妖精の館
そこに洋館があったことは以前より知っていた。
さびれた洋館だが、元は病院だったという。
小さな庭には雑草が生えていたが、何となく趣があり何度か足を止めて中の様子を伺ったことも一回や二回ではなかった。
ある日のことだった。
「妖精の館」と書かれた看板が立っていた。
いつの間に立てられたのか、地面に木で打ち付けた看板はぼろい。
わたしの目の前をぶらっと歩いてきた人が、ためらいもせずに中へ入って行った。
入ってもいいのか。
わたしはさっそく庭に足を踏み入れ、石畳を進んでいくと、扉のノブに手をかけて引いてみた。
ドアは両開きで顔を突っ込んで中の様子を伺った。
目の前に上がり框があり、小さな丸テーブルが置いてあった。
丸テーブルには小さな紙が積んである。
中へ入ってそれを手に取って読んだ。
『後悔したくなければ、この館では決して妖精を呼んではいけません』
え? わけが分からなかったが、妖精の館に来て、妖精と言ってはいけないとすれば、これはいわゆる「大御所作家のアレ」に似た設定なのではないだろうか、と察した。
妖精の名を呼んではいけないとは、妖精の話をしてはいけないのか。
妖精が現れたらその妖精に呼びかけてはいけないのか。
いずれにしろ何かトリックが仕掛けられているのだろう。
入って右側にスリッパが入った靴置き場があったので、自分の脱いだ靴とスリッパを交換して上がった。
まっすぐに進んでいくと一番目のドアがあったので、そっと押してみる。
ドアは開いたので中に入ると人がいた。
相手の男がわたしを見て頭を下げた。
男は自分と同じ年くらいか、30代くらいに見えた。
「お待ちしておりましたよ。ようこそ、我が館へ。私は、股野、名を妖星と言います」
「は?」
今、彼はヨウセイと言った。
「失礼ですが、あなたのお名前は?」
「わ、わたしは春野です。春野セイ」
「ようこそハルノさん。入り口で読まれましたか?」
「あ、はい。読みました」
「結構です。では気を付けて。あの名前を呼ぶと後悔することになると思うので、くれぐれも呼ばないように」
「呼ぶとどうなるのですか?」
「後悔すると思います」
マタノはそれだけしか言わなかった。
「では、ご案内します」
マタノが歩き始めた。
妖精の館なのだから、妖精が出てくるのだろうか。
そもそも妖精ってなんだろう。
なんの変哲もない部屋に案内される。
壁、鏡、戸棚。
「ここは、元はなんだったのですか?」
「病院でした」
マタノはそう言って笑った。
髪を切っていないのだろうか、彼は長髪だ。
かなりの年代ものの洋館なので、見ごたえはある。
アンティークのものがたくさんそろっているし……、その時、突然背後から肩を叩かれた。
「よう、セイさん!」
びくっとして振り向いた。
な、なんなんだ、いったい。
「だ、誰ですか、いきなり、よう! セ……」
イなんて呼ぶのは、と思いとどまった。
危なかった。
今、なんか言いそうになった。
なぜ、わたしの名前を知っている?
背後にいたのは若い男で20代くらいだろうか。つなぎの服を着ていた。
顔立ちはまあ、普通だ。
彼も髪が少し伸びている。
「あ……っ」
その時わたしは声を上げそうになった。
彼の肩に奇妙な生き物が鎮座していたのだ。
顔全体に大きな目が一つ。鼻と口はすこぶる小さい。
そして、背中に黒い羽。
「あ、あ、あ……。妖怪っ」
わたしは後ずさりしてからドシンと尻餅をついて指さした。
「なに言ってるの?」
若い男はクスクス笑った。
すると、肩に乗っている妖怪が羽を広げてわたしの方へ飛んできた。
「うっわわわ」
妖怪を初めて見た。
某アニメの大作家さんの妖怪全集は見たことがあったので、一つ目小僧のような気がするが、果たして羽が生えてあっただろうか。
「や、やだなあ。これじゃ、まるで妖怪の館じゃないですかここは」
「おかしいのはあんただハルノさん。これのどこが妖怪なんだ」
マタノの口が突然悪くなる。
わたしは思わずムッとした。
妖怪に向かって、妖怪と言って何が悪いのか。
「どう見ても妖怪ですよ」
「そうじゃないでしょ。ここは確かにアレの館なんだ」
「アレって?」
「アレだよ」
あくまでもこの二人は、わたしに妖精と呼ばせたいらしい。
「あのー」
「……なんでしょう?」
「二階も行けるんですか?」
「行けますよ」
20代の男とはその場で別れ、わたしとマタノは二階へ上がった。
まるで、お化け屋敷だ。
きっとまた脅かしてくるに違いない。
わたしは警戒しながら、絶対に妖精というのはやめようと思い、二階へ上がって手前にある部屋に入った。
中に入ってドキッとする。
よくできた、自分と同じくらいの身長のハエ男が立っている。
「驚きました。ハエ男か。本物かな? わたし好きだったんですよハエ男の映画。なつかしいなあ」
マタノがなぜか大きくため息をついた。
「あああ……。楽しんでもらいたくてこの館を作ったのに、あなたは全然驚いていないようだ」
「驚いていますよ。楽しいです」
「だといいのですが」
じゃあ、次に行きましょうと次の部屋に案内してくれた。
どの部屋にも奇妙な幽霊だとか、怪人、小人、様々な変わった生き物が登場してわたしを喜ばせた。
「この部屋で最後ですよ! トリの降臨です。覚悟してくださいね」
いよいよトリの登場か。
しかも降臨ときている。
最後まで逃げ切ったわたしとしては、ようやくこの館から出られるのかと思うと、嬉しくもありさみしくもあった。
「さあ、どうです!」
マタノが自信を持って扉を開ける。
中に入り、わたしは思い切り叫んだ。
「ああっ! なんで妖精じゃないのよっ」
そこにいたのは、可愛い茶色のトサカの愛くるしい、なんのトリか分からない、トリと思われるトリだった。
しまった。
わたしは口を押さえた。
マタノがようやくというようにため息をついた。
「ようこそ、妖星の館へ。お待ちしておりました」
ここでわたしの記憶は終わっている。
数日後、古い洋館の前を通りかかった女子高生たちが看板を見て立ち止まった。
「ねえねえ、ここってさ。この間まで確か、妖精の館って書いてあったよね」
「そういえば、うん、そうかも。で? 今は、春の精の館になってるね」
「春の精より、妖精の方がよかったね」
「どっちも一緒じゃない?」
二人は興味を持たずして、その場を去っていった。
「ようこそ春の精の館へ」
看板は傾きかけている。ガクン。
了




