4話
街中を防護服を着て歩いている人達を見掛けると、非日常にいる気がしてこの光景にまだ慣れない。だが、男にとっては男として生きる選択肢があって当然の権利だった。だから、誰も文句は言わない。そのほとんどは同情からだった。
一方で女性の権利を主張してきた活動家はこの事態に男に天罰が下されたと表現した。だが、それがまずかった。今や男性は優位な立場とは言えない。その状況でしかも死者さえ出ているというのに、配慮の欠けた発言はむしろ逆効果に作用した。その活動家は世界中から批判を浴び、直ぐ様訂正したが炎上はおさまりそうになかった。そもそもこれは天罰なのだろうか? 男が女化したら助かる時点で男は女になることが天罰ということなのか? それは違う気がする。ニュースでは既に出産した子が男だった場合、女化させるという昔なら衝撃的なことが実際既に行われ始めていた。だが、当然そうなれば男として生まれた筈の子は女化され育つことになるが精神と肉体とのズレは生じるだろう。その時、苦痛を感じる筈だ。精神は男だと思っても肉体が女になっているのだから。
どうして、肉体と精神が分離するのか。しかし、それはやりたくないことも仕事でやらなきゃいけない時、精神は肉体に命令したり、肉体が限界を訴えてもスポーツの競技で精神はそれ以上の命令を訴え、それ以上を発揮したいからだ。だから肉体と精神の関係は単に性だけに限らず分かれている。だが、それは時に悩みの種にもなる。それは病気や障害で肉体が精神の思い通りにいかない時とか。
介護を必要とする利用者達もまた肉体を主に悩みを持っている。今まで出来たことが出来なくなる辛さや、これから先の不安を常に持っている。ADLを落とさないようリハビリを頑張っても、悪い方ばかり気にしてしまう。その時、職員の声に励まされ利用者はやる気を取り戻し、小さな目標から達成を増やしモチベーションを上げていくことで肉体の回復を、向上を目指していく。
介護とは、とても重要で難しく、しかし必要とされる職だと思う。
だから私は今の仕事に誇りを持っている。
そんな介護の施設に休みなどない。それはどんな天候であれだ。外が強い風を吹きつけようと、職員は出勤に向かう。川が氾濫し命の危険に晒されるような事態でない限り、寒かろうと玄関の扉を開けて極寒の中車へ猛ダッシュしなければならない。特に早番は地獄だ。まだ、空が暗い中車を走らせるのだから。ほとんど通り過ぎる車はいない。いたとしてもそれは恐らく仕事へ向かう車だろう。その時間帯、この田舎では営業している店はない。
そしてこの寒くなる時期、利用者の体調不良が起きやすくなる。元気だった方が急にレベルが落ちたりすることがある。
昨日も、ソフィア、85歳、女性で、日常生活は車椅子、立ち上がりは可能で日中は歩行訓練を行い歩ける距離を伸ばせるよう励んでおり、家族との外出を楽しみにされている方がいるのだが、その方が急に顔色が悪くなったのだ。
いつ、どんな時に体調に変化が起きるのか分からない。その為、ちょっとした変化でも見逃さず職員間で連絡を取り合う必要がある。
朝、時計の針は7時より前をさしている。既にそこには同じ早番のエマがいた。ソフィアは居室で薬を飲んでからはずっと寝ているが、今日一日も居室での対応となるだろう。
ソフィアはいつも機能訓練の時に大変そうにしながら重力さえなければねぇ、と言っていた。恐らく、宇宙関連のニュースになったのを観てそう言ったのであろう。だからエマは冗談で重力が無いなら体重を気にしなくていいですね、と返した。それを聞いていたサラは笑った。ソフィアはエマを見て、あんたそもそも体重気にするような体じゃないだろと返した。それはその通りだと思った。エマはモデルのような細さをしていたからだ。
ソフィアはどの職員、利用者とも関係は良かった。だから他の利用者もソフィアが寝込んでいることに心配していた。
施設には医者はいない。外部から来てもらうか、緊急の場合は救急搬送の対応となる。ソフィアの場合、電話で医師とのやりとりで指示を受けるかたちでの対応となっている。
今のところバイタル的に血圧は平均的、酸素飽和度も問題はなかった。発熱はあるものの40℃を越える程ではなかった。解熱と炎症をおさえる薬等とクーリング対応をしている。
「今日、新しい人が来るんだったよね?」
エマに訊かれたサラは頷いた。
「そう。病院からここに午前中に来ることになってる」
「今日は忙しくなりそうね」
エマの言う通り、この日の一日は忙しかった。
予定通り10時に来た新入所は一度全身チェックが行われた。だが、その時にその方の臀部の褥瘡が酷いもので、深刻だった。
介護職は集まり対応を協議した。主任はまず、除圧を徹底するよう指示を出した。除圧というのは臥床時のポジショニングのことで、体位交換する際の姿勢にクッション等を使用して圧を分散させたりして、一箇所に圧が集中したり長時間同じ箇所に圧がかからないようにするという意味だ。その際、クッション等のアイテムが多すぎては時間がかかり過ぎてしまい、逆にアイテムが少なすぎると圧の分散、除圧が不十分になったりする。また、その人に合った体位もあり、円背なのか、どういった姿勢なのか、拘縮はあるのかでも対応が変わり、皆同じようにはならない。今回、新入所の方は既に足に拘縮が起きていた。恐らく病院ではちゃんとしたポジショニングが行われてこなかった可能性がある。まずはマッサージをしながら足を徐々に伸ばせていけるよう足にクッションをあて、臀部の除圧を徹底する。上半身にも勿論クッションを当てる。
また、この方は自分では寝返りが難しい為、職員が行うこととなる。離床時はリクライニング式の車椅子を使用。長時間の同じ姿勢にならないよう離床、臥床時間を考えたりする。
姿勢だけでもそれだけ考えることが沢山あるということだ。だからこそ体力だけでなく頭も使う。
そもそも介護というのは正解がないと言われるがその通りだと思う。だからこそ難しく、手探りな部分がある。そこに最近はエビデンスや科学的であるかという専門性が問われ、より介護の求める素質があがっている。
しかし、その大変さに見合った給料かというとそうではないのがだいたいだ。体力的にも精神的にも辛く辞めていく人は多い。また、そういったイメージのことから介護を目指そうとする人材は常に不足状態。そうすると求人を出しても人が来ない為に人手不足は解消されず結果辞める人が出ての悪循環に陥りやすい。
サラがいる職場は10月まではギリギリ人員が足りていた。しかし、新年を迎える前になって、これまでいた男性職員が退職され、人員は人手不足に陥っていた。実のところそれは他の施設も同様で、当然介護業界全体に限った話ではなかった。
男性を失った社会は混乱し、とても良い兆しが見えそうになかった。それは例えるなら宇宙の暗闇のように未来は暗いと言えた。
◇◆◇◆◇
新年が訪れた。女性達はお祝いムードだが、そこに男性達の姿はなかった。
都会や他の街では防護服を着ている男性の姿がちらほら見られたが、新年を迎えてからその姿はパタリと見えなくなった。女性達はその男達がいったいどこへ消えたのか、一部は調査にあたり始めた。最初は森や山だった。だが、森にいたのは動物や虫や植物だけで、男の姿はなかった。各地の山の頂上に登った登山家達も道中男達に遭遇することはなかった。では、男達はどこへ消えてしまわれたのか。
女達は次に地下シェルターの可能性を考えた。あり得る話だ。巨大なシェルターがあって、そこには備蓄が山程ある。足りなければ防護服を着て地上にあがる。地下都市みたいな暮らしを男達は送っているのではないのかと。そこで、シェルターを探し始めた。女性にとってとにかく男達が無事であることを確認したかった。
だが、各地のシェルターを手当たり次第探し回ってみてもシェルター内部に男達の姿はなかった。とりあえず、白骨遺体がなかっただけまだ良かった。ただ、こうなると男達はどこへ忽然と消えたというのか。それもアメリカに留まらず全ての国でそうなのだ。だから一箇所という筈はない。それに例えば防護服を着た集団が例えば空港に現れれば誰でも気がつく。つまり、集団が大移動すれば必ずその痕跡は残る。しかし、交通機関でそういったどこかへ大移動していたという情報はなかった。だからこそ皆はどうなっているのかと不思議がった。
実は秘密の地下通路があり、男達はその秘密のルートで大移動していた、そんな事実がない限り痕跡を残さないというのはあり得ないだろう。
男はどこへ消えた?
このタイトルが新聞のタイトルに使われた。また、アガサ・クリスティの名作タイトルをいじり「男はそして誰もいなくなった」とトレンド入りした。
この神隠しのような事件は冬が終わるまで謎のまま続いた。
そして、冬が明けた時、雪解けのように謎が解かれ始めるのだった。