38ー夜空の下
薬草の談義が終わると、日が傾いて来た。
「そろそろお暇するわね」
すると、ようやく一息ついたカザンが近づいて来た。
「もうお帰りですか?」
「あら。残念。兄さん間に合わなかったわね」
カナリアがからかうように言った。
「カザンは私に何か用があったの?」
「あ、いえそういう訳では」
歯切れの悪いカザンを見て、カナリアは首を振った。
小声でリリアンに詰め寄る。
「公爵邸じゃ聞けなかったけど、どうなってるの?リリアンの立ち位置は!はっきりしてくれないと兄も進みようがないわ」
「え?どういう···」
リリアンは思わず後ずさり、後ろのカザンにぶつかりそうになった。
「どう進むと言うんだ?」
現れたロヴェルが、よろけたリリアンをカザンに触れる前に腕で支えた。
カナリアの顔がみるみる曇る。不思議な足運びでカザンの後ろに隠れた。
「ロヴェル!用事は終わったの?」
「ああ。待たせたな」
「じゃあカナリア、カザン。また来るわね」
リリアンは慌てて2人に挨拶したが、内心ドキドキだった。
心臓がうるさい。ロヴェルは支えたまま、腰から手を離さずそのままエスコートしたからだ。
去っていく前に、カザンを一瞥して睨みつけたロヴェルを見て、カナリアは呟いた。
「兄さん、諦めて他にお嫁さんを探した方がいいわ」
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日も暮れ始めた夕刻、ロヴェルは有言実行した。公爵領で1番敷居の高いドレスショップで、カタログを眺め思案している。
前に衣装店が邸宅に来た時もそうだったが、リリアンは前世からの金銭感覚で意識が飛びそうだ。
「あまり時間がないからな。一着二着くらいしか試着が出来ないか····ふむ。となると···」
などブツブツ言いながら腕を組んでいる。
自分の服を選ぶロヴェルを眺めながら、リリアンは初めての感情に戸惑っていた。
じんわり身体をくすぐるような。多幸感。
(好きな、人が、自分の服を選んでくれている····)
ロヴェルが選んだ服を着て、試着室から出てくると、ロヴェルはまた溶けそうな微笑みをリリアンに向けた。
リリアンは涙が出そうなくらい嬉しかった。
(こんな日々が続けばいい。もう皇帝や教会を気にせずに、公爵領でずっと暮らしたい。ロヴェルと一緒に)
この世界に産まれて初めて、膨らみ過ぎた欲を、リリアンは抑えることが出来なかった。心から願った。
ーーー
「疲れたか?少し休もう」
夕食を食べるレストランまで歩いて向かっていた。
幸せで、ぼーっと歩いていたのでそう見えたのだろう。
昼間は騎士を引き連れて歩いたが、今はロヴェルと2人だ。
近くにはいるのだろうが、リリアンには分からなかった。
レストランにはきっと人がたくさんいるだろう。もう少し2人を満喫したくて、リリアンはベンチにロヴェルを誘った。
ベンチに腰掛けて、上を見ると、月がやはり2つある。
「綺麗だな」
夜空を見ながらロヴェルはポツリと言った。
リリアンは失礼ながらびっくりした。ロヴェルがそんなことを言う人だったとは。
「ロヴェルがそんなこと言うなんて、びっくりするじゃない」
ロヴェルを見ると、本人が1番驚いているようだ。自分の口から出たとは思えない顔をしている。
「いや、そうだな。私も驚いた」
「前は夜空を見ても、何を見てもそんな感情はなかった。リリアンのおかげだ」
「えっ」
急に感謝されリリアンも戸惑う。
ロヴェルがこちらを向いた。リリアンは熱を帯びた金眼に、目が離せなくなった。
「伝えたいことがあるんだが、今ここで言っていいか」
心臓が痛いくらい鳴っている。
気のせいか顔が近くなっているような?
リリアンは思わず目を瞑ってしまった。
「閣下!!」
通くから呼ばれた声に、2人は固まった。
「――チッ」
ロヴェルは盛大に舌打ちをして、振り返った。
リリアンは涙目で胸に手を当てて、心臓を押さえた。
ちらりと見ると、伝令に来た憐れな騎士が可哀想になった。ロヴェルがこれでもかと言うほど睨みつけている。
ロヴェルはメモを乱雑に奪い取り、サッと目を通すと、悔しそうに言った。
「クソッ。すまないリリアン。食事はまた今度だ」
ロヴェルが合図をすると、ラナとエドガーが現れた。
一部始終を見られていたかと思うと、リリアンはますます赤面した。
ロヴェルに騎士が馬を連れてきた。すぐに行ってしまいそうだったので、リリアンは慌てて駆け寄った。
まだ少し怒っていたロヴェルは、リリアンを見て怒りを消した。
「少し出てくる。心配しなくていいが、しばらく邸宅から出ないでくれ」
頭をまた撫でるのかと思っていたら、ロヴェルはリリアンの額にキスをした。
「これくらいないと、割に合わない」
また怒りを顕にして、ロヴェルは馬に飛び乗った。
「すぐ戻る。帰ってきたらまた話そう」
会話の途中で、騎士の人が来て良かったと思う。
あのままでは、心臓が持たなかっただろう。
リリアンは立ち尽くしたまま、額を手で押さえて熱が冷めるのを待った。
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リリアンはこの日の話をしなかった事を後悔した。
ロヴェルはこの日から連絡が途絶え、2週間が経った。




