兄、勇者
「ピ…ピギィィィィィィィィ!!」
スライムが悲鳴を上げ少しずつ溶け始める。
「す、スライムさんが溶けてる?」
「ということは成功したのでしょうか?」
佐奈とマリィが顔を見合わせて疑問符を浮かべる。
「消えましたね…」
「ええ、そうですね…」
スライムの姿は完全に干上がった。
行人はスライムが蒸発して完全に消えてからもその場をまったく動かずにただその場に立ち尽くしていた。
「兄さん…?」
行人はまったくその場から顔を上げようともしない。
「イクトさん?」
マリィの呼びかけにも行人は全く反応しない。一体どうしたというのだろうか。ふたりは少し不安になって顔を突き合わせる。
「イクトさんは一体どうしたんでしょう?」
「多分兄さんは勝利に酔いしれているんですよ。」
「そ、そうですよね。」
「あ、あれ…?小刻みに肩が震えてる?」
「き、きっと笑いをこらえてるんですよっ。」
「そ、そうですよね。」
そしてふたりは行人のアクションを待つことにした。
そして5分が経過したころだろうか。行人は二人に背中を向けたまま口を開いた。
「佐奈…マリィ…」
「はい、なんですか。兄さん?」
「なんでしょう、イクトさん?」
行人は振り返りこういった。
「勇者というのはここまで辛いジョブなのだろうか…?」
行人は目頭を押さえ鼻をすすりながら二人に言った。
「兄さん…まさか…」
佐奈は何かを悟ったかのように口を開く。
「スライムさんを倒してしまったことを心に病んでますか?」
「病むに決まっているだろう…!!俺がこの手で…この手でスライムさんの尊い命を奪ってしまったんだぞ!!」
「い、イクトさん…」
マリィも行人と同じように顔を覆う。
「兄さん、私たちが生きるために必要な死だってあるんですよ?そういった死を悼むのは決して悪くないと思うんですが、いちいち下を向いていては失われた命が報われません。私たちはスライムさんの分まで…強く…たくましく生きていかなくてはならないんです。」
佐奈は自分含め全員に言い聞かせるように言った。
「さ、佐奈…」
「ね?兄さん。顔を上げてください?」
佐奈は優しい声音で行人に語りかける。
「ああ、分かった…」
行人は顔をごしごしと拭い、顔を上げた。少し目が赤いが表情は明るかった。
「俺はスライムさんの死を無駄にしないように生きて見せるぞ。」
「はい、それでこそ私の大好きな兄さんです。」
「あの、イクトさんにサナさん。これって…」
マリィの指さした先には少しべたっとした薬が落ちていた。
「こ…これは…」
「スライムさんの遺品だろうか…?」
「そう、かもしれないですね…」
「これは持っていくべき…なのだろうか…」
「どうなんでしょう?」
「スライムさんの死を忘れないという意味で持って言った方がいいんじゃないでしょうか?」
三人は謎の薬を見つめながら会話を続ける。いや、薬と呼べるかもよくわからないべたっとした小ビンに入っている青い液体だ。そう、べたっとした小ビンに…
「佐奈、マリィ…俺はいま改めて痛感したよ…」
行人は一拍置いて口を開いた。
「こんなべたべたな薬をどうどうとポケットにしまい、戦闘に使用し、さらには商人に売ろうとする勇者は…本当にすごいな…」
二人は無言で首肯した。
「で、でも凄いですよイクトさん!!スライムさんを倒しちゃうなんて!!」
マリィは話を変える様に明るく切りだす。
「村に言い伝えがあるんです。『この世界に災厄が降りかかるとき、希望の光となる戦士が姿を現すだろう。』って。きっとお二人のことですよ!!」
「「は?」」
ふたりは素っ頓狂な声を上げる。
「だってスライムさんを倒したんですよ!!お二人が希望の光となる戦士に違いないです!!」
「や、そんなことないですよ。」
佐奈がやんわりと否定するがマリィはすでに聞く耳を持っておらず目を輝かせながら続ける。
「お、お二人に合ってほしい人がいるんです!!ぜひ村までご同行願えますか?」
「まぁ、草原に残されても困るし構わないですけど。」
「ありがとうございます!!」
「待ってくれ。」
行人が唐突に口を開く。
「は、はい。なんでしょう?」
マリィは行人に気圧されたように恐る恐る問う。
「誰がこのべたっとした薬を持って村まで行くんだ?」
草原にしばらくぶりの静寂が訪れた。