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第6部 ①



 ――――昭和一六年八月。


 欧州大戦の帰趨は、完全に決した。


 昭和一六年三月。イギリスはナチス・ドイツの意を受けた親独政権の手に掌握され、ノースウェスト高地帯で今なお絶望的な抵抗を続けていた「旧政府」は同じく連合国側の亡命政府とともに遂にカナダへ逃走。残余の兵は全て北進する独軍の前に降伏した。これを以て、英国本土は文字通り「陥落」した。


 同月、ドイツと同盟関係にありながらもこれまで事態の推移を見定めていたイタリア。さらには嘗ての内戦時に枢軸国の支援を受けながらも大戦では中立の態度を取っていたフランコ政権のスペインも枢軸側に参戦。イタリア、スペイン海軍は協同して亡命政府側の呼び掛けに応じて地中海で抵抗を続けていた英地中海艦隊に襲い掛かり、浮き足立つ英艦は枢軸側に帰順する者も相次ぎ、格下の相手に次々に撃破されていった。


 また、枢軸側に付いたエジプトから追われてもなお、北アフリカ各地に散って抵抗を続けていた英中東方面軍の大半も、この頃には降伏の途を選ぶ者が続出した。本土からの補給を断たれ、物資不足の上に現地の風土病と飢えに苛まれた挙句に広漠たる砂漠で野垂れ死ぬ者もまた多かったのである。


 七月の半ば、抵抗を続けていた最後の大隊が北アフリカに上陸を果したばかりのドイツ・アフリカ軍団を前に降伏した。アフリカ軍団の司令官にして歴戦の勇将としても知られるロンメル大将は、その最後までユニオンジャックを掲げて投降した大隊を、軍人として凡そ考えられる限りの最高の礼を以て遇したという。


 ――――そして時は移り八月。


 ヒトラー総統はニュルンベルグにおいて欧州大戦の終結式典も兼ねてナチス党大会を開き、そこでドイツの戦勝を厳かに宣言した。ナチス・ドイツは、名実共に「ドイツ第三帝国」となったのである。


 その反面で、もはや欧州の皇帝にも等しい高みへと上り詰めたヒトラーの野望の手が、何時東方のソヴィエトに向くかは予断を許さぬ状況となっていた。






 ――――極東。


 「半年で反乱分子を殲滅する」


 共産勢力による反乱が勃発した一月当時。国民政府の特使が米国首都ワシントンでルーズベルト大統領と会談した際に、本人の面前で打った公約―――というより豪語―――は、結局のところ反故となった。


 国民政府により冷遇されていた地方勢力。さらには政府の暴政下で抑圧され、呻吟していた人々をその中に取り込むことで共産勢力はその決起時より一層その規模を増し、もはや動乱は国民政府自身の手では収集することすら覚束ないほどに大陸全土に拡大していた。


 四年にも渡る戦乱は、我が国にも少なからぬ疲弊を誘っていたのと同様、中国にも損害と負担を強いていた。そうした対日戦に起因する国内の疲弊を好機として、共産勢力は決起した……というのが大方の見方である。


 ……だが、真相は別の所にあった。


 国民政府に追われ、それまでソ連の支援の下外蒙古奥地及びソヴィエト沿海州で雌伏の時を過ごしていた共産勢力が突如攻勢に出た背景には、将来の独ソ戦発起が間近いことを予想したソヴィエトの、東欧への戦力集中投入を容易にするための事前準備策があったと言われている。


 共産勢力は、将来の独軍東進に呼応するであろう国府軍の北進を防ぐための駒として利用されたのだった……もちろん、ソ連としては最終的に共産勢力が国民政府を打倒し、共産主義政権を樹立してくれればなおいいわけだが。


 だが、困る国も勿論存在した。対日戦における国民政府の勝利を見越し、すでに大陸に対し莫大な資本を注ぎ込んでいたアメリカである。


 欧州大戦が早期に、それも英国の敗北という衝撃的な形で終結したため、アメリカは大戦への介入の機会を失した。もし介入していれば降って沸いて来たであろう軍需景気もまた幻となった。


 欧州とは別に、もう一つその種の景気をもたらすであろう機会が、極東において日本がこちらに戦争を挑んでくる可能性だったが、アメリカの挑発が目に見えて効果を出す前の段階で当の中国で動乱が起こり、アメリカは日本に戦争をけしかけるどころではなくなった。


 「将来の市場」を失い、恐慌を再発させる危機を前に、この段に及んではもはやアメリカ―――正確に言えば米民主党政権―――も、従来の孤立主義に拘ってはいられなくなった。


 大統領ルーズベルトは国民政府政権を維持するため、国共内戦への積極介入を主張した。それもそのはず、今この時点で国民政府の崩壊を招けば、これまでの大陸に対する投資の一切が無に帰す。それはまた、種々の雇用創出政策が行き詰まり、一方では大恐慌の打撃から未だ立ち直り切っていなかったアメリカにとって、かつての悪夢の再来にも繋がりかねない最悪の事態の到来を意味したからだ。


 昭和一六年の五月。アメリカは満州駐在のアメリカ市民が共産主義者に殺戮されたことを口実に(後に虚報であったことが明らかになる)軍の派遣を決定。米海兵隊二万が朝鮮半島の仁川及び遼東半島に上陸。米太平洋艦隊はその司令部をフィリピンに前進させ、かつてはアメリカのアジアへの玄関口に過ぎなかったフィリピンは、時を置かずしてアメリカの極東戦略の重要な拠点へと急速に変貌し始めた。


 それから三ヶ月で、大陸への米派遣軍の総数は二〇万人にまで拡大した。米軍の補充戦力や補給物資を満載した輸送船団が引っ切り無しに東シナ海やオホーツク海を横断し、それらは日本軍の哨戒網からも連日のようにはっきりと捉えられていた。この頃には地上軍の主力はすでに拠点確保専門の海兵隊から進攻作戦専門の陸軍に替わり、空からは四発エンジンのB―17爆撃機が本土からハワイ、フィリピンを経由して大陸に展開し、大陸奥地まで作戦行動を取るまでになっていた。大陸沿岸では空母部隊が展開し、連日のように艦載機を発進させ共産軍に銃爆撃を加えていた。


 大陸で動乱が発生したのも予想外だったが、アメリカにとってそれ以上に予想外だったのは、当初楽観視していた大陸に於ける戦況が急速に混迷の度合いを深めていったことだ。共産軍の軍事戦略、一般人に対する宣撫能力の巧妙なることもさることながら、味方であるはずの国府軍は守るべき市民を味方につけるどころか嬉々として略奪や不正に手を染める。さらにはいざ戦う段になっては一目共産軍に遭遇しただけで我先に逃走を始め、てんで何の役にも立たない。


 その敵手たる共産軍はといえば、同じ同胞であるはずの国府軍以上に統制された指揮系統と苛烈な―――狂信的な―――闘志を持ち、「侵略者」たる米軍に数の力を恃んで襲い掛かってくる。彼らの攻勢を前に、装備と物量に勝るはずの米軍すら、局地的には敗退を強いられる局面が発生した。多方面から入手した数々の証拠や情報から共産軍がソヴィエトの軍事支援を受けていることはすでに明白となっていたが、共産軍の策源たるソヴィエトへの直接攻撃を主張する軍と、ソ連との全面戦争勃発を懸念する議会が対立、米国の国政は、徐々に混迷の度合いを深めつつある……


 一方前線では、一度共産軍の影響下にある街に入れば、一般市民に擬装した便衣兵が物陰から銃を向け、アメリカ兵は何が何だか判らない内に次々と倒されていく。そこに現地人のサボタージュ活動も加わり、敵味方の帰趨も定まらない泥沼の戦況下で徒に犠牲が増え、膨らむ一方の猜疑心は無辜の一般市民に対する虐殺にも等しい誤射誤爆まで頻発させた。それがまた現地住民の米軍に対する敵愾心を煽り、共産軍を利することとなった。このような場合でもアメリカを支配する「自由主義」は満遍なく発揮され、従軍記者の手による記事に描かれ、報道カメラマンの写真撮影した「現地軍の蛮行」は、新聞や雑誌に掲載されるやたちまち戦争の正義を信ずるアメリカ市民層を困惑させ、それは忽ち戦争支持派と反戦派との間での深刻な対立に発展した。



 当然、前線でも本国でも厭戦気分が蔓延し、権益の保持に拘って国家を何時終るとも知れぬ消耗戦に引きずり込んだルーズベルト政権に対する国民の非難は勢いを増した。開戦の端緒となった満州における事件は、半年後に単なる匪賊の犯行ということが判明したが、それが判明したからといって「はいそうですか」と撤退を決め込むにはアメリカはあまりに大陸の戦況に深入りし過ぎていた……もはや、「自由主義の砦」を自負した世界最大の民主主義国家の面影は、何処にも見られなかった。






 停戦から二ヵ月後、他の前線基地の例に漏れず、板付もまた異動やら再編成やらで騒がしくなった。前線で実戦を経験した搭乗員を後方に下げ、休養を兼ねて後進の教育にあたらせるのが、その主な背景である。


 我等が中隊長、古谷大尉も横須賀海軍航空隊付の辞令を発せられ、辞令交付から三日後に皆に見送られて定期便の輸送機で本州へ飛び立って行った。名指揮官がその実績に見合う新たな働き場を得たわけで、ぼくらは涙を流しつつも喜んで彼を見送ったものだ。


 その際、ぼくは大尉と基地司令から古谷大尉の後を継いで後任の中隊長になるよう薦められたのだが、ぼくは固辞し、その代わりに転任許可を願い出た。


 ……その転任先は、台湾。


 予備学生令で定められた兵役満了までの僅かな期間を、ぼくは台湾で過ごすことにした。


 九月……台湾の風は未だ熱く、舗装の行き届いた滑走路の遥か向こうが、烈日の下で湧き上がる地熱で揺らいでいた。


 台中飛行場に並ぶ九六式艦戦が零式艦戦に替わり、未だ三ヶ月も過ぎていない。


 台湾もまた前線であるのに、妙なことには停戦まで機種転換が全く行われなかった。その真意は、前線というにはあまりにも台湾が平穏過ぎたが故か? ただ全力を半島方面に注いでいたためか? はたまた、単なる書類上の不手際か……?


 その中には転任の際司令が餞別代りにくれた、使い古されたぼくの零戦の姿もあった。


 飛行隊の待機所で籐椅子に飛行服に包まれた身体を委ね、従兵の注いでくれる冷たい麦茶をすする。過去数え切れないほどの作戦機を空の決戦場に送り込んできたこの基地も、一切の戦乱が過ぎ去った頃には南方特有の喉かな空気の侵入をいとも容易く許すまでになっていた。


 戦争の嵐が過ぎ去った今、ここはもう天国だ。午前、午後の通常訓練の後、夜は台中の街に繰り出して料理屋で一杯やるという毎日。任務らしい任務と言えば、何時来るとも知れない侵入機に備え、待機所で出撃命令を待つぐらいだ。


 海峡を挟んだ対岸では、未だ内戦は止む気配がなく、むしろ拡大の一途を辿っていた。


 停戦後。陸海軍航空隊には平時の訓練の他、新たな任務が付加された。レーダー網に反応するものの、管制官の呼び掛けに応じない未確認の機体に対し、迎撃配置に付く任務だ。これを、「対敵領空侵犯措置」と呼んだ。


 未確認機というのは、大抵が大陸に向かう途中で知らず知らずの内に日本の領空域を通過してしまったり、作戦中に航法を誤って迷い込んだりした米軍機や国府軍機だった。


 飛行時間が稼げることも然ることながら、間近で米軍の最新鋭の機体が見られるとあって、誰もがこの任務に付きたがった。フィリピンから発進するB‐17やB‐25。空母機のF4FやSBD、そしてTBF……さらにはPBYカタリナ飛行艇といった珍しい機体まで、それこそ選り取りみどりの機体にお目にかかれたのだ。さらには大陸から領空に迷い込んでくる国府空軍のP‐36やP‐40への対処もまた、「対敵領空侵犯措置」の一環だった。


 それら侵入機に機体を寄せ、搭乗員の様子を伺うのはぼくの大きな楽しみだった。米軍の操縦士は至って陽気で友好的だ。お互いの顔がわかる距離まで近付くと、白い歯を見せて笑い掛け、手を振ってくる。中には簡単な手信号で、「女はいるか?」と聞いてくる者もいた。


 ここのところ、米軍機よりも国府軍機の動きの方が活発だ。通信傍受施設からの報告によれば、華南方面で国府軍による大規模な掃討作戦が始まっているのだという。未だ海軍陸戦隊が占領を続けている金門島からも、南方に戦闘の痕らしき幾条もの黒煙が立ち昇るのが見えると言ってくる。


 風鈴の音の心地良い待機所に据え置かれた、古ぼけたラジオの声が、陽炎のように室内に響いた。


 『―――自由英連邦の特使……が首相官邸を表敬訪問し……特使は対独戦継続への支援を日本政府に要請しました……これに関し東条首相は特使の労苦をねぎらう一方で支援への明言を避け―――』


 その神聖なる本土を失ってもなお、英国とその連合国は戦意を失ってはいなかった。イギリスの本国政府は残った英連邦に連なる各国を糾合し、「自由英連邦」を成立させ、なおもナチスに対する「自由の戦い」を宣言したのである。だが、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、そしてインド等英連邦の主要国すべての軍事力を合わせたところで、ドイツの圧倒的な軍事力に抗するべくもなかった。


 そうした軍事的な間隙を埋め合わせる有力な同盟国として、「自由英連邦」は日本を選んだようだった。彼らが最初に目論んだのは、大正一一年のワシントン条約で破棄が確認された日英同盟の復活だった。彼らの日本に対する外交攻勢が実を結ぶかどうかは、我が国の将来を考慮する上でも予断を許さないところだ。


 「天満中尉殿、こちらに居られましたか?」


 と、待機所に入ってきたのは、先月付けで空曹長に昇進した柴田君だ。


 「准士官待遇には、馴れた?」


 「悪くないですね」


 と、柴田空曹長はニヤリと笑う。ぼくが転任願いを出すや否や、彼は事前に決まっていた艦隊勤務を蹴ってまでぼくに付いて来た。


 「司令が呼んでおられますよ?」


 「また操縦学生の面倒を見てやれ、とでも小言を言うんだろう?」


 不貞腐れるぼくのことを察したのか、柴田君は苦笑しつつも黙ってぼくの隣に座る。


 煙草に火をつけ、柴田空曹長はポツリと言った。


 「戦争……未だ続いてますね?」


 「直ぐには、終りそうにないね」




 『もし勝てるとすれば……その要因は君達の戦いぶりではない。おそらく、いや確実に彼らはその内部から崩れていくだろうな』


 ドイツへ帰って行ったマイヤー中尉の残した言葉を、日が経つにつれ深く噛み締めているぼくがいた。確かに彼らは内部から崩れた。だが、平和が戻ったとしても戦争に勝利したという感覚からは程遠い。


 半島権益の放棄。不法に拘留され、強制労働を強いられた現地日本人の帰国と、一連の残虐行為に対する中国側の謝罪と賠償が外交交渉で決まった後、日本は現在に至るまで大陸の内戦に対する不干渉を宣言している。本来ならば逓信省及び厚生省の主導で行われるべき引揚者の輸送業務に海軍省が介入し、遼東半島の各港湾に、やせ衰え、着の身着のままの姿で集められた引揚者が埠頭に横付けした連合艦隊の主力艦に移乗して祖国へ向かう様は、一度彼らを見捨て、なおかつ今次の戦局に殆ど寄与しなかった連合艦隊を知るぼくらからすれば、はなはだ複雑な感情とともに映る光景であった。


 現地日本人の帰国が進むのと同時に、船を乗り出して大陸沿岸や半島から日本へ密航を図ろうとする不法入国者への対処もまたはじまっていた。


 ぼくらの眼前で、哨戒飛行に出る九六式陸攻がエンジン音も軽快に滑走路を駆け抜ける。その翼下には、夜間捜索飛行用の機上探照灯が吊下されていた。闇に紛れて日本本土に接近する不法入国者を満載した船を捜索する際に威力を発揮する機器である。


 「中尉殿……居られますか?」


 と、待機所に入ってきたのは蔡兵曹だ。彼は故郷の隊に先任搭乗員として迎えられ、いまやこの基地の下士官兵搭乗員三〇数名の身を預かる「牢名主」となっていた。


 その蔡兵曹は、もう一人の搭乗員を連れていた。体躯の程は蔡君とほぼ同じ、だが未だ初々しさとぎこちなさが抜けていないのは年齢のせいか……ぼくにはそう感じられた。


 「鄭二等航空兵であります……!」


 と、彼はぼくらの前で敬礼した。新人特有の硬さの抜けない、人形のような敬礼だった。だが、それかえってぼくら古兵には微笑ましかった。


 「蔡兵曹の同郷か?」


 と、柴田空曹長が聞いた。すると、蔡君は「よく聞いてくれました」と言わんばかりにニッコリとする。


 「隣村の出身なんですよ」


 「フーン……で、対敵は初めてかい?」と、柴田空曹長


 「はい……!」


 威勢はいいが、その語尾は震えていた。


 ぼくは言った。


 「まあ、そう硬くなるこたぁない。空戦をやるんじゃないんだ。見敵必殺の時期はもうとっくに過ぎちまったからな。ただ、相手が変なマネをしないように機体を寄せて、背をピシッとして見張ってりゃあいいんだ。わかったか?」


 「わかりましたぁっ!」


 ぼくは、彼らに腰掛けるよう勧めた。


 黒眼鏡の向こうの、ヴェールのかかった蒼穹に、ぼくは過去の日々を思う。敵機の背後を追い、戦友の勝利を祝い、同じく死を哀しむ……そこに、いままで自分の成してきたことに誇りを感じる自分はいなかった。


 誇りを感じないのは、自分の経てきた戦いの、自分の振る舞いに自信を持てないでいるからだ。戦場に英雄は数多いるが、その中で自分が英雄であることを自覚する者は少ない。自分の戦いが、自分と親しい誰かの犠牲の上に成り立っていることを知っているからだ。人間は独りでは英雄にはなれない。人間は、常に自分の与り知らない誰かの犠牲の上に生きている。


 ―――そして彼も、常に他の誰かの犠牲になっている。


 ―――ぼくはそこに、神の存在を思う。


 天の遥か向こうで、神が見ていると思うからこそ、時として人は嬉々として誰かの犠牲になる。嬉々として誰かのために死のうとする。たとえ死んでも、神が彼を認め、救済してくれるとその無意識の内に信じているからだ。


 神よ……ぼくは貴方に思う。貴方には人の生死を掌る権利があると同時に、本当の英雄を知る義務がある。英雄や勇者にその勇気の発露に対し、正当な対価を与えてこそ、貴方は信仰するに値する。


 神よ……貴方は自分の仕事を為してきましたか?


 神よ……貴方はこれまで、何を以て下界で殺しあう人間に接してきたのですか? 善意? それとも悪意?


 ――――そのとき、静寂は解かれた。



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