盲目な恋
次の日、彰は何度も要に服は問題ないか、次の日はこれを着たら良いかと聞いて確認し、間下の運転する車で、紫貴を迎えに出て行った。
彰が緊張するところなど見た事も無かったが、硬い表情で動きがおかしかったので、間違いなく緊張しているようだった。
いつも通りに、いつも通りにと彰を諭し、間下にくれぐれも頼むと言って、彰を送り出した。
間下も、大丈夫だろうかと案じていたが、時間が迫っているので彰が落ち着くのを待っている暇もなくて、そのまま車を出したのだった。
「彰様、お相手は何もご存知ないんでしょう?」間下は、後部座席の彰に控えめに言った。「大丈夫です、あちらは彰様をそんな風に見て吟味しているわけではありませんから。自然にしていないと、あちらも怪訝に思われますよ。」
彰は、ふうと長い息を吐きながら、言った。
「分かっている。だが、ここ数か月というもの、要達に止められてなかなか会えずに居て、時が経つにつれて段々に構えて来てしまって。ついにその日がと思うと、落ち着かないのだ。」
要さんが物を分かった人で良かった。
間下は、思った。居酒屋で会っただけの人をそこまで思うとは、ひと目惚れに近い感じだろう。だが、彰がそんな理由だけで相手を選ぶ事は考えられないので、もっと他に理由があるのではないかと思った。
「…どうして、そこまで紫貴様を?その、居酒屋の一件以来、お会いしてはいないのでしょう。」
彰は、息をついた。
「紫貴と私は、DNAの相性が良い。これまで、いろいろな女性を検体として調べて来たが、私が望む型の人は一人も居なかった。それなのに、紫貴はあり得ないほど合った。最初は卵子だけ提供してもらおうと思ったが、紫貴の事を調べているうちに、紫貴ときちんと結婚したいと思ったのだ。あれは、私が好むことと同じことを好んでいたし、食べ物だけでなく全てにおいて完璧なのだ。それに、愚かではない。あれは学歴は無いが、そんなものは関係ない。元々持っている、知能が高い。SNSでの投稿を見ても、使う言葉を見ても、私の問いかけに対する答えを読んでみても、頭の回転は速いし、こちらもストレスなくやり取りすることが出来る。だから、私は紫貴と結婚したいと決めたのだ。」
最初はDNAなのか。
間下は、それが妙に腑に落ちた。彰が興味を持つのなら、見た目などではなく、そういう事の方がしっくりするのだ。
とはいえ、相手は恐らく結構な歳ではないか。
「あの…失礼かと思うのですが。」間下は、運転しながら言った。「紫貴様は、お幾つでしょうか?」
彰は、答えた。
「45。君が思っているのは、子供のことだろう。」間下は、渋々頷いた。彰は答えた。「紫貴は若い頃何人も子供を産んでいる。私が治療すれば、間違いなく今でも産める。実績があるのだ。だが、問題はそこではない。紫貴が私と結婚する気になってくれるかどうかなのだ。子供など、今は私はどうでも良いのだ。」
そもそもがDNAとか言っている時点で、最初は子供が欲しかっただけのはずだった。
だが、今はそれはどうでも良いと。
これはどうあっても紫貴様というかたには一刻も早く多勢峰家に入って頂いて、お子様をお一人でも産んでもらわねば…!
間下が覚悟をもって指示された住所へと到着すると、その家の前では、確かに聞いていた歳よりは若く見える女性が立って、待っていた。
時間より早めに着いたにも関わらず、もうバッグを持って立っている。
少し緊張が解けて来ていた彰も、その姿を見て俄かに表情が硬くなったが、その前へと車を止めると、急いで出て行って、鞄を紫貴の手から取った。
「こももさんか。私があきらです。本名は多勢峰彰と申します。この度は無理を言って参加してもらって申し訳ない。よろしくお願い致します。」
堅苦しい。
間下はハラハラしたが、相手は、ハッとした顔をして、慌てて頭を下げた。
「まあ、あきらさん。私は本名は尾上紫貴と申します。こちらこそ、よろしくお願い致します。わざわざこんなところまでいらしていただいて、申し訳ありませんわ。」
彰は、微笑んだ。
「良いのですよ。こちらが無理を言ったのですから。さあ、乗って。」と、トランクを開けて慌てて出て来た間下に、紫貴の鞄を渡した。「頼む。」
間下は頷いて、鞄をトランクへと入れて閉じた。
紫貴は、側で見るとなるほどなかなか美しい部類なのだ。だが、確かに普通の女性で、どこにでも居そうな様子だった。
ただ、髪が長くこの歳特有の色気はあった。彰がそれに惹かれたのではないのは分かるのだが、もう彰の方はというと、紫貴を穴が開くほど見つめていた。
瞬きを忘れていますって。
間下は思ったが、彰にとっては紫貴に会うのが念願だったようなので、気持ちは分かった。
無事に紫貴を運転席後ろへと座らせた彰は、自分は助手席の後ろへと座り、言った。
「では、出発してくれ。」
間下は、頷いて答えた。
「はい。」
そうして、彰の持っている別荘の一つがある、N県へと向けて走り出した。
紫貴も緊張気味にしていたが、彰はもっとだった。
何を話したらいいのか分からないようで、じっと黙っている。
聞いたところ、紫貴のことで知らないことはないはずなので、絶対に話題には事欠かないはずなのだが、恐らく実際に紫貴から聞いている話が何だったのかと考えているのだろうと思われた。
調べて知っている事をうっかり言ってしまったら、どうして知っているのかとなるからだ。
紫貴の家の側の入り口から高速道路へと入ると、紫貴が黙っているのもと思ったのか、口を開いた。
「あきらさん、実名だったのですね。どんな漢字を書かれるのですか?」
紫貴が言うと、彰は渡り舟とすぐに答えた。
「小説などの一章二章の章の隣りに、さんづくりの彰。多勢峰は多く、勢い、山などの峰…山辺の。」
紫貴は、微笑んだ。
「私は尻尾の尾と、上下の上、紫色の紫、貴族の貴です。」
知っている。
彰は思ったが、微笑み返した。
「良い名だな。珍しいと思う。」
紫貴は、困ったように笑った。
「でも、小学生の時など書道でとても書きづらかったのですわ。もっと簡単な字にしてくれたら良かったのにと、親を恨んだものでした。今では、良かったと思っておりますけど。」
話し方に訛りが無い。
間下は、思って聞いていた。この辺りは、皆イントネーションが関東とは違う。なので、敬語で話してもイントネーションが出てしまったりするのだが、紫貴にはそれがなかった。
彰もそう思ったのか、言った。
「君は、この辺りのイントネーションじゃないな。どこか別の所で住んだことが?」
そんなことがないのは知っていたが、理由が知りたくて彰は言った。紫貴は、首を振った。
「いいえ。昔秘書学を習った時に、電話応対でアナウンサーのかたに学んだのですわ。その時に、徹底的に矯正されて、気を付けていれば標準語で話せるようになりました。でも、普段はこの辺りの皆と同じ、関西のイントネーションです。関東のかたには多分、珍しく聞こえると思いますけど。」
気を付けているのか。
彰は、少し残念に思った。この話し方が、紫貴の素ではないという事だ。そう思うと、距離を置かれているように思ってしまって、少し心が痛んだ。
彰が少し、しょんぼりしたように見えた紫貴は、慌てて言った。
「あ、あの、ですけれど長く話しているとぽろっと出てしまう事があるのですわ。珍しいから、聞きたいと思われたのでしょうか。多分、一泊している間に出る事もありますわ。」
彰は、気を遣わせている、と我に返って、首を振った。
「どちらも君なので私は構わない。紫貴…いや、何と呼んだらいいだろうか。」
紫貴は、答えた。
「紫貴でよろしいです。でも、皆には本名を言っておりませんので、皆の前ではハンドルネームのこももでお願いします。」
私だけか。
彰は、途端に機嫌を直して微笑むと、頷いた。
「では、紫貴で。」
彰はそれから、SNSで紫貴が投稿していたいろいろを思い出しては、質問したりしながら、車内の時間を過ごした。
紫貴は、やはり落ち着いた大人なので、彰の話をうんうんと聞き、彰の意図を汲み取って話を振ったり広げたりと、会話が途切れないようにと気を遣っているのが見て取れた。
しかも押しつけがましくなく、要が言ったように上品だった。
…案外に、ああいったかたの方が良いのかもしれない。
間下は、そんな二人を見ながら、そう思っていた。
別荘と言っても大きな洋館だ。
当時はこういう形の家が財力のある人達の間で流行り、祖父も事業をしている手前、こういう建物を建てて、皆を呼んでパーティーをしたり、時にはここを貸して収入にしたりしていた。
今は、手入れはさせているが時々貸し出す程度で、普段は従業員達の慰安のために使っていた。
表は古いがっしりした洋館だったが、中身は長くメンテナンスをして来たので新しい設備が入っていて、とても綺麗だった。
要が、そこにゲームマスターを務める彰の部下、という触れ込みで皆を迎えていた。
まだ彰と紫貴は到着していないが、空港からチャーターしていたバスに乗って、他の11人はもう到着していた。
あちらを飛行機が定刻通りに出て空港に一時間後到着、そこからここまで一時間弱で、皆揃ったのは朝の10時。
大きな別荘なので、一人に一つずつ部屋があり、そこへと案内もし終わって後は彰の到着を待つばかりだった。
要が時計を見ると、朝の10時半だった。
…もうそろそろだな。
要は思って、玄関へと足を進めた。
思った通り、時間通りに黒塗りの車が山道を不自由そうにやって来る。
この近くまでは舗装された道路なのだが、敷地へ入ろうと折れた途端に土の道に変わり、幅は十分なのだが少しでこぼこするのだ。
それでも玄関前に横に車をつけると、中から笑い声が聴こえた。
何事だろうと要が目を丸くしていると、彰がまだ笑顔のまま出て来た。
「ああ、要。」と、紫貴が降りるのを手を握って足元に気を遣い、サポートした。「紫貴、話しただろう。これが要だ。」
紫貴も、笑顔のまま降りてきて、頭を下げた。
「ああ、あなたが。尾上紫貴と申します。この度はいろいろとお手数をお掛けしたようで、申し訳ありませんわ。皆の前では、ハンドルネームのこももと呼んでくださいね。」
要は、どこまで話したのだろう、と不安になったが会釈を返した。
「上司が言う事なので問題ありません。あの、皆さんお着きになっていて、部屋にご案内したところなんです。お二人もお部屋へ?」
間下が降りてきていて、トランクから鞄を取り出していた。
紫貴は、急いでその鞄に手を伸ばした。
「ありがとうございます。」
だが、横から彰がその鞄を引ったくるように取った。
「いい。私が。」と、足を屋敷の中へと向けた。「案内しよう。」
紫貴は、恐縮して言う。
「あの、そんなに重くはありませんので自分で持てますわ。」
だが、彰は首を振って手を引っ張った。
「いいと言うのに。さあ、行こう。」
だから強引なんだってば。
要は思ったが、黙ってそれを見送った。
間下が困惑したようにそれを見送っていたので、要は言った。
「なんか楽しそうに笑ってましたけど、話が弾んだんですか?」
間下は、頷いた。
「紫貴様は気さくなかたなので、上手にお話を引き出されるのです。彰様がおっしゃっていたように、確かに頭の良いかたのようで、空気を読んで上手く彰様を誘導なさいます。最後の笑い声も、この敷地に入った時に、あまりに揺れるので彰様の顔が一気に険しくなられて…恐らく、整地していないと怒っておられたのでしょうが、私はバックミラーを見ながら気が気でありませんでした。でも、紫貴様が突然、クスクスと笑い出されて。何事かと彰様も私も驚いたのですが、紫貴様は『楽しいわ。私、ついぞ遊園地には行っておりませんでしたけど、アトラクションで子達とはしゃいだのを思い出しましたわ。でも、頭をぶつけるので手を握らせて下さいね。』と、それは楽しそうに。途端に彰様も可笑しくなって来られたようで、ガクンガクン揺れる車内でお二人で手を握りあって大笑いしておられました。」
なるほど、空気を読めるのだろう。
今さら紫貴の年齢で、激しく揺れるのがおもしろいとか、あまりないかも知れない。
むしろ酔うのでやめて欲しい方だろう。
だから、すんなり手を握って車から降ろしたのだな。
要は、息をついた。確かに紫貴は、彰にはちょうど良い人柄で、もっと早くに出逢っていたら、何の憂いもなかっただろう。
だが、紫貴は手を握ったからどうのという年齢ではない。
彰もそれぐらいの年齢に見えるので、同じだろうと気軽にそうしただけだろうと思われた。
「…まあ、今回は親交を深めるだけなので。」要は言った。「紫貴さんはいろいろあったばかりで求職中だし。今は恋愛どころでないと思っておられるはずなんですよ。彰さんが暴走しないように、よく見ておきます。」
間下も、心配そうに頷いた。
「お願いいたします。私は会社の方に戻らねばならないのです。また夕方には来ますので、それまでよろしく。メイド達には、重々申し付けてこちらへ来させていますので。」
メイド達は、本宅からこちらへ派遣されて来ているのだ。
要は、頷いた。
「大丈夫です。でも、早めに来てくださいね。」
一人じゃ心許ないから。
要が思って言うと、間下は何度も頷いた。
「もちろんです。私もあのかたなら奥様になられてもそつなく回されると思うので。」
確かに紫貴なら、彰の暴走も簡単に止めそうだ。
要は、そう思いながら屋敷の中へと足を向けた。
間下はトランクを閉めて、また運転しながら来た道を戻って行ったのだった。
ネット繋がりらしく、誰一人として本名を知らない状態だったが、要は航空券を取ったので知ってはいた。
だが、全員がハンドルネームで呼び合う事に慣れてしまっているので、そう呼んでいて、要もそれに合わせる事にした。
本名に言及しないのはネットでの暗黙の了解らしい。
だが、彰は紫貴を本名で呼んでいたので、恐らくお互いに名乗り合ったのだろうと思われた。
紫貴は、ハンドルネームであるこももと呼んで欲しいと言っていたので、要はそうすることにした。
彰が着いたので、全員を呼び集めて、一階の広いリビングに集まった。
初めて顔を合わせる間柄も居るはずなのに、皆和気あいあいと仲良さげだ。
ネットでの付き合いは、かなり長いのだと要は本人達から聞いていた。
一応、名簿は作った。
部屋の振り分けの時に、誰がどこに入っているのか彰に報告する必要があったからだ。
ちなみに、彰の部屋は三階にある主寝室なので振り分けは必要なく、紫貴は必然的にその隣りにある、本来なら妻か子供が入るはずの続き部屋だ。
この別荘には客間が12室あるので、本来なら一つ残るのだが、生憎一つは物置にしている、という事にしていた。
二階、201号室テツ、202号室まなか、203号室蓮、204号室りりぴい、205号室ガチ、206号室レイシー。そして、大きな応接間。
三階、301号室なっちょん、302号室コロン、303号室タツキ、304号室かっつん、305号室ワイズ。そして空き部屋の306号室と、彰の主寝室と、隣りの続き間に紫貴。
参加表明をした順に部屋を振り分けているので、男女はバラバラだ。
だが、部屋には頑丈な鍵も掛かるので、問題ないだろうと思われた。
ちなみに、彰と紫貴の部屋は扉で繋がってはいるのだが、紫貴側からしっかり鍵が掛かるので問題はないはずだ。
彰が、わざわざ管理人室から鍵を持って来ない限りは。
そんなわけで、その鍵は要が懐に入れて持っていた。まさかそこまではしないと思うが、念のためだった。
集まった居間には、要とメイドが並べた洋館に相応しい感じの飾り彫が美しい椅子を、きちんと13脚丸く並べて置いてあった。
彰と紫貴が、遅れてそこへと入って来ると、皆が振り返った。
「あ、こももさんだ。」テツが立ち上がって手を振った。「来ちゃったよ、関西まで。」
紫貴は、フフと笑った。
「皆さん、遠い所まで遥々大変だったわね。私が遠出出来ないから、ごめんなさいね。彰さんにも、こんな立派な別荘を貸して頂いて。」
彰は、そのままひらがなであきらと登録しているので、皆、それで通じた。
「私は一向に構わないよ。それより、先に紹介しておこう。私の職場の部下なのだが、話したら協力してくれると言って。今回のゲームマスターをしてくれる。その他、困ったことがあったらこの要か、メイド達に言ってくれたらいいので。」と、要を見た。「ところで、昼食は何時になりそうだ、要?」
要は答えた。
「はい。12時にはご用意できますが、よろしいでしょうかと先ほどメイドが。」
彰は、頷いた。
「ではそれで。」と、時計を見た。「一時間程か…頑張れば一ゲームぐらいは出来そうだが、どうする?」
「慌ててゲームをするのもだから、みんなと話したいかな。」りりぴいが言った。「あきらさんってこんな大きなお屋敷が別荘なんですか?お仕事を聞いても大丈夫ですか?」
彰は、そう来たかと思ったが、紫貴を気遣って空いた椅子の隣りに座らせ、自分も椅子に座ってから、言った。
「私は医師。臨床医ではないので、誰かを診察しているわけではないんだ。ここは、祖父から相続したもので、私が維持管理しているだけで、買ったものではないし、私が大層なわけではないのだよ。」
だが、となりのまなかが言う。
「でも維持しているだけでもすごいわ!メイドさんもたくさん居て…夢みたいな場所。」
メイドは本宅から連れて来ているとは、彰はあえて言わなかった。金があるとか何とかで、寄って来られても困るからだ。
「皆が来るから一時的にね。」
彰がそうやって女子達に絡まれているうちに、紫貴の隣りの、最初に声を掛けて来ていたテツが紫貴に話しかけた。
「こももさん、飲み会の時以来だね。もう落ち着いた?」
紫貴は、苦笑した。
「まだ、お仕事を探してる段階なの。子供達がゆっくりしたらいいと言ってくれるのに甘えて、こんなに時間が経ってしまったけど、年明けにはさすがに本腰入れないとと思っているわ。」
要は、じっと黙って後ろで待機しているので、二人の会話がよく聞こえた。つまり、テツはあの時、隣りで飲んでいた中に居た一人ということなのだ。
そのテツの隣りの、なっちょんが言った。
「あの時でもちょっとまだ疲れてそうだったものね。あんまり飲まなかったし。でも、今は顔色も良いみたい。」
もう一人。
要は、じっと観察していた。後一人は誰だ。
「こももさんなら、就職先より再婚相手を見つけた方が良いかもよ?」なっちょんの隣りの、蓮が言う。「この際関東に引っ越して来たら?あの時も言ったのに、子供がどうのって言ってさあ。」
紫貴は、苦笑した。
「あの時も答えたでしょ?私、もう恋愛なんて考えられないわ。子供達も一緒に居てくれてるし、穏やかに暮らしたいと思っているだけ。何も煩わしいものが無くなったから、今はこのままで幸せなのよ。」
蓮は、顔をしかめてテツを見た。
「でもさあ…。」
どうやら、この四人があの時集まって飲んでいた仲間らしい。
テツが、慌てて言った。
「蓮、無理を言うなって。こももさんはいいって言ってるんだから。」
蓮は、抗議するように蓮に言った。
「でもテツ、お前が…、」
「ストップ。」なっちょんが言う。「そこから先はあんたが言わないの。こももさんだって薄々分かってるんだと思うけど、こう言ってるんだから。無理強いしないの。」
紫貴は、何も言わない。
察するに、恐らくテツが紫貴を少なからず思っていて、蓮はそれを助けたいと思っているようだ。しかし、なっちょんは分かっていて紫貴がやんわり避けているのを分かっていて、止めている感じだろう。
テツは、41歳なので紫貴より年下で、独身なのは知っていた。
航空券を取るに当たり、全員の歳も名前も知っている要は、心の中で一人ずつしっかりデータ化していた。
ちなみに、ここには20代は一人しかいない。
後は30代と40代の集まりだった。
彰は、恐らく紫貴がこちらの男と話しているので気になっているのだろうが、あいにく自分も女子達に話しかけられて紫貴の会話に割り込むことが出来ていなかった。
本来の彰なら、誰に話しかけられていても無視して紫貴だけを相手にしていただろうが、こうして皆が揃って話をするという場で、その場を乱すような事は、紫貴の手前、どうしても出来ずにいるようだった。
彰がイライラと微笑を顔に貼り付けて女子達の弾丸トークに晒されていると、紫貴がふと、隣りの彰が困っている、と思ったのか、言った。
「そういえば彰さん、あの居酒屋にいらっしゃったって仰ってましたわね。」彰が、すぐにこちらを向いた。紫貴は続けた。「ほら、こちらの三人があの時一緒に飲んでいた子達なんですわ。」
どうやら彰は、あの時居酒屋で隣り合ったと偶然を装って紫貴に話したようだ。
彰は、蓮、テツ、なっちょんの三人を見た。
「確かに見覚えがある。あの時は、声を掛ける事もなかったし、まさか人狼コミュニティに入っていた人たちだったとは。」
紫貴は、フフと笑った。
「あの時、トイレの前で私が鞄の中身をぶちまけてしまわなければ、きっと覚えてもおられなかったでしょうね。本当に、偶然ってあるんですね。」
なっちょんが、ああ、と手を叩いた。
「そういえば!隣りにイケメンばっかり座ってて、でも一人ガッツリした外国人が居て怖かったから、あんまり見られなかったのよね。そうか、じゃあ要さんもじゃない?ほら、見覚えがあるなあって思ってたのよ。」
要は、自分にも話を振られて慌てて答えた。
「居酒屋といえば、確かに彰さんと一緒に行ったのでお会いしたのは私かもしれませんね。」
ガッツリした外国人というのは、アルバートのことだろう。
見るのも抑制する効果があるとは知らなかった。
「ええええなっちょんさん達知ってるの?あきらさんと会ったことあるんだ!」
彰の意識をそっちへ向けようと一生懸命らしいまなかが、椅子から立ち上がらんばかりにこちらを見て言う。
この子が唯一の二十代で、28歳だと聞いていた。
なっちょんは、笑って手を振った。
「会ったって言っても、ちょっとでも話したのはこももさんだけよ?お手洗いに行った時にかち合ったって聞いてるわ。こももさんの鞄が落ちて中身が散ったから、あきらさんが拾うの手伝ってくれたんですって。」
紫貴は、黙って頷いている。
テツが言った。
「え、なんだよオレ、知らなかったんだけど。」
なっちょんが、はあ?という顔をした。
「別に言うほどの事じゃなかったからじゃない?私だって後からトイレに一緒に行った時に、そういえばさっき…ってこももさんから聞いただけだったわ。その時にはもう、あきらさん達は帰ってて居なかったし。」
彰が、一見なんでもないように、だが恐らくは確かめずにはいられなかったのだろうが、言った。
「テツさんがそんな風に言うという事は、こももさんとは何でもかんでも話すような仲なのかな?」
テツが、驚いたような顔をしてから、顔を赤くした。しかし紫貴は、何でもない風に苦笑すると、おっとりと首を振った。
「いいえ。ここでは私が最年長ですのに。あり得ませんわ。それに、離婚したばかりでそんなこと考える暇もありません。皆、息子や娘たちのような気持ちでおりますの。彰さんったらそんなことを言って、テツさんにご迷惑ですわ。」
紫貴にとって、本当に皆、息子や娘のような感覚なのだろう。歳は言うほど離れていないのだが、子供が成人している紫貴から見て、年下は皆、一括りなのかもしれない。
まなかが、紫貴に抱き着いた。
「ママー!」
紫貴は、びっくりしたようだったが、その頭をよしよしと撫でた。
「まあ、甘えん坊さんね、まなちゃん。」と、立ち上がった。「さあ、私は少しあちらも見てみたいわ。ほら、たくさん本とか置いてあるでしょ?お人形もあるわ。行かない?」
まなみは、キャッキャとはしゃいだ。
「行く!ほんとだ、すっごい高そうなお人形~!!」
ビスクドールというんだよ。
要は、思いながら暖炉の方へと歩く数人の背を見送った。
皆が、それにつられてぞろぞろと居間のあちこちへと移動して話している中、彰は後ろで、要に小声で言った。
「…言ってはいけなかっただろうか。」
さっきのそういう仲なのかという問いの事だ。
要は、苦笑して首を振った。
「大丈夫ですよ、紫貴さんは気にしていないようだったし、どうやらテツさんが紫貴さんを想ってそうなのは、仲間内ではみんな知ってるようで、ただ紫貴さんはそんなつもりはないからやんわり断っているみたいですし。」と、人形の前で何やら騒いでいるまなかとりりぴい相手に、紫貴がウンウンと相槌を打っているのを見た。「たぶん、ほんとにみんなの母親みたいな気持ちなんでしょう。でも、これで分かったことですが、紫貴さんにはちょっとずつ歩み寄らないと、あんまりどんどん近付くとサッと逃げてしまいますよ。ここは辛抱のしどころです。」
彰は、険しい顔をしながら頷いた。分かっている…紫貴はひたすらそんなつもりはない、と繰り返してテツという男を牽制しているようだった。
つまり、あまりにこちらが押しても、紫貴はせっかく親しくしてくれ始めたのに、離れてしまうということだ。
「…なんと難しいのだ。」彰は、ため息をついた。「これまでの女とは大違いだ。どうしたら良いのか全く分からない…。」
だから何だってあんなに難しい相手を選ぶんだよ。
要は、自分にすらどうしたら良いのか分からないのだから、彰にはもっとだろうと思った。
まなかが、窓から外へ出られるのを見付けて言った。
「あ、ほら!外にテーブルと椅子があるよ!」
外には、屋根があるスペースがあって、庭を見ながらお茶を飲めるようになっているのだ。
「まあ、本当。でも、スリッパに履き替えて来てしまったから…後で行きましょう。」
紫貴が答えている。
テツが、さりげなく紫貴の隣に移動して、何か話し掛けていた。
…多分、テツも今回、なんとか紫貴さんと近付きたいと思ってるんだろうな。
要は思ってそれを見ていたが、彰は黙って見ている事が出来なかったようで、急いでそれに合流していた。
要は、これは少し自分もみんなと仲良くなって、もっと内情を探らなければとそちらへ足を向けたのだった。




