5ー引っ越し①
「ちょっと多いですね」
カインツがぼやく。
「そうか?」
ロヴェルは淡々と言った。
リリアンは震えながら聞く。
「わ、私はどこにいれば邪魔にならない?」
「ここだ」
ロヴェルは言うなり、片手でリリアンを抱き上げたまま剣を薙いだ。
風圧でロヴェルの近くにいた人影が飛んでいく。
嘘のような圧倒的な力にリリアンは目を見張った。
(う、うそ?!どこからこんな力が出るの)
もはやロヴェルは常人ではない。リリアンを片手に抱いたまま、一気に地面を蹴って飛び込んだ。
リリアンは目をつむってしがみついていた。
小さなうめき声、威勢のいい声、鈍い音が数秒の間に聞こえ、すぐに静かになった。
「もういいぞ」
目を開けると、目の前にロヴェルの顔があり、リリアンは慌ててもがいた。
「ちょっ」
急に動いたリリアンを落とすまいと、ロヴェルは腕に力を入れる。
「おちつけ。すぐに下ろすから」
10人に囲まれた時も焦りをみせなかったロヴェルが、焦っているようにみえる。
ロヴェルはリリアンをゆっくり降ろし、怪我がないかジロジロ確認した。
「ふむ」
納得したロヴェルはカインツが押さえつけている男の方へ向き直った。
「何者でしょう?先日の暗殺者と同じでしょうか?」
「どうかな。」
ロヴェルは倒れている男の襟首をグイと引き上げた。
首元に見える十字架の入れ墨。教会の紋章と似ているが、非なるものだ。
「······聖騎士の······暗部の紋章だわ」
教会の闇だ。知っている者はごくわずか。
(狙いは私?いや、ロヴェルも皇族の関係者なら狙われても不思議じゃない)
「早く戻ろう。師匠が心配だわ」
小屋まで急いで戻り、勢いよくドアを開けた。
「おや、おかえり」
ビビはいつものように椅子に腰掛け、編み物をしている。
リリアンはホッとしてビビに駆け寄った。
「あら。髪が戻ってるということは、バレちゃったのかい」
「湖に落ちてしまったのよ」
リリアンはしょんぼり小声で報告した。
「まぁ仕方ない。もともとあんなちゃちな染料で誤魔化せるとは思ってなかったしね」
「それと師匠。さっき森の入口で、暗部の人たちに襲われたわ。私が目的か、ロヴェルが目的か分からないけど」
ビビは編み物の手を止めた。
「ふむ。そうかい。じゃあここにはいられないね」
「引っ越すのか?」
小屋へ入るか迷っていたロヴェルが、入口から声をかけた。
ビビは立ち上がりながら答えた。
「元々すぐ移動出来るように小さな小屋に住んでいる。さてリリアン。荷造りするか」
「うん」
移動するのは初めてではない。だけどここは長く住めたので、移動するのが少し寂しい。エルジェとネリーに挨拶して行きたいところだが、無理そうだ。
(ここに住めるかもと思ってたけど)
リリアンは気を取り直して立ち上がった。
「あてはあるのか?」
ロヴェルの問いに、ビビは首を振った。
「ゆっくり、移動しながら探すさ」
「ふむ······」
ロヴェルは思案して、カインツを見た。
目で「いいか?」と確認している。
カインツは「えっ」と驚いた表情をしたものの、何かを承諾していた。
「ええ。大丈夫だと思います。その方が安全でしょう」
「2人とも、うちに来るといい。丁重にもてなそう」
淡々とロヴェルが言った。
「えっ」
思いも寄らない提案に、リリアンは素直に驚く。
カインツが小さく咳払いをして、かしこまって言った。
「こちらの方は、ロヴェル・ド・シュヴァルツ公爵閣下でございます。シュヴァルツ公爵家は帝国騎士団も率いておりますので、お二人をお守りできるかと」
「公爵、閣下·······」
ロヴェルを見ながらリリアンは呟いた。
この目の前の少年が、帝国で皇族の次に地位の高い人物だとは。
「ふむ。シュヴァルツ公爵は若いと聞いていたが、まさかこんなに若いとは。たしか皇帝の甥にあたるのだよな?」
人里離れた森に住むビビが、世論に明るいとは知らなかった。リリアンは驚いた。
「逃亡中なのだから、情報には明るくないとな」
ビビはリリアンの考えを受け止め、ニヤリと言った。
「あれ?でもカインツ卿はロヴェルのことを殿下って呼んでなかった?」
リリアンの問いに、カインツはバツが悪そうに答える。
「私は殿下の乳母の息子なのです。殿下は元々は王位継承権がおありで、皇宮に住んでらしたので······つい」
「それで事がややこしくなることも多い。直せよカイン」
「は······」
カインツは大きい背中を丸めたまま返事をした。
「まあ、悪くない申し出だな。リリアン、ありがたく受けようか」
あっさりと言うビビに、リリアンは慌てた。
「えっでも、悪くないかな?匿ってもらうなんて」
「リリアン。貴族というものは、自らに利益がないことは提案しないものだ。そうだろう?」
ビビはロヴェルに向かって言ったようだが、ロヴェルはだんまりだ。
カインツが仕方なく口を開いた。
「その通りです。年々、皇帝陛下からロヴェル様に対する要求が厳しくなっております。ソードマスターであられるロヴェル様は、戦地に赴くことが多いのですが·······今回のあの重傷も、戦地に皇帝陛下が差し向けた暗殺者がいたからでした」
「皇帝は貴方を殺したいのかい?」
「めっそうもありません。皇帝陛下に1人しか子がいないので、血縁であるロヴェル様を失うのは陛下も避けたいはずです······というか、皇位継承者に戻ってほしい故、圧をかけてくるのです」
「圧って········死んだらどうするんです?あの怪我は命がなくなっててもおかしくない怪我でした」
リリアンはロヴェルの怪我を思い出すと、沸々と怒りが湧いてきた。1日でも治癒が遅れていたら、ロヴェルは危なかったのだ。
ロヴェルは怒っているリリアンをきょとんと見ながら不思議そうに言った。
「死んだら死んだで、気にする方ではない。次を探すのだろう」
「リリアン様ほどの治癒師が邸に居てくだされば、我々も安心できます。――それとこれは提案なのですが······」
カインツはチラリとロヴェルを見た。
ロヴェルは小さなため息をつき、仕方なさそうに言った。
「リリアンの安全は保証する。私が傍にいない時でも、騎士団一の実力者を護衛に付けよう。我々の利益はこちらだ。君を保護したことを教会に伝え、教会に脅威を与えたい。そうすることで皇帝にも恩が売れるからな」
「えっ」
思ってもみなかった提案に、リリアンは驚くしかない。
「いや、私は教会から逃げたいのに、居場所教えちゃったら駄目じゃない?」
「今の教会は、公爵領に入れない。契約結界があるんだ。先ほどの、暗部のやつらも入れないな」
「5年前に締結した教会と公爵領の条約かい?あの軍を率いたのも貴方なのか?」
関心しながらビビが言う。
(だから何で師匠は何でも知ってるの!)
納得いかないリリアンは顔を膨らます。
「ふむ。なんだか面倒そうだね」
本当に面倒そうにビビは顔を歪めた。
皇位継承に関する血肉が飛ぶ争いを、面倒、と切り捨てるビビにハラハラしながらリリアンは聞いていた。500年生きるエルフには、人間たちの争いはどうでもいいのかもしれない。
「公爵邸に行くかどうか、リリアンが決めな」
リリアンはロヴェルを見た。
出会ってまだ3、4日。信じて付いて行ってもいいものか。
「ロヴェルは私たちを守ってくれる?公爵邸に軟禁されるのは嫌よ。自由に出歩いて、怪我してる人を治癒したい。私は治癒師だもの」
「かまわない。公爵領の中では行動は制限しない。君たちの安全は保証する」
淡々と必要事項を述べるロヴェルに、リリアンは決めた。
付いていってみよう。何より、ロヴェルが大怪我をする可能性が高いことを知ってしまった今、気になって他の場所へ行けない気がした。




