たまごは女神
僕は荒川一郎、30歳独身のビジネスマンだ。自分で言うのもなんだが、仕事は出来る。だけど、職場の多くの人間が僕の事を避けて行く。まあ、それでも仕事には支障がないので放っておいている。
向かいの席の玉川祥子さんは、僕を避ける事のない貴重な一人だ。12時になり、彼女に挨拶をして会議室へ向かう。
僕が会社で楽しみにしているのは昼食の時間だ。うちの会社には社員食堂がない。その代わりに、弁当屋さんが出張販売をしてくれている。その会場が、会議室なのである。
「日替わりで」
「はい、いつもありがと。500万円ね」
ワンコインで販売してくれているのはお財布に優しいし、売り子のおばちゃんによる時代遅れのユーモアも実は嫌いじゃない。しかし、何と言ってもお弁当が美味しいのである。
楽しみの弁当を、うきうきした気分で持ちながら自席へと戻って行く。その間もひそひそと僕に向けての陰口が囁かれている。もう慣れっこになっているから右から左へと聞き流す。それよりも、早く席へと戻りたいのだ。
席に着いて弁当を広げる。
「ああ、今日もたまごはなんて素敵なんだ」
「ごほっ」
僕がうっとりとしていると、ひそひそ声が増えていく。
「アロウは相変わらずだな。みんな引いているぞ」
同期の利根川敏夫が突っ込みを入れて来る。こいつは全く態度を変えない者の一人だ。彼は僕の事を略してあ(荒)ろう(郎)と呼ぶ。元々は、僕が彼の事をどねおと呼んでいたのが始まりなのだが。
「それがどうした。誰が何と言おうが、たまごは美しい」
「ごほっ」
僕が力説すると、女子社員のボス猿とも言える淀川麗奈が思いっきり睨み付けて来た。まあ、これも慣れたものなのでスルーする。
「どねおもそう思わないか」
「どっちだって言っても、アロウは機嫌が悪くなるからノーコメントだ。話は変わるが、なんで『どねお』なんだ利根川だから『とねお』じゃないのか」
僕の悪魔の質問から逃げる為に、彼は今更感の拭えない質問をして来た。
「そんなのは、濁点を付けたいお年頃なんだから仕方ないだろ。ねえ、たまご」
「えっ、私? さ、さあ、どうでしょう。たまご呼びにも、もう慣れましたし」
突然話を振られて、玉川祥子さんが困ったようにぼそぼそと小声で話す。彼女は地味目だし、普段からこんな話し方で周りから虐めを受けていたみたいだ。僕が絡むようになって、直接の被害は減ったと言っていた。
僕にとってたまごは女神だ。その笑顔はプライスレス!