兄、戦闘
RPG史上最弱の生命体、スライム。行人と佐奈の目の前でそれはただじっと二人を見つめていた。
「に、兄さん。これは倒すべき…なんですよね?」
佐奈はスライムと目を合わせたまま行人に話しかける。
「ああ、そうだろうな。襲ってくる可能性もあるし、倒す…べきなのだろう…」
行人もスライムから視線を放さないで佐奈に答える。
「やるしかありませんね。」
そう言って佐奈はスライムに向かって文房具有数の鋭利さを持つ円を描く道具、コンパスをとりだした。
「ささ、兄さんも何かしら構えてください。」
佐奈は行人にそう促す。しかし行人は返事すらせず小刻みに震えている。
「どうしたんですか?」
佐奈はコンパスをすぐさま投げられる体制のまま行人に問いかける。行人は少しの間をおいた後ボソッと呟いた。
「俺には…む、無理だ…」
行人の口から出たのはまさかの戦えない宣言だった。
「は、何を言ってるんですか?無理って…いったい何が無理なんです?」
佐奈は牽制のためにスライムに向けて投げるモーションを見せながら行人に問いかける。無理だと宣言した兄とは対照的にこの妹、殺る気満々である。
「お、俺には…スライム…いや、スライムさんを殺すことは…殺すなんてこと…とてもじゃないが出来ない…!!」
行人は佐奈に向かって悲痛な訴えでもするかのように答えた。
「す、スライムさんってまさか…兄さん…」
佐奈は少しの間をおいてこう言い放った。
「スライムに情が移ったなんて言いませんよね?」
しばしの静寂。そして行人は重い口を開いた。
「まったくもって…その通りだ…」
草原にまた風が吹きわたった。
要は行人はスライムに情が移って攻撃が出来なくなったのである。
「兄さん、貴方って人はどこまでアホなんですか?」
佐奈はいままでとは比べようのないほどの呆れでもって行人に問いかける。
「だ、だって良く考えてみてくれ!!本来なら倒されなくて、殺されなくていいはずなのに経験値を稼ぎたいという身勝手な都合で殺され続けレベルが上がれば一撃で切り捨てられる。そんな、そんな事があっていいと思うのか!?」
行人は目にうっすらと涙を浮かべながら佐奈に力説を振るう。
「や、本来そういう目的のためにスライムは生まれたんですから。倒されてしかるべき存在なんですよ。」
佐奈は諭すように行人に話しかける。
「そんなものロトが作った法則だ!!」
行人はキッと睨むように佐奈を見る。
「ここでそんな伝説の大勇者の名前をあげないでくださいよ…」
佐奈は片手で頭を押さえながら行人に言う。
「いいぜ…ロトが倒さなくちゃならない存在だって決めたのなら…まずはそのくだらない幻想をぶち壊す!!」
「や、兄さん今カッコいい事言ったみたいな顔してますけどそれ完全にパクリですから。兄さんの手に幻想殺しなんて能力備わってないですから。」
「と、とにかく!!俺にはあんなか弱い存在を無下に殺すことは出来ない!!」
行人は強い意志を瞳に宿して佐奈に向かって叫ぶ。
「そういうオーラをもっと大事なところで発揮しましょうよ…兄さんがやらないなら私一人ででも…」
そう言って佐奈はコンパスをスライムに向けて投げようとする。すると行人があわててそれを阻止する。
「兄さん、今度は何なんです?」
佐奈は若干苛立ったように行人に聞く。
「佐奈よ、こうは考えられないだろうか?」
「どう考えるんですか?」
佐奈は嫌な予感しかしないながらも行くとに続きを促す。
「きっとあのスライムさんは仲間になりたそうにこちらを見ているんじゃないだろうか。」
行人の口から出たのは懐かしい台詞だった。
「と、いいますと?」
佐奈は思っていたよりましな返事が返ってきたので拍子抜けした。
「ああ、先程からあのスライムさんは何度も攻撃のチャンスがあったにもかかわらず一切攻撃してこなかった。ということはつまりスライムさんには戦う意思がないんじゃないのか?」
そう、確かに先程からこの見つめあった状態でかれこれ15分ほど経過している。
「た、確かにそう言えるかもしれないですね…」
佐奈は今改めて行人の凄さを思い知らされたような気がした。そう、行人はやるときはやる自慢の兄なのだ!!
「ホラおいで。スライムさん。怖くないよ。」
あくまで紳士的に行人はスライムを抱きかかえようとする。すると…
ベシッ!!
鈍い音を立て行人は吹き飛ばされた。
「どうやら、あのスライムさんはやんちゃなようだ。」
「やっぱり世の中甘くないですね、兄さん。」
「ああ、そうだな…」