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新しい関係

ヒューは、長く研究所に滞在するわけには行かなかったので、アデラを連れて提携病院へと移り、アデラの回復を待って、帰国することになっていた。

アデラは、表向き種類が定かでない野生動物に襲われて生死の境をさまよった後、脳にダメージを受けた事になっているが、ヒューは知っていた。

あの大きな犬歯にでも貫かれたような穴…恐らくは、人狼だ。

あの研究所には、人狼が居るというもっぱらの噂だった。

嗅覚、聴覚に優れ、夜目も利き走るのが速い。

だが、実際に会ったことなどなかった。

ジョンの妻の紫貴が、自分を助けてくれるように頼んでくれたということで、自分は治療を受けて、あの傷から生還することが出来た。

入院している間に、いろいろな人物に出逢ったが、その中に人狼が居たのかもしれない。だが、全く見た目が変わらなくて、誰がそうなのか分からなかった。

深く知ることが出来ないままに、自分はアデラを連れて、あの研究所を出る事になったのだ。

アデラは、記憶の処理を受けているようだった。

最初は、全く回りが分からなくて、入れていたカテーテルはそのままで、排便すらままならなかったが、段々に回復して来ると聞いていた通り、アデラはそれぐらいの事を出来るようになって来た。

本来、ジョンに手出しをしたものは殺されると言われていたので、生きているだけでもありがたいことだと、ヒューは思ってそれを見ていた。

とはいえ、ヒューもアデラに殺された身。

本当は、放って帰りたい気持ちだった。

何も覚えていないアデラを責めることは出来ないが、少しでも心の中にあった好意は全て掻き消えており、本来こんなことに時間を使いたくはない。

だが、自分の命を助けたのは、アデラの処分を任せたいからだとジョンに言われ、仕方なくこうして、帰国できるまでアデラの番をしていた。

はっきり言って、もう関わりたくなかった。

国では、アデラの両親が事故の事を聞いて、待っていてくれる。

帰国したら、二人にアデラを引き渡して、自分の任務は完了だった。

とはいえ、アデラの回復は目覚ましく、あれから二月、言葉も思い出し、問題なく日常生活を送れるようになって来ていた。

そろそろ、帰国できるはずだった。

「ごめんなさいね、ヒュー。」アデラは、別人の話し方だった。「何も覚えていなくて。小さい頃のことは覚えているの。でも、本当に…ハイスクールの辺りまでで、ぷっつり記憶が無くなっていて。あなたとは、どうして一緒に日本に来たのかしら?」

ヒューは、答えた。

「オレがこっちに知り合いが居て、会う約束があるからって言ったら、君が一緒に航空券を取ったら今、お得だと言うからそうしただけだよ。」ヒューは、自分達は特別な関係ではない、と匂わせながら言った。「オレももう帰らなきゃならないけど、君の事を君のご両親に知らせたら、どうか一緒に連れて帰って欲しいって言うから、残っていたんだ。オレの彼女も待ってるからね。申し訳ないけど、もう帰らなきゃ。君も、もう大丈夫だろ?」

アデラは、ハッとしたような顔をしたが、残念そうに微笑んだ。

「そうなの。ええ、私は大丈夫。パパとママが待っていてくれるし、飛行機の中だけ我慢したらいいから。ゆっくり回復したらいいねって言っていたし。」

アデラも、ハイスクール時代はこうして素直で可愛らしい女だったのだろうな。

ヒューは思った。だが、その女が恋に狂うとどうなってしまうのかも、ヒューは傍で見ていて知っていた。

元のアデラに戻って欲しいからこそ、ヒューは思い切るための日本行きを手伝った。だが、結果は自分は刺されて、本当なら死んでいた。

自分が思うほど、アデラは自分を友人としても、男としても大切には思ってくれていは居なかった。

ヒューは、立ち上がった。

「じゃあ、航空券を取っておくよ。退院手続きも済ませておくから。請求は君か君のご両親になるけど…大丈夫?」

アデラは、ハッとして慌てて言った。

「電話で確認しておくわ!ありがとう、ヒュー。」

そうして、ヒューは手続きに向かった。

あちらへ帰ったら、部屋を引き払って二度とアデラに会うつもりはなかった。

だが、不思議なことにヒュー自身の襲撃の事や研究所での記憶も、何やら遠く夢物語のような感じになって来ている。

詳しい間取りや細かい事も、もう思い出せなくなって来ていた。

ヒューは、忘れたいのだろうな、と思いながら、帰国の準備に取り掛かったのだった。


「二人は、無事に帰国の途につきました。」帰国していたハリーが言った。「リッツがあちらで引き続き様子は観察するとの事でしたが、恐らく大丈夫でしょう。ヒューはアデラから離れるためか、こちらからアパートの解約依頼をネットでしていましたし、恐らくもう関わらないつもりでしょうな。東海岸の街のアパートを探しているようで検索している様子です。」

彰は、ホッと息をついた。

「クリスが上手くやってくれたので、私に出逢う前の記憶しかアデラには残っていない。本来廃人にしても良かったが、それではな。私も落ち着いて考えると、自分の価値観を押し付けて女性に接していた時代が悪かったのだから。これで良かったと思う。」

ハリーは、頷いた。

「他の二人も、処理を終えたら驚くほど穏やかな顔になっていました。あちらもあちらであなたを愛して、苦しんでいたのでしょう。もう二度と会う事もないのですし、これからは幸福にと願います。こうして私の薬品が役に立つのを見ていると、やっていることは無駄ではなかったのだと思いました。新薬が開発出来たからこそ、後遺症なく処置出来たのですし。」

彰は、頷いた。

「私もそのように。治験を繰り返していたからこそだしな。あのTRPGも人狼ゲームも、無駄ではなかったな。」

要がそこへ入って来て、ハリーを見た。

「ハリー。もう報告したの?」

ハリーは頷く。

「ああ。無事に終わったからな。それより君は今日、新の係じゃなかったか?新は?」

要は、答えた。

「紫貴さんが授乳の時間だからって迎えに来て、連れてったよ。」と、彰を見た。「彰さん、新が今日、顔を見てにっこりしてくれました。もう判断ついてるんでしょうか?2ヶ月ですけど。」

彰は苦笑した。

「どうだろうな。いくら私でもあの子が何を考えているのかまで分からないから。だが、私は生後3ヶ月ぐらいには言葉に意味があることを悟ったのをうっすら覚えているから、2ヶ月なら人の見分けぐらいはついているのではないか。紫貴の声を聞けばピタリと泣き止むしな。私の顔を見てもそう。」

ハリーが言った。

「早いですね。これはシリルが興味を持っていそうですな。あなたの脳がどう成長したのか分かるかも知れない。同じかもしれないでしょう。」

彰は、苦笑した。

「どうだろうな。皆、自分が持っている物の中で何とかするのが一番だ。私だって別に、生まれてみたらこうだっただけで、それがなぜかなど分からない。一度分析させてみたことがあるが、とんでもなく電気信号が伝わるのが速いのと、活動し始めたら一気に活動範囲が広がって、それが多いぐらいで他は他のヒトと特に変わったことはなかったのだ。見た感じ変わらない以上、私が後天的に何かを得てこうなったのかということだが、それは子供を持ってみなければ分からなかった。新がどうかと言われたら、一緒に過ごしていて分かるのは、あれが目で見て何かを判断する速度がどうやら私と同じ。他の人の平均より速い。つまり、これは先天的に持っているということで、私の脳を直接開いて見てみない事には分からないだろうな。いや、見ても分かるものか…とにかくは、外から調べてみたところでは分からなかったのだ。今の技術ではやるだけ無駄かもしれない。」

脳は本当にまだよく分かっていない場所で、彰の言う通り、とんでもない天才でも、凡才でも見た目はほとんど変わらない。

今の技術では、どうすればそんなに優秀な脳になるのか、解明できないのかもしれない。

要は、控えめに言った。

「それで…あの、今日はそんなことを言いに来たのではなくて、あの、あれからもう一年以上で、これ以上延ばせなくなって来てるんですよ。ほら、あの別荘のセキュリティの件です。この前の治験の。」

彰は、顔をしかめた。

「なんだあれか?TRPGの奴らか。面倒だな、いっそ本当にちょこっと仕事をやらせて終わらせるか。また邪神の役とかさせられるとなると、私はまたアレをしなければならないのだろう。紫貴だって何と言うか…そういえば、私がそんな強引な治験を繰り返していることは、まだ話していなかった。」

彰は、自然居室の方へと視線をやった。防音が完璧なので会話は聴こえていないだろうが、そこで紫貴は今、新に授乳しているはずだった。

ハリーが、心配そうに言った。

「話してないんですか?あれは下界の住人だった紫貴さんにはちょっと…あの、理解出来ないかもしれませんね。どうします?」

要が言う。

「オレが言いましょうか。ええっと人狼の方はちょっと…いや、でも生き返るんだしそれを治験するために集まってもらってついでにリアルな人狼ゲームを楽しんでもらってる、で良いかもしれません。彰さんだって参加している回もあるし、人狼好きだから皆で楽しんでるんだって。」

彰は、うんうんと頷いた。

「君は一番下界で過ごした時間が長いから分かるな。そう言えば大丈夫そうか?」

要は、頷いた。

「恐らくは。TRPGだって、紫貴さんは好きなんでしょう?リアルな体験をさせる場所を作ってるって言えば、それはそれでいいかも。テーマパークのアトラクションのノリなんだって言えば。」

彰は、うーんと顔をしかめた。

「確かに紫貴はTRPGが好きなんだが、自分も参加したいなどと言い出したらどうしたら良いのだ。」

ハリーが言う。

「そうなったらNPCで参加してもらったらどうですか?仕掛け人側として参加するとなると、また楽しいかもしれませんよ。本当は参加者はそれがリアルに起こっていると思ってるんですけど、紫貴さんから見たらみんな分かってて参加してると思うだろうし。途中でネタばらしをするような、野暮なことはなさらないと思います。」

彰は、息をついた。

「まあ、そうだな。あちらには紫貴の子供達も居ることだし、紫貴も一度帰りたいだろう。ちなみに今度使うつもりだった海辺の高台の別荘だが、紫貴が選んで子達が住んでいる別荘から車で40分ほどなのだ。面が割れているし私の出番はどうせ最後ぐらいだろうから、それまで紫貴と新と一緒にあっちへ帰るかな。出番になったらそっちへ行くから知らせてくれたら。」

要が、焦って言った。

「ちょっと待ってくださいよ、思ったより早く出番が来たらどうするんですか。近くで構えてないと出られませんよ?それにあのとんでもなく綺麗になった容姿で、まさか下界をうろうろするとか言うんじゃないでしょうね。目立って大変ですよ?」

彰は、嫌そうな顔をした。

「だったら私の出番がないシナリオをクリスに書かせろ。どっちにしろ私はあっちへ行くぞ。紫貴が子供達が気になると言っていたんだ。出歩くなと言うならそれでもいいし、やるなら私のいいようにしてくれ。」

要が言い返そうとして口を開きかけると、紫貴が執務室の扉を開いた。

「まあ、どうしました?インターフォンで話しかけようとしたら、なんだか言い争っているようだったので、慌てて出て来ましたの。」

新は、もうしっかり首が座った状態で、こちらをじっと見ていた。

彰は、急いで立ち上がって手を差し伸べた。

「ああ、授乳は終わったか?」と、新を慣れた手つきで抱き取った。「昨日は夜泣きが酷かったが、今日は機嫌が良いようだ。」

ハリーが、あ、と手を打った。

「そういえば、夜中に廊下をうろうろしてましたよね。夜泣きだったんですか。」

彰は、頷いた。

「夜ぐらい、紫貴にも休ませてやらないと。昼間は世話をしているのだし。」

紫貴は、言った。

「彰さんは昼間にお仕事なのですからって言いましたのに。それに私は、所員の方々が交代で手伝ってくださるから楽に子育て出来ておりますの。」

彰は、首を振った。

「いいのだ。私の仕事などそう疲れるわけでもないのだから。」

彰さんが愛妻家になるとは思わなかったなあ。

要は、思って見ていた。子育てにも積極的に参加しているし、新の世話も嫌がらずにする。夜泣きの対応も、紫貴がしているところを見た事が無かった。

紫貴と二人であやしていることはあっても、紫貴が単独で新を抱いて困っているような事は絶対になかった。

彰は、新を可愛がるというよりも、紫貴に楽をさせたいからやっている、という感じだった。

そんな二人の様子を、新はただじっと、彰そっくりの目で見つめていた。

「ところで紫貴、まだ新が小さいので今すぐではないが、準備が出来たら君の子達の屋敷に一度行かないか。私もあちらに仕事が出来そうなので、しばらく滞在しようと思っている。一応、新も血が繋がる兄弟なのだし、顔を見ておかねばならないだろう。」

要は、もうそんな話に、と一瞬困ったが、紫貴はそれに気付かず嬉しそうに言った。

「まあ。嬉しいですわ、子達からも連絡が来ていて、新の写真を送ったりしていたので、会いたいと言っていましたの。息子も弟が出来たと喜んでいました。これまで姉と妹でしたから。」

彰は、笑って頷いた。

「そうだろう。なるべく早く準備をするから、待っていてくれ。それから、話があるのだ。」と、紫貴を居室の方へといざなった。「こちらへ。治験の事なのだが…、」

バタン、と扉が閉まった。

こちらではまだハリーと要が居るのに、彰はもう、あのTRPGと人狼の事について、今打ち合わせた通りに紫貴に報告に行ったらしい。

要は、息をついた。

「これは、準備するしかないな。まだ細かい所を詰めたかったのに…自分が言いたいことだけ言って、彰さんは。」

ハリーは、肩をすくめて立ち上がった。

「仕方ない。まだやると言ってくれただけマシだと思おう。私も次の治験で使いたい薬を選んで、それを使えるようなシナリオにしてくれとクリスに言って来る。」

要は、言った。

「出来るだけ彰さんの出番がない方向で頼みたいけど、無理だろうね。」

ハリーは、それには顔をしかめた。

「多分な。あの邪神が生きて出現するからこそ、あの物語は恐怖に包まれて現実味を帯びて来るのだと思うし。ジョンにしか出来ない役だ。いざとなったら紫貴さんに頼んで無理にでも出てもらえるように頼んでもらおう。紫貴さんが言えば、多分ジョンも動くだろう。」

要は、そもそも紫貴がそれを承諾するのかも分からないのに、と思いながらも、頷いた。

一年前からは思いもしなかったような、すっかりアットホームな研究所の中だったが、やはり彰は変わらないなあと、要はため息をついて準備に出て行ったのだった。

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