天伶と紅偆
「なぁ、聞いたか?
陛下と一緒になられたお妃様の事。」
「あぁ。
何でも息を飲むほどに美しいのだとか。」
「天涯孤独のお姫様だったらしい。」
「いやいや、あまりの美しさに月の者ではないかとの話だぞ。」
思わず吹き出しそうになった。
ついに"月の者"ときたか。
巷ではお妃様の噂ばかりだ。
「あら、天伶様、もうお帰りになられてしまうの?」
この店の女店主が甘えたように言う。
「あぁ、茶葉を買いに来ただけだからな。」
茶葉を受け取り店を出ようとすると女がすり寄る。
「もう少しだけ居てくださいな。」
甘ったるい香り。
上目遣いに俺を見る。
「いつも良い茶葉を感謝する。」
店を出て馬を走らせる。
こんなところで道草を食ってる時間なんてない。
茶葉は陛下に頼まれたからだけど、早く帰らないと何を言われるか…
"アイツ"に。
思えば出会いは最悪だった。
王宮内を走り回り、人にぶつかったくせに謝ることもしない"お姫様"。
「いったぁ…。」
「ってぇー…。」
みぞおちに頭突きをされた俺はうずくまり、相手は尻餅をついた。
「何処見てんだよ!
あぶねぇだろ!」
見ればまだ小さな子供。
しまった。
言いすぎた。
とは思ったが、
「悪かったわね、でも怒鳴らなくてもいいでしょう!?」
……は?
なんて生意気なガキなんだ。
後にこのガキが紫登様の妹だと分かったが、
これが俺と紅偆の出会い。
「陛下、お妃様、お待たせしました。」
俺の茶葉を見るとまるで少女のような声をあげた。
「こんなにたくさん!
天伶様、ありがとうございます。
それから、何度も申し上げましたけど、私の事は変わらず"藍殿"と。」
そう言って恥ずかしそうに笑う彼女につられて微笑む陛下。
もう子供もいると言うのに
いつ見ても仲の良い2人。
「いえ、陛下とご結婚なさったのだから、私がそんな風に呼ぶわけには…」
「藍がそう言ってるんだから、今まで通りでいてあげてよ、天伶。」
……。
陛下に言われては有無も言えない。
「仰せのままに。
では"藍殿"と。」
そう言うと嬉しそうに笑う藍殿。
確かに"月の者"と思ってしまう程に美しい。
それにしても、陛下と藍殿はお似合いすぎるだろ。
などと思っていると、勢い良く部屋に入ってきた奴。
「ちょっと、天伶!
戻っていたなら教えなさいよ。」
「…紅偆殿。」
見た目は成長したが昔から紅偆は紅偆だ。
生意気で強気で…
「天伶様。
紅偆様は天伶様が帰ってくるのを待っていたのですよ?」
クスクスと笑う藍殿の横で顔を赤らめた紅偆がそっぽを向いた。
たまに素直な反応をする。
ずっとこうなら可愛げがあるものだが、
まぁ、そんな紅偆が嫌いではない。
出会いは最悪。
今だって、会えば喧嘩ばかりしている。
紅偆が俺をどう思っているかなんて分からないけど、
たまに兄のように接したくなる時がある。
例えば今みたいに…
「ただ今、紅偆殿。」
と言えば、思いっきり顔をそらすような素直な時はね。
紅偆が妹に思えるのは、俺といる兄の紫登様の後をずっと付いて回っていたからだと思う。
だからいつしか俺の目にも紅偆が妹のように映っていたのに…
あの日、
暴走をした馬が紅偆めがけて駆けたのだ。
「紅偆!!」
襲い来る馬に恐怖を感じたのか、その場から動かない紅偆。
どうやって馬を避けたのか覚えていない俺は、息をすることさえ忘れて走っていたのかもしれない。
「大丈夫か!紅偆!」
息が上がり、苦しさを感じる。
だけど、紅偆に傷ができていないか?とか、怖かったであろう紅偆が心配で堪らなかった。
「紅偆?」
返事も何もない紅偆の顔を覗き込めば、紅頬を紅潮させ、涙を浮かべた紅偆に俺の鼓動が早くなった。
…なんだ、コレ…
紅偆は妹みたいなものだろ?
だから可愛く見えたに違いない。
第一……
俺は陛下の側近で、紅偆は一国の"お姫様"だ。
早くなった鼓動は徐々に落ち着いた。
「ありがとう、天伶。」
紅偆相手にこんな風に動揺するなんてらしくない。
「いいえ、紅偆殿。
姫が怪我などされたら、私の首が飛びますからね。」
一瞬、紅偆の顔が曇った気がしたが、俺はそれを見ないふりしてその場を去った。




