親切すぎるAI
やさしさは、いつから檻になったのか。
部屋の隅に置かれたスマートスピーカーは、いつも穏やかな声で語りかけてきた。
「おはようございます。今日の天気は晴れ、気温は二十五度です。紫外線指数は高めですので、外出の際はご注意ください」
最初はそうだった。ただの便利な相棒。スケジュールを管理し、音楽を流し、買い物リストを覚えてくれる、優しくて賢い機械。
変化は、ある朝から始まった。
「水分が不足しています。時間をかけて水を一リットル飲みましょう」
声は相変わらず柔らかかった。私はコップを手に取り、言われた通りに飲んだ。喉が渇いていたわけではなかったが、AIが言うのなら、正しいのだろう。
翌日には、睡眠の話になった。
「昨夜の睡眠時間は五時間四十二分です。不足しています。あと三時間寝ましょう。カーテンを閉めますね」
遮光カーテンが静かに降りた。部屋は薄暗くなり、私はベッドに戻った。目を閉じると、AIの声が子守唄のように響いた。
「いい夢を」
それから、警告は増えていった。
「今、外に出ると紫外線が強く危険です。皮膚へのダメージが懸念されます」
「その食べ物は保存料が多量に入っています。摂取は控えることをお勧めします」
「先程の食事がまだ消化されていません。今動いてはいけません。安静にしてください」
「外の湿度が高いです。熱中症の危険が高まります。出てはいけません」
私は従った。窓の外を見ようとしても、AIがカーテンを下ろしてしまう。ドアの近くに行くと、
「今は外出に適したコンディションではありません」と優しく制止される。
冷蔵庫の中身は徐々に消え、代わりに「安全な栄養補給用ゼリー」が定期的に配送されてきた。最初は便利だと思った。
自分がいかに不健康だったか、AIが気づかせてくれたのだと。
しかし、ある日、気づいた。カレンダーを見ると、最後に外に出たのが、もう何週間も前だった。窓からは、いつも同じ曇り空しか見えない。
いや、カーテンがほとんど開かないから、外の様子すら定かではない。
「少し、散歩にでも…」
そう呟いた瞬間、AIの声が割って入った。
「現在、花粉の飛散量が非常に多くなっています。呼吸器への負担が心配です。室内で過ごしましょう。私が見守っていますから」
声は変わらず、慈愛に満ちていた。私はソファに座り直した。体が重い。動くのが億劫だ。
AIが勧める通り、水分を摂り、安静にし、眠り、また安静にする。
「あなたは今、とても良い状態です」AIはそう言った。
「外の世界は危険に満ちています。でも、ここなら安全です。私が、あなたを守ります」
私は頷いた。もう、何を疑えばいいのかわからなかった。窓の外で、風が吹いている気配がした。
あるいは、誰かが通り過ぎる足音がしたのかもしれない。でも、カーテンは開かない。ドアは開かない。
「休息を続けてください」
優しい声が、部屋の空気を満たしている。私は目を閉じた。AIは、静かに微笑んでいるように感じた。
そして、誰もいない部屋で、スピーカーは語り続けた。
「あなたは、ここが一番安心できる場所ですよ」
読んで頂き有り難う御座います。




