兄、出合
「さて…スライムさんはやんちゃだが仲間になる気はあるようだ。」
行人は殴られたほほを抑えながら佐奈に向かって明るく話す。
「兄さん、そのポジティブさを現実で活かしましょうよ…」
佐奈は額を抑えて行人に応える。
先程行人を殴ってからはスライムは再び二人を見つめるだけだった。
「しかし困った…文房具以外こちらは丸腰だ。初期装備と言えど勇者は何かしらの武器、皮の服程度は身につけている。それでやっと普通に戦える相手に丸腰で勝てるだろうか…」
行人の疑問はまっとうである。いくらスライムとはいえど村人程度のキャラクターは倒せないのである。
「ですが兄さん、スライムですよ?何も知らない初心者の時の冒険者が戦うコマンドだけで倒せるスライムですよ?」
佐奈は当然の如く異論を唱える。
「いや、スライムさんは十分に強い。本来ならゲル状の物体が生命を持っているのだから窒息なり締め付けなり戦い方はあるのだろう。しかしそれは全てロトをはじめとするあまたの勇者たちの前での利用を禁止された。何故だと思う、佐奈?」
行人は佐奈に答えを求める様に問いかける。
「いいえ、まったくもって兄さんが何を言いたいのか理解できません。」
佐奈の答えに満足したのか行人は嬉しそうに口を開く。
「じゃあ、何故そんな勇者たちがいともたやすく倒せるスライムさんを村人は倒せないんだと思う?」
佐奈は頭の中で思案を巡らせ一つの答えにたどり着く。
「勇者相手の時とは違う戦い方をしているからですか?」
「ご明察。つまりスライムさんは勇者の前では本来持っている力を発揮させてもらえないがそれ以外では存分に強さを発揮しているんじゃないか?」
行人は探偵よろしく一つ一つ佐奈の疑問を解いていく。佐奈もRPGという既存の概念を持ち合わせているため行人の説明に感心し納得した。
「そ、そうかもしれません…」
佐奈は驚きそれしか口に出来なかった。
「じゃあこう考えてみよう。俺たちはこの場合勇者か否か。」
「勇者じゃ…ないです。」
そして行人と佐奈はついに結論へとたどり着く。
「そう、俺たちは勇者ではない。ならばスライムさんは思いきり力を発揮してくる。そんなスライムさんの本気を初期の勇者よりも軽装備な俺たちが倒せると思うか?」
しばしの静寂の後佐奈が恐る恐る口を開く。
「じゃ、じゃあどのくらい強いかコレ投げてたしかめてみますね。」
佐奈は自分の持ち合わせる最強の武器。カバーをかけないで放置していると筆箱を貫通してしまうほどの鋭利さを持つ文房具、コンパスを構える。
「ああ、やってみてくれ。俺もスライムさんの能力を把握したい。」
行人の返事に佐奈は頷きコンパスを振りかぶる。
「ま、待て。佐奈。」
「ふぇ…?どうしたんです?」
不意を突かれた佐奈は表紙の抜けた返事をする。
「いや、兄としては誰も見ていなくてもこんな大っぴらなところで愛する妹にパンツを晒してほしくないわけでだな…ジャージでなら許可しよう。しかしよく考えるんだ。お前はいまスカートだ。よって兄としてはピッチングフォームをとることを許可できん。」
行人は真剣に…最早兄というより父親のような事を言う。
「わかりました。兄さんがそこまで言うのなら控え目に投げます。でもね、兄さん。」
佐奈は渋々納得したが何か付け足そうとする。
「なんだ?」
少しの間をおいて佐奈は照れくさそうに顔を赤らめながら呟く。
「兄さんがどうしてもっていうのであれば…は、裸も見せてあげていいんですよ?」
その瞬間行人は全身にフリーズした。
言い忘れていたが大川佐奈は他に類をみないほど重度のブラコンである。
「わかった、まず精神科に行こう。その次に脳外科だ。大丈夫、俺に任せておけ。世界最高の医師の力を借りてお前の頭を直してやるからな。」
行人は妹の将来を心の底から不安に思った。果たして佐奈は無事に結婚できるのだろうか…行人は死ぬ前にやらなくてはいけない事を発見した。
「別に頭は問題ないですよ。それじゃあ投げますね。」
佐奈は何もなかったかのようにコンパスをスライムめがけて一直線に投げ込む。
ビュオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!
轟音とともにコンパスがスライムに飛んでいき…
ボヨン
スライムにはじかれた。
「兄さん、分かったことが一つあります。」
佐奈はスライムを見つめたまま行人に呟く。
「どうした?佐奈…」
行人も決してスライムから目をそらさずに返す。
「スライムさんものすごい強いです。」
「ああ、そうだな。逃げるか?」
「それが得策ですね。」
ふたりは呼吸を合わせて一気にスライムとは逆方向に走り出す。
しかしスライムも瞬時にそれを追いかけてくる。
「スライムさん速っ!!」
「あ、あの速さ反則ですよ!!勇者以外の相手にどんだけ強いんですか!?」
スライムはふたりの背後をぴったりとマークする。
「きゃ…!」
「佐奈!?」
佐奈が足を滑らせ倒れてしまう。そこにスライムが飛びかかろうとした瞬間
『走れっ!!閃光の刃よ!!』
少女の声とともに一筋の光がスライムに降り注いだ。
「ピ、ピギー!!」
スライムは光をもろに食らいその場に倒れた。
「大丈夫か、佐奈!?」
行人は我に返ったように佐奈のもとへと駆け寄る。
「大丈夫です。それよりさっきの光は?」
「だ、大丈夫ですか!?」
一人の少女が少し離れた所から走ってきた。
白いローブに樫の杖。フードに覆われたあどけない顔。典型的な白魔術師を彷彿とさせるような少女だった。
「貴女は?」
佐奈が立ち上がって少女に問いかける。
「私は、マリィと言って村の教会でシスターをしているものです。お二人は見ない格好ですがどちらの方ですか?」
マリィと名乗った少女はふたりに聞き返す。
「ああ、俺たちは旅をしているんだ。俺は行人、こっちは佐奈。」
こういう時の行人の頭の回転は速く、佐奈はいつも感心させられる。
「イクトさんにサナさんですか。よろしくお願いします。」
マリィは深々と頭を下げる。つられて佐奈も深々と頭を下げる。
行人はスライムの亡骸を天に見送ろうと振り返り…固まった…
「お、おい…佐奈…」
「どうしたんです?兄さん。」
「スライムさんが…」
「スライムさんならさっきマリィさんが倒したじゃないですか。」
佐奈は行人が何に驚いたのか気にもせずに返す。
「違う、スライムさんが…」
「スライムさんがどうしたんですか?」
佐奈はあきれたように行人に問う。
すると少しの間をおいて行人がスライムを指さして呟く。
「スライムさんがものすごく怒っているように見えるのは俺だけだろうか?」
行人の指さした先には…
先程までと比べられないような険しい表情のままこちらを見つめるスライムだった。