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第5部 ①



 昭和一五年一〇月――――


 ――――自国領の制空権、制海権の一切を失った韓国は、従来の首都であった京城を棄て、中国の支配下にある半島北部の平壌にその政府中枢を移すという「決断」に転じた。


 我が方の制空圏外より可能な限り脱し、抗日作戦の指揮を円滑ならしめるための非常措置というのが表面的な理由だったが、その実際は、韓国の独立及び内政の全てが、韓国側の手を離れ国府側の掌中に移ったことを意味していた。


 半島を彼らの言うところの「暴虐なる倭奴とその傀儡」より「奪回」した「大韓民國臨時政府」は、これまで彼ら自身を肥え太らせるため酷使し、収奪してきた朝鮮の国土と民を、最終的には彼らのかつての「宗主国」に売り渡したのである。


 首都の「移転」と時期を同じくして、半島北部以北からは国府軍の師団が続々と南下していることが我が方の航空偵察により確認され始めた。現地の旧韓國軍部隊は解散され、国府軍の一部として次々と吸収、改編され始めているという情報まで、大本営にはもたらされている。


 この一事からして、国府側が半島を着々とその政治的影響下に置きつつあるという事実、そして大陸側が日本の上陸反攻を来るべきものとして予想の枠内に置いているという事実を雄弁なまでに示していた。


 ここ三ヶ月の間。戦況は平穏に推移している。


 中国空軍は七月の時点でその主力は満州まで後退し、アメリカの支援の下ひたすら戦力の増強と錬成に傾注しているものと判断されていた。


 八月。帝国海軍機動部隊は未だ先月の空襲の傷の癒えぬ元山、そして清津港を急襲。港湾内の残存艦艇及び船舶、そして港湾施設の大半を破壊することに成功した。この作戦を以て日本海における大陸側の海軍戦力は壊滅し、日本海の制海権は開戦以来再び我が方に帰した。この時点で、少なくとも日本の施政権の及ぶ範囲において、海空の通航の安全はほぼ完全に確保されたことになる。


 一方で、韓國の継戦能力が殆ど失われ、逆に半島における国府側の影響力が日を追って増しつつあるという事実は、大本営、特に大陸への反攻の第一段階として半島上陸と「韓国解放」を指向していた陸軍部を焦らせた。戦争の当初より、本土防衛という点では方針が一致し協調してきた陸軍と海軍ではあったが、戦争の終らせ方に関するヴィジョンは、実は両者では全く違っていたのである。


 「半島撤退戦」以後、本土と台湾間の交通とそこに跨る領海を再び確保することに成功した段階―――要するに、現在の我々の置かれている段階―――で大陸側と講和し、戦争を終結させようというのが海軍の終戦案であった。この案に沿えば、和平交渉は現時点で直ぐにでも開始できるものの、喩えそれが成功したとしても日本は半島に対する影響力、ひいては満州に建設した経済的基盤の一切を放棄することになる。


 陸軍はまさにその点に反発した。陸軍の終戦案では、本土の安全を確保した後半島上陸を行い、そこから北上を続けて中国領に進攻。韓國の帝政復活と同時に大陸に於ける利権の全てを回復した段階で初めて講和に入るということになっていた。これでは少なくとも満州全域を軍事的占領下においた状態でないと一切の和平交渉は出来ない。


 陸軍は海軍の終戦案を「軟弱の極み」と決め付け、批難した。最も、その陸軍自体、今攻勢を停止することで韓國という大陸からの防衛戦略上重要な足掛かりを失うことを恐れている向きがあった。半島に部隊を置けなくなるということは即ち、陸上に於ける防衛線を本土にまで著しく後退させるということを意味する。それはつまり、本土を大陸からの侵攻の危機に直接晒すことを意味すると同時に、最終的には陸軍の内政に対する影響力の低下にも繋がる。


 一方で海軍は、「現実性に乏しい。」と陸軍の終戦案に反駁した。過去五年間に及ぶ戦争で、日本の国力は少なからず減退している。この上さらに戦域を広げれば、それは究極的には経済主体としての日本の破綻に繋がるだろう。しかも、大陸へ進攻することで徒に軍を展開させれば、その分を本来本土防衛に当たるべき部隊まで前線へ引き抜かれてしまうわけで、これでは本土防衛という従来の戦略目標を完遂できるかどうかも覚束ない。


 さらに海軍にはもう一つ、大陸情勢に関し日本の命運に関わるであろう懸念を持っていた。それは大陸に対するアメリカの介入である。


 近年、日本との戦争状態に関わらず、アメリカは中国との経済的、軍事的な交流を一層拡大させつつあった。そうしたアメリカの中国に対する執心ぶりは、傍目から見ても明らかに度が過ぎていた。数々の経済的支援。最新兵器の供給。軍事顧問の派遣。日本近海における挑発的な軍事行動……あからさまに口にしないだけで、実態は完全な「中米同盟」である。


 アメリカの行為には憤りを覚えつつも、日本海軍と政府は、欧州大戦以降世界最大の産業国家を正面から相手にする愚を十分に弁えていた。当の日本自体、現時点でアメリカと対立しつつも実際は経済面でアメリカに大きく依存している。


 例を挙げれば日本の主力輸出品たる繊維製品の最大の輸出先は依然アメリカであるし、翻って日本が輸入している石油の九割がアメリカ産だ。さらには民間の製造業や軍需生産に必要な製造機械やその部品の主要な供給先も実はアメリカである。まともな判断力の持主なら、このような国と戦争をしようなどとは到底思いも付かないであろう。


 これ以上中国を相手に戦争を続けるということは即ち、その背後にいるアメリカとの決定的な対決に繋がる。それは五年に及ぶ大陸との戦争で、本来対米戦に備えて整備してきた希少な戦力を磨り潰してきた日本海軍にとっても、是が非でも避けるべき事態であった。


 また、有力政治家や官僚勢力の一部もまた、現下の戦況がもはや日中間の問題に留まらず、将来的には中国の背後にいるアメリカとの衝突に直結することを予見し、それを回避するべく早期講和への道を模索し始めていたのだった。




 ――――一方、欧州戦線。


 欧米では「Battle of Japan」と呼ばれる日本本土と台湾を取り巻く一連の防空戦が殆ど終焉を見たのと期を同じくして、欧州では新たな空の戦いが始まろうとしていた。


 「Battle of Britain」こと、英国本土とその周辺を取り巻く、英独間の苛烈な航空戦である。


 もっとも、それが本格化する前の段階で、英国は完全に欧州と大西洋から隔絶され、追い詰められていた。この辺も「Battle of Japan」以前の日本と似ているが、その追い詰められ具合は日本よりはるかに深刻なものだった。


 昭和一四年の末から本格化していたドイツ海軍による大西洋通商破壊作戦はごく初期の、それも短期間の内に大きな戦果を挙げ、昭和一五年八月の時点でアメリカと英国を結ぶ通商航路は完全に途絶する。それを可能にしたのは、日本に対する無制限潜水艦作戦で得た戦訓を元に大量建造された潜水艦部隊と、日本海軍との戦いを経てより洗練され、巧妙さを増した潜水艦戦術だった。


 大量に建造、配備されたUボートは、北欧方面の作戦に必要とされ、一時期欧州戦線に少なからぬ数が引き抜かれてもなお大西洋に纏った数の潜水艦を投入できるほどの数的余裕を与え、大西洋を航行する英国の輸送船は隻数単位ではなく文字通りの船団単位で捕捉され、撃滅された。東シナ海や南西諸島で戦った歴戦の潜水艦艦長が、その主導的な役割を果たし、対潜作戦に不慣れな英軍を翻弄し、恐怖のどん底に叩き落していった。


 昭和一五年の七月中旬。ヒトラー総統は英国本土に対する本格的、そして全面的な航空攻勢に出ることを決断する。満を持し英国本土に殺到するドイツ空軍の戦爆連合と、それを迎え撃つ英国王立空軍(RAF)との熾烈な攻防戦が始まった瞬間だった。


 英国本土の制空権奪取を図るにあたり、ヒトラー総統とドイツ空軍の方針は徹底していた。方針とは国民生活の基盤たる都市部には目もくれず、空で、そして地上で英国空軍の防空戦力を捕捉し、これを完膚なきまでに破壊することである。それはまさに、「Battle of Japan」の戦訓に基づくものであった。日本空軍を壊滅寸前に追い詰めたはずの中国空軍が、その敵に対する撃滅の意思に乏しかったばかりに、または意思の薄弱さから攻勢を断念し、遂には敵に止めを刺す機会を逃し、徒に日本空軍の前に損害を重ねたことを、彼らはこれまでの戦訓から理解していたのである。


 「如何なる犠牲を払っても、英国の抵抗力を殲滅せよ……!」


 極東の戦訓から、敵の空軍力が容易に掃滅できないことをドイツ空軍は知っていた。だからこそ命令は徹底され、苛烈さを増した。ドイツ空軍が来襲する度に英国空軍のスピットファイア、ハリケーンの両戦闘機は空に飛び上がり、ドーバー沿岸に張り巡らせたレーダー網の助けもあってドイツ空軍相手に少なからぬ戦果を上げたが、それにも怯まずドイツ空軍は攻勢を継続した。攻勢の手は戦闘機と空軍基地のみならず、軍需工場やレーダー施設にも及び、英国の防空網は各所で寸断され、壊滅した。


 ドイツ空軍は、イギリス空軍の前に多大な損害を蒙ったが、それでもイギリス空軍はドイツ空軍の執拗な攻撃を防ぎきることが出来なかった。航空機や軍事施設に対する攻撃は徹底的に継続され、やがてはイギリス側の、蒙った損害を埋め合わせる能力は次第に失われていった。


 スピットファイアを駆る歴戦の搭乗員も、一戦、また一戦を重ねる度に空の彼方へと消えて行き、あとには戦闘機を乗りこなすことも覚束ない新人ばかりが残された……ドイツ空軍は、まさにその瞬間を待っていたのだ。


 九月を過ぎてもドイツ空軍の航空撃滅戦は続き、この頃には通商破壊作戦により国外からの資材供給が途絶えたことで、生き残った航空機工場も損耗分の作戦機を供給することが出来なくなり、やがては作戦機を飛ばす燃料にも事欠くまでになった。


 そこに、ドイツ空軍の以前にも増して苛烈な攻勢が加わった。イギリス空軍の邀撃機は地上、空中を問わず各所で破壊され、なけなしの軍需施設は回復不能の痛手を受けて沈黙した。九月の末には、イギリス空軍は組織だった邀撃戦を展開することすら不可能になってしまっていた。


 イギリスもまた、極東における戦争の一部始終を知らないわけではなかったが、その戦訓の捉え方がドイツとは全く異なっていた。全てにおいて極東の戦訓を取り入れ、消化してきたドイツに比して、日本人の戦争など、欧州の戦争に何の参考にもならないと彼らは考えていたのである。大使館付駐在武官の、本国に送った報告書の悉くが上層部には無視され続けた。零戦の性能とその航空作戦の一切を記した報告に至っては、


 「日本人にそんな戦闘機が作れるわけがない!」


 の一言で片付けられた……!


 しかし一度戦争に突入し、極東の戦訓を取り入れたドイツ軍の海空の圧倒的な攻勢を目の当たりにするにつけ、その態度は一変した。実質上の「対中軍事援助法」と化した武器貸与法の「対象外」となったことにより、アメリカの軍事援助を受けられなくなっていたイギリスでは、慌てて「Battle of Japan」とそれに連なる対潜作戦の分析を始めたものの、その頃には――――すべてが、もはや遅かった。






 ――――そして、昭和一五年一一月。


 『独大軍三十万 英本土に上陸!! 


 英政府 徹底抗戦の構え!』


 その日の新聞記事には、派手な見出しが躍っていた。


 警急任務に付く零戦の操縦席で新聞記事に目を通しているぼくから、拡張されたばかりの滑走路を二線ほど隔てた先では、先週進出したばかりの陸軍落下傘部隊の兵士が列を作って並び、上半身裸で体操をしていた。


 その筋骨隆々たる体躯と、遠方まで届く号令に、零戦隊の整備員もエンジンを調整する手を止め、感慨深げに見入るのだった。


 九州各地に、陸軍の師団が本州より続々と集結を始めたのは、昭和一五年九月の中旬からのことであった。ここ板付基地も例に漏れず、本州で機種転換と部隊の再編に取り掛かるべく後退した陸攻隊と入れ替わるかのように、編成されたばかりの陸軍落下傘部隊が、彼らを戦地まで運ぶAT輸送機とともに入ってきた。


 この時期福岡、熊本など九州各地の主要都市は本州からやってきた陸軍の将兵で溢れていた。


 「大陸反攻」


 の機運が、このところ陸軍を中心に高まりを見せている。


 「時期尚早」との政府と海軍の反発を他所に、陸軍は演習と称して内地より大軍を移動させ、九州に展開させていたのだった。博多や長崎の各港湾でも、陸軍に徴用された船舶が大量に集結を始めていて、それらが何を載せ、何処へ向かうために用意されているかぐらい、もはや誰の目にも明らかだった。


 彼らの行為が、半島を通じ大陸に進撃するための既成事実作りにあることは明白だった。演習など、それらを取り繕うための方便に過ぎない。陸軍の意を受けた一部新聞やラジオは、盛んに地上部隊による大陸反攻の必要性を煽り立て、防空色のだいぶ色あせ、活気の戻ってきた街頭では、同じく陸軍の意を汲んだ政治家や右翼団体が「朝鮮の帝政復古」と「満州の同胞救出」、そしてそのための大陸出兵を盛んに捲し立てている。


 搭乗員は、語り合った。


 「これ以上の進撃なんて、意味がないよ」


 「戦えと言われればもちろん戦うが、最終的には勝てるのか? 勝ち負けも見えないまま戦い続けるのはもうイヤだ」


 「おれのおじきが満州にいるんです……生きていればね。おじきの消息を知るまではおれは戦いを止めたくない」


 「……そりゃあ、満州にいる同胞を救いたいのは山々だが、日本にこれ以上戦争を続けられる力があるのか? この上戦争を続ければ、アメリカまで敵に回してしまうぞ」


 これまで四年近くを九州の空、半島の空で戦い、激戦を生き抜いた同僚達は、話をする度に苦りきった顔を浮べていた。数の面で優勢な敵と戦い、それを撃破する毎日の中で、彼らは自分たちの防戦にいずれ限界が来ることをその本能的な感覚の内に知っていたのだった。反攻に打って出ることなど、返ってその時期を早めることに繋がりはしないか? 限界が来る前に大陸全土を一国で制圧できるほど、日本にはまだ国力が残っているのか?


 アメリカと戦い、敗北することを我々は恐れてはいなかったが。むしろ大陸との戦いに敗北することを我々は恐れた。何故かと言うに、開戦と同時に稼動を始めた現地日本人の強制収用所に、多くの日本人が大陸に敗北した日本の末路を見たからである。


 強制収容所の悲惨な内情は、外電等を通じ既に多くの日本国民の知るところとなっていた。


 人々は四畳半の部屋にそれこそ数十人単位で詰め込まれて寝起きし、男達は朝早くから夜遅くまでをスプーン一匙ほどの高粱と腐ったモロコシを糧に過酷な労働を強いられている。日本人は栄養失調と風土病、そして警備兵の暴力に始終晒され、病に罹った者、働けなくなったものは容赦なく殺され、大して反抗していないのに中国人や朝鮮人警備兵の気分次第で毎日十数名が射殺されるという。


 女子供は、さらに悲惨だった。男達と変らない過酷な環境に置かれるのは勿論のこと、中には看守どもの慰みものにされる者、強制的に親兄弟から引き離され、僅かな金銭で売り飛ばされる者……これらの女たちの中には恥辱に耐えかね自ら命を絶つ者もいるという話だった。


 当然、ことを知った人々は憤り、大陸への怒りを顕にした。斯くの如き苦境に置かれている大陸の同胞を救出し、新聞の言うところの「暴戻な支那朝鮮」への報復を叫ぶ声は日増しに高まり、論壇を賑わせた。その「暴支廱懲」の気風の色濃く渦巻く中を、半島上陸に向けた準備は着々と進んでいたのである。


 一一月……我々を含め、日本人の多くが国土を大陸の魔手から守りきったことを自覚し始めた一方で、混乱する国論の収拾、そして漠然とした将来への模索に手の付かないまま日々は過ぎていった。


 


 一二月に入っても、「本土防空戦」以後の戦略方針をめぐり、大本営では依然激論が戦わされていた。


 陸軍は言う……大陸の敵の軍事拠点を直接攻撃し、制圧下に置かない限り、この先敵は何度でも態勢を整えて空や海から攻勢を仕掛けてくる。その度に迎撃している内に、資源と財力に乏しい我が方は次第に戦力を消耗し、やがては敵の攻勢に屈することになるだろう。そうならない内に、未だ余力のある段階で大陸に進攻し、敵を講和のテーブルに引きずり出し、敵にこれ以上の攻勢が不可能な条件で和平を誓わせるべきである。


 海軍も反論する……大陸に進攻すれば敵は講和に靡くと言うが、その確証は何処にあるのか? 大陸は日本の想像を超えて広大である。喩え進攻し、敵地を占領し得たところで敵は更に奥地へ後退を繰り返し、わが方を泥沼の消耗戦へ引き込むであろう。それを追う我が方は、やがては占領した敵地の維持だけで精一杯という状況に陥るのは火を見るより明らかだ。それに、進攻作戦に大軍を投入すれば自ずと本土を守る備えは手薄になる。最善の策は持久体勢を取って敵の動静を見守り、弾力的に対応していくことである。


 陸軍は大陸に対する自らの足場を失うことを恐れ、海軍は大陸の背後で蠢くアメリカと対峙することを恐れた。人間を動かすものは利益ではなく恐怖だと、嘗ての偉人は言った。それぞれの胸の内に抱えた恐怖によって両者の戦略は全く違う方向へと向かい、合意を見ることはなかったのである。


 その間も、ぼくらは飛び続けていた……とはいっても、危険に遭遇することはもはやない。この時期には敵機はあまり現れず。ぼくらの課せられる任務の殆どが単機~少数機の零戦による半島上空への偵察飛行となっていたからだ。飛行場を飛び上がるや三、四時間ほどを半島上空で哨戒し、敵機に遭遇してもよほど緊急に迫られた時以外は空戦を避け、高速を生かして退避する……というのがそうした偵察飛行の大抵の流れだった。


 血気に逸る若い搭乗員はしばしば制限を冒し、たまに周辺を飛行している敵機を捕捉し、撃墜して還って来ては基地司令のお目玉を喰らっていた。彼ら若年搭乗員を宥め、叱りつけるのは大抵、今や彼らのまとめ役となった蔡兵曹の役目だった。


 その間も半島への爆撃の手は緩められることなく、陸攻隊は九六式陸上攻撃機から新鋭の一式陸上攻撃機への機種転換を終え、連日を各地の爆撃行に飛び回っていた。空力的に九六式より洗練され、エンジン出力の向上した一式陸攻は、戦術を敵高射砲の射程や邀撃機の上昇力の及ばない高高度からの爆撃に転換し、戦闘機の援護無しに、全くの無傷で半島全土へ自在に爆撃を行うことが出来た。平壌すら、彼らの爆撃の前に安住の地では無くなっていた。


 ぼくが昇進の辞令を受取ったのは、そのような平穏な日々を、漫然と空と地上を行き来する中で過ごしていたときのことだ。


 何時ものように哨戒飛行を終え、ぼくは昼前に帰還した。機をエプロンまで移動させ、エンジンをカットした操縦席の頭上を、ぼくらの隊と入れ替りに哨戒飛行に飛び立った零戦の二機編隊が航過していく。


 機を降りたところを、柴田と蔡の、両兵曹が笑顔を浮べて待っていた。


 「どうしたの……?」


 「天満中尉殿、昇進、おめでとう御座います」


 「え……おれ、中尉になったのかぁ」


 「辞令が来たそうですよ」


 中尉になったからといって、ぼくの位置は大して変らなかった。何故なら、同時に古谷中尉もまた、大尉に昇進していたからだ。


 古谷大尉は言った。


 「何なら、天満が中隊を持てるよう俺が頼んでみようか?」


 「いえ、結構ですよ。大尉の傍に居たほうが勉強になります」


 「コノヤロー、すっかりオベンチャラが上手くなりやがって……」


 本当のことを、ぼくは言ったまでだ。ぼくに戦闘機乗りとしての才能はあったとしても、戦闘機隊指揮官の才能があるようには到底思えなかった。


 この間、本州で訓練を終えた新人の搭乗員が、続々と九州各地の基地に赴任してきた。緒戦に始まった搭乗員の大量養成計画はもはや軌道に乗り、今では安定した戦力の補充を行うことが出来たのである。実戦ともいうべき哨戒飛行に対する熱意よりも、後方で新人の教育にかける熱意の方が、この時点では勝っているというありさまだった。これはこれで、本土の空に平和が戻ったという何よりの証であったのかもしれないが……


 だが、増えすぎた搭乗員は、一つの問題をもたらした。拡張された飛行場はなお増大した作戦機を受け容れる余裕があったが、肝心の搭乗員宿舎は依然拡張されないままとなっていたのだ。


 「搭乗員の数が増えた? そりゃあ大変ですよ。小官なんか、宿舎の廊下にハンモック引いて寝てますから……イヤア、ハンモックなんて、母艦勤務以来久しぶりですわ」


 と、柴田兵曹は苦笑したものだ。


 その余波はぼくら士官にも及んでいる。ぼく一人が独占していた宿舎の一部屋も、とうとう相部屋にされてしまったのだ。


 ……だが、それはそれで嬉しかった。入ってきた新入りが、ぼくと同じ大学の出身者だったからだ。


 「濱崎少尉であります……! 陸攻隊に所属しております」


 と、私物入りの葛籠と一緒に部屋に入ってきた青年は、ぼくよりずっと背が高く、軍人らしい風貌をしていた。


 「君、出身は予備学生……?」


 「はい……!」


 その後、彼は自分が在籍している大学の名を出した。学部は法学部だった。


 「……そうか、おれは文学部なんだ」


 「そうでしたか……!」


 その夜、ぼくらは大いに語り合った。ぼくは彼が海軍の内情と現下の戦況とを知るための窓口であり、彼はぼくが外の社会と母校の近況を知るための窓口となった。


 校舎を彩る木々のこと。学内の名物教授のこと、ぼくらと同じく軍に赴いた同窓のこと……ぼくらは大学の思い出に笑い、未来への希望を語り、戦い半ばで散っていった仲間達のことを、それこそ夜が更けるまで語り合ったものだ。


 「一式陸攻はいい飛行機らしいから、濱崎君も武勲を立てられるといいね」


 「いやあ……自分は、そんなのに興味はありませんし、編隊を崩さず、他の皆さんに付いて飛ぶだけで精一杯です」


 濱崎少尉は着任早々哨戒班に所属したらしく、任務飛行から還る度に日本海に出た時のことを話してくれた。


 「今日は、アメリカの空母を見ましたよ」


 「へえ、エンタープライズ型かい?」


 「いえ、レンジャー型だったと思います」


 「元山にでも向かっていたか?」


 「そうですね……飛行甲板一杯に戦闘機を並べてましたよ。国府軍へ売り込む積りなんでしょう」


 「撃沈すればよかったのに……」


 「それやっちゃったら……国際問題ですから」


 冗談も交え、ぼくらはその日空で見た光景について語ったものだ。特に彼は、ぼくがこれまで経験した空戦について多くを聞きたがった。昔語りの老人のような気分で、身振り手振りを交えて話をするぼくを、彼は仏様でも仰ぎ見るような目で見詰めていたものだ。


 ……ふと、少尉は言った。


 「……戦いはまた厳しくなるでしょうか?」


 「わからないな……本土防空戦は一段落したし、あとは敵がまた攻めてくるのを待つか、こちらから打って出て大陸を奪りに行くかのどちらかだよ」


 「自分は、徴兵されて重い銃を抱えて地べたを這うのがイヤで航空に進みました。できれば、一発の爆弾も落とさずに済む段階で終って欲しいものです」


 彼ならずとも、これこそが戦争下の社会に生きる者の本音であったのに違いない。



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