2話
あの日は真夏というわけでもないのにやけに太陽が照りつけていた。雲もない快晴に紺碧色の海。少し暑すぎると感じた。温暖化による影響なのだろうかと思った。でも、風はあったので冷たい風と太陽で丁度良かったかもしれない。そんな日に起こった悲劇は何の変哲もない学生時代の第一章が突然終わり、第二章が始まる瞬間だった。それはダイナミックで破壊的で恐ろしいものだった。それでもバッドエンドではなかった。二章があるなら、物語は終わらずまだ続いていく。
あの日何が起こったのか。それを説明するのは難しい。何故なら、何が起こったのか誰もまだ理解出来ていないからだ。二年経ったというのに…… 。ただ、あの異変はどうもあの場所だけではなかった。世界中で似たような異変が同時期に起きていた。学者達や政府は直ぐ様原因の調査にあたった。一方でネットでは色んな陰謀論が飛び交った。ネットは当てにはならない。でも、それっぽい意見もあった。例えば太陽フレアによる影響とか。だが、通常であれば太陽の異変があれば既に報道されているだろう。それにあの時の地震は太陽フレアとメカニズムからして関連性はない。ただ、ネットでは太陽フレアは地震を誘発させるというコメントが拡散されていた。サラは理系ではなく文系だったこともあってかその話には全くの無知だった。場所によってはオーロラも観測されたという。また、人体への影響もトレンド入りし、色んな情報が飛び交っていた。ネットには頭にアルミホイルを巻きつけている画像が広まり「脳を守れ!」と警告している。最初、そういったものを見た時は全く信じなかった。現に通信関係は復旧したし、あの日以降似た現象は起きていない。ただ、日が経つにつれとある大学の研究者が人体への影響と題した発見を全世界に公表したことで昨年話題となった。あの運命の日から男性の免疫力が減り病気になった割合がそれを境に増加傾向にあるというのだ。どういうことかというと、コルチコステロンの分泌がどうも増えてしまっているらしい。コルチコステロンというのは、どの生命も最初は女でそこからコルチコステロンが放出されることで男性へとなる。これは人間にも当てはまり、そのコルチコステロンは免疫力を低下させるとされ、男女での平均寿命の違いに関係性があるとされていた。この発表に世間は太陽フレアの影響は通信関係だけではなく、やはり人体への影響もあったんだと拡散された。だが、ほとんどの学者は信憑性は無く否定した。太陽フレアによる人体への影響はないと。ただ一方で他の学者はこの現象を興味深いものとし更に調査すべきとして研究テーマに取り入れる者もいた。
解決策はコルチコステロンを抑制することだが、それは女化になるとされ、男は寿命が短くても男として生きるか、男を捨て女になるか選択が迫られた。
一部では既にコルチコステロンを抑制する者が各地で現れ、女性化が増えていた。
この社会問題は全世界で毎日のように取り上げられ、医療の専門家、ジェンダー活動家、社会学者がコメンテーターとして呼ばれスタジオで議論が報じられた。
正直、当初聞いた時は元々女として生まれた自分には関係のない話だと思っていた。だが、トイレの問題になった時、男が女化した場合、その者はどちらの性のトイレを使用すべきか議論となった時は他人事ではないのかもしれないと思った。女性は安心してトイレが使える為に活動し、そこでジェンダー活動家との衝突が起きていた。
それは自分の職場でも運営会議の議題にあがった程の影響があった。
サラは現在、田舎町にあるアパートへ引っ越し、その町にある老人ホームで介護職として働いていた。介護なんて何の知識もなかったが、よっぽど人手不足なのか応募したら採用された。忙しい割に給料が安いというイメージだが、自分に出来る数少ない仕事だと思って真剣に働いていた。職場は男女比では女性の割合が多い。男性はむしろ町にある工場で働いているイメージだ。町には他に農家が幾つもあり、跡継ぎはだいたい長男だった。あともう一つ、なんだかよく分からない研究施設がある。周りは高い有刺鉄線が囲っていており、大型の白い建物と宇宙船を打ち上げるカタパルトがあった。私がなんだかよく分からないといったのはそこに働いているであろう職員と町の住人は誰も会ったことがないからだった。だから住人もあの施設は政府関連の何か重要な施設ではないかという噂があった。国は宇宙産業に力を元から入れていた為にあり得る話ではある。だが、あの施設からロケットや宇宙船が飛んだことは一度もなかった。一度もだ。
それ以外はいたって平和な町だった。サラもこの町に住み着いてからあまり不満はなかった。不満がないのは職場もだった。基本的に職場の人間関係も良好だった。仕事は大変だが、それも二年となれば慣れた。両親はというと大学にまでやったというのに介護職に就いた娘に無駄金を払ったと思われている。だから実家にはもう卒業後は一度も戻ったりはしなかった。文句を言われ続けるのはこりごりだった。勿論、両親には感謝している。大学だってバカみたいに高い。恵まれなきゃ大学にさえ行けない世の中だ。それは重々分かっているし、両親の期待通りに育たなかった自分のせいだってことも。だから、両親にはその分文句を言うだけの権利はある。ただ、私は弱く脆く父が怖くて無理だった。そんな自分が社会人として仕事を見つけ自立しているのが奇跡に感じている。だから今は今の仕事を一生懸命働こうと思う。
介護の仕事は基本、早番、日勤、遅番、夜勤と不規則で生活リズムが崩れがちで最初の頃は大変だった。夜勤明けだと眠ってしまい家事が出来なくなる。対して家庭と仕事の両立が出来て尚子供までいる職員はだいたい仕事場でも動きが早く、無駄な動きがとにかく少ない。私もそうなれたらと自分の不甲斐なさを感じてしまう。それでも、利用者から「ありがとう」というお礼の言葉に毎度励まされ、なんだかんだと二年この仕事を続けてこれた。職場での人間関係は皆親切でたまにご飯を共にする程。この田舎町には最初友達とかゼロで人間関係を始めからやり直さなきゃいけなかったけど、町の人は皆優しい方ばかりだった。一方、引っ越し前の友達とかは皆離ればなれになり、各々仕事や恋愛で時間がなく、また遠すぎることもあってか卒業後は全く会えていない。連絡は最近までだとルームメイトだったハナぐらいだ。ハナは仕事が激務過ぎていつも愚痴をこぼしていた。特に男性上司は顔が怖く体もかなりの大柄のせいで威圧的に感じていつも臆してしまうのだとか。あまり理想的な職場ではないと言っていた。それでも、ハナはちゃっかりと恋人をつくっていた。だから、最初の頃は連絡がマメだったのが徐々に途切れ途切れになっているのがここ最近の出来事だった。
サラに恋人はいなかった。つくろうともしなかった。そもそも男友達もいない。理想が高いという意識はない。高身長やハンサムが条件というわけではなく、なんとなくこの人だと思う人と出会わなかっただけだ。それも自分から出会いに色んな場所に行ってたわけではないからそれも当然のことだった。そもそも学校では浮いていた自分には自分から向かう自信もなかった。
そんなわけで二年住んでいるアパートには今も一人で住んでいる。
築年数は20年以上、六戸あるアパートは二階建てで三戸それぞれにあり、サラは一階の角に住んでいた。本当は二階の部屋に住みたかったが、二階は全て満室だった。既に二階の住人は10年以上住み続けている。そのアパートでは今のところトラブルはなかった。住まいは管理会社の仲介の為に大家とは会ったことはないが、管理会社が言うにはクレームもない理想的な住人だそう。一様規則として鉄筋コンクリートでも夜中の騒音に注意する事等を言われた。それから住んでみて分かるのは買い物出来る店が近く、職場ともそれ程離れていない理想的な家はワンルームでも不自由さはなかった。二階や隣からの騒音もない。それどころかテレビの音すら聞こえてこない。そういうサラの部屋にはテレビがなかった。電化製品は高くて揃えていく上でテレビは優先順位が低かった。スマホがある時代、メディアはそれで足りていた。
そんな生活も二年が過ぎた頃、サラのスマホが鳴り始めた。その時間、サラは夜勤を終え施設を出て直ぐだった。スマホの画面を見ると実家からだった。実家から電話がくるのは珍しいことだった。そのこともあってサラは嫌な予感がした。きっと自分によくないことなのか。サラは父の顔を想像した。家の中では普段は寡黙な人。笑顔はなく、冗談を言うタイプでもない。その父のせいでいつも気まずく、自分はまた責められるのではないかと、父の顔と合わせもしないようにしていた。実家から出てそれが解放したと思っても、家族の縁は解放されない。父からの連絡だったら嫌だった。でも、出ないわけにはいかない。サラは覚悟を決め電話に出た。
「もしもし」とサラは言った。
電話の相手は母だった。よく考えれば電話を掛けてくるのはだいたい母だった。だが、妙なのは電話の向こうからすすり泣く声が混じっていたことだ。
「どうしたの?」
サラが訊くと、母は短い言葉で返した。
「お父さんが亡くなった」
私は暫く呆然とした。
母が言うには父は暫く前からカゼにかかったようで寝込んでいた。受診した時も先生はただのカゼだと診断し薬が処方され、それを服薬していた。その時、院内ではカゼが流行っているのか似たような患者が待合室にいた。多くが男性だった。父は別に不健康な人ではなかった。糖尿や高血圧といった既往歴はない。私が知る限り父が病気で寝込んだ日なんてなかった。それが私が大学を卒業して二年、父はただのカゼで寝込み、処方された薬を内服していたにも関わらず改善されることなく亡くなった。薬が合わなかったというわけではなく、父の免疫力が異常に短期間の間に下がっていることが原因だと医者は結論づけた。実はそういった死因がここ最近増加しており、それはメディアでも取り上げられていた。あの運命の日を境に世界中の男性はどんどん数を減らしている。だが、それは自分達家族とは無縁にどこか思い込んでいた。他人事のように思っていた。しかし、現実は違った。
私は急いで職員用駐車場に向かい車に乗り込むと、今から実家へと向かった。
◇◆◇◆◇
父の葬式は親族だけで行われた。父は友達が多い方ではなかったしご近所付き合いも積極的ではなかった。ただ、気難しそうな人だった。母がどうしてそんな人を好きになったのか未だ分からない。ただ、母は寂しがりやで孤独では生きられないような人だ。それだけは分かる。
父が亡くなったことで、この家は母だけになる。一人で住むには広すぎる家ではむなしく寂しいだけだ。それにローンもまだ残っていた。サラは母はこの家を売ってしまい、引っ越すんじゃないかと思っていた。だから、母が葬式を終え落ち着いた頃にいきなり家に帰ってくる気はないかと言われた時は驚いた。いや、母ならそう言いかねないことはなんとなくどこかで予想していたかもしれない。不思議なことはない。この家をもし残すのであれば。母は40を過ぎている。まだまだ早いが老後のことも考えると、施設に入るにはお金が必要だが、この家で最後を迎えるなら入る必要はない。ただ、それは私が母の面倒を見るということだ。普通なら家族だからあり得るだろう。だが、この家のローンを払う余裕はサラにはなかった。それに、今の職場に満足しているサラは別の職場には行きたくはなかった。ただ、母は私が介護をしていることをまだあまり良くは思っていなかった。そのまま定年になるまでそんな仕事を続けていくつもりなのかと。それはサラにも分からなかった。母は自分が大学に行きたくても行けなかった過去をもつ。だから娘には大学に行って知識ある女性になって欲しいと願っていた。でも、肝心のサラは勉強が苦手だった。成績はギリギリでとても大手に就職出来る人材ではなかった。母が私の仕事に不満を持っているのは分かっている。でも、サラは母の期待にいつも応えられなかった。それは申し訳なく思っている。
サラは母の申し出を断った。
◇◆◇◆◇
あれから更なる社会への変化が起きた。それは男の女化だった。
それはこれまで男社会だった世界が女化が増えることで、男女間の格差が顕著に改善されたのだ。それは今まで男が守ってきた地位が、自分が女化することでむしろ不利になると思う人が増加したからであった。それはつまり、格差の原因をもたらし続けてきたのはやはり男だったということでもある。社会は有望な人材が失われてしまうよりかは女性への社会的、企業内での地位を改善する他なかった。
そして、それで分かったことは例え女化しても男女での脳に性差はないということだ。それまでの男は男女の間に男脳、女脳には科学的な差があるのではないかという研究がなされてきた。それはむしろ科学的に差がなかったことを裏付けたが、一部はそれを信じようとはしなかった。
女とは誘惑に弱く、好奇心が強く、嫉妬深い感情的だからというイメージが古くからあるからだ。それは童話や宗教的にもそのイメージが見えるが、ならば男は誘惑しないのだろうか? 不倫する男はいるし、太った男もいる。プライドが高く嫉妬深い男もいる。怒りぽくなる男やDVする男だって感情的だ。
運命の日を女性は歓迎した。それはようやく女性の願いが届くかもしれない希望になるからだった。
しかし、一方で懸念もあった。このまま男女間での割合が極端化すれば、世界中で出生率が低下し、人口減少に向かっていくということだった。
サラはテレビを買わなくて正解だったと職場で感じた。というのは、世界中でパンデミックが男性中心に起きている中で女化の急増にメディアはずっとそれを取り上げていたからだ。女性からも大好きだったアーティストの推しが女化して悲鳴を上げていたり、父親が帰ってきたら突然女になっていて感情の整理がつかないといった子どもの言葉など、インタビューの内容を流し、それをコメンテーターが答えてる番組ばかりでつまらないと思ってしまったからだ。でも、利用者の関心は今このニュースだった。
「とんでもない世の中になっちゃったわねー」
「本当にそうねー」
「男が女になっちゃったんだって!?」
「ねぇー。これじゃ皆女になっちゃうよ」
「良かったよ。うちの旦那が亡くなる後で。旦那が女になったらと思うと」
そこで笑いが起きた。職員もクスっと笑い出す。
「そう言えば金持ちが〈火星都市計画〉だっけ? なんかそんな計画を立ててるみたいだよ」
「男は皆宇宙に逃げるのか?」
「女になるくらいなら火星人にでもなるのかね?」
また、笑いが起こった。
これには間違いがある。火星へ有人の飛行船を飛ばす計画と今回の問題を混在しているが、全くの別ものだ。現在は女化する前に男は自分の精子を冷凍保存する。元々冷凍保存は運命の日が訪れる前から注目されてきた分野だ。だが、問題は女化した男と結婚しようという女性がどれほどいるのだろうか。
少なくとも世界の常識が大きく一変しているのは確かだ。
そして、それは早くも私達の職場でも影響が及んだ。
それは、サラが介護3年目の時の話。職場に新人が入ったのだが、それが元は男だという話だった。職場は本人の希望通り女性として接することとなった。
そして、職場に実際に現れたのは驚くべきことに美人だった。背は高く、細く、モデルのような人だった。化粧も私より上手く正直場違いなくらいの美人だった。そして、主任から指導役にあろうことかサラを使命した。
この出会いが後に私の人生第二章の重要人物となる。