1話
大学の卒業を間近に控えたサラは高層ビル群の一つから出てくると、深いため息をついた。リクルート・ファッションと呼ばれる格好の彼女は今まさに就職先を探し面接を終え、そして失敗に終わったばかりだった。友人は既に新たな就職先を決めていたのに、自分だけこの時期になっても見つからないことに人生に挫折しかけていた。そもそもこの時期でまだ就職先が見つからない学生なんてどこへ行こうと雇ってくれる企業なんてないのはだいたい分かってはいた。しかし、本当に自分はこのまま無職になると現実が帯びてくると、親になんて言うべきか……きっと大学にせっかく入れたのにと失望とともに激昂し、家の敷居を跨がせてはくれなくなるかもしれない。もう一人を面倒する余裕はうちにはありません! そうぴしゃりと言われたら私は路上生活者いきだ。それだけはまっぴらごめんだ。しかし、本当にそうなりそうだった。
そもそもこの社会がいけなかった。貧困率は13%だが、男女比は公平ではない。また、女性も働かなければ生活は厳しい。共働きが当たり前の時代、女は家事だけやっていればいいという時代はとっくに終わっていた。男性も女性には働いてもらいたいと思われており、それは結婚相手の条件にも当たり前に入っている。男性相手の家族は女性が働いていないだけで結婚に反対されるのだ。
そういうご時世、私は男を見つけて家政婦を目指すわけにはいかない。女も働かなければならなかった。
それだというのに、この国の社会では女性が出世し役員になることは男に比べ半分も切るのが現実だった。資産でみても例えば土地の所有では男女差は歴然としている。ほとんどが男に有利な社会であり、それは女性が怠慢だからということでは決してない。更に会社での男女の割合にも明らかな差があった。業種にもよるが、平均して女性の割合が25%以下の企業は全体の約35%にのぼる。つまり、男女間に公平性はなかった。
サラは重い足取りのまま学生寮に向かった。学生寮までは近くのバス停からバスで帰ることになる。
すると、道中突然見知らぬ男がサラに声を掛けてきた。男はカールした頭にTシャツ、ジーンズという格好だった。20代の男だろうが大学にこんな男は見掛けたことがない。間違いなく知り合いではない。
「今から俺の友達がパーティーするんだ。良かったら一緒に行かないか?」
「行かない」
サラはきっぱりと断った。男は舌打ちしたが、それ以上追ってくることはなかった。きっと暇なんだろう。そういう男は金もない。パーティーは嘘だ。あの男はあの場所に立って適当に女を探しているだけだ。たまに、寂しさを紛らわそうと誘いに乗った女がその後行方不明になることはこの国では珍しいことではない。
学生寮に戻るとそこにはオーバーサイズTシャツに短パン姿のルームメイトのハナがいた。ハナは私と同じ金髪で小柄な子だった。ハナはサラを見るなり当然訊ねる。
「面接どうだったの?」
「駄目だった。私、本当に駄目かもしれない」
「大丈夫だよ。私のお姉ちゃんなんか卒業後にようやく就職先見つけたんだから」
「そんな奇跡私のところにはこない」
「そんなこと言わないの。そうだ! ならさ、今日のことはさっぱり忘れて海に行こう」
「海?」
「そう。ほら、着替えて着替え」
ハナは一度決めると強行なところがある。私はハナに言われるがままに着替えた。ハナは私の後ろビーチ・ドレスに着替え始めた。私は沢山ある帽子の中からツバの広い帽子を見て、それに合う服をチョイスして着た。足はサンダル、海ならサングラスが必須だ。
二人は着替え終えると学生寮前のバス停から浜辺の近くにあるバス停までバスで向かった。二人は水着は持っては来なかった。海に入るにはまだ早い時期だった。裸足になって白い足を冷たい海に触れパシャパシャするだけで良かった。
海は冷たかった。小さな波がふくらはぎに伝わる。
海沿いには散歩する人達がちらほらと見えた。私達はこの近くにあるかき氷店で食べるかき氷が美味しく、その店目当てにここにたまに来ていた。店は年中やっていた。年中やるアイス屋もあるから不思議には思わなかった。私達はカラフルなシロップがかかった幻想的な見た目をしたかき氷を頼み、それを慣れた手つきでスマホで写メる。そのかき氷は冷たくて、他のかき氷とは明らかに違うフワフワ食感。そして不思議と頭がキーンとしなかった。
いつまでもこの時間が続けばいいのにと思った。でも、永遠はない。いつかは終わりがきて寂しくなる。いつまでも私達は学生ではいられない。私達は嫌でも大人にならなければならない。友人のハナはこの街を卒業したら離れる。仕事で二人の時間はほとんどとれなくなる。私も就職が出来たら時間をつくるのも難しくなるだろう。大人達は毎日8時間以上の労働が当たり前だと思って、なんならそれ以上に働く。お金の為に。生活の為に。そして、それが日常になる。なにか使命や何かやりたいという明確な目的も無い自分にはきっとつまらない人生になるんだと思う。でも、それは何もしてこなかった自分のせいでもある。大学に行くのが当たり前という環境に支配され、なんとなくでここまで来てしまったツケなのかもしれない。
もし、自分を変えれることが出来れば……そんな叶わないことを想像しても仕方がなかった。自分は皆のようにうまくは出来ないし、どこかで自分のことを諦めていた。
もし、やり直せたら……いや、それこそ叶わない想像だ。
「もし」という魔法の言葉を多用するだけ現実から遠ざかっていくだけだ。それこそ、「もし」はフィクションという幻想に過ぎないのだから。
その時、脳内から声が響いてきた。
もし、この世界が変わりやり直せたら
ふと、テーブル席の上に置いてあるスマホの画面に鏡のように反射した自分の顔に気づいた。その顔は笑っていた。自分は笑っていない筈なのに。
最初の異変はそれだった。そして怒涛のように異変は津波のように押し寄せてきた。まず天候。降水確率は0%だというのに突然豪雨に変わった。傘は当然持ち歩いていない人達は慌てたが、それも間に合わず服をびしょ濡れにした。それから停電が一斉に起きる。電話は繋がらずネットも使えなくなる。それから小さな地震が始まり、それは長く続いた。人々はその異変にただごとではない不安を感じた。直後、海の向こうにある小さな島から大きな明かりとともに轟音が鳴り響いた。人々の注目はそちらに向けられる。島から煙があがり真っ赤な炎がメラメラと燃え広がっていた。すると、その島の遥か上空から突然飛行機が急降下を始めた。空港は確かに近場にあるが、飛行機があのように飛行するのは異常だった。それからそれほどかからず飛行機がコントロールを失っていることに気づく。不自然に揺れ傾く飛行機。悲鳴があがる中、飛行機は空港ではなくそれよりかなりルートの外れた街に落ちた。爆発音。大変な事件を人々は目撃する。
サラはハナを見た。ハナも私を見た。二人は見合わせると、その周辺に落雷が次々と落ち始めた。