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第2部 ①



 昭和一三年の三月の初め、ぼくら三人は大分海軍航空隊への出向命令を受けた……乗り慣れた九〇式艦戦から新鋭の九六式艦上戦闘機への機種転換訓練を受けるために―――――――


 汽車を乗り継いで向かった大分海軍航空隊で、初めて噂も高い九六式艦戦に触れた時の感激を、ぼくは昨日のことのように思い出すことが出来る。


 ジュラルミン地肌も艶かしい全金属製、低翼単葉の流麗な胴体。付け根からは緩やかに、そしてある点を境に急激にテーパーした主翼。胴体はたおやかな乙女の躯のように適度な細身と膨らみを持ちつつ、鯉の尾鰭のような尾翼へと続いている。


 そして九六式になって始めて設けられた密閉式の風防。その形状が流線型の機体とマッチして野を駆ける奔馬のような美しさを一層際立たせている。


 これが、本当に戦うために作られた飛行機なのか?……一目見たとき、ぼくは半ば本気で疑い、同時に欲情にも似た感覚に襲われたものだ。




 最大の驚きは、実際に搭乗した時に訪れた。


 まず、二三〇ノット/時の最高速度!……それは、国府軍の保有する外国製爆撃機、戦闘機の殆どに対し速度面で優位なることを意味していた。六九〇馬力エンジンの鼓動と金属製の胴体とのキイィィィィィン……という共鳴が耳に心地良く、複葉羽布張り機しか乗ったことの無い身では、これまでの飛行機とは違う、何やら別種の乗り物にでも乗っているのではあるまいか……という錯覚に捉われてしまう。


 旋回性能はさすがに複葉の九〇艦戦や九五艦戦に及ぶべくも無かったが、それも僅かな差。そして九六艦戦は、それらの劣位を補って余りあるほどの上昇力と、加速力とを持っていた。初めての完熟飛行を終えたとき、ぼくの欲情は、新しい愛機に対する確固とした愛情となっていたのだ。


 ……だが、皆の不評を買ったところが若干一つあった。


 「この風防、いらないですよ」


 と、柴田兵曹がぼやいたのは、完熟飛行も兼ねた訓練飛行の第一日目のことだ。ぼくには大して気にならなかったが、柴田兵曹をはじめ、ある程度の腕がある搭乗員にとって、密閉式の風防は感覚的に見張りがしにくく思えたらしい。


 だから大抵の搭乗員は、従来型の、開放式の操縦席を持つ一号や二号一型に好んで乗っていた。それが叶わないまま、一号二型を充てられた者は、飛行中も風貌を開けていた。


 完熟飛行の初日は滞りなく修了したが、それからが大変で、翌日からは完熟飛行訓練も兼ねた戦闘訓練が待ち構えていた。編隊飛行。単機格闘戦。射撃。航法……海軍航空兵として空で戦う上で必要なあらゆる技術を、「実戦でどうにか使える」くらいになるまで習得し、向上させるための訓練がそれこそ分刻みで用意され、新入りたちを待ち受けていたのだ。


 毎時間のように繰り返される離着陸。

 エンジンの試運転。

 そして教官の怒声。


 地上にいる間も、座学と称して講堂に集められ、航法演習や接敵時の対処法などを徹底的に叩き込まれる。短期間であらゆることを習得させる意図があるのは勿論のこと、南西方面における敵潜水艦による通商破壊作戦の影響で、貴重な燃料備蓄に不安があるのもその理由だった。だから、本来実地演習で教わるはずの事項を、最小限の回を除き地上で学ぶこととなったのだ。


 ―――――戦争の陰は、こうした後方の基地にも忍び寄っていた。



 最初は戸惑い、そして航空兵となったことを後悔するほどシゴかれ、一ヶ月程してぼくらがそんな日々に馴れようかという頃には、追われる様に前線へ送り出され、入れ替わるようにようやく基本操縦訓練を終えたばかりの連中が基地に入ってくる……そんな感じだ。眼の回るような忙しさと、好景気の町工場のような活気の中間とも表現できる熱気が、さして広いとは言えない大分、宇佐の飛行場には満ちていた。それはまた、横須賀、岩国、館山といった各練習航空隊で繰り広げられている光景であった。




 搭乗員は、何人いても足りない……!


 過去数年間の周辺情勢の緊迫と、日々熱気を帯びる本土防空戦は、陸海軍を問わず航空機搭乗員、特に戦闘機搭乗員の需要を爆発的に増大させた。しかし、その需要に見合う供給が速やかに、そして滞りなく行えるかといえば、それには無理があった。


 元来、厳格な選考の末、あらゆる適性を満たした青少年を、中世ヨーロッパの徒弟制よろしくマンツーマンで操縦技術を叩き込んでいたところに、いきなり方針が変わり今度は搭乗員の大量養成をやれ、と来たのだ。


 言い換えれば、これまでパイロットの道場だったところにパイロットの製造工場となれと言うのだ。これでは現場の方が戸惑うのも無理は無い。


 大量とは言っても新規に養成を始めていたのでは到底間に合わないため、海軍は従来ならば考えられない「非常手段」を取ることにした。戦闘機操縦士がいないのなら、他の機種から引っ張って仕立て上げればいい……というわけだ。そして海軍は、程無くしてそれを実行に移した。


 幸運にも、艦攻や艦爆、そして水偵などには経験も技量もある搭乗員が大量にあぶれている。そこから志願者を募り、戦闘機の操縦教育を受けさせれば、新規に搭乗員を養成するよりもずっと早く即戦力になる搭乗員が手に入る。それでも足りない分は、操縦に関しては素人も同然の偵察員や整備員など、他の航空関係の部署からも志願者を募った。


 艦攻の偵察員だった柴田兵曹は、そういう経路で戦闘機乗りになった一人だった。そして、ぼくが九六戦の完熟訓練と並行した戦闘訓練を受けた大分には、ぼくや蔡一空兵のように新規に養成された搭乗員の他、前述のような経路で戦闘機搭乗員となった人が多く集っていた。元艦爆乗りの航空兵曹長とか、元整備兵の一等航空兵曹が数多くいたのである。


 これで頭を抱えることになったのが、本土防空戦以前からの戦闘機搭乗員。いわば「本職の」ベテラン搭乗員達だった。


 数ある飛行機乗りの中でも、戦闘機操縦士は最も孤高で、保守的な人種である。新鋭機に乗り換えるに当たっての比較対象は、大抵自分がこれまで慣れ親しんできた機体であるし、どんなに新しい戦法や空戦技術を提示されても、彼個人の「飛行経験」に基づく自己の意見をあくまで貫き通し、それにそぐわないものは排除しようとする傾向にあった。


 具体的な例を挙げれば、欧州大戦以来の伝統のある、単機による旋回戦闘技術の向上こそが、空戦に勝利する最上の策と彼ら―――日本海軍の戦闘機搭乗員は信じて疑わなかった。そのためには徹底的に鍛錬を重ねたし、ある意味秘伝ともいうべき技まで編み出した。一部の下士官搭乗員の間で編み出され、細々と伝授され続けている「捻り込み」などはその最たるものだ。


 当然機体も、それらを為すに最適な解を導き出せるものがいい……新鋭の九六式艦上戦闘機や、それ以前に開発され、配備された機体は、いずれも良好な旋回性能、運動性能を持ち、彼らの格闘戦至上主義にピッタリな機体だった。そしてこの傾向は、戦闘機という機種が存在し続ける限り未来永劫続くだろうと、彼らは信じて疑わなかった。


 ……だが、戦況の推移とそれに伴う海軍航空の教育体系の大改編が、彼らの考え(と言うより信念)を大きく揺るがした。従来の常識を超えて大量に参入してきた未習熟者と、同じ搭乗員でありながら、空戦の「く」の字も知らないような者が大量に戦闘機に乗り、本来の戦闘機乗りと翼を連ねて同じ任務に当たることとなったのだ。これでは従来のようにじっくりと年月をかけて空戦技術を伝授することは勿論、数に勝る敵戦闘機隊に打ち勝つことすらままならないではないか……! 此方の数も増えたとは言っても、問題はその中身だった。


 そこで、大分や横須賀空の、海軍戦闘機隊において指導的立場にある士官搭乗員や下士官搭乗員は考えた。これら急激に数を増やし、さらに数を増しつつある「未熟者」を実戦で「有効利用」するにはどうしたらよいか?……と。


 その答えは直ぐに出た。単機の技量が劣るのならば、編隊間の連携でそれをカバーすればいいのだ。後に言う「編隊空戦」の萌芽は、この瞬間に生まれたのである。だが、この時点ではその具体的方策については未だ試行錯誤状態にあった。


 ソフトの改良の必要性は、やがてはハードの改良にも行き着く。搭乗員の技量にばらつきがあるのは、編隊間で作戦を行うのに大きな障害となる。空戦の規模が大きくなるにつれ、それは切実な問題となる。そこで必要となるのが編隊間の確実な意思疎通だった。それに少数の戦闘機で多数の敵機を迎え撃ち、広大な日本の領域を守る必要上、阿吽の呼吸で繰り出される手信号では到底間に合わない。


 戦闘機搭載の無線機もあるにはあったが、雑音ばかりで全く用を為さず、搭乗員からはむしろ機体の反応を鈍らせる「バラスト」扱いされ、機体からは外されることが多かった。


 ……だが、本土防空戦がその認識を変えた。大分にいた頃に聞きかじった話では、現在航空機用無線機の改良は急ピッチで進められているという。さらには無線以外にも、効果的な迎撃を可能にするための様々な方策が検討、試行されているということをぼくはこの時知った。




 ―――――四月。


 所定より早く訓練を切り上げたぼくらは、鹿児島は鹿屋飛行場へ進出した。

 

 宇佐にいたころはまだまだ淡いピンク色の花をつけていた桜は、ここではもう青々としている。そのことに驚きつつ、ぼくと柴田兵曹、蔡一空兵は鹿屋飛行場に愛機を滑り込ませた。


 ぼくの三代目の愛機「グレートヒェン」は、すこぶる快調だ。地上員の誘導に従い網の目のように張り巡らされた誘導路を進むうち、先月の苦い失敗が頭を過ぎる。


 未だ大分で訓練を受けていたその頃の、二代目の愛機九六艦戦は、その殆どの点でぼくを満足させたが、唯一つ戸惑ったことがあった。


 それは、操縦席から脚が見えないことだ。


 初代の愛機九〇艦戦は、下翼が操縦席より後ろについており、主脚が機首近くから伸びていたため、着陸時に脚がどれくらい地上へ接近しているかを操縦席から容易く確認することが出来た。しかし、低翼の九六艦戦では脚が見えないためそれが出来ない、だから着陸時に進入角を誤ってヒヤヒヤすることがままあったのだ。


 つまり、アプローチは殆ど勘で行わなければならない。それがぼくを不安に駆り立てた。拭い難い不安は、飛行作業そのものにも響いてくる。全ての操作が上手く行かなくなるし、離着陸の度に、胃が痛くなるほどの緊張の連続だ。


 そして、飛行訓練が始まって一週間が過ぎた頃、「それ」は起こった。


 午前の訓練を終えて着陸する際、いつものような緊張に襲われたぼくは、知らず知らずの内にスロットルを絞り過きていることに気付いていなかった。二代目の愛機は着陸までまだ高度を残した状態でいきなり失速し、激しく地面に叩きつけられたのだ。


 九六艦戦は接地の衝撃に耐え切れず主脚はおろか胴体までぼっきりと折れ、ぼくはといえば、失速を感じたと同時に飛んだ意識を再び回復したときには、医務室のベッドの上にいた。


 心配して駆けつけてきた柴田兵曹と蔡一空兵の言葉から、ぼくは二代目の愛機がオシャカになったことを知った。


 軍医の診断は、体の何処にも異常は無いとのこと。しかし下手をすれば衝撃で背骨を砕かれ、二度と飛べない身体になっていた可能性もある。


 「まあ、また飛行機に乗れることが判っただけよかったですよ」


 と、蔡一空兵は慰めてくれた……「貴様は死んでも構わんが、飛行機が勿体無い」という飛行長の嫌味には、正直辟易したが。


 その日の夜の内に、ぼくは修補科へ足を運ぶ。乗る飛行機の無い飛行機乗り程みじめなものは無い。速やかに新しい機体を貰い、訓練に参加することが肝要だった。それに、昔から言うではないか、落馬した次の日に馬に乗らないと、やがては馬に乗ることを恐れるようになる……と。


 「……そうか、今朝やったのはお前か?」


 後方から領収した機材を一手に扱う一角を仕切っているのは、竹原という特務大尉だった。すでに孫がいそうな皺だらけの顔だけを見れば、何処にでもいる好々爺といった外見だが、それでもその上腕にはしっかりと五線の善行章が光っている。何でも、一度定年で退役したところを、再び召集された人らしい。


 苦笑するぼくを前に、竹原老人 (……どうも、大尉と言う表現がしっくり来ないので)は闊達に笑った。


 「おれも飛行作業を見ていたが、あの様子じゃあ墜ちると思ってたよ。で、お前さんは期待通りやっちまったわけだ」


 「期待通り……ですか?」


 老人は、ぼくを奥に誘った。


 「ノリモンが欲しいんだろ? どれでもいいから好きなの持ってけ」


 節くれ立った指の指す先には、倉庫狭しと詰め込まれ、折り重なるように銀翼を連ねる新品の九六艦戦。


 「一号二型はありませんか?」


 「何だ? 風防付きのやつがいいのか?」


 竹原老人は、顔を曇らせた。


 「評判のいい型は飛行作業用にどんどん持ってかれるけど、逆に悪いやつは部品取りにどんどん持ってかれるからねえ……」


 そのとき、ぼくは倉庫の隅で埃を被っている「彼女」と眼が合った。その場に唯一残った一号二型……!


 ……すると、前言を翻すかのように竹原老人は言う。


 「兄ちゃん、それは止めとけ」


 「何故です?」


 「どんなに数ができても、飛行機には生まれ持った『クセ』ってのがある。刀と同じだ。どんなに規格に沿って作ってみても、出来上がる頃にゃあそれぞれに違う個性を持って生まれてくる。もちろん個性にはいいものもあるが、悪いものもある。こいつのクセは最悪だ。兄ちゃんには乗りこなせんよ」


 「……どんな?」


 「何と言うか……皆エンジンの馬力が強すぎるって言うんだなあ。強すぎて余計にペラが回るもんで、当て舵をしっかり取らないと真っ直ぐに走ってくれんし、空に上がってもすぐ他の機より頭一つ先に出ちまうんで、ろくに編隊も組めねえって話だ」


 「それなら、いい飛行機なんじゃないですか? 乗り手ぐらい、直ぐに見付かるでしょう」


 老人は、首を振るばかりだった。


 「そいつの乗り手はいままでに三人いたが、三人が三人、皆一週間もしない内に怖気付いてこいつを放り出した。このままじゃあ部品取り用は確定だなぁ」


 ぼくは、まじまじと埃塗れの彼女を見上げる。他の機より図抜けた個性を持ったが故に冷遇され、やがてはバラバラにされ消え行くであろう彼女……その運命に晒されていたからこそ、彼女は美しかった。


 そしてぼくは、近い将来に彼女を待ち受けるであろうその運命に、心の中で涙した。だが、そのときは、ただ単に涙しただけだった。その涙が、やがてぼくの心から枯れ果て、彼女の悲愴さに湧いた陶酔感が、頂点に達しかけたとき―――――


 「……こいつを、自分にくれませんか?」


 何故、唐突にこの一言が出たのか今もってぼくには判らない。ぼくの本能の、奥深いところに潜む何かがぼくにこの一言を言わせたのか、それとも、彼女の方からぼくを魅入り、そう口走るように仕向けたのか……あの時の出逢いを思い出す度に、ぼくは何か人智を超えた存在の介入を感じ、震えを禁じえないのだ。


 以外にも、竹原老人は直ぐに応じた……但し、「やばいと思ったら、すぐに降りるんだぞ」という忠告付きで。




 またいつものように、一週間程度やそこらで、また放り出すさ……とでも竹原大尉は考えたのかもしれない。だが、彼には悪いがそれは甘い見通しだったようだ。


 確かに、調教を始めたばかりの、気難しい野生馬のような九六艦戦の中で、「グレートヒェン」の繊細さは特に群を抜いていた。少しスロットルを開いただけで、はたまた少しラダーを踏み込んだだけで、あらぬ方向へ滑走し、あらぬ方向へ旋回する……!


 直線飛行の際も気が抜けない。加速が付いていると、知らず知らずのうち列機を置いていってしまうことがままあった。飛んでいて感じたことだが、「グレートヒェン」だけ、その周囲を流れている空気の「質」が違うのだ。もちろんそんなことは現実問題として有り得ないので、これはぼくの実感と言うだけに留めておく。


 「女みたいに、気難しい飛行機ですね」と、柴田兵曹は的を射たことを言った。


 「ああ、だから女の名前を付けた」


 「馴染みの……?」


 と、兵曹は怪訝な表情で小指を示す。ぼくは苦笑して手を振る。


 「いや、好きな物語の登場人物さ」


 「それはやはり、男泣かせの女なのですか?」


 「いや、清純な乙女だよ」


 まだ、「グレートヒェン」の操縦に慣れきっていなかった頃の会話だ。


 初めて操縦を習い始めたのと同じ苦労が、再びぼくに圧し掛かることになるのに、半年も掛からなかったことになる。だが、始終エリミネートの恐怖に怯えて飛んでいたあの頃と違って、ここではどんなヘマをやっても、お払い箱になることはない……それだけが、救いと言えば救い? 少なくとも、ぼくはそう思った。


 鹿屋に進出する日の早朝。上空警戒の任務も兼ね、ぼくは宇佐神宮の上空まで三代目の愛機を飛ばした。すでに「グレートヒェン」に乗り換え、三週間近くが過ぎていた。


 朝靄を漂わせる鎮守の杜を眼下に見ながら、ぼくらは飛んだ。神のご加護というやつか、この日初めて、編隊は一度として乱れを見せなかった。当然、これまでの編隊の乱れの原因はぼくにあった。


 見事な三点着陸!……馬力の強い「グレートヒェン」は、スロットルをいくら絞っても加速の余韻が抜け切れず失速に陥りにくい。それがぼくには有り難い。進入角度さえ間違わなければ、どんなにおかしな操作をしても、機体をきちんと地上に滑り込ませてくれる。


 「兄ちゃん、上手くなったな」


 と、別れの挨拶に行った修補科で、竹原大尉は褒めてくれた。


 「あいつのお陰です」


 「あいつ……?」


 「機体のお陰ですよ」


 大尉は笑って頷く。


 「あんなのに乗り続ければ、嫌でも上手くなるだろうナァ……」


 その日の午前中に、ぼくらは鹿屋へと飛び立った―――――




 ――――戦況は、変わりつつあった。


 昨年の七月から一年近くに亘り、朝鮮半島を本拠地とした国府空軍は断続的な長距離爆撃を敢行した。その目標は、北九州の工業地帯及び福岡、久留米、そして佐世保といった軍事上の主要拠点。敵の最終的な戦略目標が、九州北部の軍事拠点の無力化と、それに続く制空権の確保にあることは明らかだった。そのさらに先には、九州本島への上陸?


 然しながらその規模と投入機数にも拘らず、敵の攻撃が一定以上の成果を上げたとは、到底言い難かった。それは我が方の防空体制の前に、敵の爆撃作戦が多大な齟齬を来たしたと言うよりむしろ敵の方にその要因の過半が存在した。


 戦後に判明したことだが、それには、大きく分けて次のような三つの理由が挙げられた。




 一・大規模な渡洋爆撃は世界的な趨勢から見て未だ試行錯誤状態にあり、敵空軍の作戦は試行の域を出ず爆撃自体も不徹底であったこと。


 二・戦闘機の配備、訓練が不十分で、爆撃機に護衛機がつけられず、それにより爆撃機の行動が大きな制約を受けたこと。


 三・長距離爆撃の真意が、目標の破壊そのものよりも日本側の心理的屈服を狙った一種の「示威」にあり、作戦立案そのものに徹底さを欠いたこと。




 一に関しては、一年近くに及ぶ爆撃作戦により様々な問題点が露呈された結果、ドイツより派遣された軍事顧問を中心に改善が進められ、満州方面は瀋陽にその本拠を一次後退させた爆撃機隊は、当面の間を再編と訓練に充てることとなった。


 二では、華北で蠢動中の共産軍掃討に展開していた戦闘機部隊を、争乱の一時鎮定を以て半島に移動させることを決定している。後にその裏付けとして、華北の軍管区を示す標識を付けた戦闘機が続々と半島に展開し、順次訓練を開始していることが航空偵察や現地特務機関員により報告されている。


 三においては、一連の爆撃行により日本の対中世論はむしろ一層硬化し。元来対中に関しては融和指向だった外務省もこの雰囲気に圧され、中国への強硬姿勢を余儀なくされた。従って、中国側は以後本格的な戦略爆撃を指向することとなる。


 ――――だが、そのような中でも成果はあった。

 実戦で収集したデータにより、戦略爆撃のノウハウを確立できたことも然ることながら、最も大きかったのが、守る日本側に状況判断の誤認を起こさせたことだ。


 当初、日本側は中国空軍による戦略爆撃を深刻に捉えていた。

 本格的な戦略爆撃は防衛拠点に重大な被害を与えることは勿論、それ以上に将兵はおろか国民の士気にも悪影響を与える。そうした戦略爆撃に対する備えが予定通りに進捗せず、未だ不十分であったことも、その不安に拍車を掛けていた。


 だが、あまりにも不徹底な攻勢と、それに伴う軽微な損害が、日本側に事実誤認を起こさせることとなった。一連の爆撃を、司令部は本格的な攻勢と錯覚していたのである。だが、その規模に比して受けた損害は予想外に小さく、渡洋爆撃という戦術そのものの威力にも疑問が提示されるようになった。そして敵側の一方的な爆撃休止を、こちらの防戦に損害を受け、戦力再編のため後退したのだと司令部は判断した。


 「本格的な攻勢であの程度なのだから、これ以上防備を充実させる必要はない―――――」

 そう、彼らは考えた……結果、当初志向された充実した防空体制の建設はさらに等閑となった。これは後に、重いツケとなって日本側に圧し掛かってくることとなる。


 だが、戦略も戦術も再検討の段階にある現在、半島方面から中国軍が航空攻勢に出ることは当面有り得なかった。自然、九州上空の航空戦は再び休止状態に入ったのである。


 一方、爆撃作戦を休止した中国軍は、以降方針を転換し、当面は華南方面よりの攻勢に全力を注ぐこととなった。具体的には、台湾侵攻作戦だ。


 台湾を制圧した暁には、当然島伝いに南方から日本本土へ侵攻の手を延ばすことになる。半島から南下し直接九州に侵攻するよりも、時間は掛かるが台湾から南西諸島沿いに攻勢の手を進めることは、日本海上交通の大動脈たる南方航路を寸断するという意味でも、試行する価値があるものであるように彼らには思われたのである。


 攻勢発起と前後して、南西方面における敵潜水艦による通商破壊作戦は、一層その規模と被害を増していた。


 昭和一三年一月七日。南西方面における輸送船団護衛任務に当たっていた駆逐艦八隻の内、四隻が潜水艦により撃沈され、二隻が中小破した。


 同年二月中旬。同じく船団護衛任務に当たっていた軽巡「天龍」「球磨」「長良」が被雷し轟沈。


 同年二月二一日。台湾への航空機輸送任務に当たっていた空母「赤城」が、魚雷攻撃を受け大破。同時期に失われた駆逐艦は五隻に達した。


 そして昭和一三年の三月六日。台湾への攻勢指向の拡大を受け、大陸沿岸部の海上封鎖のため南西方面に進出した戦艦「伊勢」「日向」、重巡洋艦「古鷹」「妙高」「羽黒」が魚雷攻撃を受け「伊勢」「古鷹」が撃沈。「日向」は中破。


 これらの時期の間に失われた駆逐艦以下の小艦艇は二一隻。これらが守るべき輸送船に至っては四二隻に上った。いずれも潜水艦の魚雷攻撃によるものだ。


 ドイツ製、アメリカ製の潜水艦を装備し、破格の待遇で雇われた欧州大戦生き残りのUボート乗り、そしてアメリカ海軍出身の「傭兵」により指揮運用された中国海軍潜水艦は、あたかも我が庭のように南西方面海域を駆け回り、海軍の防潜網を掻い潜り次々と艦艇船腹を撃沈していった。そして当時の日本海軍には、彼らの跳梁跋扈を封じ込める術を未だ持ってはいなかったのだ。


 それは、日露戦争以来対米戦を想定し、日本海海戦のような艦隊決戦を嚆矢として編成、訓練されてきた日本の海軍戦略の破綻を意味していた。艦隊決戦に適した正面装備を重視する余り、海軍本来の任務たる海防の基幹の整備が等閑にされてしまっていたことに、皆は莫大な損害を以て気付かされることとなったのである。


 日本が四方を海原に囲まれた島国である以上、そのツケは海軍のみならず国家にも廻ってくる。南西方面が危険海域となった結果。日本へ向かう輸送船は極力そのルートを避け、遥かに遠回りの太平洋方面航路を取るようになった。


 当然の如く輸送コストは高騰し、それ程の距離を航海出来るような性能の船腹もまた数が限られていたため、輸送能力の低下はコストの高騰にさらに拍車を掛けた。さらには、兼ねてより穀物の供給不足を補うための米の主要な輸入先であった韓国が敵側に回ったことも痛かった。


 米などの主食物。塩、砂糖などの調味料。そして燃料は配給制となったが、それでも量が限られているとあっては国民の需要を満たすことは出来ない。


 当然、国民の非難の矛先は海軍に向かった。


 「海軍は何をしているのか!?」


 要約すればこの一言に纏る国民の批判を前にした海軍自身も、実のところ混乱していた。来るべき艦隊決戦に備えて乗員を厳格に錬成し、計画性を持って建造してきた巨艦や新鋭艦が、たかが沿岸海軍の、それも寄せ集めの潜水艦隊に、為す術も無く撃破されていく。それはこれまでの彼らの常識からすれば有り得ざる事であった。


 しかし戦争の専門家である以上、彼らからすれば如何に突発的で、衝撃的な事態ではあっても、それに適応し、何らかの方策を考えて行かねばならないところに軍隊の存在意義がある。何故なら戦争と言う事象自体、突発性と心理的、物理的衝撃の連続であるからだ。


 潜水艦という「意外な」脅威に対し、海軍が何らかの方策を試行錯誤中であったその時期、台湾への攻勢は本格化し、ぼくらは台湾防衛の増援として南西諸島に展開した。


 


 鹿屋を発つ日。空はどんよりとした鉛色に染め上げられていた。


 目的地は鹿屋から約五〇〇km離れた奄美諸島の大島。ここで一旦給油を済ませた後、天候が許せば沖縄本島まで進出する。


 それが、この日の予定だった。


 増援隊の陣容は九六艦戦三六機。これを二機の八試特偵、同数の九六式艦攻が誘導し、増援隊は四陣に渡って発進することとなった。ぼくらは第四陣。誘導機は八試特偵だ。


 液冷エンジンの奏でる金属音も軽やかに、颯爽と滑走路に滑り込んだ八試特種偵察機。略して八試特偵の姿に、皆の視線が集中する。


 丸みを帯びた機首から、ユンカース式の双尾翼まで通じるほっそりとした胴体。その胴体の中ほどからは、広い主翼が上に向かってピンと張っている。一旦空に上がり、エンジン部に車輪を引き込んだ途端、ぐんと加速していく彼女の機影を、ばくらはまさに文明の利器を目の当たりにした土人のように眺め、賞賛したものだ。ぼくらが戦闘機搭乗員として各基地を巡る度、行く先々には必ず八試特偵の蒼穹を征く姿があった。


 当初は研究用の試作機として開発された八試特偵だったが、緊迫する周辺情勢が彼女を本格的な長距離偵察機へと変えた。その異例なまでに長い航続距離を生かし、黎明を突いて連日のように敵地奥深くへと侵入し、貴重な情報を収集してくる姿は、まさに現世に蘇ったリュンケウス(千里眼の精)だった。


 その八試特偵が、ぼくらを誘導する……それは滅多に無い機会だった。何せごく間近で、飛んでいる彼女の艶姿を拝めるのだ……!


 出発前の訓示の際、操縦士と偵察員、そして通信員のペアをぼくらは紹介された。操縦士と偵察員は海軍兵学校の同期。しかも先月に延長訓練を終えたばかりだという。もちろん、ぼくらと同様、沖縄への空路を行くのは彼らにとっても初めての経験だ。


 同じ海兵卒のよしみか、隊長に促され、整列する隊員を前に改まったように訓示を垂れる二人に、ぼくは何故か胸騒ぎがした。


 「――――巡航速度で二時間余りの距離を飛ぶわけであるが、その間は全く何の目標も無い海原である。燃料を節約しつつも、発動機に負担を掛けないよう心がけよ―――」


 「――――コンパス方位、風向の確認に心がけよ。当該空域は非常に天候が変わりやすい。細心なる注意を以て―――」


 ぼく自身の経験から言えば、海兵の卒業者は、誰とも無くはっきり言って「高慢」である。しかも「無知」だ。このような種類の人間たちの下で、現在の帝國海軍の惨状があったと言ってもよいと思う。

 当たり前のことを「お前らどうせこんなことも知らないんだろう?」と言わんばかりの態度で語られるのは、一種の苦行ではある。誰もが知っていることを、さも自分だけが知っているように語り、それを見たことも経験したことも無いのに、さも見たように経験したように語る……古代ギリシヤの扇動弁舌家デマゴーグでも、もっと気の利いたことを言うはずだ……実はその言葉に、近い将来に起こった悲劇の伏線があったのだが……


 ―――――最後に、機長の操縦士は言った。


 「貴様らの命は、本官が預かった……!」






 ――――抑えがたい不安を胸に鹿屋を発ってすでに二時間近く。


 編隊は、未だ分厚い雲の中を彷徨っている。


 梅雨の雲は、地上からは見えないその上層では、さながら青空に現出した迷宮だ。翼を生やした魔人の彫刻を思わせる層雲。ギリシヤ、ローマ時代の石柱を思わせる、壮麗な形を保ったまま漂う真白い雲雲。そんな美観の足下で、下界の人々に向けて鬱陶しい雨を降らせ、雷の矢を射下ろすという意地悪が為されていることなど、誰が想像しえよう。


 だがこれらの雲雲は、時によってはその生まれ持った魔性で踏み込んだ翼を絡めとり、魅了し、そして二度と逃れられぬ陥穽へと引きずり込むのだ……翼を自らの手に得て以来、人はこの雲を突破し、征服することを目標としてきた。そのために精緻を極めた航法計算が開発され、精緻極まる計器類が造られ、風雨に負けない構造の翼が考案され、実際に空へと立ち向かったのだ。


 そして時代は、長距離、長時間の飛行を可能とする性能と方法を単座の戦闘機にも与えた。航法能力に優れた多座機の誘導による長距離への進出。一昔前ならばわざわざ船に機材を載せ、何日もかけて行っていた洋上の拠点への進出を、現在ではわずか数時間でなさしめてしまう。


 目指す大島なら、未だ島影が見えないのは当然の距離ではあるのだろうが……「グレートヒェン」の操縦席で、ぼくは腿の上に広げた航空図に目を落とす。


 「お前たちの向かうところは、島嶼帯である。洋上航法は必須であるから十分に温習しておくように」という教官の言葉に馬鹿正直に従い、ぼくは航法に関しては結構自習をやり込んでいた。判らないところは、柴田兵曹に教えてもらうなりして、緊急時の対処法も他の搭乗員より多少は判っているつもりだ……ただ、計算の方はさっぱり巧く出来なかったが。


 拙い航法計算を「六割頭」とともに駆使し、さらに気流に煽られながらも地図の上に引いた線は、偵察機が導く針路より南東に二〇度もずれていた。それは時が経つごとに、目指す大島から少しずつ北西へ離れていくことを意味する。その遥か先には――――燃料切れによる洋上への不時着。


 ……だが、その時点ではぼくは自身の航法に自信を持ってはいなかった。反論には、十分な根拠と対案が伴っていなければならない。それでも、あえて先頭を行く偵察機に疑念を呈してみるべきか……ぼくは迷った。


 そうだ……列機は? 柴田兵曹はどう思うだろう。特修科まで出た偵察員出身の彼なら、ぼくの不安にある程度応えてくれるかもしれない。


 意を決してぼくは風防を開け、半身を乗り出して付き従う柴田兵曹機に接近するよう促した。両者の主翼が連なったところで、さして巧いとは言えない手信号で、事の次第を告げる。これまでともに飛んできた小隊として醸し出された阿吽の呼吸だけが、頼みだった。


 はたして……柴田兵曹は、慌しい手付きで手を動かす。彼の手信号は、編隊の針路が南西に三〇度ずれていることを教えていた。このまま後三〇分も進めば、編隊は大島の西方一〇〇kmの海域へ出てしまう。彼もまた、此方に忍び寄る普通ならざる事態の存在に気付いていた。


 『……修正するなら、あと五分です』と、彼は結んだ。その理由は、ぼくにはすぐに判った。でないと、そのまま大島を通り過ぎてしまい、さらには手持ちの燃料を使い果たして何処にも辿り着けなくなる恐れがあるからだ。


 ぼくは機を増速させた。向かった先は、中隊長直属の小隊。皆が巡航速度で飛んでいるだけあって追いつくのは簡単だが、それから後の「意見具申」がまた難しい。ぼくが取った行動は、中隊長機に追従し、バンクで気を引き、再び手信号で中隊長にことの深刻さを伝えることだ。


 たかが学生出の「テンプラ少尉」の言うことを、中隊長は聞いてくれるだろうか?……というぼくの不安は、直ぐに的中した。ぼくの「具申」に気付くなり、中隊長は露骨に嫌な顔をして、あたかもハエでも払うかのようにぼくに向かって「元に戻れ」と手を振ったのだ。半ばやけになったぼくが何度も同じ信号を送っても、今度は無視するばかり……取り付く島が無い、とはこういう時のための言葉なのだろう。


 悄然として列に戻り、ぼくは列機を省みる。そして、柴田兵曹の助言に従って新しい線を引いたばかりの航空図に目を落とす。後数分で変針しなければ、ぼくらは確実に「遭難」する。


 遥か前方の特偵を、ぼくは睨みつけるようにした。地上にいた頃には美しく、そして頼もしく見えた特偵が、このときほど憎らしく思えたことは無かった。あいつはあたかもハーメルンの笛吹きだった。しかももっと悪いことには、あいつ自身には、彼に付き従う哀れなネズミを、死の淵へ導いているという自覚が全く無いのだ……!


 こんなところでふかの餌なんて真っ平御免だ!……と心の中で叫ぶと同時に、ぼくは変針を始めた。柴田兵曹と蔡一空兵は?……しっかりとぼくに付き従っている。


 高度を下げ、薄い雲越しに微かに映える海原を眼下に、ぼくらは飛んだ。スロットルを極限までに絞り、海原に映えた雲の影を島と勘違いしないように注意し、眼前に立ちふさがる層雲を避け、ぼくらは変針を繰り返した。


 やがて……ぼくらは大島上空の予想空域に差し掛かった。眼下には、分厚い、銀色の雲がぼくらの行く手を遮っていた。これでは下の様子が見えない……どうする?

 ぼくは思わず息を呑んだ。ここで、ぼくらの賭けは試されるのだ。


 くじでも引く……否、そういう軽い表現では片付けられない切実な決意とともに、ぼくらは雲へと飛び込んだ。その先に何も無ければ――――ぼくらもまた終る。


 エンジン音も高らかに、幾重にも折り重なる雲の層を抜けた先――――


 「島……!」


 雨天のお陰で鬱陶しい薄靄が掛かってはいたが、ぼくらの眼前には、確かに島があった……!




 結論から言えば、ぼくらが辿り着いたのは大島ではなかった。


 大島のそれとは違う、小振りな飛行場に滑り込み、駆けつけて来た基地員に他の機の動静を尋ねるや否や、


 「ここは徳之島であります」


 という基地員の言葉に、ぼくらは耳を疑う。大島から南西に40キロほどズレている。


 すぐさま地上員に協力してもらい、大島と連絡を取る。間を置かずして届いてきた大島からの通信は、第四陣が未だ大島に到着していないことを示していた。


 『天満少尉の小隊は現地にて待機。天候の回復及び状況の判明を待ち、翌日沖縄本島へ進出せよ』


 との指示をもらう。


 通された食堂兼指揮所でお茶を貰いながら、ぼくは二人の顔を見比べた。柴田兵曹は先程の飛行で気力を使い果たしたのか、鹿屋を発ったときよりもげっそりと痩せて見えた。蔡一空兵は……さっきまで自分たちがどのような状況に置かれていたのか気付いていなかったかのようにキョトンとぼくらの顔を見比べている。


 実際……問いただしてみると、蔡一空兵はことの深刻さに本当に気付いていなかった。


 「そりゃあ……少尉殿と柴田兵曹が何か話しているところは見ましたし、少尉殿がいきなり増速して中隊長のところへ行ったのも知っています。でも……自分は少尉殿を信じていましたから、少尉殿がこっちと言えばそれに従うまでですよ」


 と、呆気カランとしている。その口ぶりが、ぼくと柴田兵曹に今まで忘れていた感覚を取り戻させた。


 ぼくと柴田兵曹は笑った。キョトンとする蔡一空兵を尻目に大声で、馬鹿みたいに。

 それはまた、再び生きて人間の土地を踏めたことへの、心からの安堵の笑いでもあったのだ。




 ……だが、それからが大変だった。


 第四陣九機の大島進出の顛末が明らかになったのは、翌日のことだ。先日ぼくらを誘導した八試特偵は、予定到着時刻を遥かにオーバーし、昨夜の内に単機宮古島の飛行場に着陸したことが明らかになった……しかも、着陸時に主脚を側溝に引っ掛けて脚を折るというおまけつきで。


 では、その特偵の誘導を信じて飛び立った艦戦隊はどうなったのか?……それ付いて語るべき筆を、ぼくは持たない。何故かと言うに、ぼくらを含め誰も彼らの最期を見た者がいないからだ。おそらく……否、やはりぼくには書けない。


 第四陣以外の隊はエンジン不調で鹿屋に引き返した数機を除き、全機が何の齟齬も無く大島への進出を果たしているのだから、第四陣の悲劇の原因は偵察機の誘導の不手際にあったと言ってもよかった。では、その特偵隊の乗員が何らかの譴責処分に問われたかと言えば、それはノーである。事は悪天候下での悲劇という「不可抗力」の一言で片付けられ、操縦士と偵察員には結局何の処分も下されなかった。


 これがもし、海兵出の士官操縦士ではなく、操練や予科練出のペアだったならば……おそらく違う結果になっていたであろうというのは、果たして穿った見方だろうか?


 ――――ともかく、戦闘によらず進出の段階で、はやくも六機の貴重な戦力が失われてしまったのだ。





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