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第3部 ⑤


 互いの生存を喜ぶ暇もそこそこに、久しぶりで出会った柴田兵曹は、生還についての話をしてくれた。それは次の通りである。


 台湾方面の作戦に明け暮れて過ごした昭和一三年の夏の日々。ぼくらと共に「斬り込み」に飛び立った柴田兵曹は、低空スレスレで目標に向かって投弾した後。機首を引き起こす途上で激しい衝撃を感じ、思わず左方へ視線を転じた。


 「…………!」


 その大半が欠けた左主翼に、兵曹は思わず目を剥いたという。対空砲火で吹き飛ばされたのか、阻塞気球のワイヤーに抉り取られたのか、直接の原因はわからないが、激しい振動と急激に左に傾き出す機体に柴田兵曹が驚愕したのは確かだった。


 スロットルを握る間もないほど両腕でしっかりと操縦桿を握り、左に曲がろうとする機体を必死で操って帰路に転じたものの、敵の対空砲火は傘に掛かるように下から撃ち上げて来る。


 列機の姿は、すでに周りからは消えていた。あらかじめ決められていた集合空域に辿り着けないかもしれないという不安に、さしもの兵曹も心臓を握り潰されるような思いに囚われたという。


 金門島まで飛ぼうと思い立った兵曹は、金門島の対岸付近で旋回を続けながら上昇を図ろうとしたが、立て続けに襲い掛かる敵弾に機体は傷付き、遂にエンジンに被弾して著しく高度を下げるに至っては、兵曹もついには「自爆」という単語を脳裏にめぐらせたのであった。


 当時、「斬り込み」をはじめ、攻撃に向かう搭乗員は誰もが落下傘を乗機から下ろして飛び立っていた。

 捕虜となることを潔しとしない古来よりの風潮に従ったというよりは、中国軍の捕虜に対する扱いの苛烈なる事が、多くの仲間達の間で周知の事実となっていたからだ。


 戦争の初頭。敵地で不時着した艦攻機の某ペアは、現地民兵隊による壮絶な私刑の末殺害され、その死体は逆さ吊りにされて一ヶ月もの間街中に晒された。ある戦闘機搭乗員は、膝の皿を砕かれ、さらには目鼻を潰されて晒し者として各地を引き回された挙句に斬首されて果てた。


 他に生皮を剥がれて殺された者。死体を晒しものにされた者など、そのような話を聞くに付け、ぼくらが「こんな目に遭わされる位なら死んだ方がマシだ」という思考に傾いていったのも当然のことであろう。


 柴田兵曹もまた、真面目に敵中に不時着して言語に絶する苦痛の末に殺されるよりは、ここで潔く散る方を選んだ。心残りといえば、その場にこれまでの間を共に飛んできたぼくらが居ず、彼自身の最期を見届けてくれないことだったという。


 ……それでも、彼は心の中で故郷の家族と、そしてぼくと蔡君に別れを告げた。操縦桿を離すや否や、機は手綱を解かれた奔馬のように急激に左旋回を繰り返しながら海面へと向かって行く。


眼前に広がるどす黒い海原……それが彼にはあの世への入り口に見えたという。


 ――――それが、その日の彼の最後の記憶だった。






 ――――再び目を見開いたときには、褌一丁の姿で、みすぼらしい小屋の中に横たわっている柴田兵曹がいた。小さな囲炉裏には木の燃え滓がまだ燻っていて、狭苦しいながらも人間の生活の匂いを彼に感じさせた。


 不意に、体中に襲い掛かってくる激痛に、兵曹は顔を顰める。背といわず顔といわず、彼が体中に張られている膏薬に気付いたのはその直後のことだった。


 痛みを感じるということは、彼本人が天国にいないということを静かな潮騒の中にも雄弁に物語っていた。では、ここは何処だろう?……地獄か?


 それとも、捕虜にされた?……そのことに思い当たり彼は愕然とする。だが、開けっ放しの入り口からは、峻険な岩場を挟んで、これまで空から見下ろす対象であったはずの大陸の海原が広がっている。軍隊の基地じゃない……?


 そのまま時を過ごすうち、一人の人影か小屋に入ってきた。武装した兵士ではなく、現地人らしき、釣竿と魚篭を提げた少年だった。


 「…………?」


 「…………!」


 二人はほぼ同時に驚愕し、お互いの顔を見合わせた。やや時を置いて、もう一人、投網を抱えた老人が入ってきた。慌てて半身を起こそうとする兵曹を、老人は無言で制するようにした。


 その挙作には、何故か抗い難いものを兵曹は感じたという。


 柴田兵曹がさらに驚いたことには、老人は日本語が話せた。


 「傷が癒えるまで、安静にしていた方がいい」と、老人は言った。


 「国民党の奴等は捕虜をとらない。捕まったら、酷い目に遭う」


 その言葉からして、彼が現中国の体制に何がしかの不満を持つ者であることぐらい、容易に判った。


 「ここに来て、どれくらい経つ?」


 「三日だ」と、老人は言った。日本軍の「斬り込み」の合間を縫って漁に出たある日のこと、墜落する戦闘機から海に放り出された彼が、たまたま投網に掛かったらしい。


 そのまま、兵曹は一週間を寝て過ごした。老人の小屋からは、毎日のように台湾から発進し、「斬り込み」に砲台へ突入する九六艦戦の、銀翼を翻す様を眺めることが出来た。機体の認識番号を読み取れるほどの低空で航過し、帰還していく味方機を、柴田兵曹はどれほど無念な思いで見上げたことだろうか……?


 さらに数日が過ぎ、夜遅くに遠方で爆弾の着弾する音を聞いた時、兵曹は金門島に攻撃機が展開したことを悟った――――実際、その直感は正しかったのだ。その頃には金門島の前線基地化は殆ど完了し、水偵隊まで進出していたのだから。


 その合間、老人は自らの生い立ちを語ってくれたという。


 老人は元々裕福な商人で、かつては日本の神戸にも住んでいたことがあり、日本語もその間に覚えたのだと教えてくれた。だが、一財産作って中国の故郷に帰ってきた時、国民党の役人の要求した賄賂を拒否したが故にあらぬ罪を着せられて投獄され、財産も全て没収されてしまったのだという。


 そして現在では漁師に身を落とし、甥っ子である少年と暮らしているというわけだった。その甥っ子も、両親が共産党の嫌疑を掛けられて政府に殺されたのだという。


 ぼくらの「斬り込み」で消耗し、さらには予備の部品と弾薬に事欠くようになった砲台から砲声が全く消えたとき、すでに一ヶ月近くが経過していた。その頃には兵曹の傷は殆どが癒え、少年を伴い、現地人に成り済まして街に出られるまでになっていた。


 海岸から街に出るまでの途上、敵兵が幾重もの検問を強いていた。

 当初は前線に近いだけあって警戒が厳重なのだろうと兵曹は考えたが、何度か通る内に、街へと向かう一般人から単に「通行料」を巻き上げる目的でやっていることに気付き、腐敗しきった敵軍の内情に愕然とする。


 一方で、現地の言葉が話せない柴田兵曹としては、敵兵との何がしか意思の疎通が必要となる局面は絶対的な危機であるはずだが、豪胆な彼は何と口が聞けない聾唖者の振りをして途中の検問を乗り切り、最後まで一度も正体を露見させることがなかった。兵士に詰問される度、「自分の兄だ」と言い張った少年のフォローもまた、このとき役に立った。


 続けて、国府軍の施政下にある街の話を、兵曹はしてくれた。


 街の界隈では、風体の悪い男達が国府軍の青い制服を着てうろついている。中には、ドイツ式の鉄兜を被っている者もいた。だが、その装備は日本製のコピー品やアメリカ製のライフル、さらにはドイツ製のマシンガンまで様々で、後方の物資供給機構の混乱振りが容易に想像できた。あれだけ装備が違えば、使用する弾薬の種類もまた違ってくる。


 自堕落に地面に腰を下ろし、煙草を吸い、真昼間から酒を食らい、さらに人前で車座になって賭け事に熱中している者すらいた。その場の市民に難癖をつけては金品を巻き上げる者。態度が気に食わないと言っては女子供にまで暴力を揮う者までいて、彼らの軍規の弛緩ぶりは敵手たる柴田兵曹の目から見ても、明らかに常軌を逸したものだったという。


 「……こんな軍隊に負けるようじゃあ、皇軍の恥だと思いましたよ」


 公開処刑というものを、柴田兵曹は見たことがある。


 それは、週に一回の割合で行われているらしかった。少年によれば兵曹が来るまでは半月に一回やるかどうかといった程度の頻度だったか、ここ最近になって頻度が増えている、と言う。


 街の広場に乗りつけた日本製トラックの荷台から引き出されて来た囚人は、殺人強盗などのごくまれな例外を除き、殆どが「共産党員」という嫌疑を掛けられている。黙々と兵士の引く首輪に従い、サクラの罵声を浴びながら一列に並ばされる人々……すでに老境に達したと思われる男もいれば、年端もいかない少女もその中にはいた。


 ある者は黙って俯き、またある者は恐怖に歯をガチガチと震わせる。そして銃手のライフルは、取ってつけたような罪状宣告の後、容赦なく彼らに向けられた。見物の人ごみを掻き分け、大胆にも前へ出た柴田兵曹は、その一部始終にじっと見入ったのだった。


 「自分の父母も、ああいう風にして殺された」と、少年は後で教えてくれたという。


 期間にして二ヶ月近くを、彼は二人と過ごした。漁の手伝いで小舟に乗ったり、金門島対岸の敵軍の配置を彼なりに探ったりする反面で、脱出の機会を探るのに要した期間だった。海峡における攻防戦が一段落し静穏が戻りかける瞬間を、彼は待っていたのだ。


 旅立ちの晩は、満月の夜だった。

 来た時と同じ褌一枚に漁具を流用した浮輪を持った兵曹は、飛行服や飛行帽など、発進時に携えてきたもので手元に残っているものを全て二人に託し、海へと泳ぎ出た。目指す先は対岸の金門島。距離にして一〇㎞はある。


 鮫よけに褌を延ばし、彼は波間を掻き分けて泳いだ。見上げれば、満月に負けじと眩い光を放つ満点の星々……偵察練習生を終え、実施部隊に配属されて間もない頃の夜間飛行訓練を彼は思い出したという。


 泳ぎ疲れては浮輪に凭れて身体を休め、頭上の星と月明かりを頼りに泳ぐこと五時間……一向に辿り着かない対岸に苛立ちと不安を感じ始めた頃。水平線にうっすらと浮かぶ島影を見つけ、彼は逸る気持ちを抑えて泳ぎを進めた……疲労に重くなった手足を、溺れた犬のように必死でバタつかせながら。


 海上の彷徨の末、這う様にして上がった陸。精根尽き果て、砂浜にぐったりと倒れ込む兵曹を呼ぶ声があった。それは現地の言葉ではなく、紛れも無い日本語。


 「――――誰か!?」


 誰何の声に、柴田兵曹はうつ伏せの姿勢から満身の力を振り絞って上を仰ぎ見た。その視線の先では海軍陸戦隊の服装に身を包んだ人影が、銃剣の刃を月明かりの下でぎらつかせていた。


 それがこの日の、柴田兵曹の最後の意識だったという。


 自分が辿り着いた場所が、金門島ではなくその西端に位置する小金門島であることを柴田兵曹が知ったのは、翌日のことだったという。


 ……ともかくも、兵曹は生きて味方の前線に還って来たのだ。






 先に本土に引き上げていたぼくらに遅れること一ヶ月。本土に戻された兵曹は、司令部による事情聴取を経て予備役に編入された。喩え「一下士官」によるものとはいえ、二ヶ月間に渡って彼が収集し、証言した敵地の情勢は海軍の上層部にとってかなり有益なものであったし、彼自身敵地での潜伏生活の結果として、その健康状態は必ずしも前線勤務に適したものとは言えなかったからである。


 従って、予備役に編入された彼は後方の支援機関に属し、「民間飛行士」として療養と慣熟を兼ねて前線の実施部隊へ補充機を空輸する任務を課せられることとなった。ぼくと再会したのも、その空輸任務の最中だったというわけだ。


 「前線が恋しいですよ」と、柴田兵曹は言う。


 「国府軍の奴らに一矢報いてやらないと」


 「じゃあ、戻ってくればいい」


 「それが、向こうの方では自分を手放してはくれんのですよ。向こうは向こうで人手不足なようだし、空輸専門の自分に生産機の試験飛行まで押し付ける始末で……」


 「そうか……」


 ぼくとしては、口篭るしかない。


 翌日、柴田兵曹と別れて戻った板付基地。先日の空戦でぼくの中隊からは二名の未帰還者が出たことを知らされる。


 「参ったよ。また搭乗員の補充を頼まなきゃいかん」


 そう言って、古谷中尉は頭を掻いた。頭を抱えるのには相応の理由があった。近頃、補充されてくる搭乗員の質が落ちている。搭乗員の頭数を増やしたいがために、ただでさえ簡略化された訓練をさらに短縮して前線へ送り出しているのだ。本来なら実戦機に乗っているはずの無い飛行経験の者まで、前線で実戦機を飛ばしている。


 そういう者は、赴任してしばらくの間は前線の雰囲気に慣れさせるためなるべく実戦に出さないのが不文律となっていたが、実際はそういう搭乗員ほど実戦の苦境を知らないから、何かにつけ戦闘に出たがる。彼らの血気をどれだけ抑えられるかが、指揮官の度量を試すようなものとなっていた。


 ぼくは言った。


 「一人、心当たりがあるんです。後方支援の連中に掛け合って、彼を引き抜いて貰えませんか?」


 「できるやつか?」


 「はい!……腕は保証します」


 ……かくして一週間も経たずして柴田兵曹は我が中隊の一員となり、新品の九六艦戦を引っ提げて前線に復帰したのだった。


 再編成った中隊の搭乗員を集めて中尉は言う。


 「柴田兵曹はこれより蔡兵曹とペアを組め。天満少尉は……」


 彼は、ぼくを指差した。


 「……今日から、俺の列機だ」






 対馬海峡東水道から北九州一帯にかけて、中国空軍が攻勢を続けていた一方で、中国海軍もまた、この時期驚異的な戦果を上げていた。


 開戦以来。「済州島海戦」で打撃を与えたとはいえ、日本製艦艇の上にドイツ製及びアメリカ製艦艇で占められた中国海軍主力は、いまなお優勢を保っている日本海軍との正面決戦を避け、東北部は大連と、朝鮮半島北部東岸の元山といった主要港で未だ息を潜めている。


 その元山から昭和一四年三月一八日。一隻のドイツ製潜水艦が出撃した。


 アメリカ人の「お雇い」艦長の指揮の下、一ヶ月以上にもわたる作戦航海の末、日本海軍の厳重な対潜網を突破し潜水艦が向かった先は太平洋側の豊後水道。潜水艦の目標は、瀬戸内海の柱島に停泊する連合艦隊主力にあった。


 果たして四月二四日の夜間。潜水艦は攻撃を決行した。夜陰に乗じ、大胆にも浮上状態で放たれた魚雷は計六発。その内四発がこともあろうに連合艦隊旗艦「長門」に命中。二発が同型艦「陸奥」に命中した。


 その戦果は(敵側から見て)素晴らしいものだった。左舷の、それも中央部に四発の魚雷を食った「長門」は二箇所から三つに折れて着底。二発を受けた「陸奥」に至っては弾薬庫に引火し大爆発を起こして轟沈した。就役以来、対米暫減作戦の切札として建造され、日本海軍の艦隊決戦思想の重要な一翼を担ったド級戦艦二隻を、連合艦隊はたった一隻の潜水艦の攻撃により失ったのである。


 作戦後、急速に狭まる包囲網に離脱の不可能を悟った潜水艦は自沈。アメリカ人艦長以下四〇名の乗組員は退艦し上陸後速やかに投降した。その終わりもまた、後世にまで記されるであろう彼らの武勇談に花を添えるものでしかなく、国際社会の目の手前、素直に投降した彼らに過酷な処断を下すわけにもいかない。そして日本海軍は、彼らの武勇談を彩る無能な敵役でしかなかった。


 ……だがそれが、中華民国海軍が上げた最後の大戦果となった。




 ―――そして、昭和一四年の六月。


 『敵戦爆連合……東水道を南進中。各隊は直ちに出動。迎撃戦闘に当たられたし……』


 搭乗員の待機所と化した板付基地の講堂。読んでいた洋書を放り出し、ぼくはその日も愛機へと駆け出す。


 同じく待機所から一斉にエプロンへ駆ける搭乗員。その足の殆どが新品の九六艦戦四型へと向けられる。迎撃戦闘の際恒例となっている機体の取り合いは未だ続いていたが、外見からして酷使の跡の痛々しいグレートヒェンをわざわざ選ぶ物好きなど、もはやいるはずも無い。


 「天満は、機を換えないのか?」


 と、古谷中尉には何度も言われている。その度に、首を振って乗換えを固辞するぼくがいた。外見こそ古めかしさが隠せないグレートヒェンだが、未だに他のどの機よりも速く駆け高く上昇し、そして鋭く旋回する。彼女を手放すなど、罰が当たるとぼくは信じて疑わなかった。


 始動の始まっている機内。無線機の電源を入れる。少しの空電音に続き、落ち着いた感じの女性の声がレシーバーに入ってくる。


 『―――キツネよりカメへ。聞こえますか?』


 『―――カメ隊長よりキツネへ、感明共に良好。どうぞ?』


 間の抜けたような会話だが。その内容は結構重要だ。キツネとは佐世保の海軍防空司令部の別名であり、カメとは板付基地のことを指す。暗号名の多用は、無線交信を傍受しているであろう敵に混乱を誘い、基地や部隊を特定されることを防ぐための処置でもある。


 我が方の予想を超えた敵空軍の執拗な攻勢と、急速な無線通信網の普及は、紆余曲折こそあれごく短期間の内に、世界の空軍史上類を見ない独自の迎撃戦闘指揮機構を構築するまでに至っていた。これまでの地上監視所に加え、対馬海峡上空に進出した陸攻機による空域の監視と敵機の早期発見は、迅速な迎撃戦闘隊の対応を可能にし、陸攻からの情報に反映された迎撃隊の的確な布陣と投入は、侵入してくる敵機と効果的な時間に、効果的な位置から会敵することを可能としたのだ。


 ただ一つ誤算があったとすれば、無線を多用した指揮管制機構には、従来考えられていた以上に遥かに多くの人員を必要としたということだ。そこで白羽の矢が立ったのは、こうした機構に携わることが出来るだけの知性と教養があり、処理能力に秀でたうら若い女性達だった。海軍は軍属として女学校の学生や電話の交換手など、勤務に耐えうる女性を徴用し、実戦部隊との無線交信や指揮管制盤の操作等の後方勤務要員に充てたのである。


 ……それに、顔を見たことの無い女性と会話を交わすことは、若い搭乗員達にとっては楽しみの一つともなっていた。


 「司令部にはトビキリの美人が揃っているそうですよ」


 「そりゃあ、想像するだけなら誰でも美人だろう?」


 皆の会話に、古谷中尉はニヤリと笑った。


 「女はな、生娘よりもやっぱり玄人よ」


 地上で交わされた微笑ましい遣り取りを思い出しながら、レシーバーに飛び込んで来る無線交信に耳を傾ける。


 『―――カメは別命あるまで待機』


 『―――こちらカメ、了解』


 『―――早期警戒機より報告。敵編隊は三群より形成。第一群は爆撃機三〇。護衛戦闘機二〇と確認―――』


 以降、敵編隊の概要報告が続く。攻勢開始からすでに三ヶ月ほど。いくら墜としても、敵の数は一向に減らない。


 ……だが、その質は確実に落ちている。


 古谷中尉は言う。


 「敵さんも必死なのさ。飛行時間二〇〇ぐらいで実戦に出しているらしい」


 確かに空戦に入った時、そうとしか思えないほど稚拙な機動をする者。無理な操作に入れてあらぬ方向に飛んでいったり失速したりする者を敵編隊の中に見る頻度は増えていた。


 それに、半島と九州を隔てる四〇〇km以上という距離の壁! 航続距離一〇〇〇kmそこそこの戦闘機でそれほどの距離を空戦しながら往復するというのは、並大抵の技術、体力、精神力がなければできるものではない。そして傷付き帰路につく者にとってそれは敵機以上に難解な障害となって立ち塞がる。そして彼らには、途上で不時着するべき壱岐や対馬はなかった。


 こうした攻撃行の、帰路の途中で力尽き、洋上に不時着したり味方の基地に投降したりする敵機の数が増えたのもこの頃である。狂信的な反日思想の持主、こちらに対する敵愾心を露わにする者もまた当然いたが、彼らの大半が純朴な青年であり、勇敢な戦士だった。共に銀翼を連ねて飛べないこと、共に実りある未来について語り合えないことを、話をする機会を得る度にぼくらは互いに悔やんだものだ。


 ……そしてぼくは、ぼくらと彼らを別った戦争を憎む。


 無線に集中していた感覚を解き、ぼくは外へと視線を転じる。かつては飛行場の片隅にとってつけたように置かれていた対空機銃は、銀翼連なるエプロンから格納庫の屋根に至るまであらゆる場所で眼にするようになっていた。さらに基地の付近には、買収した田畑を潰した跡に高射砲陣地が展開している。


 敵の攻勢に晒され続ける九州北部の飛行場でも、比較的奥地にある板付基地はそれほどでもなかったが、離島や前面に展開する基地の中には断続的な空襲の結果、その機能の大半を喪失している場所もあった。敵空軍の継戦能力を殺ぐという中国空軍の目論みは、この時点では大方成功していたのである。だがそれも、我が方の抵抗を前に完全な制空権確保というまでには至ってはいなかった。


 『――――こちらタツ二中隊。玄海上空一一時下方に敵機を視認。只今より攻撃―――』


 『――――こちらトラ。援護する』


 無線機の向こうでは、戦闘は既に始まっている。抑えきれない武者震い。そんな中、空腹を感じる自分がいる……やれやれ、おれもここまで古狸になったか……空腹で飛び上がっても、空戦を経るだけでお腹いっぱいだった若い時分が懐かしい。


 『―――キツネよりカメへ。離陸を許可する―――』


 来た!……傍らの九六艦戦がぐっと前へ迫り出す。古谷中尉の機だ。ぼくも、間を置いてそれに続く。


 『―――キツネよりカメへ、福岡上空四〇〇〇で旋回待機』


 便利になったもので、最近では向こうで集合地点、待機場所、そして高度まで指定してくれる。古手の搭乗員からは「若年搭乗員の判断力練成を損なう」と否定的な意見が出ていたが、これはこれで操縦と戦闘以外に余計なことを考えずに済むので、ぼくには有難い。


 かつて、ぼくらは個々に独立した戦闘単位だった。一度戦闘に入るや編隊を解き、一機一機、群がり来る敵機を捕捉し、個々の判断と裁量でそれを撃破する。


 強大な武装と性能を持つ戦闘機は、まさに空に於いて、厳格な選別と錬成の末にぼくらが与えられた権利の象徴だった。


 そんなぼくらが、地上や空にいる誰かからの指図を受けて戦場の空を飛ぶことなど、これまで考えも付かないことだった。空戦から個人は消え、中隊単位の編隊空戦が全ての帰趨を決する重要な手段となった。無線の誘導に従って攻撃に有利な位置まで飛び、不利な位置にある敵機に射撃することだけが、ぼくらの任務となった。


 時代がぼくらにそれを強い、ぼくらは生き残るためにそれを粛々と受け容れている。司令部の指揮管制盤の上において、ぼくらは単なる一つの駒であり、数の一つでしかなくなっていた。



 ――――編隊は、福岡市街を眼下に上昇を続けていた。


 『―――――敵編隊第三陣の針路変更を確認。北九州方面へ向かう』


 早期警戒機はなおも戦闘空域に留まり、しっかりと敵編隊に追従して報告を送ってくる。見上げた勇気である。


 『―――キツネよりカメへ、敵編隊第三陣を迎撃せよ』


 『―――こちらカメ、了解。敵編隊の高度はどれくらいか?』


 『―――三〇〇〇』


 編隊は一斉に変針を始めた。高度ではこちらが有利だ。地上の路線に沿って七分ほど飛び、若松半島上空に達したときには、福岡、大分の各飛行場から発進した機はもとより、本州の徳山、防府から発進した戦闘機で空は既に埋め尽くされている。


 やがて、横隊を組み、響灘西方洋上を舐めるように飛んでくる敵機群を、ぼくらは視認した。


 その多くが、高速のSB―2。それを守るべき護衛戦闘機は、在り得ない位にはるか後方に置いて行かれている。対馬海峡を往復して空戦が可能な戦闘機を、敵は複葉で低速のホークしか持っていない。事前に為しておくべき爆撃機と戦闘機との空中集合を、敵は以前ならかなり巧くやっていたはずなのだが……そこまで、敵の腕は落ちている?


 すかさず、古谷中尉の指示が飛ぶ。


 『―――全機突撃、突撃せよ』


 機首をぐんと下げる。浅い角度ながら、その加速は凄まじい。加速に耐えかねる機体の立てる激しい振動に耐えてぼくらが捉えたのは、真正面から向かってくるSB―2爆撃機の一群。


 長く、過酷な戦闘経験はぼくらをして敵機の弱点を把握させるに十分な余裕を与えている。爆撃機を墜とすには正面、それも前上方から攻撃をかければいい。ぼくらが放った射弾は、相対速度もあいまって破格の威力を発揮し、敵の装甲を食い破る。


 中尉に続き、ぼくが放った射弾は、SBの右エンジンを貫いた。


 中尉の攻撃によりSBの主翼に火の玉が生まれ、続くぼくの攻撃によって火の玉はSBの主翼を引き裂いた。


 『―――いいぞ天満、もう一機エスべーを食ってやろう』


 加速の余韻を生かし一気に上昇に転じる機内で、ぼくはほくそ笑む。中尉は、空戦のときはいつも上機嫌だ。遊郭にでも来たかの様にはしゃぎまわる。


 宙返りの頂点から、ぼくらは再び敵編隊に突進する。そのときには、最初はナポレオン時代のイギリス軍の横隊行進のように整然とした爆撃編隊はその大半が突き崩され、食い付いた味方機を前にまた一機、もう一機と黒煙を吐かされている。それを守るべき敵戦闘機は、味方のはるか後方で他隊に進撃を阻まれ、華々しい空戦を繰り広げている。


 『―――古谷より黒田兵曹へ、西野兵曹の小隊と共同し、爆撃機攻撃に専念せよ。こちらは柴田兵曹の隊とともに他隊の援護に向かう』


 『―――こちら黒田。了解』


 ぼくとしてはもう苦笑するしかない。料亭で芸者を取り替えるかのように、中尉は戦う相手を選り好みする。そしてこういう時、中尉の選択は必ず巧くいくものなのだ。黒田兵曹もそれを知っているから、コックピットで苦笑してぼくらを送り出す。普通の指揮官の戦場における感覚が軍人としてのそれなら、うちの隊長の感覚はまさに目端の利く狩人か海賊の頭目のそれだった。


 低位を飛び、ぼくらは急上昇で空戦の環に突っ込んだ。


 『―――突っ込むだけだ。やつらを驚かせるだけでいい!』


 全くその通り。少しでも突っ込む素振りを見せれば、敵の方で勝手に驚いてあらぬ方向に飛び出してくれる。そこを、ぼくらは狙う。


 前方に滑り出た敵機に、眼前の中尉機が一連射を放った。微妙に撓った射弾と敵機の進行方向が交錯し、ホークは尾部から白煙を噴出しながら海面へと降下していく。必中の見越し射撃! それをぼくが間近に見たのはこれが初めてだった。


 ぼくもまた、一機のホークを追う。グレートヒェンはその快速を生かし、醜い姿のホークをみるみる追い詰めていく。急旋回に入ったホークを急降下から敵の死角にあたる後下方に占位して追い、さらに距離を詰める。


 主翼を左右に傾け、後背の敵機を確かめんとするホーク。その姿に、一抹の哀れさをぼくは感じる。それでも、躊躇いに行為が比例しないのが兵士の常だ。


 『―――天満っ! そいつを逃がすな』


 ガッテン承知っ!……とばかりに放った一連射は、ホークの胴体に幾つもの穴を穿ち、破片を撒き散らした。さらに接近して放った一連射で、操縦席の搭乗員が仰け反るのをぼくは見る。途端に、ホークは背面の姿勢から錐揉みに転じ、はるか下の海原に突っ込んでいく。


 一旋回、二旋回……そして上昇、下降。ぼくらが敵味方入り乱れる空域を飛びまわる内に、敵機は次々と撃墜されるか、空域を離脱するかの不遇な選択を迫られることとなる。時が経つにつれ、敵機の多くが後者に回る。そして空戦の環は次第に萎み、消えていく。


 『――――全機空戦やめ、集合、集合せよ』


 中尉の集合命令に従い、機位を水平に戻し海面に目を凝らすと、何時の間にか見慣れない機影が、海面スレスレを飛び回っているのに気付く。本州の岩国や九州の別府湾から発進した九一式飛行艇である。要請に応じて空戦域を飛び回り、洋上に不時着した搭乗員を拾い上げ、救出するのが彼らの任務だ。


 ここ数年間に渡って続く膨大な人的資源の消耗は、これまで攻撃兵器としての航空機を構成する一部品程度にしか搭乗員を見ていなかった海軍当局に、その認識を改めさせるのに十分な現実を目の当たりにさせていた。救難専門の飛行艇/水上機部隊の創設はその冷徹なる現実への対応策として具現化されたものだ。


 「戦闘機乗りが手を合わせて拝む救難隊」


 とはよく言ったもので、彼らは実戦に投入されるや否や大いに働き、重宝された。九州の沿岸海域から、半島南端に近い敵の制空圏内まで広範囲を彼らがカバーしているという事実に、ぼくら戦闘機搭乗員は士気を大いに高めたものだ。


 人間、やはり生きる望みがあるからこそ戦いに意義を見出すのだ。国のために戦って死ぬのは若者の特権と言う者があるが、それは違う。正確には、国のために戦って生きて還るのが若者の特権である。そして国家は、国のために戦わんとする若者に、明日への希望を提示する義務を負わねばならぬ。




 ―――帰路に付き、優位に進んだ空戦の余韻に浸りながら差し掛かった福岡上空。


 市街の一角から黒煙が上がっているのをぼくらは見た。目標の基地に達する前に爆撃を断念した敵機が、帰投する際に爆弾を落として行ったことを、還り着いた板付で知る。


 爆弾は市内の郵便局を直撃し、民間人からも死傷者が多数出たという。敵機を幾ら墜としたところで、肝心の国民を守れないという事実に、ぼくらの内面を重苦しいものが通り過ぎるのだった。


 だが……物事は何がどう転ぶかわからない。それが衝撃的な事件の引き金となることをぼくらが知るのに一週間も要しなかった。


 その翌日、廃墟と化した郵便局から一体の遺体が収容された。身元は小学校の教師というこの男のポケットに入っていた一冊のメモ帳が、全ての発端だった。


 そのメモ帳の内容に、市の特高警察は愕然とした。そこには、約二〇ページ分にわたって、日本国内の国府側への協力者の名が連ねられていたのである。その中には九州の防空作戦に関与する立場にある陸軍の高級士官から、本部勤務の憲兵隊将校。さらには有力な新聞社の幹部や時の首相の側近の名までが協力者として記されていた。


 特高警察の対応は早い。数日の内に内偵を終えた特高と憲兵隊の合同チームは、これら「内通者」を次々に捕縛、身柄を拘束し、彼らの供述からさらに内通組織の細胞を暴き出した。


 このような細胞は、これほど破綻した事実を見せ付けられても未だに自分たちの帰趨を揺るがせず、「大アジア主義」を唱え続けた国内の右翼団体、マスコミ及び官界の関係者、そして彼らと主義主張を共にする陸軍の少壮士官に集中していた。中には、自分が間諜に仕立て上げられたという自覚のないまま諜報活動に手を染めていた者もいたという。


 期を同じくして、発覚から一週間後の早朝。九州は陸軍の太刀洗飛行場から四機の九七式戦闘機が発進した。

 

 管制官の誰何にも応答せず、彼らが一目散に向かった先は、三〇〇kmを隔てた半島。元は韓国よりの亡命者三名。陸軍航空内部の内通者一名から為る編隊は、逃亡の傍ら、最新鋭の戦闘機を手土産に国府軍に帰順したのだ。


 偶然に発覚したこともあったが、この事件の衝撃は大きかった。敵側の間諜が我が国の細部に渡って浸透していることの明確なまでの表れだったからだ。身内から内通者を出した新聞社は国民の信頼を失って倒産し、同じく敵側の間諜を内包し、あまつさえ戦闘機を持って逃げられた陸軍に対する非難は一層強まり、もともと海軍びいきで知られる大元帥陛下すら、陸軍に対する隔意を露骨なまでに口にするようになったと聞く。


 その一方で、今期の戦役を一時的な紛争と捉え、戦後の大陸との国交再開を思い描いていた財界、陸軍、そして一部国民の大陸に対する憧憬にも似た感情は完全に消し飛んだのであった。今現在自分達が相手にしている国家が、亜細亜という地域において共生と連衡を目指すべき対象ではなく、和解の余地のない明確なる「敵」であることに、今更ながら皆が気付かされたのである。




 一連の事件の影響は我が隊にも及んできた。事もあろうに、蔡兵曹に憲兵隊から出頭命令が来たのだ。


 当然、皆は憤った。


 「陸助のやつら、身内から内通者が出たんで海軍うちにもいると思ってやがる」


 「思ってるんじゃない。連中、そう思いたいんだよ。蔡兵曹、一度連れて行かれたら簡単には帰れないぞ」


 赴任からすでに三ヶ月。蔡兵曹は部隊の中堅として、若年搭乗員の信頼を一身に集める存在となっていた。待機の最中、専門訓練を終えたての航空兵を前に、模型飛行機を持って空戦術の講義をする彼の姿。夜の宿舎で台湾での「武勇談」や猥談をやって皆の笑いを誘う彼の姿に、ぼくも暫し我を忘れ、目を細めたものだ。ある時、親しい航空兵が未帰還となり、整理した遺品に添えて丁重な手紙を遺族に書き送り、後で遺族が直にお礼を言いに基地に彼を訪ねて来たことさえある。


 「天満少尉殿。蔡兵曹は憲兵に連行されるのでありますか?」


 嫌疑の噂が立って以来、一人ならぬ数の少年航空兵がぼくのもとを訪ねてきては、思いつめたようにこう聞くのだった。ぼくはぼくで、


 「大丈夫、どうにかなるさ」


 と、言い含めるしかない。そのぼくもまた、蔡君の将来に対する底知れぬ不安が胸に溜まっていた。


 それでもこの間、時は平穏に過ぎた。出頭命令が出る度、古谷中尉はそれを握りつぶしていたのだ。


 「皆さんにご迷惑が掛かるといけませんので、自分は出頭しようと思います」


 と言った蔡兵曹を、中尉は怒鳴りつけた。


 「貴様馬鹿か? 貴様がいなくなったら俺の中隊はどうなる!?」


 「しかし……」


 「俺にだって考えがある。いいから任せておけ」


 そういう遣り取りがあった翌日。痺れを切らし、遂に憲兵隊長が基地に乗り込んできた。


 身内であれほどの不祥事が起こったのにも拘らず、憲兵は偉そうに、ノッシノッシと基地の敷地内を歩いてこちらへやってくる。それが、一層ぼくらの敵愾心を煽る結果に繋がる。連中はこれ見よがしに長い軍刀をぶら提げ、上腕には付けるだけで一階級上の扱いを受けられる「魔法の」腕章が光っている。


 指揮所に足を踏み入れたとき、開口一番、隊長は言った。


 「蔡兵曹をこちらに引渡してもらいたい」


 「我が隊には予備に堪え得る搭乗員がいない。蔡兵曹を引渡してこちらの防空網に穴が空けば貴様らの責任になるがそれでもいいのか?」


 「そんなことは我々の責務に関係ない。命令に従え」


 中尉は軍刀を掴み、立ち上がった。


 「現在、九州の制空権を一手に握っているのは誰であるか? それは我が海軍戦闘機隊であることは明白である。蔡兵曹は海軍戦闘機隊の重要な戦力であり、大元帥陛下と国家に対する忠誠も、並々ならぬものを持って日々の任務に精励している。それでも蔡兵曹の身柄が欲しくば骨にしてから渡す。それなら異存はないだろう?」


 反論しようとして、憲兵は口ごもった。


 何故なら何時の間にか、騒ぎを聞きつけた隊員。そして士官、下士官兵を問わず他隊の隊員まで駆けつけて彼ら招かれざる客を取り囲み、睨みつけていたからだ。その嶮しい眼光に、対象に対する好意など含まれていようはずもない。しかも、眼光の主は何れも空の死闘を潜った歴戦の勇士ばかり。


 「…………!」


 「……こちとら何時お呼びが掛かるか判らんのだ。さっさと決めねえか」


 憲兵達はお互いに顔を見合わせると、舌打ちと共にそそくさと退散してしまった。彼らが立ち去った後の指揮所を、歓呼の渦が覆ったのは言うまでもない。


 話は、それで沙汰止みになった。





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