第4部 ③
発進、そして進撃、続く敵邀撃機との空戦。そしてそれらを突破しての爆撃。その後に続く悠然とした帰還……京城空襲は、大体がこのように推移した。
零戦隊は圧倒的な性能と搭乗員の技量を以て迎撃に上がってきた敵戦闘機を駆逐し、陸攻隊はその間隙を縫って好きなように爆弾を投下することが出来た。
作戦の終わりごろには、敵機は零戦の強さに恐れを為したのか我々の前に現れることは殆どなくなり、陸攻隊もまた連日の爆撃により完全に破壊され、爆撃する価値の無いも同然の更地に、徒に爆弾を降り注ぐばかり……実施部隊からもこれ以上の京城攻撃は無駄な燃料と爆弾の蕩尽との苦情がぼつぼつ出始めた頃。司令部は新たな航空作戦の開始を決断する。
「半島上空を飛ぶ敵戦闘機を全て掃滅せよ……!」
「目の前で動いているものは何でもいいから撃て……!」
それは形を変え、さらに洗練され、巧妙になった「斬り込み」であった。
零戦隊は二~四機の小編隊複数で半島上空に侵入し、その銃撃を以て基地のみならず、凡そ戦争の遂行に必要なあらゆる目標を掃射する。飛行機、自動車、機関車、工場、無線塔……目標は多岐に及び、ぼくらはまるで狩りでもするような感覚でこれらの目標に攻撃を加えたのだ。
―――例えば、昭和一五年四月初旬の、ある日の「斬り込み」。
海峡に轟くエンジンの快音。迫り来る海岸線……低空で海岸線を突破し、半島に飛び込んだ先に、ぼくらの目指す獲物があった。
先頭から蒙蒙と黒煙を吹き上げながら地上を走る車列。禿げ上がった野山を越えた先に、照準器に機関車の影が重なる。
距離は?……試しに七.七ミリ機銃の発射レバーを引く。上手く命中すれば、二〇ミリをぶち込むまでに十分な距離が取れているということをも意味する。機首から放たれた弾幕をその胴体に吸い込むや、機関車は真白い蒸気を吹き上げてぐっと速度を落とし、そこにぼくは反射的に二〇ミリの把柄を握る。礫のような射弾は破裂した機関車から破片混じりの炎を撒き散らさせ、遂には派手な三回転とともに脱線させた。
すかさず、貨車の上空を航過する機影―――古谷中尉機が直上から貨車を一連射した直後、機関車のそれ以上に派手な炎が貨車から噴出して車列を割り、木っ端微塵に吹き飛ばす。爆炎は気流に煽られて茸のように噴き上がり、零戦の銀翼を明るく彩るのだった。貨車に積まれた燃料が、銃撃に引火し大爆発を起こしたのである。
『―――作戦終了。天満、お家に帰るぞ』
「……了解」
南東へ針路を取り、ぼくらは帰還する。高度三〇〇〇まで上昇したところで機体を寄せて来る中尉機の胴体には、すでに機関車のシルエットをあしらった機関車撃破マークが五つ描かれている。同じマークは、ぼくの愛機の胴体にも三つ描かれていた。
敵が列車を使って前線の航空基地に燃料や弾薬の輸送を行っているという情報が伝えられるや、列車はぼくらの最優先の獲物となった。韓国が未だ日本の同盟国であった時代に日本の援助によって敷設された路線、そしてダイヤグラムの全容は、もとよりこちらの知る処となっている。ぼくらは列車が通過するであろう時間帯に、路線の上空で待機し、獲物が通りかかるのを待てばよい、というわけだ。
ぼくらはこの任務を「牛追い」とか「イノシシ狩り」と呼んだ。勿論侮蔑の意味で……このようにして破壊された列車は全部で二三〇両にも昇った。これは、戦争勃発以前に韓国で稼動していた車両の八割に及び、戦前から碌な車両整備施設も持たなかった半島の鉄道網は大混乱に陥ることになる。
列車による補給の不利を悟った韓国側は、やがては列車の夜間運行と車両による夜間の輸送に作戦を切り替えるようになった。厳重な灯火管制の下、狭隘な山道を移動するトラックの車列が、対馬を根拠地に夜間偵察に従事する味方水上偵察機のもたらした情報により複数確認されたことが我が方の作戦察知の契機となった。
我が方もまた、これに対抗した。
航続力に優れた九四式水上偵察機が二機一組でペアを組み、夜間対馬の基地を発進し半島上空を飛行する。所定の地点と思しき上空で一機が照明弾を投下し、周囲の地上一帯を照らし出す。もし、その地上に目指す車列の姿が浮かび上がれば――――焼夷爆弾を抱えたもう一機の出番となる。
俗に「夜釣り」と称された一連の夜間掃討任務は、開始されて二週間も経たない内に多大な戦果を上げた。対馬に展開した専用部隊一〇機だけでこの間二〇両の機関車を破壊。炎上させたトラックに至っては一〇〇台以上にも達したのである。
敵軍たる韓国軍にとって、安住の地は自分の国から失われつつあった。補給計画が日本軍の航空攻勢によって無残に破綻しかけてもなお、それを迎え撃つべき各地の航空部隊は「来るべき反撃」に備えた温存を強いられていた。空に上がったところで彼らの旧型戦闘機では零戦隊の強さの前に抵抗らしき抵抗が出来ないことは明白であったし、実のところ、先年の航空攻勢によって受けた人的資源面での打撃から彼らは回復しきれずにいたのである。
敵の技量低下は実際、「斬り込み」の合間に数えるほどしか起こらなかった空戦において、明白のものとなっていた。
こちらの接近に気付かず、碌な回避運動も出来ぬまま追尾され、撃墜される機。喩え空戦に入っても稚拙としか思えない技量と判断力しか示せずにあえなく撃墜される機。狂信的なまでの闘志を持つも、技量がそれに追随できずに高度と速度の浪費の末、どうにもならぬ低空まで追い詰められて叩き墜とされる機……傍目から見ても、十分な訓練を受けているとは到底思えない敵機が、目に見えて増えていたのである。
そんな中、かさに掛かるようにしてぼくらが行ったことは、まさに挑発だった。敵の国土上空でこれ見よがしに銀翼を翻し、低空で思うままに目標を銃撃する。攻撃が終るや、優速を生かしさっと安全圏まで退避する。二〇〇〇km以上三〇〇〇km以下に達する零戦の航続距離は、行動可能時間に換算し半島の旧韓国領南部に限定するだけでも四時間近くに達する。つまりその弾薬の続く限り、零戦は好き勝手に目標を選定し、掃射することが出来た。
ぼくらは待っていた。これらの度重なる挑発に痺れを切らし、迎撃に上がってくる敵機を……それが、ぼくらの最大の獲物となるべきであった。
月日は廻り、五月八日……ぼくらは四機で板付を発進。いつものように高度四〇〇〇で南東から半島に入り、泗川の敵海軍基地へと針路を取った。
掃討任務にも慣れ、ぼくらから真剣味が失われかけたこの頃、ぼくらは若さを持て余すかの様に超低空かつ高速で泗川の港湾上空を航過し、居並ぶ舟艇群へ銃撃を加える。
着弾に吹き飛ぶ施設。引っ繰り返る車両。燃え上がり、沈み行く舟艇。逃げ惑う敵兵……眼前に飛び込んできては背後に流れていく風景を無感動に眺めながらぼくらは上昇、再び攻撃態勢を取る。
……そのとき。
『―――我釜山上空……空戦中。敵機多数……!』
その声には、拭い難い緊張感があった。それはぼくらにとって先年以来、久しぶりに聞く種類の声だ。
反射的に、古谷中尉の怒声がした。
『―――隊長機より全機へ、高度三〇〇〇で集合。釜山へ針路を取れ!』
来た!……勇躍東方へ飛ぶこと一〇分余り。目指す釜山上空では、正にぼくらの待ち望んでいた光景が広がっていた。
敵機は一〇……否、二〇……いやいや四〇はいる!? それらが、数に劣る零戦隊を取り囲むように旋回を繰り返し、零戦隊は上昇下降を生かした一撃離脱と垂直旋回でそれらに対抗している。
『―――隊長機より全機へ、上方から突っ込め。敵を掻き回せっ!』
こちらの敵機に対する優位はすでに皆が確信している。ぼくらは増槽を落とし、スロットルを叩き敵編隊の直上から突進する。
一機のHe51をぼくは捉えた。腰だめに放った七.七ミリと二〇ミリの一連射がHe51の尾翼を吹飛ばし、敵機は機首からつんのめる様にして一回転したのを始め、上下左右に自転しながら視界から消えて行った。
『お見事、少尉っ!』
蔡兵曹の声だ。上昇から背面の姿勢に転じ、立て続けにぼくはもう一機を狙う。七.七ミリ、続けて二〇ミリの一撃で一機のHe51を火達磨とする。フットバーを踏み込み、操縦桿を捻って敵機の追尾をかわして反撃に転じる。その間も、周囲の空域から駆けつけて来た零戦隊が続々と空戦に参入し、空戦の環は勢いを増していく。
『……一機撃墜。繰り返す、我一機撃墜』
『……墜とした! 墜とした!……一機墜としたぞぉ!』
『――――われ一機追尾中!……命中、吹き飛んだっ!』
無線機を埋め尽くすのは全て勝利!……勝利!……勝利の凱歌! 数の不利などもはや問題とはなってはいなかった。競うようにして黒煙を曳き墜ちていく敵機の機影は目に見えて増え、周囲を舞う零戦の機影もまた増えていた。態勢は逆転し、そして決したのだ。
この日、我が方は三八機の敵機を撃墜。寡勢よく戦った我が方は四機が被弾したものの、全機が無事に帰還した。信じられない圧勝! 帰還後、司令賞として大盤振る舞いされたビールを勝利の美酒に、我々は大いに酔い、大人気なく騒いだものである。
この空戦を以て、ぼくらの間には信仰にも似た信念が生まれた。
「零戦を駆る限り、空戦で墜とされることは決してない!」
その「信仰」に、明確な根拠などなかったが、何故かぼくらを納得させられるような説得力があった。生と勝利を望む限り、ぼくらにはそれを追求する権利を持っていたし、望むものの確保を保証する何かが欲しかったのは否定できない。だが、それは決して怯惰とか柔弱の産物ではなく、空に生き、戦う者の純粋な願望であったのだ。
……この時期。もう一つ些細な変化を上げるとすれば、基地の周辺、そして内部に見慣れない人影が現れるようになったことだった。
ドイツとイギリス、種類の異なる二つの軍服に身を包んだ複数の白人。彼らがここから数万キロを隔てた場所で熾烈な抗争を繰り広げていることは、もはや周知の事実だった。その敵同士であるはずの彼らが、ここ数日間共に同じ場所に立ち、ぼくらの離発着を指揮所から見守っている。
「観戦武官というやつさ」
「観戦して、どうするんだ?」
「俺達のやり方を、自分たちの戦争に取り入れるつもりなんだろう」
国府側の主要な武器供給先たるドイツに対してはある程度の隔意こそあれ、基本的には、英独に対し中立を表明している日本だからこそ、それは成り立つ光景であった。昼食では彼らは基地の幹部と同じテーブルと囲んで食事をし、煙草を片手に談笑もした。また、語学に堪能な航空参謀の行う戦況説明にも、共に並んで耳を傾ける。
このとき、ある出来事が搭乗員たちの間で話題になった。
「スピットファイアと、メッサーシュミットとでは、どちらが強いんでしょうかねえ……」
昼食会のとき、その場に招かれた古谷中尉が何気なく振ったその一言が事の発端だった。
「見ていて面白かったぞぉ。それこそ今にもここで殺し合いでもやるんじゃないかと俺は思ったね」
と、当の中尉は嘯いた。発言の後に待っていたのは、「ウチの戦闘機が強い!」と主張し合う壮絶なまでの口論だった。ある者は口角泡を飛ばして自軍の優位を捲し立て、フォークを握る拳でテーブルをドンドン叩き、ある者は防空司令部に詰めている女性管制官が聞いたらショックの余り死んでしまいそうな強烈且つ卑猥な言葉を、相手にわめき散らした。昼食で親睦を深めるどころか、両者の自尊心を擽る様な発言をしたばかりに、両者に深刻な溝が生じたというわけだ。
当然、古谷中尉はその「不用意」な発言を、後で司令にこっ酷く絞られた。
だが、何の考えも無しに諍いのタネになるような一言を口走る中尉ではないことぐらい、皆が知っている。当の古谷中尉も、その意図に関してはニタニタ笑うばかりで否定もしなければ、また肯定もしなかった。
「……で、どっちが強いんだろうね?」
英独のみならず、ぼくらの間でもスピットファイア、メッサーシュミットといった、英独の主力戦闘機は話題の的だった。零戦にまったくそっくりな低翼単葉、全金属製の高速戦闘機の激突が如何なる結果をもたらすか? そしてこれらの戦闘機が、我等が零戦と干戈を交えたときはどうか?……といった感じに。
毎日のようにやってくる彼らの姿が、基地の風景になりかけたある日のこと、零戦の居並ぶエプロンで一悶着が起こった。
「天満少尉殿、来てください……!」
搭乗割からも開放され、待機所に書類を持ち込んで残務をこなしていた昼下がり、宿舎で先任整備員の西村兵曹に請われ、駆けつけた先。零戦の操縦席で整備員と、操縦席に陣取る誰かが「降りろ」、「降りない」で押し問答をやっていた。それも、ぼくの機で……!
小走りに駆け寄り、操縦席の方へ眼を凝らすと、ドイツの軍服を来た白人が傍らから抗議する整備員を尻目に一心に操縦桿やエンジンレバー、計器板のスウィッチをいじっているのが見てとれた。搭乗員の心情を無視した行為……不意に、怒りにも似た衝動が胸底から湧き起こるのを、ぼくは感じた。
「あいつ、日本語が喋れないのをいいことに聞こえない振りをしておるんです」
と、西村兵曹は忌々しげに言う。
ぼくは頷くと、無言のまま、そして一歩一歩を大股に踏みしめるようにして零戦にまで歩み寄った。操縦席を見上げると、男は、相変わらずおもちゃを与えられた子供のように零戦の操縦席に見入っている。当然、ぼくのことなど端から無視を決め込んでいるのだった。
満を持し、ぼくは声を張り上げた。得意な、そして下品なドイツ語で。
『……そこのおまえ! これはおれの機だ。その汚い手を除けてさっさと機から降りろ!』
「…………!?」
その場の皆の視線が、ぼくに集中する。無理も無い。自分たちの上官が、突然意味不明の言葉で喚き出したのだから。
当のドイツ人はというと、操縦席を弄くる手を止め、唖然としてぼくを見下ろしている。
「……さあ、降りるんだ」
烈しい口調を抑え、ぼくは顎をしゃくって見せた。それでも依然、強張った顔を崩さぬまま、彼の青い瞳はぼくに向けられている。
「お願いだから……」
両手で、こっちへ来るようぼくは促した。自分でも抑えられないまま、何時の間にか心臓がバクバクと鳴っているのを覚える。
「…………」
男は腰を上げた。操縦席から姿を見せて判ったことだが、年齢は自分と同じくらいだとぼくは思った。階級章は……大尉?
地上に降りると、男はぼくの前に立った。背は、ぼくよりもずっと高かった。
男は、言った。
「非礼を、詫びよう」
「……こちらこそ」
「それにしても……いい飛行機だ」
と、彼はぼくの零戦を振り返り、眼を細める。
「どうも……」
男は微笑むと、ブーツの足音も高らかに歩き出した。均整の取れた体躯の醸し出す美しい後姿に、ぼくは暫し見とれたのを覚えている。
翌日、海峡上空の警戒任務を終えて帰還したとき、男は再びエプロンにやってきた。出撃したときには未だ低かった日は既に高みに昇り、あとはゆっくりと降り行くだけ。
「やあ、調子はどうだい?」
と、彼は親しげにぼくに声をかけてくる……そう、あたかも何十年来の親友に対するかのように。
「まずまずですね」
「私が来た時には君はもういなかったが、何時出撃したのか?」
「朝の九時ですよ」
「そうか……すごいアシの長さだな」
と、彼は零戦を見た。興味が無さそうな素振りだったが、その青い瞳には、この上ない好奇が宿っていた。
「電波方位指示器が付いているのは、君たちにてっきり方向音痴が多いせいかと思っていたが、違うようだ」
「酷い言い草ですね」
ムスッとするぼくには関心を示す風でもなく、彼は零戦に近付いた。
「これで、ここから何処まで作戦行動が取れるんだ?」
「京城までは飛んだことがあるけど……」
「……本当か?」
「嘘は言いませんよ」
「じゃあ……こいつなら、英仏海峡なんか直ぐに制圧できそうだ」
「あなたは、操縦士?」
男は、少し笑いかけた。
「エーリヒ‐マイヤー大尉だ。去年まで、台湾方面で君らと戦っていた」
「…………!」
差し出された手を、ぼくは慎重に握る。掴む力は強く、自分の目の前にいる男が戦闘機乗りであるという実感を、ぼくは一層強くする。
「そうですか……かつての敵ですか」
「怒らないのか……?」
「……今更あなたをここで殺したところで、死んだ仲間は戻りませんから」
マイヤー大尉は、苦笑した。悪い笑みではなかった。
「辛辣だな」
「非日常に身を置き続ければ、誰もが自ずと辛辣になります……全てに対してね」
「同感だ。あの戦いでは、ぼくの仲間もかなり死んだ」
……その日から、ぼくは彼とよく話をするようになった。
お互いの生い立ち、お互いの乗った戦闘機のこと。お互いの戦った戦場。さらには、お互いの属する陣営の話……日々は廻り、僅かな暇の間に顔をあわせる度、ぼくらはドイツ語で他愛のない話をし、ともに笑い合ったものだ。
「日本の戦闘機は、百舌鳥のようだ」
と、大尉は言う。旋回性能が良く、くるくる回っては捕捉しにくい。むしろ捕捉したところでその旋回能力であっという間に形勢を逆転され、多くの仲間が墜とされたという。
「――――だが、加速はあまり良くない。速力は危機に陥ったとき、一番必要な性能だ」
速力を生かして相手から距離を取り、体勢を整えなおして再び攻撃に転じるのは、空戦における合理的な方法だと、ぼくが横須賀で教わったのと同様彼も言った。彼らが格闘戦性能に優れた日本の戦闘機に対抗して、速力と火力を生かした一撃離脱戦法を編み出し、日本側を苦しめたのは前述の通りである。
そうした戦法を駆使し、日本軍と戦ってきた歴戦の戦闘機乗りがドイツ空軍には数多くいて、現下のフランス侵攻作戦に重要な戦力となって働いているとも、彼は言っていた。
「本国から届く情報を聞くにつけ、フランスは意外と脆い。我々の軍門に入るのも時間の問題さ」
「じゃあ、ドイツは欧州の覇者ですね」
彼は首を横に振り、言った。
「いやいや……まだイギリスが残っている。あの忌々しいジョンブルどもがね」
彼は続けた。
「イギリスとの戦いは、まず英仏海峡の取り合いから始まるだろう。空軍戦力は、そのための唯一の手段となる。厳しい戦いに耐え、海峡の制空権を取った者が、今回の欧州大戦の勝者だ。だから皆が血相を掻いて、君達の戦いぶりを見に来るというわけさ」
「なるほど……」
「イギリス人は、君達からは何も学ぶものがないと考えているようだが、我々は違う、彼らの英仏海峡に敷いた厳重な警戒網を如何にして打ち破るかを考えている。お互い、見る所が違う」
「……で、答えは見付かりましたか?」
大尉は、子供っぽい笑みを浮べる。
「まあ……ね」
未来についての展望を聞く一方で、過去の台湾攻防戦や、本土防空戦における敵の攻勢停止の背景について知る事が出来たのも、彼の話に拠るところが大きかった。自分の属した陣営としての中国を語るとき、彼は決まって暗い顔をしたものだ。
「正直言って、中国人のやり方には問題が多い。外国から武器を導入するにしても彼らはモノだけを導入すればそれでいいと思っている。それらを効率よく扱うためのやり方や心構えは少しも学ぼうとしない」
中国軍の飛行学校で、彼は教官を務めていたこともある。
戦況の影響を受けにくい内陸部にあるそれは、アメリカ製、そしてドイツ製の多様で高価な練習機を取り揃え、年中を安定した気候の下で訓練できる環境にありながら、そこで学ぶ学生の質は眼を覆わんばかりに低かった。学生は何れも政府の有力者や富豪の師弟。彼が学校に赴任してきたときには、飛行学校の周辺は学生に付き従う取り巻き連中のおかげでもはや上流階級のサロンと化していた。
適性云々よりもただコネだけで入隊を許され、趣味の延長のような感覚で飛行訓練を受けに来たような連中だから、その技量の程は知れていた……と言うよりそれ以前に、彼らには積極的に操縦を学ぼうという意識が欠けていた。厳しい叱声にサボタージュとあからさまな反感を以て応え、訓練開始から幾ら経っても何等適性の片鱗も見せない連中に、マイヤー大尉は着任して二週間目で一切の軍務を投げ出したそうである。
やがて日本海軍の海上封鎖で燃料の供給が滞り、飛行訓練にも事欠くような状況になっても、恋人とのドライヴに十分なガソリンを持っている者もいた。よく調べてみると、彼らは横流しされた燃料を、私的に流用していたのであった。他にも、航空機の部品を勝手に横流しして私腹を肥やす者。学生の分際で部下の整備員を奴隷のように扱き使う者……本国では考えられない、眼を覆わんばかりの腐敗振りに、大尉は逃げるように転任願いを出したという。
「―――君らの指導者は私に言わせれば頑迷だが、それでも自分たちの力で戦争をしようとする意思があるだけあいつらよりはずっとマシだろう」
「……ぼくらは、勝てそうですか?」
「もし勝てるとすれば……」
大尉は一瞬言葉を切った。
「……その要因は君達の戦いぶりではない。おそらく、いや確実に彼らはその内部から崩れていくだろうな。それも、近い内に」
それは、彼なりの予想なのだろうか? それとも予言なのだろうか?……この時点では、ぼくは彼の言葉の意味を量ることは出来ずにいた。




