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第5部 ②


 同時期。一二月の欧州では、ナチス‐ドイツの侵攻に晒されたイギリスの命運は風前の灯火となっていた。


 ロンドンを初めとするイングランドは圧倒的なドイツ上陸軍の前にその南部の過半を制圧され、ウェールズもまたそれに続いた。陸軍の降下猟兵と武装SS(親衛隊)師団の確保した空軍基地にはドイツ空軍の戦闘、爆撃航空団が続々と進出し、空軍機はもはやドーバー往復で抱いた燃料の心配をすることもなく、未だ抵抗を続ける北部各地の軍事拠点や都市部に爆弾や機銃弾の雨を降り注いだのである。


 王室は海軍の潜水艦で英連邦に属するカナダに脱出し。政府は今やスコットランド極北の要塞地帯から侵攻軍に対する抗戦命令を出していた。彼らと入れ替わるように、ドイツ政府はこれまで自国内に匿っていたか、イギリス国内に潜伏していたナチスの信奉者を中心に新政権を擁立させ、さらにはかのヒトラー総統が、英国はロンドンで一九四一年の新年を迎えるべく専用機でイギリスに渡ったという記事すら、当時の日本の新聞に掲載されていた。


 イギリスにとっての悲劇はさらに続いた。


 同月中旬。英国本土の陥落が不可避となったことを契機に、中国の国民政府はアメリカ式装備の兵力約八万人を以て華南の国境線を突破し、英領ビルマに強行進駐した。かつて中国が中華帝国として歴代王朝の支配下にあった時代、ビルマはその周辺に位置し、中華へ朝貢する立場にあったという「歴史的事実」こそが、併合の口実となった。


 だが実際の背景には、英国最大の植民地であり、本土決戦に敗れた英政府の実質的な亡命先と見做されたインドに対し、包囲網形成を目論むヒトラーの「友邦」国民政府側に対する要請もあったと言われている。同時に、イギリスの極東における有力な拠点の一つであった香港もまた、中国の掌中に落ちた。


 アメリカはこれを黙認した。一説に拠れば、香港における英国の持っていた経済的権益の大半を、アメリカ資本に譲渡するという合意が為されたためと言われている。


 続いてイギリスに叛旗を翻したのはエジプトだった。二五年前の欧州大戦以来、表面上は独立した王国でありながら実態は英国の経済的、軍事的植民地であったエジプトでは、英国の専横と無能で強欲な国王に対する民衆の怒りが常に燻っていたのである。


 英本土決戦に伴うイギリスの失墜は、そうした民衆の不満に火を付ける形となった。本来北アフリカ戦線で枢軸国軍と対峙するべく設立されたエジプト王国軍の一部が、反英的な将校団に率いられて叛乱を起し、民衆の多くもこれに呼応した。本土への独軍侵攻の報に浮き足立っていた英国現地軍に、これを鎮圧する力はもはや残されてはいなかった。程無くして英現地軍は降伏。一部の部隊はエジプト国外に逃れて徹底抗戦の姿勢を取り、エジプトには親独政権が成立した。


 自然、アルジェリアからスエズに至るまで、北アフリカ全域が枢軸側の手に落ちた。これまで沈黙を守りつつも、何れかの勢力に付く機会を伺っていたトルコや、かねてより英国の横暴に呻吟していた中東諸国が枢軸側に靡くのは時間の問題となった。






 一方、極東でも情勢は動き始めていた。


 早期講和を目指す日本政府と海軍は、第三国による仲介の下で講和する途を模索し、仲介国としてドイツとソヴィエトを指向し現地に於ける極秘交渉に入っていた。


 だが、交渉は何れも失敗した。


 英敗北の余波が中東全域に広がるのを見て取ったヒトラーは、東西よりインドを挟撃する壮大な構想の下、中国との友好関係を同盟にまで格上げする構想を持っており、中国に対する背信行為をなるべく避けるべく動いたのであった。そしてヒトラーは、中国を仲介に、大戦勃発以来冷え込んでいたアメリカとの関係修復を目論んでいた。


 ソヴィエトはソヴィエトで、蒙古及びシベリア方面に対する中国の圧力に少なからぬ脅威を覚えていたため、この時点で対日戦の終結に関与して中国にフリーハンドを与えるよりも、当面中国を対日戦に釘付けにさせておくことの利点を取ったのだった。また、同様の圧力はナチス‐ドイツに面した西方からも受けつつあり、下手をすれば東西で戦端を開くことになりかねない。いわゆる「赤軍大粛清」で有能な将校の多数を処分し、弱体化した軍備の下英米の援助を全く期待できなくなったソヴィエトとしては、東西の二正面作戦は絶対に避けるべき愚であった。


 講和派が窮地に陥った一方で、陸軍主導の大陸反攻作戦の準備は着々と進んでいた。寒風吹き荒ぶ中、博多湾の志賀島や宮崎県の青島海岸、そして鹿児島県の吹上浜で揚陸訓練を繰り返す陸軍の大発艇が、洋上をミズスマシのように蠢くのを、連絡飛行や哨戒飛行中の機上からよく眼にするようになったのもこの頃である。


 新人の訓練もまた、本来の空戦訓練から、地上目標に対する攻撃訓練に比重が置かれるようになってきた。これまでの小型爆弾に加え、翼下に計四発のロケット弾を装備できるように改造された零戦は、文字通り強力な対地攻撃機となるはずだった。対空砲の妨害を、比較的受けにくい遠距離から地上目標を攻撃できるロケット弾は、歓迎を以て搭乗員に迎えられた。


 発射法は、まず機銃弾で目標に対し当たりを付け、その後で本射という手順となる。ロケット弾の弾道は新開発にしては極めて良く、七.七ミリ機銃弾とほぼ同じ弾道を描いて飛んでいく。その威力も、全弾命中すれば駆逐艦程度の小艦艇を大破させられるほどの威力を持っていた。


 射法の次には、攻撃法の講習と訓練が待っていた。


 縦一列に編隊を組んで目標上空に殺到し、先頭機から背面降下して目標に殺到するという基本的な攻撃法を、ぼくらは「置屋の行列」と呼んでからかったものだ。丁度、週末の上陸時に水兵が一目散に港の置屋に殺到する光景から付けられた名である。自然、ぼくら搭乗員の仲間内では地上目標のことを「置屋」という隠語で呼ぶようになった。


 陸軍は一個小隊につき一~二台の携帯用無線通信機を配備し、排除困難な地上目標を空からの攻撃で排除できるような方策を講じていた。具体的には、上陸地点沿岸に指揮通信専用の輸送船を浮かべ、地上からの報告の一切をその船に集約する。


 ぼくら爆装零戦隊は、海峡上空を旋回しながら船からの航空支援要請を待ち、一度報告を受けるや地上からの無線誘導に従って対地攻撃を行う。攻撃と出撃を繰り返し、何時でも支援が可能な距離に戦闘機隊を待機させておくことは、零戦の航続距離と改良された無線通信機の為せる、新しい空地共同の作戦形態として注目されるものであった。


 従来通りの哨戒飛行の上、有明海洋上に浮べた仮設目標上空で「置屋の行列」を組み、洋上からの無線誘導に従って急降下、模擬弾の発射を繰り返すという訓練を繰り返す内に、昭和一五年は過ぎていった。






 ―――昭和一六年。


 進撃か、講和か……去年より延々と続いてきた戦略論争を収拾したのは、御前会議における天皇陛下の御裁断だった。


 「――――半島南部へ兵を進め、帝政を復興する」


 進攻軍は朝鮮半島の北緯三八度―――旧大韓帝國領の北限―――以北への進撃を禁じられ、所定の領域を確保した後は持久防衛体制をとることが以後の戦略の要旨とされた。また、この進攻作戦が終了した段階で、大陸側との講和を模索することも決定された。


 一方で陛下は作戦発起時に陸軍の上陸部隊が暴走し、中国領まで深入りすることを甚くご憂慮され、陸軍大臣と陸軍参謀長、そして上陸軍総司令官の三名を御前に招き、口頭で御裁断に背く行為を取らぬよう確約させたという。


 大陸反攻は、一応本決まりとなった。


 ―――そして、昭和一六年一月一五日。


 ゆっくりと目を覚ました時には、辺りは未だ闇に包まれていた。


 傍らの煎餅布団では、濱崎少尉が未だ毛布に包まって寝息を立てている。布団の上から少し揺すってやると、彼は眼を細く開け、一瞬の後、バネのように半身を起した。


 「出撃ですか?」


 その問いに、ぼくは黙って頷く。


 寝床から抜け出した途端、牙を剥いて襲ってくる寒さから逃れるように慌しく仕度を終え、ぼくらはその足で外に飛び出し、冴えるような月明かりの下を歩く。これからの任務飛行の打ち合わせのためだ。


 周囲では、同じく寝床から抜け出した搭乗員がその重い装具とは打って変わって軽い足取で戦闘機隊、陸攻隊、偵察機隊……それぞれの専門ごとの打ち合わせ場所に向かっている。防寒のためか、飛行帽を目深に被る者。襟をピンと立てる者。そしてマフラーで顔の下半分を覆う者も見受けられた。


 「では中尉殿、お元気で」


 「死ぬなよ、また地上で会おう」


 簡単な言葉と会釈……同窓の間では、これだけで十分だった。


 その日は、「大陸反攻作戦」の初日だった。重大な作戦のある時、ぼくらは決まって一日で一番寝ていたいと思う時間帯に起され、羊の如く敵地に追いやられることに気付いた時には、ぼくらはもう古兵の域に達している。


 講堂狭しと集り、席に腰を下ろして煙草に火をつけ、欠伸を噛み殺しつつ談笑する搭乗員の顔には、豊富な経験の醸し出す余裕が溢れている。ぼくもまた、煙草を燻らせながら、航空参謀の説明など何処吹く風という感じに航空図に鉛筆を走らせていた。


 その反面……航空参謀の説明に顔を強張らせ、使い込まれた形跡のない航空図に一心に眼を凝らす初々しい童顔の一群。ここ数ヶ月、または数年を敵地の空とこの基地とを行き来して過ごしている者もいれば、今日の出撃―――それも、世紀の大反攻作戦―――が初陣という者すら一同の中にはいたのだった。


 彼らの背が小刻みに震えているのは、未だ講堂で群集の熱気とストーブの熱風に抵抗を続ける寒気のせいだけではなかった。


 我が戦闘機中隊の任務は、半島南端の馬山に降下する陸軍落下傘部隊を前線まで輸送する輸送機隊の護衛だった。


 釜山上陸が開始された段階で輸送機隊は発進。輸送機隊は二時間以内に落下傘部隊を馬山に降下させ、展開した落下傘部隊は同地に浸透し敵軍を攪乱。北方よりの増援を阻止する任務を課せられている。


 落下傘部隊とそれを運ぶ輸送機隊はあと二陣に別れ、九州各地の飛行場にも展開しており、一陣は蔚山近郊に降下。もう一陣は釜山を防衛する敵軍の後背に降下し、同じく後方攪乱と敵軍の増援阻止に従事することになる。


 この作戦に動員された輸送機は、陸軍のAT輸送機。海軍の九六式改輸送機等合計一六四機。これは陸海軍の保有する輸送機の七割が、一度に動員されることを意味した。


 戦闘機隊は我々のように輸送機の護衛に従事する中隊の他、中隊ごとに制空、対地攻撃等各種の任務が割り振られている。


 戦闘機が一人の総隊長の指揮下で三〇~六〇機以上の大編隊を組んで作戦飛行を行うことは、数々の空戦で得られた戦訓から非効率且つ無意味であることが明らかになっていた。戦力の主軸は八機から成る飛行中隊であり、統一した指揮官を置かず地上からの指示で中隊を複数展開させ、個々の中隊長の裁量で中隊を動かし、相互の中隊間で連携して任務に当たる……それが、四年に及ぶ空の死闘で多大な血と汗を流した末に、我々が行き着いた単純にして明快な結論だったのだ。




 ―――出撃前の打ち合わせはあっけなく終わり、ぼくらは外で待機していたトラックへと足早に飛び乗る。搭乗員を満載したトラックから先に、作戦機の並ぶ列線に沿った道を、戦闘機隊の待機所へ走り出す。その走る間、ぼくらは不機嫌に揺れるトラックの荷台から、発進準備におおわらわな飛行場の様子を眺めることが出来た。


 ぼくらの目の前で、タキシングする陸攻の鵬翼が幾重にも重なり、さらに小刻みに揺れた。


 新鋭機になったとはいえ、爆弾を積んだ陸攻機が「重くて危険な」飛行機であることは変わらない。外では先に離陸する一式陸攻隊がすでにエンジンを始動し、青白い排気炎も眩しく飛行場に進入を開始していた。白みきれぬ闇空の下で懐中電灯を振り回し、地上から陸攻の移動を誘導する地上員。操縦席の天窓から身を乗り出し、地上の指示を操縦士に伝える偵察員……陸空の見事な協調の末、陸攻は見事なフットワークを見せて飛行場に一列に並び、先頭の機から順次滑走を始めた。


 その列の中には、宿舎を出がしらに別れた濱崎少尉もいる。爆撃機操縦士としては、彼はこの日始めての「出撃」を迎えることになるはずだった。敵沿岸陣地の後背に位置する敵地上軍の拠点を爆撃し、我が方の上陸地点たる釜山への、敵軍の増援を防ぐのが彼ら陸攻隊の主任務だ。


 陸攻隊のそれに隣接する輸送機隊専用飛行場。エプロンでは、駐機するAT輸送機の一群に、落下傘部隊の将兵が列を作り搭乗を始めていた。勝利への決意の下、重厚な装具に身を包んだ精兵たちが一人、また一人と輸送機の機内に姿を消していく。


 全員の搭乗を終え、最初の一機が地上の誘導と滑走路沿いに集った基地員の「帽振れ」に見送られて離陸を始めたとき、ぼくらを乗せたトラックは零戦隊の列線の前に到着した。


 「総員、速やかに搭乗せよ……!」


 待ち構えていた飛行長の号令一下、エンジンを始動させた整備員と入れ替るように操縦席に腰を下ろし、バンドを締めたぼくらは離陸の許可を待つ。


 スウィッチを入れた瞬間に飛び込んで来る女性管制官の指示も手馴れたものだ。まるで囲碁か将棋でも指すような感じで、地上の作戦機に待機や離陸許可の指示を出し、一度空に上がった作戦機をテキパキとした口調で展開に最適の空域に誘導する。そこに防空司令部が出来たての頃の、耳に心地良い初々しい響きは、もはや残滓ほども残ってはいなかった。戦争は経過するに従い、兵士民間人を問わずそれに関わる全ての人々を古兵ベテランにする。ぼくもそうであるし、彼女らもそうだ。だが、それが正常なことであるとは、ぼくにはどうしても思えない。


 やはり戦争とは異常である。ぼくら兵士は、敵国の兵士と戦っているのと同時に、自分を取り巻く異常さとも戦っている。前者は正面からぼくらに向かってくるからこそ対抗のしようもあるが、後者は戦争が推移するにつれてぼくら自身の内面を徐々に侵食し、異常をあたかも正常であるかのように錯覚させてしまう……その時点で、「異常」のぼくらへの寄生は成功する。


 抗争こそが、種としての人間から負の要素を淘汰し、淘汰を生き残った人間を新たな段階へ発展させる道筋をつけるものであると力説する人々がいる。ぼくは彼らに問いたい。では何故に天は、人に理性を与えたのか?……と。


 人間もまた、獣の如く日々を争い、淘汰しあう運命にあるのなら、理性など別段要らないではないか? 天がこの世界で人間のみに理性を与えたのなら、人間は何故自分がそれを授かったのか自問する必要がある。


 理性こそが、人をして「異常」を打破し得るのだ。


 理性こそが、人と獣を別つ唯一の壁なのだ。


 だが人は、時として、嬉々としてその壁を崩しにかかろうとする。理性という苦い薬を飲むことを避け、自らの内面に潜む獣に身を委ねようとする……!


 『――――サクラよりカメへ、離陸を許可する。高度五〇〇〇まで上昇後3―4―2へ針路を取れ』


 そしてぼくらは、地上の人であることを脱し、空の獣となる。






 最後に発進した戦闘機隊が、海峡東水道上空で陸海連合の爆撃隊、そして輸送隊を前方に見出した時、皆がその威容に驚愕したはずだ。


 各地の基地より発進し、集合を果たした大型機の横隊は幾重にも連なり、白みかけた空一帯を覆っていた。朱に染まった空を東に見ながら半島へ驀進する鵬翼の群れは、さながら大空に現出した艦隊……!


 質感に乏しい雲雲は、皆に今日の晴天を予感させた。


 日本には、未だこれほどの大編隊を出撃させられる力があったのか……将来の戦況に、僅かでも希望が持てる瞬間でもある。


 眼下には、どす黒い海原を割る複数の軌条。


 大発艇を搭載した特設輸送船。将兵や車両を満載した揚陸舟艇。これらを護衛する小艦艇などから成る後続船団が、一路上陸地点の釜山へと驀進を続けていたのだ。この分だと先日の夕刻に出港した先発隊はすでに半島南岸間近へと迫っているだろう。今頃、この期に及んで漸く上陸支援にその存在意義を見出した戦艦部隊が、釜山の要塞地帯へ主砲を向けているのかも知れない。


 大型機編隊に追従していた零戦隊の一部が、一気に増速し、降下した。その翼下にはロケット弾……対地支援班に属する中隊だ。何時の間にか、援護戦闘機には壱岐、対馬を発進した陸軍の九七式戦闘機の編隊も加わり、空の進軍は一層重厚さを増した。


 『―――サクラより全機へ……』


 「ん……?」


 督励電かな?……と思いつつ、耳を傾ける。


 だが……そうではなかった。


 『―――サクラより全機へ、全機針路を転じ、各自の基地に帰投せよ。繰り返す、帰投せよ、帰投せよ……』


 にわかに、通信網をざわめきが覆う。




 『―――オイ、今何と言ったんだ。復唱してくれ』


 『―――確認したい。復唱を要請……』


 『―――帰投……帰投せよ。これは司令部の命令だ。繰り返す……』


 帰還すると、西村兵曹をはじめ隊の整備員が血相を欠いて駆け寄って来る。古谷大尉は操縦席から飛び降りると、彼の肩を掴むようにした。


 「どうなってるんだ? 何があった?」


 「判りません……ただ、待機命令が出ています」


 「待機?」


 「はい、追って決定が出るまで待機です。指揮所によれば上陸部隊も引き返しているそうです」


 「…………!」


 大尉は、追及してきたぼくの方に向き直った。


 「天満、俺と一緒に指揮所に来い」


 「はい……!」


 果たして指揮所では、顔を曇らせた司令をはじめ基地幹部が、ぼくらと同じような疑念を抱いて指揮所に駆け込んできた搭乗員たちに囲まれていた。


 「大本営からの電文が……それも平文で寄越してきたそうだ」


 「何だ? 東京で政変でもあったか?」


 「馬鹿……縁起でもない事言うなよ」


 それぞれに語り合う皆の、拭い難い不安をほぐす様に司令は言う。


 「皆、さっさと持ち場に戻れ。とにかく、当面の指示は待機だ。いずれ追って指示が来る」


 ……だが、その日は遂に出撃命令は出なかった。


 翌日。ぼくらは再び暗い内から起され、打ち合わせの後、それぞれの機種ごとの滑走路へ向かい、命令が出るまで待機する。何時下りるとも知れぬ命令を待ち、寒風に身を晒しながら緊張に身を委ね続けるのは正直辛い。命令を出すのなら、早く出して欲しいものだと、皆が思う。空に上がり、敵地に向かえばこういう緊張は飛んでいる内にさっぱり失われている。


 皆は無言のまま、じっと出撃の下命を待った。


 ……だが、その日も、出撃命令は出なかった。


 次の日も、そしてまた次の日も、ぼくら搭乗員と整備員は命令を待ち続けた。待ち続けて一週間が過ぎた頃にはぼくらの緊張も殆ど解け、待機所で将棋や花札をやる者。飛行場の真ん中で蹴球に興じる者も出た。終いには寒風に晒されながら真摯に出撃を待ち続けた結果。風邪を引いて飛行停止になった者も出たほどである。


 そして二週間目に入った頃も、とうとう出撃命令は下りず、作戦は中止となった。作戦が中止されたのみならず、対馬海峡の西水道以北―――つまり、半島上空―――における作戦飛行の一切も「中央の命令」により禁止され、ぼくらを困惑させた。


 あまりに釈然としない展開に、基地司令や数名の指揮官が陸攻に便乗し、東京の中央へ抗議や説明を求めに向かったのも、この頃である。板付のみならず、これらは反攻作戦に参加するはずだった他のどの基地でも起こっていたことだった。


 天候の問題かと皆は思ったが、そうではないことはここ一週間続く晴天が教えていた。天候とか、技術的な問題ではなく、何か大きな……政治的な何かがぼくらの出撃を阻んでいることに薄々ながらもぼくらが思い当たり、それを信じ始めたとき、噂は尾鰭を付けて基地内を駆け巡った。


 「―――どうも、講和が成立したらしい」


 「……中国の使節が米軍の飛行機に乗って東京まで飛んできたそうだ」


 「武装解除するって話もあるぜ」


 「まさか!……日本が降伏するってのか?」


 募る疑念と不安に答えを示したのは。東京からの帰朝早々、営庭に基地の将兵を集めた基地司令の言葉だった。


 居並んだ部下一同を、一段高い演台から一巡した後で、司令は声を震わせる。


 「聞け!……去る反攻作戦の出撃の二日前。満州においてソ連の支援を受けた共産勢力が大規模な叛乱を起こした。反乱軍は現地国府軍を撃破し、勢力を増して直も進撃中である。半島北部もまた、南下する共産軍と現地反乱勢力の連合軍と、国府軍との間で戦闘が始まっているとの情報がある」


 「…………!」


 皆のざわめきを制することなく、司令は続けた。


 「……中国国民政府は、動乱勃発の翌日に政府に直接停戦及び和平交渉に入ることを打診してきた。政府は大元帥陛下の大御心を以てこれを受諾し、現在我が国は中国側のさらなる打診を待っているのが現状である。停戦の公式発表は追って玉音放送により知らされることになるだろう。貴様らには軽挙妄動を慎み、事態の急変に備えてひたすら待機に徹してもらいたい……!」


 最前列で古谷大尉と共に訓示に聞き入るぼくの背後で、搭乗員達のヒソヒソ話す声が聞こえてくる。


 「終ったんだな……」


 「何か……しっくり来ない終り方だなぁ」


 「ギョクオン放送って、何だ?」


 「どうも……大元帥陛下直々にラジオで停戦を宣言するみたいです」


 「そうなのか……!?」


 ……後でわかったことだが、停戦宣言にわざわざ天皇陛下を持ち出したのには理由があった。国民政府から停戦を打診されても、陸軍の一部強行派の中にはそれを無視して半島進攻を強行しようとする一派がいたのである。彼らの暴走を抑えるために、政府と海軍は「大元帥陛下」の「大御心」を前面に押し出したのであった。


 天皇陛下の御意向を持ち出されては、如何なる帝国軍人でも服従せざるを得ない。それでも強硬派の中には決起して皇居を襲撃し、陛下の「真の大御心」を蔑ろにした「君側の奸」を討つべしと息巻く者もいたと言われている。彼ら強硬派を陸軍内の和平派が宥め、大本営が実施部隊の暴発を抑えるべく目を光らせている内に、国府側との和平交渉の日程は決定し、玉音放送の日取りが日本中に知らされた。


 ――――そして、昭和一六年一月二七日。


 時は……正午。


 空電混じりの天皇陛下の声が、スピーカーで飛行場一帯に響き渡る。


 曇り空の下で頭を擡げ、飛行場に立ち尽くす飛行服。作業服……そして軍服。


 ひんやりとした、強めの風に飛行服を煽られながら、ぼくらは天皇陛下の玉音放送を聞いた。生まれてこの方、数えるほどしか聞いたこともない天皇陛下の声で終わりを知らされるのにも拘らず、意外と皆はそのことに無感動であるようだった。


 余りにも急過ぎ、唐突な終り、さらには勝ち負けすら判然としない終わりが、皆からこれまでの戦い。自分の生。そして戦いの途上で死んでいった仲間達のことに思いを至らせる余裕を奪っていたのかもしれなかった。奪われた余裕の中でそれらを思い、泣き崩れる者。呆然とする者の姿を眼にしたのは、玉音放送が終ってかなりの時間が過ぎてからのことだ。


 ……そしてぼくもまた、そんな彼らの姿に目頭を熱くした。そこに、生残った者の満足感や勝利感など皆無だったのだ。


 ……それでも、戦争は終った。


 戦争は、終ったのだ。






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