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第3部 ⑥


 六月が過ぎ、七月に入った頃には、敵の攻勢は目に見えて下火となっていた。台湾の時もそうだったが、彼らは万を持して攻勢に入り、突発的に矛を収めたのだ。


 連日のように続く攻防戦に、ぼくらが精神的にも肉体的にも限界を感じ始めていたある日から、普通に来るものと思い込んでいた敵機来襲の報がぱったりと聞かれなくなった。当初の数日間はいい休養期間が出来たとばかりにぼくらは大いに羽を伸ばしたものだったが、それが一週間になり、二週間になると、やがて安堵感とは種類の異なる感情に支配されるようになる。


 「敵情はどうなっている?」


 と、古谷中尉などは、怪訝に思うあまり佐世保の防空司令部まで直に問い合わせた程だ。彼と同じ考えをし、尚且つ同じ行動を取った人物が多かったと見えて、応対に出た司令部では判で押した様に「何の報告もない。報告が上がったら直ぐ報せる」という答えが返ってきたものである。


 梅雨前線を突いて発進した偵察機からの報告では、朝鮮半島の各拠点では緒戦ほどの圧倒的な布陣とは言い難いものの依然強大な航空戦力が温存されており、半島上空で活発な行動を行っていることを窺わせた。戦術転換の予兆か?……とぼくらの多くは考えたが、やがて八月に入っても何の音沙汰もなく、その割にはあまりにも長すぎる準備期間に、彼らにこれ以上の攻勢継続の意思がないことは明らかとなった。


 敵機の侵入も時たま、SBが単機で制空圏を越え、偵察のため九州上空まで飛来してくる程度で、わざわざ機体の取り合いをしてまで飛び上がり迎撃することもない。戦闘初期の警急配置で事足りる。


 そのまま時は流れ、九月となった。


 にわかに、国際情勢が慌しくなった。


 九月一日。ドイツ軍が突如ポーランドに侵攻。下馬評ではその隣国以上とさえ言われた軍事力を有していたはずの東欧の大国ポーランドは、僅か三週間で空地一体となったドイツ軍の怒涛の如き進撃の前に屈した。


 ヒトラー政権下のドイツによる、欧州大戦で失われた領土回復外交とそれに伴う周辺諸国との軋轢により、もともと不穏な空気の漂っていた欧州大陸の政治情勢を一変させたこの事件は、それは一面では、戦争の形態が新たな形へと移行したことを示す象徴的な出来事でもあった。

 

 後に判明したことだが、このときの航空作戦で主導的立場を握ったドイツ空軍の指揮官の殆どがスペイン内戦の経験者であり、そして中国における対日航空攻勢の立役者たちであった。それはつまり、戦争準備の段階で中国にいたドイツ軍軍事顧問の多くが本国に召還されていたことを意味する。


 作戦立案と指揮の多くをこうしたドイツ人に頼っていた中国空軍にとって、それは致命的な損失だった。事実、中国空軍が攻勢を停止した時期と欧州における作戦行動の準備とみられる時期は見事なまでに合致する。国府側には航空戦の指揮をドイツ人やアメリカ人に丸投げすることはあっても、自分たち独自に航空戦の指揮機構を構築することはおろか指揮官を育成する能力も無く、また情熱もなかったことがこの事実より明らかとなった。そして以降中国空軍が緒戦のような勢いを回復することはもはやなかったのである。


 それはまた、欧州におけるドイツの戦争準備期間に入る前に、九州上空の制空権奪取を完遂するという中国空軍の目論見が見事に外れたことをも意味したのであった。


 ―――それでも、ぼくらが日本の空を守りきったという事実に気付くのに、この時点ではまだかなりの時間が必要だった。






 昭和一四年一〇月九日の早朝。大小一二隻からなる艦隊が、朝鮮半島北部東岸は元山の軍港から碇を上げた。


 戦艦二隻、巡洋艦一隻を主力とし、その周囲を九隻の駆逐艦が固めている。出港の段階から港外に潜伏していた我が軍の潜水艦によって察知されたその陣容はまさに、開戦前より配備され、日本海に睨みを利かせていた中国海軍半島方面艦隊の主力だった。


 その目指す先は、半島全体を隔てた中国海軍の母港が連なる遼東。


 戦艦二隻のうち一隻の「威遠」は、ソヴィエトが建造に着手したものの火災によって放置された戦艦「フルンゼ」を買い取り、ドイツ人技師の協力の下完成させたものであり、主砲もその実効性の程は別として三〇センチから三六センチと強化されていた。


 あとの一隻「攻遠」と巡洋艦「岳陽」はいずれもドイツで建造された艦であり、内戦艦「攻遠」はその設計、火力とも欧州大戦期のドイツ巡洋戦艦に準じたものであった。両戦艦の性能、乗員の技量共に日本海軍の戦艦部隊には及ばないものの、その火力、装甲にかぎっては侮り難いものと見做されている。


 開戦以来、潜水艦隊の華々しい活躍の陰で、こうした主力艦隊は日本海軍との正面対決を避け母港奥深くで皮肉の嘆をかこっていたが、こと元山においては一向に進まない母港設備の拡充に起因する艦艇性能の劣化 (一説には、占領軍と韓国政府の苛烈な搾取に反発した小作農が、半島中部において大規模な暴動を起こしたため、施設拡充に必要な人員が集められなかったという)と、大陸本土沿岸の海軍戦力の強化という観点から、元山に配置した部隊の、東シナ海方面の中国海軍主力との合流は愁眉の急とされていたのである。


 さらに、日本国内に未だ生き残っていた諜報網からもたらされた極秘情報が、中国海軍を作戦実行に走らせた。


 台湾方面で被雷した空母「赤城」が修理成って復帰し、未だ健在な空母「加賀」「龍驤」とともに航空戦隊を形成、太平洋側で新たな訓練に入ったというのである。


 その攻撃目標は、日本海方面艦隊の停泊する元山……と、諜報網は告げた。その情報は中国海軍本部を慌てさせた。敵空母部隊の虎口から脱するべく、作戦は韓国海空軍と半島に展開する空軍の支援の下、急遽決行されることとなったのである。決行が余りにも急であったため、作戦の詳細を知る者は艦隊の司令部要員数名のみ、一般将兵はおろか艦長クラスの中にも作戦の全容を知らされないまま出港に従った者までいたという。


 一方、日本海軍の方では、日本海方面艦隊が出動したという事実は掴んでいたものの、その真意を未だ図りかねていた。勿論、敵艦隊がいずれ元山を脱して南下、対馬海峡を突破しその大陸側の母港へ向かう可能性は検討されていなかったわけではなかったが、戦況そのものが航空戦と海上護衛戦を主軸に推移しており、使い処のない連合艦隊主力もほとんど行動停止状態に追い込まれていた現在、敵の主力艦が警戒厳重な対馬海峡を突破するという危険を冒す必要性と可能性はきわめて低いものと思われた。


 従って、日本海上における敵艦隊の行動は技量維持のための訓練航海と判断され、元山から艦隊が出動したという情報すら、九州のぼくらには下りてくることがなかったのである。




 元山から艦隊が発進した翌日。ぼくと古谷中尉は、前夜に中尉が提案したある計画を実行に移そうとしていた。


 中尉は、不敵な笑顔を浮べてぼくに言った。


 「久しぶりにあの忌々しい半島の南端までちょっくら飛んでみんか?」


 「『斬り込み』ですか。中尉」


 「いや……『斬り込み』じゃあない。ちょっとした『のぞき』さ」


 それ位の軽口を叩けるほど、その当時の対馬海峡の空は平穏なものとなっていた。


 早朝――――すでに中尉の指示が行き届いているのか、整備員の手によって二機の九六艦戦がしっかりと準備されていた。


 「いいんですか? 中尉殿」と、整備班長。


 「おれがいいと言ったら、いいんだよ」


 「そんなことより、配給のビールの件、頼みますよ」


 「わかってるよ」


 少なくとも板付基地内において、撃墜王「船乗り古谷」の意向は絶対の権威がある。それにこの時間帯は、寮監のように煩わしい航空管制官は未だ寝床の中にいて、それ故わざわざ司令部まで飛行許可をもらわずに済むというアリバイ作りができた……もっとも、六月の「脱走騒ぎ」以来。警急発進以外で管制官の許可なく離陸するのはご法度になっていたのだが。


 中尉は言ったものだ。


 「……まあ、管制官のお嬢さんが目を覚ます前に戻って来られれば上出来だ」


 未だ静まり返った飛行場を駆ける軽やかな爆音。秋の冷たい風に、渋どい眠気が薄れ行くのを感じながら、ぼくらは機上の人となる。


 中尉とぼくの飛行服のポケットには、ぼく自ら烹炊所から銀バイしてきた稲荷寿司が詰まっている。それが今日のぼくらの朝食だった。思えば、銀バイなんて士官候補生時代以来四年ぶりだった。


 高度二〇〇〇で、朝靄に静まり返った街や村を抜け、玄界灘に達する頃には、二機はすでに上り調子の朝日を背に、銀色の滑らかな肢体を羽ばたかせている。


 『―――天満、もう少し間隔を開けろ』


 「了解」


 中尉機から距離を置けば、たった一人で空を飛んでいるような錯覚に襲われる。今年に入り、様々な激戦を冷厳に見詰め、多くの生命をその彼方に吸い込んでいった空……朝の装いを次第に解かれていく静寂なる空に、祭りのあとという言葉を脳裏で浮かべても、波乱の予兆をぼくが感じ取ることはできなかった。


 こうして何の憂いも無いかのように飛んでいても、九州の空は未だに戦場の空である。ぼくらはその戦場に生き、敵を倒し、敵に狙われることを宿命付けられた防人である。


 ……そう、ぼくらは、蒼空の防人である。


 古来、日本各地より多くの若人が防人となって九州の要衝に集い、大陸からの侵掠に備えて苦しい月日を送った。愛する人、愛しい父母、愛しい兄弟姉妹と別れ、郷里から未だ見ぬ九州へ二度と還らぬかも知れぬ旅路へ向かったのだ。


 そして今、日の本を守るべく各地より集い、栄光の翼を手に九州の空を舞う若人達……生きる場所が陸から空に替わっただけで、その生き様の過酷なることは、あの時代と全く代わり映えがしない。衆目の前で死ぬ者もいれば、人知れず空に、そして海に消えていく人、人……人。


 ……それでも、ぼくらは、蒼空の防人たらねばならぬ。


 侵掠より神州の空を守り、そのためには、時によっては自らの命すら投げ出さねばならぬ。そして敵を倒さねばならぬ。何時終るとも知れぬ戦いの終わりを、生きて見ることをも叶わぬかも知れぬ。


 ……それが、蒼空の防人である。


 再び、中尉の声。


 『―――天満。二時下方』


 「…………?」


 黒い海原を走る一条の航跡に、ぼくは目を凝らす。船は小さいが、船体に似合わぬ太い航跡は、只ならぬ速力を見せ付けているかのようであった。


 中尉機が機首を下げた。恐らく確認するつもりなのだろう。


 機首を下げた先には薄い雲が棚引くように広がっている。その雲を隔てた眼前の舟影が次第に近づき、中国軍の魚雷艇の形をとった。


 高度が一〇〇〇を切った。中尉に続きスロットルを絞り気味に、旋回しながら高度を落とす。


 「…………!」


 雁行陣で海原を割る巨艦の連なり。その周囲を忙しく行き交う小型舟艇の曳く航跡が、さながら人魂のごとく海面を漂っている……雲の下に広がっていたのは、さながら海上の進軍!


 その中でひときわ巨大な二つの艦影に、ぼくは息を呑む。士官候補生時代、眼の回るような忙しさの中で行われた課業の際。形ばかりの艦務実習で乗り組んだ戦艦「比叡」の威容をぼくは思った。


 『――――カメよりキツネへ……応答しろ! さっさと目を覚ませ』


 司令部を呼び出す中尉の声には、ユーモアの中にも僅かではあるが狼狽の要素が含まれているようだった。


 『――――こちらキツネ。カメ、詳細を報告せよ』


 『―――――われ敵艦隊発見……戦艦二隻。巡洋艦一隻……その他小艦艇多数……南東へ速力二〇ノットで航行中……』


 『――――多数では判らない。もっと正確に!……』


 『――――とにかくゴキブリみたいにたくさんいる!……早く攻撃隊を寄越してくれ!』


 中尉が無線器に怒鳴りつけるのと同時。雲間を縫って出てきた無数の黒点に、ぼくは顔を強張らせた。


 「――――中尉。一一時上方より敵機!」


 朝焼けに彩られた雲を背景に浮かび上がる複数の機影。一〇、二〇、三〇……五〇。否、それ以上いる! 驚愕がぼくらを変針させ、帰還したい衝動に捉えかけたが、時はすでに遅く、次に気付いたときには二機は艦隊のど真ん中を低空で駆け抜けている。


 『――――チキショウッ!……チ○●×ロ(侮蔑語 自粛)のくそ野郎どもがウジャウジャと湧いて来やがる!』


 周囲に咲く炸裂弾の花。ゆっくりとした速度でぼくらを背後から追い抜き、突き上げるけばけばしい対空砲火……増槽を落として身軽になり、さらに回避のため機体を左右に滑らせ、上昇下降を繰り返して艦隊陣を抜けた先には、牙を研ぎ澄ました敵機が待ち構えている。


 「――――中尉殿、どうします?」


 『――――えらい歓迎振りじゃないか。なあ天満?』


 おどけたような口調に、ぼくは思わず噴出す……本当なら笑っていられる状況じゃないのに。


 中尉はさらに続ける。


 『――――天満、左旋回用意。もう一度対空砲火の中に突っ込むぞ』


 「――――了解……!」


 中尉の意図は判っている。わざわざ危険の中に突っ込み、敵機の追尾をかわすつもりなのだ。それほど敵の数は多く、その守りは堅い。たった二機風情でどうにかなる相手ではなかった。こういう時の方策は決まりきっている。つまりは「三十六計逃げるに如かず」である。


 このとき、元山を出港した敵艦隊の総数は一〇隻。この時点で二隻の駆逐艦が、それぞれ機関のトラブルと燃料の欠乏で脱落していた。欺瞞のため変針を繰り返し、さらには闇夜に紛れて南下を続け、翌日の日昇時刻には朝鮮半島南岸に到達。対馬北部沖に差し掛かろうという時点で、艦隊はぼくらと遭遇したのだ。


 艦隊の布陣は、ぼくらが想像したよりもはるかに巧妙で、かつ厳重なものだった。


 主力艦、そして駆逐艦の周囲を、半島沿岸の基地から発進した魚雷艇や哨戒艇などの小艦艇が固め、さらに上空では常時三〇~五〇機の戦闘機が直援に当たっており、それらの部隊は海空共同で組み上げられた綿密なタイムスケジュールの下で運用されていた。敵手たるぼくらといえば、自分でも知らない内に、彼らの重層的な布陣の中に迷い込んでいたというわけだ。


 古谷中尉の報告を受けたものの、司令部では実のところ半信半疑だった。


 もっとも、波乱の予兆は既に察知され、伝えられていた。ぼくらが対馬近海に差し掛かる直前。対馬の監視所では周辺空域を活発に行き交う複数の機影を確認し、通報してきたのである。だが、当初それは定例の警戒任務飛行と受取られ、大して問題にはされなかった。


 続いて送られてきたのが艦隊に遭遇したぼくらの報告だったが、それでも司令部は報告を不明確なものと見做し、情報を神奈川県日吉の連合艦隊司令部(六月の柱島急襲で旗艦が撃沈されてしまったため、陸に上がっていた)に上げ、指示を仰ぐことを躊躇った。

 

 何故かと言うに、敵艦隊の行動が余りに突飛であることもさることながら、「戦艦に対しては戦艦を以て対抗するしかない」という旧来の艦隊決戦思想が、彼らをして不明確な情勢下で「貴重な」戦艦部隊を動かすことを躊躇わせたためである。長年を航空作戦の指揮に従事し、海軍の航空戦略にも一家言持つ立場となった防空司令部を以てしても、従来の思考を容易に拭い去ることができなかったのであった。


 連合艦隊司令部に情報が上がらないまま、ぼくらの報告から一時間後。今度は対馬の監視所が海峡西水道に到達した敵艦隊を視認する。嘗ての敵の航空攻勢に対しこれまで沈黙を守っていた対馬の要塞砲が、この日初めて稼動し、接近してくる敵艦隊を照準に入れたことも続けて伝えられた。


 報告の重なりに俄然、司令部は色めきたった。元山を発した敵艦隊が対馬海峡突破を指向していることはもはや動かし難い事実であり、この時点で敵艦隊の通過を防ぎ、撃破することは司令部の命題となったのだ。同時に、九州全域の海軍戦闘機部隊に対馬方面への警急発進命令が下った。


 午前九時三七分。対馬の要塞砲が西水道を通過する敵艦隊に砲撃を開始する。後に、「第二次日本海海戦」、もしくは「海峡の最も長い日」と呼ばれた一連の死闘の始まりを告げる第一撃であった。


 情報はこの時点で漸く連合艦隊司令部まで上げられた。だが、ここで第二の錯誤が発生する。連合艦隊司令部に情報はもたらされたものの、そこには肝心の連合艦隊司令長官をはじめ、幕僚もまた一人として残ってはいなかった。不運なことに全員が、今後の作戦計画の擦り合わせのため、東京の大本営や海軍省に出払っていたのだ。




 遭遇から一時間後。艦隊の防空網から逃れると、駆け込むように滑り込んだ板付飛行場から部下を集め、ぼくらは取って返すように対馬方面へと向かった。飛行場からは事態を知らされた他隊の九六艦戦が続々と発進し、上空で集合する間もなく北方へ向かっていく。


 板付を立ったぼくらが鳥栖上空に達したとき、築城の他部隊に指示を出す司令部の交信をぼくは聞いた。


 『――――ツルより艦攻が六機発進した。若松上空で合流し、これを直援せよ』


 ツルとは宇佐基地の秘匿名称である。当時、九州北部の海軍航空部隊で、有効な対艦攻撃能力を有していたのは宇佐に展開していた八機の九六式艦上爆撃機と一二機の九六式艦上攻撃機だけであった。それでも、爆弾だけでは戦艦に致命傷を与えることは困難なため、結局のところ、攻撃の主軸となるのは魚雷装備が可能な後者に限られた。


 ――― 一方、司令部。


 関係各所と連絡をつけても、一向に捕まらない連合艦隊司令部に業を煮やした防空司令部は、連合艦隊司令部から一つ頭越しに軍令部へと連絡をつけることにした。軍令部から直に第一艦隊(戦艦部隊)を動かしてもらおうと考えたのである。畑違いの航空部隊が直接水上艦部隊を指揮することなど、当時としては先ず在り得ないことだったからだ。国府軍と違い、この時点の日本軍では海空の協同作戦など未だ夢のまた夢であった。


 だが、応対に出た軍令部付きの参謀はこの要請を一蹴した。艦隊を動かすのは連合艦隊司令部の仕事である。司令部が連絡がつかないからといってそれを頭越しに軍令部に持ち込むなど、看過しがたい越権行為であるように彼には思われたのだ。それでも防空司令部は根気よく複数の機関に連絡をつけ、ついに査閲のため百里海軍航空隊に到着したばかりの連合艦隊司令長官を捕まえることに成功する。


 連合艦隊司令部は報告の遅延に憤りながらもすぐさま柱島に残る戦艦二隻を主力とする水上打撃部隊に出動命令を下した。従って、急行してくる戦艦部隊が敵戦艦を捕捉できるまでに敵艦隊を足止めし、損害を与えることが九州の航空部隊の急務となったのである……戦艦に損傷を与えることに成功はしても、撃沈を期す事などこの時点では当事者達の誰もが考えてはいなかった。 


 ……この時点で、ぼくらの通報からすでに二時間近くが経過していた。そして、ぼくらはすでに激戦のなかにいた。


 海峡を横断して九州を攻撃するように、アシの長さを必要とする任務ではないためか、上空を埋め尽くす敵戦闘機の種類は多様であった。見慣れたホークに加え、久しぶりで目の当たりにするHe51やCR32。それに単葉のI―16までいた。洋上から打ち上げる対空砲火が炸裂する中で、先着した味方がそれらと激しい空戦を繰り広げているのを眼にするにつけ、ぼくは初心者のように気が急く。


 古谷中尉機がバンクを振った。それが突撃の合図だった。


 一機のCR32を捉え、ぼくは撃った。CRは被弾し細かい破片を撒き散らしたものの、墜落せずにそのまま逃走していく。それを追う間も無く、ぼくもまた二機のホークに追尾される。


 『―――少尉っ……背後より敵機!』


 「頼むっ……!」


 垂直旋回……そして急上昇に転じ、追尾をかわす。背後の敵二機は救援に駆けつけた九六艦戦に食い付かれ、たちまち一機が白煙を吐いた。ぼくもまた上昇から急降下に転じ二機を追う。


 形成は逆転。距離が詰ったところで機銃の発射把柄を引く。傷付いたホークが機首から炎を吐き、錐もみ状態に陥りながら墜落していく。


 『―――天満。後ろに付かれた。援護頼む!』


 隊長の声に視線をめぐらせると、前方、優位な位置にある二機の敵機に追われる中尉機の姿。増速し、眦を決して援護に向かう。十分な距離があったが、威嚇を狙い、ぼくは一連射を放った。たちまち姿勢を崩す二機。中尉機は鮮やかに反転すると、忽ち逃げに転じた一機を撃墜した。


 もう一機を、ぼくは捉えた。水平旋回中のホークの、機首の一つ頭先の空間……そこに、ぼくは照準を合わせた。


 発射把柄に力が篭った。鮮やかに輝く光弾が撓るような軌道を描き、ホークの機体各所に火花を散らせ、破片を舞わせた。二斉射目で上翼の大部分が吹き飛び、背面姿勢になったホークから搭乗員らしき黒い影が飛び出した。黒い影は、やがて白く四角い落下傘となって下方の海原へと漂い落ちていく。


 編隊を組み直し、ぼくらは上昇する。眼下で右往左往する航跡は、両軍の小艦艇であろう。洋上でもまた戦闘が繰り広げられている。対馬や壱岐から発進した味方魚雷艇が敵艦隊に突っ込み、敵の哨戒艇部隊と撃ち合いを繰り広げているのだ。


 戦艦撃沈を期して出撃した味方魚雷艇だったが、圧倒的な数の敵艦艇と護衛戦闘機の妨害の前に射程に入れず、苦闘を強いられている。


 そのとき、ついに攻撃隊が戦闘空域に入った。


 『――――隊長機より全機へ、突撃、突撃を開始せよ』


 攻撃開始の合図は、かの「ト連送」から無線交信へと変わっていた。戦闘機援護の下、交信と共に緩降下で攻撃態勢に入る。緑色に迷彩された銀翼を翻した攻撃編隊。その志向する先は……もちろん戦艦。


 『―――古谷より全機へ、攻撃隊を援護せよ』


 「了解!」


 上方から翻した主翼も眩しく、攻撃隊に一斉に襲い掛かろうとする敵戦闘機の一群。ぼくらは攻撃隊と彼らの間に割って入り、攻撃隊を援護する。


 それはもはや、単機対単機の空戦ではなかった。群対群のぶつかり合い、いわば大空戦であった。正面から互いの銀翼が持てる火器を撃ち合って交錯するや、一瞬にしてついた勝負は炎に包まれた翼を数多生み、海峡の藻屑へと叩き込む。最初の激突を凌いだ者のみが新たに体勢を整え、獲物を捜し求める権利を得られるのだ。


 乱戦の最中、最初に戦艦に襲い掛かったのは艦爆隊だった。投弾の直前で一機が対空砲火により撃墜されたが、投下された七発の二十五番 (250kg)爆弾の内三発が戦艦「威遠」の機関部を直撃し、一発が至近弾となって戦艦「攻遠」の艦尾を損傷させた。出力の低下した「威遠」の速力はぐっと低下し、そこに敵戦闘機の攻撃と防御放火を掻い潜った九六艦攻三機が突っ込んできた。


 投下された魚雷は三発。内二発が外れたが、一発が「威遠」の艦尾に命中した。損害そのものは軽微だったが、このときの攻撃で「威遠」の舵機が故障し、「威遠」は左に舵を切ったまま舵を戻すことが不可能となった。続いて四機の艦攻が「攻遠」を指向。途上で一機が撃墜されたが、この時放たれた三発の魚雷の内二発が「攻遠」の右舷艦腹に命中し、激しく浸水した艦は大きく右に傾いた。


 その命中の瞬間。「威遠」の艦尾で高々と噴き上がる水柱をぼくは驚愕の目で見ていた。急降下爆撃により船体中央から吹き上がった炎は未だ衰えず、本来なら回避運動の一環だったはずが無様なまでに左回頭を続けている。そこを傘に掛かるように九六艦戦隊が銃撃している。「威遠」が、その任務を完遂するのに当たって、致命的な損害を負ったことを、ぼくは一目で悟った。


 『――――こちら攻撃隊長。第二次攻撃の要ありと認む……』


 『――――古谷より全機へ、全機空戦やめ、空戦やめ……帰還せよ』


 中尉の指示に、ぼくは燃料計に目を落とす。燃料残は、もはや帰還にギリギリの量しか残っていないことを示していた。周囲を飛ぶ友軍機の姿は殆ど消えていた。敵機もまた多くが何処かへ飛び去り、数機が虚しく低空を行ったり来たりしている。


 傷付いた「威遠」と、彼女と同じく損傷し、行動不能となった数隻以外の残余の艦はといえばとっくに傷付いた彼らの僚艦を見捨て、ばらばらの針路と速力で対馬海峡を突破しつつあった。そして彼らを追撃する力を、ぼくらはもう持ってはいない。


 敵でありながら、後ろ髪を惹かれるような思いでぼくは眼下の「威遠」に目を凝らした。大胆な作戦を決行した末、遂に傷付き、味方からも取り残された巨艦の姿。その一員として戦った乗員達の末路に、ぼくは同情を覚えずにはいられなかった。


 ……それが、ぼくが「威遠」を見た最後となった。


 防空司令部は宇佐の隊に続き、大村や鹿屋に展開する陸攻隊にも出撃命令を下していた。宇佐の部隊に遅れること一時間半。爆装した九六式陸攻八機。雷装した同陸攻一〇機が勇躍両基地から発進し、敵戦艦を捜し求めたのである。


 激しい戦闘の末、ぼくらが帰路についた頃。大村を発進した六機が舵故障から未だ回復できずにいる「威遠」を発見。搭載していた全ての魚雷、そして爆弾の大半を命中させた。


 左旋回しか出来ない戦艦など、さながら動く的も同じだった。浸水と火災により「威遠」は艦首から沈み、午後三時四三分。「威遠」は浸水を止められないまま遂に沈没する。


 進撃の途上、司令部を介した無線通信により「威遠」の最後を知った鹿屋からの攻撃隊は急遽変針し、朝鮮半島は済州島方面へ向かった。海峡突破に成功し今直航海を続ける戦艦「攻遠」を捕捉、あわよくば撃沈するためである。


 「威遠」が完全に水平線の彼方に没し去った午後四時一四分。鹿屋からの攻撃隊一二機は対馬海峡東端海上、這うような鈍足で進む「攻遠」とその僚艦を発見する。


 攻撃隊は直ちに攻撃を開始。被雷による機関損傷と姿勢制御のため注水したことで一層速度と運動性能が落ちていた「攻遠」に、これらの攻撃を防ぎきることなどもはや不可能であった。たちまち「攻遠」は右舷に二発、左舷に一発の魚雷と七発の六〇kg爆弾を受けて火災を発生。それが弾薬庫に引火し、大爆発を起こして轟沈した。時に午後五時三二分。


 巡洋艦「岳陽」を始め、日本海軍航空部隊の追撃を逃れた残余の艦は済州海峡に入り、その後さらに二日間の航海の末、遼東半島の軍港に入ったことが後に確認された。そして、これらの艦はその後一度として港外に出る事は無かったのである。この作戦を最後に、中国海軍主力は実質的にその活動を停止してしまったのだった。


 二戦艦の犠牲の末に彼らの航海は成功したようなものであったが、本来最も重要な存在であるはずの二隻が、結果的に敵手たる我々の攻撃を一身に引き受ける「囮」とも言うべき役目を負ったことは皮肉なものとしか言いようが無い。


 「第二次日本海海戦」は終った。だが、その後にもたらされた衝撃は大きかった。


 何故なら、航空機でも作戦行動中の戦艦を撃沈できるということがこの一連の戦闘で証明されてしまったからである。


 特に日本海軍の受けた衝撃は大きかった。対潜部隊の支援のない戦艦が、潜水艦の攻撃に対し無力であるということはこれまでの戦例からすでに判っている。そして今度の戦闘から判ったことは、航空機の支援のない戦艦は空からの攻撃に脆いという「衝撃的な」事実であった。


 この後、海軍の一部少壮士官を中心に一つの思想が生まれた。戦前の「航空機無用論」から打って変わった「戦艦無用論」である。


 空からも海からの攻撃にも弱い戦艦など、もはやこれからの戦争には国威発揚以外に何の役にも立たない!……そのような意見が海軍部内に急速に広がり、確固たる影響力を持つようになるまで時間は掛からなかった。


 また、「第二次日本海海戦」ではもう一つ、重大な戦訓が生まれた。


 戦局に大きな影響を与えることは無かったとはいえ、前線司令部と後方の総司令部との間に、相互連絡に関し大きな齟齬が生じたのは当然問題とされた。この後、連合艦隊司令部所在地を司令部が離れる際、必ず一定数の幕僚を残置させておくこと。司令部間でそれぞれの所在の確認を徹底しておくことが決められた。


 ――――そして、「第二次日本海海戦」の当日。防空司令部の管制を無視して「のぞき」に飛び上がったぼくと古谷中尉は、飛行停止二週間の懲罰を受けた。敵艦隊の発見に功があったとはいえ、ぼくらが違法行為を犯したことは明らかだったから、これは抗弁の余地が無い。寧ろそれだけで済んだことが僥倖というものだろう。


 要するに新たに空戦に参加し、撃墜記録を伸ばす機会をぼくらは奪われたわけだが、「第二次日本海海戦」以後、敵空軍もすっかり鳴りを潜め、かつてのような大規模な空戦の勃発は翌年になるまで待たねばならなかった。





 昭和一四年にも暮れが迫り、拡張工事の進む板付にも小雪のぱらつくようになった時節。再び訪れた安寧の日々の中でぼくらが空戦に飢え始めたある日のこと――――


 ――――ぼくらに、振って沸いたような機種転換命令が来た。グレートヒェンとの別れのときが来たのだ。


 その別れの日。ぼくは彼女の感触をじっくりと噛み締めるようにグレートヒェンで板付を発ち、一通りの機動を彼女と楽しんだ。


 高度五〇〇〇まで上がり、ぼくは心の中で彼女に語りかける……お前とは、もっと飛んでいたかったが、この通り、これからの空ではそんなお気楽なことを言ってられないほど厳しく、激しい戦いが続く。


 グレートヒェンと見る眼下の雲海は広漠で、それでいて雄大だ。垂直旋回に入った操縦席で、ぼくはさらに彼女を言い聞かせる。ぼくの語りかけることをあえて無視するかのように、彼女は一層鋭く、そして速く旋回する。


 それでも、ぼくは語りかける。


 ぼくは、それに向き合わねばならぬ。だがグレートヒェン……君は、ぼくの身勝手にこれ以上付き合うことはない。これからも、君を必要としている誰かを、君は乗せて飛ぶだろう。ぼくと同じように空を目指し、大空に生きる決心をした誰かを、君の素晴らしい銀翼つばさを以て導いてほしい……垂直旋回を終える寸前。別れに抗うかのようなグレートヒェンの烈しい加速に耐えながら、ぼくは眼を瞑って涙する。


 ぼくは……ぼくは……もう、君を連れて行けないんだ……!


 ぼくと別れたグレートヒェンは、本州の練習航空隊に送られ、練習機としてあらたな人生を歩むはずだった。


 グレートヒェンと別れて一週間後。ぼくは彼女が航空隊の教官による試験飛行中、墜落したことを知る。教官は、無事脱出。


 彼女――――あの誇り高いグレートヒェンは、ぼく以外の誰かに乗られることよりも、自ら死を選んだのだろうか?……後悔にも似た感情に、ぼくはその一日を暗鬱に過ごしたのだ。





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