第4部 ①
時は、昭和一五年一月一日。
元旦の日の出を、ぼくらは相模灘上空を征く新鋭機の機上で迎えた。
背びれのない、密閉式の風防に覆われた操縦席は九六艦戦よりずっと広く、そして広い視界をもたらしていた。その一方で、操縦する上で眼を配るべき計器類、そして操作すべき把柄もまた増え、慣れぬ搭乗員を煩わせる。
従来のスロットルレバーの上に、長距離飛行に最適のプロペラ角度を設定するためのレバー。その飛行高度、エンジン出力ごとに最適の燃料燃焼効率を導き出すためのMCレバー。さらには、如何なる位置において機位を失おうとも、正確無比な帰投方位を示してくれる無線帰投方位指示器。破壊力抜群の翼内二〇㎜機関銃……それらの装備を挙げるだけで、ぼくらが現在駆っている戦闘機は、これまでぼくらの知る戦闘機の常識を大きく超越している……!
朱に染まった雲の上を滑るように四機は飛ぶ。九六艦戦より一回り大きな機体は、九六艦戦譲りの均整の良さの上に女性的な豊満さをもそこに内包していた。
初めて搭乗したとき、横須賀の飛行場を離陸し、引き込み式の主脚を収納するや否や、新鋭機はその真価を操縦するぼくの前に顕した。九六艦戦のそれを越える良好な加速。上昇から降下加速に入り、速度計が九六艦戦の限界値に達してもあの不快な振動は微塵も見られなかった。それが、ぼくらにこの上ない安心感を与えた。
九六艦戦特有の、切れ味のよい刀を思わせる、過度なまでに敏感な効きの舵はこの機からは消え去り、替わって安定の中にも打ち消し難い繊細さを、操縦桿を握る掌とフットバーを踏む足に感じさせた……それがまた、これまでの九六艦戦に馴れた搭乗員に驚きと、その一方で戸惑いを感じさせたのだ。
九六艦戦が奔放な平原で育った野生馬なら、こいつはさしずめ長年をかけて調教された生粋の競走馬だった。如何なる時でも静穏を失うことなく、快い俊足と軽快さを生かし乗り手をその望む処まで導く名馬に、ぼくらは何時の間にか魅了されていた。
その競走馬は、名を12試艦上戦闘機――――またの名を、零式艦上戦闘機といった。
反攻の機運は、熟しつつあった。
戦況の一時静穏化も手伝ってか、本土防空部隊用の戦闘機の充足が一段落し、先年の後半から日本の航空機生産能力は敵地攻撃力に優れた爆撃機及び攻撃機の重点生産にシフトを始め、年末までに所定の生産目標を達成。時期を同じくして、搭乗員養成の比較的容易な陸上攻撃機を運用する部隊も増強され始めた。
戦争初期にはもたついていた航空機搭乗員の大量養成機構も、年月を経るごとに次第に軌道に乗り、戦闘機隊と同様、養成課程を終えた搭乗員が編成されたばかりの陸攻隊に続々と着任。訓練もまた本格化した。
年が変わり昭和一五年。拡張工事を終えた九州各地の飛行場には、関東や北陸の各航空隊で編成と訓練を終えた陸攻隊が展開を始め、九州はこれまでの本土防空の一大基地から、来るべき反攻の一大拠点へとその装いをゆっくりと、かつ劇的に変貌させつつあったのである。
そこに新たな威力を加えたのが新鋭機零戦だった。
零戦は、九六艦戦譲りの優秀な空戦性能の上に、これらの陸攻機に追随できる長大な航続距離、そして強力な武装をその誕生時から持っていた。本土防空戦に先立つこと二ヶ月前から開発に着手し、試作一号機が完成したのがそれから二年を経た昭和一四年三月中旬。
戦況は12試艦戦を試作機扱いさせて置かず、新鋭機の急速配備の必要性からろくな試験飛行も行われないまま生産が開始された。とにかく数を作り、問題が起こればその都度修正を加えていけばいいという、いわば「見切り発車」である。
そのためか、生産機によっては機体の艤装はおろか構造まで違うことがぼくらを驚かせた。とにかく生産する中でいろいろな機構を試し、その中から良いと思われるものを取捨選択し今後の生産機に生かして行こうという魂胆なのだ。乗り込むぼくらとしては、余りいい気がしない。何か実験台にされたような気がしたのは確かである。
当然、これらの生産機の中には程度のいい機もあれば悪い機もあるわけで、それに起因するトラブルや事故もまた訓練中に発生した。特定の数値以上のGをかけた途端、引き込んだはずの主脚が飛び出したり、同じくGが掛かった状態では翼内の二〇㎜機銃が発射しなくなったりする。エンジンもまた、高高度では燃圧が低下したり、全開状態では管温が異常に上昇する……云々。
そして、最悪の事態はぼくらに降りかかった。
相模湾上空での空戦訓練の際、急降下に転じた柴田兵曹の機がいきなり空中分解し、兵曹はそのまま空中に放り出された。冷静沈着な兵曹はそのまま洋上で救助を待ち、三〇分後、僚機の通報により駆けつけてきた救難水上機に救出された。生還した彼の証言によれば、急降下時、後方からの激しい衝撃とともいきなり機体がガクガクと振動を始めたかと思うと、次に気付いたときには彼は落下傘に揺られ空を漂っていたという。
「機体を持ち帰れず、申し訳ありません」
と、帰還を果たした基地の指揮所で、彼は涙を浮かべて司令と技官に謝った。司令は彼の肩を叩き、労うように言ったものだ。
「いいんだ。飛行機はまた作りゃあいいんだから……それにしても、よく還って来たナァ」
柴田兵曹の証言から、原因は程無くして判明した。昇降舵のマスバランス(昇降舵が加速の影響を受け、誤動作を起こさぬように取り付けられた錘)が何かの拍子で外れ(恐らく、激しい空戦機動の結果、金属疲労を起こして吹き飛んだものと考えられた)、それによって起こった昇降舵の振動が機体全体に伝播し、それが空中分解に繋がった……というわけである。
今度は、古谷中尉に災難が降りかかった。同じく空戦訓練中。垂直旋回から急降下に転じた彼は、操縦席から主翼の外板に皺が寄り、それがいきなり吹き飛ぶのを見た。
『オイ!……俺の機が素っ裸になっちまったぞ……それにしても、汚ねえハダカだなァ』
このときの彼の無線報告は、そのまま伝説となった。豪胆な彼は、骨組みの見えるくらいに外板の捲れた機をそのまま操り、結局機を無事に持って帰って来たのである。
未だ試作機扱いだった零戦では、機体のトラブルに起因する事故が起こったとき、その機の搭乗員には報奨金 (補償金?)が出た。
彼はその金一封を元手にぼくらを誘って料亭に行き、エスプレイ(芸者遊びのことを、海軍ではこう言う)で金をその日の内に使い果たしてしまった。だが、それだけでは足りず、結局は彼の自腹で少なからぬアシが出た。それがまた、返って皆の彼に対する畏敬の念を強める結果となった。
事故の原因は主翼及び補助翼の剛性不足に起因するフラッター(振動)と判断され、補助翼の応急的な改良で一応の解決を見た。以後はそれ程深刻な問題は顕在化せず、ぼくらは新鋭機を以て昭和一五年の新年を迎えたのだ。
ぼくらが横空で零戦の受領を始めたのと同じ時期。実用に供されるようになり、以後のぼくらの航空作戦に欠かせない存在となったものに、電探こと電波探信儀があった。
アンテナから電波を出し、それが物体にぶつかって跳ね返ってくるのを再び感知することで対象物の方向及び距離を探知するというのが電探の大まかな仕組みである。海軍においては戦前からあった発想らしいが、「その発進した電波を逆に敵に探知され、味方の位置が暴露したらどうする?」という艦隊派の屁理屈にも似たクレームもあって実用化は遅々として進んでいなかった。
だが、本土防空戦の到来がその認識を一変させた。
時間単位、場合によっては一日二日単位で推移する艦隊戦とは違い、航空戦は文字通り分単位の戦いである。肉眼でどうにか探知できた時には、敵はもうこちらの反撃を許さない距離にまで到達している。
従って、できるだけ遠方から敵機の接近を察知し、反撃の手はずを整えておく必要がある。対馬海峡や玄界灘の島嶼部に置かれた監視所や、偵察機や陸攻機による早期空中警戒はそのための具体的方策だった。そして一連の戦闘は、戦艦ではもはや日本を守れないという冷厳な事実を、長年艦隊決戦を夢想していた日本海軍にも避け様の無い鼻先にまで突き付けていた。
自然、電探の研究開発は加速した。一方向、それも長距離の探知に必須の高出力短波を出せる画期的な発明とされながら、どういうわけか日本ではこれまで日の目を見なかった「八木・宇田アンテナ」こと指向性アンテナがここで注目され、開発に当たって重要な指標とされた。
軍務の一環として、舘山海軍航空隊のある房総半島南端。野島崎にある電探施設を、ぼくは見学したことがある。
大きさにしてまさに一つの小山。四角い焼き網を幾重にも重ね合わせたような形状の巨大アンテナは、その管制施設ごと回転し、半径一五〇kmの全周囲に渡って策敵電波を照射することができた。電波の反射は管制室の円形ブラウン管に波形で表示され、民間より派遣された技師の指導の下、訓練を受けた操作員数名により監視されている。だが、電探は初心者のぼくには、一目見ただけではブラウン管上の波形から対象の方位、位置を判別することは出来ない。
「これにはね、多少の慣れと勘が要るんですよ」
と、操作員は苦笑と共に教えてくれた。探知とはいっても対象の数、そして高度までは判別できず、距離と方位を辛うじて受像できる程度だという。それでも、肉眼のみに頼っていた従来よりは、電探の導入は飛躍的な発展であるようにぼくには思えた。当の技師は、開発が進めば電探はもっと小型に、そして高性能に作れるはずだと言っていた。
昭和一四年の暮れから、これと同じような電探施設が対馬海峡の島嶼部をはじめ、九州各地に続々と建設され、機能を始めていた。これに従来の防空航空管制が組み合わさり、効率的な航空作戦を可能とするものと期待された。
同じ時期、水上部隊たる連合艦隊でも画期的とも言える再編が行われていた。
開戦時より戦ってきた「赤城」「加賀」「龍驤」の三正規空母に加え、昭和一四年になって就役した「蒼龍」「飛龍」の二空母は、半島、そして大陸への反攻作戦の準備に当たり欠くべからざる新戦力として歓迎を以て迎えられた。これら二隻に乗せるべき飛行隊も既に編成され、瀬戸内海や九州南部で猛訓練を繰り広げていた。大量養成計画によって戦前にも増して分厚くなった搭乗員の層は、これら新空母への、搭乗員の迅速な供給をも可能にしていたのだ。
洋上を移動する航空基地としての空母の重要性は、日本海軍では早くから指摘されてきた。だが、艦隊決戦思想が幅を利かせた戦前までは、空母は味方の主力艦隊が優位に艦隊戦を行えるような役割を果たすための補助戦力と位置付けられ、その整備、改良はどちらかと言えば等閑にされてきたきらいがあった。
だが、大陸との戦闘により導かれた戦訓が、空母の新たな、否、隠された可能性を顕にした。本土防空戦の前半において、主力空母は離島への航空機輸送艦として運用され、またあるときはその艦載機の能力を以て船団護衛の主力艦的な運用を為されてきた。
外洋においては母艦より一度発進するや、帰還の暁にはその根拠地まで戻るか、母艦が危険を冒してまで停止し手間の掛かる収容作業を行わなければならない水上機と比べ、艦載機なら母艦からの離発着を比較的簡易に行えるし、その際母艦を危険に晒す局面も遥かに少ない。それに、艦載機はその補給拠点としての母艦を何時でもその眼の届く範囲に抱えている。
さらには、その攻撃力!……台湾海峡を巡る航空戦や「第二次日本海海戦」の経緯から、艦載機の攻撃力の高さはすでに証明されている。もし、その強大な威力を持つ艦載機が母艦から数十機単位で発進し、敵艦隊の攻撃力の及ばない遠距離から攻撃をかければ……これまで単艦から二隻で運用していた空母を複数隻組み合わせ、機動性と遠距離打撃力に優れた艦隊を編成する構想が急速に浮かび上がり、具現化するのにもはや時間は掛からなかった。
今次の戦争で勢いづいた海軍内の「航空主兵論者」の中には気の早いことに、働き場を失い、柱島で燻り続ける戦艦群を空母に改造してしまえと息巻く者まで出ていた。事実、海軍の首脳の中には戦艦を廃止し、空母と対潜護衛戦力の充実を図ろうとする向きもあったようだ。
海空からの矛と電子の盾……その全てが出揃い、反攻の準備が完了した頃。昭和一五年はすでに二月に入っていた。その時期ぼくらは機種転換訓練を終え、再び前線に戻って来た。
反攻は、直ぐ目の前に迫っていた。
そして―――二月一三日。
二月の半ば、未だ滑走路の隅にしぶどく残る雪は、月光を吸い込み銀色の光を放っていた。
拡張に拡張を重ね、今や複数の滑走路が並ぶ板付飛行場には滑走路ごとに作戦機の影が並び、一部の機は徹夜の整備員の手で試運転に取り掛かっている。その整備員が手にする懐中電灯の明りが、夜空の下に仄かな光を揺らがせている。
時刻は、午前三時。冬の末期とはいえ、空はそろそろ朝の領域に踏み入りようとも、未だ見上げる限りの闇に全てを任せていた。
起こしに来た従兵に声を掛けられるや否や、ぼくは跳ね起き急いで身繕いをする。飛行服の下に幾重もの肌着やらセーターやらを着込み、マフラーを首にぐるぐる巻きにして事前打ち合わせの行われる基地講堂に向かう。
夜空の星々は、下界の人間に未だ冷たい光を注いでいる。その冴えた輝きに、ぼくの眼から、燻り続ける眠気がじんわりと消えていく。夜明けまでは、まだたっぷりと時間がある。
その事前の打ち合わせに備えストーヴを焚き出したばかりの講堂では、さっきまで部屋を占領していた寒気に震えながらも、既に気の早い搭乗員が起き出して全員が揃うのを待っている。ぼくは懐から煙草を取り出し、目覚ましと暖を取るために火を点け一服する。
「お早う御座います。天満少尉殿」
ぼくより後に集りに加わった蔡兵曹が、ぼくの前に来て敬礼した。傍目では軍人らしさを保とうとしても、物欲しそうな顔は隠せない。ぼくは苦笑すると。彼に煙草を差し出す。
「いいのでありますか?」
「いいから……」
やや遅れて、古谷中尉と柴田兵曹が入ってくる。古谷中尉は出撃祝いで昨夜遅くまでガンルームで痛飲していたのが未だに響いているのか、曇りきった、不機嫌そうな眼差しを浮べている。
その古谷中尉が、ぼくの席の隣に腰を下ろした。
「中尉殿、大丈夫ですか?」
「大丈夫も何も……このまま空に上がったら、吐いてしまいそうだ」
「呑み過ぎですよ……」
「これが、呑まずに居られるかよ」
ぼくの目の前では、烹炊員が囂々と炎を焚くストーヴでお湯を沸かしている。打ち合わせが始まる頃には、場の一同に熱いお茶が配られていることだろう。
お茶が出来上がる前に、集った搭乗員には烹炊員心尽くしのぼた餅が配られた。若さに任せて何個もパクつく新入りが多かったが、機上での飲み食いも考慮し、ぼくは少しに止めて置く。
「食べないのですか? 少尉」
と、柴田兵曹。
「どうせ、還って来ても食えるから……」
「そうですね……」
微妙な笑顔で、兵曹は頷く。世紀の出撃を前にして、生還することを前提に話を進めるぼくのことが頼もしくも、返って不吉なものにでも思えたのだろうか……?
気付いた頃には、講堂を埋め尽くさんばかりに集った搭乗員の醸し出す静かな熱気に、その場からは寒気はすでに退散していた。落ち着き無く周囲を見回す者。隣の同僚と話をする者。黙々と航空図に書き込みをする者……それはまた、ここからやや離れた、老朽化した格納庫を改造した陸攻隊専用の講堂でも繰り広げられている光景。
やがて、ぼくらと同じ飛行服に身を包んだ戦闘機隊隊長と、司令部より派遣された航空参謀が大股の歩調で足早に部屋に入ってきたとき、喧騒は重苦しい沈黙に席を譲った。
当番兵の号令が、講堂に響き渡る。
「キリィーツッ!!」
皆は、一斉に立ち上がった。戦闘機隊隊長の生田少佐は目を細めて一同を見回し、満足気に頷いた。
「楽にしてよし」
その声は大きくは無かったが、皆の胸に届くほどの明確な質感があった。皆が一斉に着席するのを確かめると、壇上に大きな地図がスルスルと下ろされる。それは勿論、朝鮮半島の全図だ。
「おはよう諸君。今日を以て、我々は反攻に打って出る。そのための準備は全て揃っている。あとは諸君らの腕を信じ、全てを諸君らに託すのみである。これまでの諸君らの猛訓練は、全てこの日のためにあった。諸君らには熱烈たる闘志を以て任務に精励してもらいたい」
地図の一点を、生田少佐は指し示した。
「反攻の第一目標。つまり今回の我々の攻撃目標は、京城である……!」
一瞬の間を置いて、場がどよめいた。
隣の同僚と顔を見合わせる者。平静を装わんと、大仰に煙草を吹かして見せる者。出されたお茶を飲む手を止めて、少佐を凝視する者……その場に居る搭乗員の数だけ、様々な驚愕の表現があった。初期に攻撃をかけるなら、大邱か大田のような比較的近距離の工業拠点と考えていたぼくにも、その言葉は意外で、かつ衝撃的だった。
次に、生田少佐に促されて登壇した航空参謀が、偵察機によりもたらされた敵防空部隊の配置、現地の気象状況、そして出撃から帰投まで我々の目標への飛行計画を詳細に説明し、彼なりに補足を加えていく。その説明の要点を、ぼくらは一言も漏らすことなく持参の航空図に記入し、飛行経路に反映させていく。
……最後に、生田少佐はこう言って打ち合わせを締め括った。
「この作戦は、有史以来初の敵首都上空に於ける航空決戦であり、航空史上かつて無い戦闘機による長距離進攻作戦である。諸君らはその栄誉ある一員であり、世界が諸君らの快挙に注目している。気を引き締めてかかれっ!」
作戦は、始まった。時に、午前四時未明。




