竜は必死で番を探す
隠れ処に知らせて凡そ半月後、一人の青年が覇耶の薬房を訪れた。
扉を開けてその青年が入ってきた瞬間、覇耶は一目で同胞だとわかった。何というか、纏う気配が根本から異なっていたからだ。
おそらく人間界に慣れていない竜だと覇耶は思った。気配を馴染ませようと思えばできる筈なのに、その事に考えが至っていない。
人間達は気付いていないだろうが、注意するよう後で教えてやった方がいいかもしれないと覇耶は渋い顔でそう考えた。
外見からすると、三百数十歳の雄竜だろう。背はすらりと高く、非常に整った容姿をしていた。太陽を紡いだような琥珀色の瞳と鮮やかな金髪から、黄金竜だと簡単に窺い知れた。
黄金竜は獰猛で気性が激しく、竜としてのプライドが高い事で有名だ。
凡そ人を『噛む』タイプには見えず、何のためにここに来たのだろうと覇耶は訝しんだ。
戸惑いを隠せずに見つめていると、その竜は何の前置きもなくいきなり尋ねてきた。
「ここにヴィレと言う子どもが来たと凛主に聞いたんだが」
「……あの子どもを探している竜はお前か?」
改めて確認すれば、その黄金竜は小さく頷いた。
「名は何と言う?」
「彗主だ」
その名を聞いて、覇耶は僅かに瞠目した。
名前に主の一文字が入っているという事は、黄金竜の純血種で間違いない。血が濃い分、竜至上主義の傾向が特に強い筈で、その竜が人間を噛んだという事実が俄には受け入れられなかった。
「……俺は覇耶だ。こちらは妻のシラル。二人で七年ほどこちらの薬房を営んでいる」
覇耶は何とか気を取り直し、簡単に自己紹介をした。それから先ほど心に抱いた疑問をそのまま彗主という青年にぶつけてみた。
「探しているって事は、お前があの子の番なんだよな。何でわざわざあんな小さな子どもを噛んだんだ?」
彗主は視線を床に落とした。
「……殺そうと思って牙を立てたが殺せなかった。『噛んだ』つもりはなかったが、そのまま囚われた」
それはあんまりだろうと、さすがに覇耶は思った。そんなふざけた噛みなど今まで聞いた事もない。
「じゃあ、何で別れ別れになったんだ?」
「邪魔だから森に捨てた」
「おい、ふざけているのか?」
面白くもない冗談に、覇耶は思わず眉を潜めた。
「ふざけてなどいない。
自分の手で殺せなかったから、狼の住む森に置き去りにしたんだ」
一瞬、この竜が何を言ったのは覇耶にはわからなかった。
「……つまり、あの子を狼に殺させるつもりだったと?」
彗主は否定せず、覇耶は「嘘だろ」と嫌悪に顔を歪ませた。
「森に捨てて獣に殺させようとした誓約者を今更何で探す! まさか義務だからとでもいう気じゃないだろうな!」
怒りの余り、頭がおかしくなりそうだった。思わず胸倉を掴み上げようとする覇耶にシラルが慌てて駆け寄った。
「セイシャ、止めて!」
眞名を呼ばれて命じられれば、竜は逆らえない。
覇耶は渋々と彗主から手を放した。
シラルはほっと小さく息を吐き、彗主の方に向き直った。
「貴方は今でもあの子が邪魔なの?」
「いや」
彗主はきっぱりと否定したが、それ以上は語ろうとしない。シラルは仕方なく、質問を変える事にした。
「森に捨てたのに、どうして人の世界で探しているの? 狼に食い殺されたとは思わなかった?」
「迎えに行った時、法術師達に捕まっていた。助けようとしたが反対に捕縛されそうになり、逃げるのが精いっぱいだった」
「ちょっと待てよ。まさかお前、誓約者を置いて自分だけ逃げたのか?」
シラルに暴力を止められた覇耶は仕方なく後ろに下がって話を聞いていたのだが、つい黙っていられなくなって思わず口を開いた。
「おい、どうなんだ」
「逃げた。だからこうして助かっている」
覇耶は息を呑んだ。誓約者を置き去りにして逃げる竜がいるなど、とても信じられない。
けれどこの雄竜は、そうやって逃げ延びたのだ。
憤りと軽侮を隠そうともせず、覇耶は苦く吐き捨てた。
「お前、最低だな」
彗主は何も答えなかった。
ただ黙って瞳を伏せただけだった。
その様子をシラルは慎重に見つめていた。
頭に血が上っている覇耶は気付いていないのだろうが、プライドの高い黄金竜がここまで言われて無言を貫いている事の方がおかしいのだ。
この雄竜は、己に対する罵倒を甘んじて受けている。一切の弁明をせず、黙って己の罪と向き合っていた。
その理由は一つしかない。それほど誓約者の事が大事なのだ。竜としてのプライドよりも誓約者の方が大事だから、これほどの恥にも耐えて今この場にいる。
あの子が法術師に捕らえられた時、どういう状況であったのか、シラルには知る由もない。けれどもそれはこの竜にとって決して本意ではなかった筈だとシラルは思った。
だからこそ、こうして必死に行方を捜している。
人の世界に連れ攫われて、手掛かりなど皆無に等しいとわかっていても探す事を諦めきれず、だから隠れ処の長が力を貸したのだろう。
「あの子は二十日ぐらい前にこの店に来たわ。竜が人の世界で医家や薬屋をやっている事が多いと知っていたのね。竜を探してここに来たんだと思う」
シラルが静かにそう言葉を落とすと、彗主ははっとしたように顔を上げた。
「竜を探して……?」
「ええ」とシラルは頷いた。
「何かに噛まれたみたいだって、わざわざ竜の刻印を見せてきたのよ。そんな事をする理由は一つしかないわ。あの子は自分が無事でいる事を竜に知らせたかったの」
「そうか……」
若い雄竜の声音に隠しきれない喜びが滲む。
喉元に込み上げてきた感情を呑み下すように、彗主は深い息を吐いた。
「あの子はどんな様子だった?」
「そうね」
答える前に、シラルはちらりと夫を見た。こんな奴に教えてやる必要なんかないみたいな目で夫が自分を見つめてきたので、宥めるように小さく笑い返す。
「身に付けていたのは粗末な服だった。それに随分痩せていたわ。多分十分な食べ物を与えられていないんだと思う。あの子は自分を十だと言ったけれど、もう少し年下に見えたもの。
一か月後にいらっしゃいと言ったら、何とか抜け出してみると言ったわ。過酷な状況に置かれているのは確かね」
「そうか」
彗主が苦しそうに唇を歪めた。
しばらく感情を抑え込むように俯いていたが、やがて静かに顎を上げてシラルを見た。
「頼みがある。あの子がこの店に来るまで、俺をここに置いてくれないか」
「おい、冗談じゃ……」
言いかけた覇耶の言葉をシラルが素早く遮った。
「勿論いいわ」
「シラル……」
情けなそうに口を開いた夫の顔をシラルはにっこりと見上げた。
「あの子は竜に会いたがっているのよ。あの子と竜を引き離すだなんて、そんなひどい事は貴方はしないでしょう?」
覇耶はぱくぱくと口を開けたが、結局何も言い返す事ができず、苦い顔でシラルを見つめた。
それから彗主に視線を移し、はあっと大きな溜め息をついた後に渋々と頷いてやった。
ヴィレは何度も後ろを振り返り、おぼろな記憶を頼りに遠い道を急いでいた。
館からあの薬房までは、ヴィレの足でおよそ一刻半かかる。ヴィレが逃げた事を知って館の男達が追いかけてくるまでに、何としてもあの薬房に行かないといけなかった。
連れ戻すために追手を出す必要などないのに……とヴィレは思う。
どうせ逃げ切れない。
ヴィレの右手首にがっしりと嵌められた法輪は、紙一枚がようやく入るくらいの余裕しかなかった。
切れ目のところを法術で塞いでいるために、法術師にしかこの腕輪は外せない。こんなものを付けられたヴィレが、どこかに逃げ延びるなどあり得ないのだ。
アンジュと無理やり引き離されたあの日の事を、ヴィレはあれから何度となく思い出した。
戻って来ると約束してくれたアンジュは、法術師達に捕まったヴィレを助けようと空を翔けてきた。
地面に引き倒されたヴィレを見てアンジュが放った咆哮を、ヴィレは今も覚えている。
地を響もす獰猛な怒りに、痺れるほどの歓喜を覚えた。アンジュはヴィレが傷付けられた事に腹の底から怒ってくれたのだ。
強くてきれいなヴィレの竜は、ヴィレを助けるために命懸けで戦ってくれた。
矢を射掛けられ、血を流しながらも果敢に男達を襲い、けれど最後には呪言で無理やり人間に変化させられた。力づくで魔力を封じられようとする姿を見ていられず、ヴィレは堪らずに「逃げて!」と叫んでいた。
竜に変化して空へと消えていったアンジュがあの後どうなったのか、ヴィレは知らない。
男らに殴られてからの意識がなく、気付けば麻袋の中に突っ込まれていたからだ。
ただの人攫いにしては、その扱いが厳重だった。口には猿轡が嵌められ、両手両足は鎖で括られている。
狭い洞窟の中に転がされていたヴィレは、手首に刻まれた呪字を見るともなしに見つめ、ややあって「あ……」と小さな声を零した。自分が竜と間違われて拘束されたのだとようやく気付いたからだ。
館に連れ込まれて猿轡を外されたヴィレは男達に噛みついた。
『あんた達、馬鹿じゃないの?
この呪字を見てみなさいよ。あたしが本当に竜なら、どうしてこれほど呪字が薄まっていると思うの? あたしは人間よ。魔力なんて微塵もない。今日明日には、きれいさっぱり呪字も消える筈だわ』
『じゃあ何で、竜に向かって嬉しそうに手を振っていたんだ?』
怖い顔でそうすごまれ、ヴィレはあの場面を法術師達に見られていたのだと初めて知った。
『竜を手懐けるためよ』とヴィレは嘘をついた。
『せっかく子どものあたしに竜が絆されかかっていたのに……。あんた達が邪魔をしたから台無しだわ」
ヴィレがただの人間だとわかった法術師らは、失望と怒りが収まらなかったのだろう。『無駄骨を折らせやがって』と散々小さなヴィレを殴ってきた。
顔は腫れ、大きな青あざがいくつも体にできたけれど、そのくらい平気だった。
こいつらはあたしのアンジュを殺そうとした。殴られながら、その事を死ぬまで忘れないと心に誓った。
あの後アンジュは無事に逃げ切れたのだろうか。たくさん血を流していて、矢じりには多分毒も塗られていた。
でも法術師らには捕まっていない。
だからきっとどこかで生きている筈だ。ヴィレはそう信じる事にした。




