」だ。地上で直に会話を交わす程には未だ及びも付かないが、意思疎通自体はエンジンを全開にしていても、さらには烈しい機動の最中でも行うことが出来る。それはこれまで無線機を無用の物として蔑み、その改良に無関心だった海軍航空の歴史上画期的な出来事とも言えた。


 初めて愛機に無線器を搭載して飛び上がり、空の会話を堪能した時の感動は、今でも忘れることが出来ない。


 「コチラ、天満。コチラ天満……蔡兵曹、聞こえますか? どうぞ?」


 『―――コチラ蔡。コチラ蔡……感度、明度共に良好です』


 新しいおもちゃを与えられた子供のように心を躍らせて、ぼくらは盛んに無線機で会話を交わしたものだ。それがどんなに些細で、どうでもいい内容でも、無線を使わずにはいられないぼくらがいた。


 「ナア、蔡兵曹。こいつで柴田とも話をしたかったなあ……」


 『……自分も同感です』


 未帰還者が出る度に描いた遺族への手紙を、柴田兵曹が還らなかったときだけはぼくは書かなかった。ぼくは彼の上官だった……否、未だに上官だ。そのぼくが死んでないと断言する部下は、死んでいないに決まっている。何故かと言うに、ぼくは彼の最期を確認していないからだ。喩え敵地に舞い降りても、彼なら敵兵の手を逃れて何処かで息を潜め、固い意思と執念を以て我が方に逃れる機会をうかがっていることだろう。柴田兵曹は、そういう人間だ。


 だから、飛行長や司令に幾らせっつかれてもぼくは手紙を書かなかったし、彼のことを戦死とは認めなかった。


 そしてぼくらは、柴田兵曹を置き去りにしたまま、内地へと帰ってきた。司令が餞別にくれた九六艦戦を駆ってもと来た島々と海を辿り、一路九州へと針路を取る途上で、ぼくと蔡兵曹は、少し回り道をした。


 台中から南東に飛び、蔡君の生家上空まで行くのに時間にして一時間程度……すっかりサトウキビの刈入れを終え、肌色の平地が広がる上空で宙返りを繰り返す二機の九六艦戦! その後低空で蔡君の大きな生家上空を航過し、海へ出たところで、ぼくらはお互いに顔を見合せた。


 『どうだった?』と、手信号で尋ねるぼく。


 『悪くないですねぇ。』と、満面の笑みで応じる蔡君。


 「もう、何時死んでもいいですよ」と、燃料補給のために立ち寄った那覇で、蔡君は言ったものだ。


 後で聞いた話だが、ぼくらが上空でアクロバットを繰り広げていたころ、蔡君の父上はお風呂に入っていたそうである。やがて彼が上空を飛ぶ飛行機が自分の息子であることに勘付くや否や、彼は血相を欠いてそのまま風呂から飛び出した。


 「うちの息子だ! うちの息子が来たぁ!」


 現地の言葉でそう叫びながら、唖然とする沿道の人々を尻眼に彼は一糸纏わぬ姿のまま、海へ飛んでいくぼくらを追いかけて走って行ったそうだ。蔡君の姉上などは、父が気が触れたのではないかと本気で心配したそうである。


 「蔡兵曹、お前の親父。素っ裸でお前を追いかけて行ったそうやな?」


 「親父さんのイチモツを見たご婦人が寝込んだそうな」


 「あまりに立派だったからか?」


 この種の話が伝わるのは早い。下士官搭乗員はそう言って蔡君をからかったものだ。初の郷土訪問飛行を終えた余韻も何処へやら。蔡君はこれ以上ないほど、林檎のように顔を真っ赤にさせて俯くしかなかった。


 「恥ずかしくて……もう死にたいくらいですよ」


 と、彼はぼくの前で大いに苦笑したものだ。


 聞こえる無線機が使えるということは、空戦における生還の確率が高まる……ということでもあると皆は思った。


 これなら窮地に陥ったときにすぐに助けを呼べるし、列機間の意思統一もずっと容易になる。さらに、地上との交信も可能ということは、前線の状況変化に基地が従前よりずっと臨機応変に対応できるということでもある。


 だが、無線通信に夢中になるのとそれに習熟するのとでは、それはまた別問題である。日を置かずして、ぼくらは古い格納庫を改造した講堂に集められ、横空の教官連にこう言われたのだ。


 「これまで貴様らが学んできたことは全て忘れろ。海軍戦闘機隊はこれより新しい空戦形態に移行する。九六艦戦と無線の性能を限界まで引き出し、訓練に精励するように」


 百聞は一見に如かず、という。次にぼくらが見せられたのは、横空所属の九六艦戦同士による単機空戦演練だった。


 二機の九六艦戦は操縦練習生出身の生え抜き特務士官の操縦で所定の高度まで上昇すると、一機が忽ち優位な高度に占位し、下位の機に攻撃を仕掛け始めた。


 「…………!」


 ぼくらは息を呑んだ。優位な高度にある一機に追尾され、徐々に距離を詰められていく一機……勝負あったことを、ぼくらは確信する。

 

 が、追尾された九六艦戦は左に滑り攻撃を回避した。体勢を整えるべく再び上昇した追尾機から逃れるように、九六艦戦は気速を生かし離脱に転じる。速度を稼ぎ、反撃に転じる気か?……と、ぼくを含め誰もが思ったが、それは違った。


 その機はあれよあれよという間に追尾機から距離を離し、追尾の及ばない場所で相手よりずっと上位に占位。逆に追尾機を捕捉にかかったのである。


 今まで見たことも聞いたことも無い戦法に、誰もが驚喜した。


 「さすが横空の搭乗員は違うぞ!」


 すかさず、教官は言った。


 「貴様らも、腕を磨けばあんな戦いができる! これから二ヶ月の間、貴様らをあんな風に鍛え上げてやるから覚悟しておけ!」


 最初にぼくらが学んだことは「何が起きても編隊を崩すな」ということだ。これまでの編成を改めて二機を一個小隊とし、四個小隊八機を一個中隊とする。最小戦闘単位である小隊は、如何なる状況に陥ってもこれを維持するものとする。


 戦術の基本として、小隊を崩さないまま高度差を生かして目標機に接敵、離脱を繰り返す訓練をぼくらは徹底的に繰り返した。機体強度ギリギリの速度に達するまで降下し、前方を飛ぶ仮想敵の九六艦攻を照準に入れたところで離脱。加速を生かして距離を取り、再び先程の要領で接敵、捕捉を繰り返す。


 最初は直線飛行だった仮想敵も、訓練が進むにつれて蛇行、上昇下降、反転などの特殊飛行が加わり捕捉を困難なものとする。両者の本気度も増し、危険距離ギリギリまで接敵する者。それに怒り仮想敵、それも重い艦攻であることを忘れて逆に接敵する側を追尾する者……訓練を廻って地上では、戦闘機乗りと「馬車引き」の艦攻乗りとの間で喧嘩が起こることもしばしばだった。


 仮想敵は戦闘機を想定した小型機だけではなく。かの八試特偵から発展した新鋭の九六式陸上攻撃機や中島製AT輸送機。そして海外より購入したダグラスDC―3輸送機などの大型双発機をも敵の爆撃機に見立て、ぼくらは頻繁に接敵訓練を繰り返したものだ。


 訓練が進行して全員が小隊編成にも馴れ、ちょっとした交信や挙動だけでお互いの意思を汲み取れるまでに習熟したとき、今度は小隊単位から中隊単位に規模を拡大した空戦訓練が始まった。


単機ごとだけではなく、小隊単位で攻撃と支援を交互に繰り返し、敵編隊を撃破する。もしくは不利な位置に追い込む……そこに、新しく考案された編隊空戦技術の要諦がある。様々なケースを想定し、横空の教官、教員の駆る九五式艦戦や九六式艦戦を仮想敵に、ぼくらは徹底的に演練を行った。


 海軍戦闘機隊の総本山的な立場にあり、様々な空戦技術の研鑽に勤めてきた人々だけあって、その技量はぼくらの想像を超えて高度なものだった。


 眼前に迫って来るまでには一糸乱れぬ編隊を組んでいた仮想敵がいきなり散開。次の瞬間には編隊そのものが意思を持った有機体のように広がっては縮小し、緩急自在な機動でぼくらを眩惑する。ぼくらと言えば、まるで息の合った曲芸でも見る様な眼で彼らを追尾し、編隊の威力を生かして対抗しようとするも、度重なる銀翼の交錯の末に彼らの掌中に嵌り、一機、また一機と「撃墜」を宣告されていく。


 圧倒的な技量差を前に、歯噛みはできても誤魔化しは利かない。相模灘上空に設けられた訓練空域からさらに距離を置いた空域では、統制官を載せた陸攻がちゃんと目を光らせている。


 訓練後の講評において、彼自身も練達の戦闘機搭乗員である統裁官は言った。


 「本官は仮想敵部隊に勝てと言うつもりはない。だが、せめて互角の戦いが出来ねばこれからの航空戦における勝利は期し難い。諸君らにはさらなる創意工夫と切磋琢磨を求めんとするものである」


 教導機を追い回し、また教導機に追い回されながらも所定の日々は瞬く間に過ぎ去り、ぼくらが講習を修了する日はやってきた。ここにきた時にはいささか「南方ズレ」していたぼくからは、厳しい訓練を重ねる内に殆どその気は抜けてはいたが、先年と打って変わって静穏化した台湾の住み心地のよさに対する、未練にも似た感情もまた、少なからず残っていた。




 ぼくらが内地に戻る頃の台湾と、その周辺の情勢は、おおかた落ち着きを取り戻していた。


ポケットに巻き寿司やら甘い金平糖やらを詰め込み、ポリポリやりながら敵機のいなくなった金門島上空を哨戒……と言うより遊覧飛行していたあの日々……秋に達する頃には、あの苛烈なまでの緊張は消え、任務飛行は「斬り込み」転じて「遠足」と呼ばれるほどそのグレードを下げていた。


 時折高度を下げ、未だ地上で頑張っている陸戦隊の兵士に銀翼を振ってやる。すると地上の彼らも喜んで手を振ってくれるのだった。時には慰問代わりと言っては何だが、戦闘機から嗜好品の入った包みを落としたりもした。投下を果たして帰投する頃には、決まって基地に守備隊から無電でお礼の電文が送られてくるのだった。


 時を経るにつれて、時折中国海軍の潜水艦や魚雷艇の妨害を受けながらも、金門島の前線基地化は着々と進んだ。陸揚げされる建設資材。据え付けられる重砲。台湾側の埠頭には遂に水上機までもが展開し、時折対岸へ嫌がらせ程度の夜間爆撃飛行に発つ。


 攻略戦当初はあれほど彼らを悩ませ、脅かしていた対岸からの砲火も、この頃にはすでに散発的になっていた。撃ったとしても時折思い出したように、それもアサッテの方向に数十発の砲弾を降り注ぐという有様である。その砲台もまた、哨戒飛行から時折アシを延ばすぼくら戦闘機隊の銃爆撃の前に一つ、また一つと潰されていった。


 何故中国軍の砲撃が沈静化したのか? その理由はずっと後で判明した。


 結論から言えば、彼らは撃たないのではなく、撃ちたくとも撃てなかったのだ。


 あれほどの威力を持つ火砲の配備と運用のみに気を取られる余り、彼らはその砲身の製造と破損した砲の補修にはついぞ労力を注がなかったのである。生産にある程度以上の精錬技術を要する大砲を開発する技術力に乏しかったという事情もあるが、「大砲など壊れればまた買えばよい」というのが彼らの発想だった。


 彼らは生産と補修のための人材と設備を自前で整えることをせず、ごく少数のドイツ人技師と彼らが携えてきた冶具のみに頼っていた。


 外国製よりも若干性能が劣ることがあっても、砲等の武器は極力自前で開発、そして生産、調達してきた日本との差がここにはあった。度重なる敵機の攻撃、連続斉射に伴う砲身寿命の低下等、様々な要因に起因する砲の損耗を補うべき能力を、彼らは持とうとしなかったのだ。


 かの絶大な威力を誇る砲台がぼくらの攻撃で壊されては、技師の指導の下で再びそれを組み立てる。その組み立てられた砲台を、再びぼくらが対空砲火を掻い潜り破壊する……何時終るとも知れないとぼくらが恐れ、それでも立ち向かっていた「斬り込み」には、実のところちゃんと終りが用意されていたわけだ。


 列国より購入した在庫が払底し、破損したものもやがては技師の処理能力を超える数に至り、そこに降って沸いたような本国からの召還命令が下りてはもはや先は見えていた。


 歴史にIFは禁物。という言葉があるが、それでもあえて仮定が許されるならば、中国側はこれらの重砲の整備を自力で行う努力を進めるべきであった。もし彼らが独自に重砲の供給能力を確保していたならば、彼らは金門島の日本軍に間断ない砲撃を加え、やがては日本軍を大陸から再び追い落とすことに成功したかもしれない。そしてぼくらは、その砲台を潰すために更なる出血を強いられ、やがては再起不能の打撃を被っていただろう。事に拠れば、台湾の防空そのものも覚束ない状態に陥っていたかもしれなかった。冗談ではなく、あの頃のぼくらはそれほど追い詰められていた。


 中国政府の執拗な抗議と翻意の声を前にしても、ドイツ政府は決してその真意を明かすことは無かった。その真意を一端なりとも彼等とぼくらが知るには、まだ昭和一四年の夏まで待たねばならなかったが……




 ―――そして、昭和一四年の三月になった。


 講習を終える頃合を見計らったように、ぼくと蔡君にも降って沸いたような辞令が来た。ぼくらは、台湾への帰還転じて九州に展開する防空戦闘機隊への転勤を命ぜられたのだ。つまり、台湾に帰還、あとは「平和な」前線でのんびりとでも過ごそうという、ぼくらが抱いていた仄かな(不埒な?)希望は、儚くも打ち砕かれることとなったわけだ。


 九州方面における我が航空部隊の拠点は、昭和一三年以降の時点では増えることはあれ決して減ることは無かった。ぼくらが転任を命ぜられた板付飛行場は、そうした昭和一三年以降に急速に増設された飛行場の一つだ。


 周囲を延々と広がる田圃に囲まれた、だだっ広い滑走路を除けば、大きなバラック一つと、機を整備するための取って付けたような天幕のみの殺風景な風景に、横須賀から降り立ったぼくらは驚く。まだ部隊の編成が始まっていないまま、ぼくらはこんなところに放り込まれたのか?……と。


 宿舎は、近隣の小学校の校舎を使っているという。急速な飛行場の建設需要の高まりに、設営部門の手が回らなかったが故の、苦肉の策とも言えた。


 機影は飛行場の隅で整備中の二機の九六艦戦を除き、一機も見えない。地上員に聞くと、


 「『斬り込み』に行っている」


 と言う。


 当時、この飛行場の全戦力は九六艦戦が一個中隊分で、それらは全て「斬り込み」と称して半島方面への威力偵察へ出払っていたのだった。


 「まあ、うちの隊長にとっちゃあ半島への『斬り込み』なんて、遊郭で女を物色するのにも似たようなもんですけどね」

 

 と、ぼくらを案内してくれた整備員の一人は笑った。


 「ホラ、帰って来ましたよ」


 と、整備員が指差した先の空からは、九六艦戦特有の軽妙なエンジン音のみが聞こえて来るばかりだった。それでも、ぼくらが訝しげに目を凝らすのも一瞬――――独特の金属音はやがて九六艦戦の機影を伴い、ぼくらの眼前で誇らしげに銀翼を翻す。


 照りつける太陽を閉じ込めた銀翼が、眩しく地上を照らす。


 長機の標識をつけた九六艦戦が、鮮やかな三点着陸で滑り込み、そのままぼくらの待つエプロンへと進んで来る。それは、ぼくの「グレートヒェン」と同じ密閉式風防を持つ二号二型。


 搭乗員が機を停止させるのを待ちきれないかのように、整備員が駆け寄る。


 「古谷中尉殿ぉーーーーーっ! どうでしたかぁ?」


 搭乗員が、飛行眼鏡を上げた。


 「だめだぁ、●○×(朝鮮人の蔑称)のやつら、ビビって一機も上がって来ねえ」


 「で、戦果は?」


 「ボーイングを一機、あとは……車を適当に銃撃で燃やしてきた。それぐらいかなあ」


 「古谷中尉」と呼ばれた男は、ゆっくりと操縦席から腰を上げた。薄い口ひげと、若々しさを感じさせるガッシリとした顎が、ゆったりとした白マフラーから覗いていた。気付いた時には、男らしい野性味溢れる笑みが、機の傍で畏まるぼくらの様子を伺っていた。


 「そこの坊や達は、どこの学校から迷い込んで来たんだ?」


 はっとして、ぼくと蔡兵曹は敬礼し、姓名を申告する。


 「天満少尉であります!」


 「蔡三空曹であります!」


 「サイだぁ・・・・? てめえ、●○×か?」


 先程とは打って変わった、訝しそうな眼つきで、中尉は蔡君を睨み付けた。


 「出身は台湾であります」


 「何だ、いいとこじゃねえか。ガキの頃親父の都合で住んでたが、飯も美味いし酒も旨い。いい御国だったなァ」


 「そうでしたかあ」蔡君の顔に、明るさが戻った。


 「で、お前さんは学生だろ?」


 中尉は、ぼくを見据えた。「そうです」と応えると、彼は闊達に笑ったものだ。


 「学生上がりなんざ、一目で判る。何せ、外見からしてトッポそうだからなあ。悪い女に引っかかりそうな顔だ。で、大学では何をやってた?」


 「独文をやっておりました。」


 「ドイツ語? それだけじゃあ大学出たって食ってけねえだろ。海軍ここに来て正解だったな」


 中尉はまた笑った。言種こそ酷かったが、それでも少しの嫌味も無い、聞く側の耳に心地良い笑いだった。


 ――――それが、ぼくらと「船乗セイラーり」こと古谷中尉との、初めての出逢いだった。




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