観覧車
その日も僕と彼女は2人で出かけていた。特に何をするでもなく店を覗きながら商店街をぶらぶらと歩く。しかしこの日は昼に会った時から気掛かりなことがあった。なんとなく彼女の元気がない気がするのだ。笑っているし、楽しそうなのだが、どこか空元気な感じがしてしまう。しかし、それとなく聞いてみてもはぐらかされてしまっていた。
「なぁ、やっぱり何かあったよな」
このままもやもやしていてもラチがあかないので僕は思い切って断定的な聞き方をしてみた。
「えっ、なんで。何もないよ」
「なら寝不足とか、疲れてるとか」
「大丈夫だって。それよりさ、あっちのお店見に行かない?」
まただ。話を逸らされた。言いたくないことを無理に言わせるのは気がひける。しかし今この時も無理をさせているのだとしたらその方が嫌だった。
「別に言いたくないならいいけどさ。その、無理してるなら今日はもう解散でも」
言いかけて彼女の顔を見ると、顔に笑顔を貼り付けたまま固まっていた。カエデはたまにこういうことがある。いっぱいいっぱいになると表情が動かなくなるのだ。
「カエデ?大丈夫?」
彼女の方が少し背が低いので目線を合わせるように少し前かがみになる。
「............あ......うん、だいじょうぶ」
戻ってきたか、とほっとしたのもつかの間、彼女の目にキラリと光るものが見えた。あっという間に目に涙がたまり、バッと顔を背ける。
「ほんとに大丈夫だから!」
まったく説得力がないが、今度は僕の方がいっぱいいっぱいになっていた。泣かせてしまった、傷つけてしまった、その上彼女に気まで使わせている。
「か、観覧車!観覧車行こう!」
気づけば僕は裏返った声でそう叫んでいた。ガシッと彼女の腕を掴んで歩き出す。泣かせてしまったことへの焦り、自己嫌悪はあったがそれとは別にモヤモヤとした感情が渦巻く。彼女の泣いている姿を他の誰にも見られたくなかった。
この町には真東に巨大観覧車がある。一周15分近くかかるこの観覧車目当てに訪れる人もいるくらいには町の名物として有名だ。しかし幸いこの日はあまり並ぶこともなくすぐに乗ることができた。
観覧車のゴンドラの中、僕たちは隣に座っていた。
「あの、ごめん。無理やり引っ張って来ちゃって......」
僕は何をやっているんだ。女の子を、泣かせて、密室に......?完全に犯罪じゃないか。顔からサーッと血の気が引くのを感じる。
「私こそ。ごめんなさい」
「え、なにが」
「い、いきなり、泣きそうになったり、して」
そう言う彼女の目元にもう涙はない。飲み込むのに成功したらしい。
「ち、違うの!あなたが悪いんじゃないから」
「いやでも、僕がしつこく迫ったりしたから」
「そうじゃなくて! あ、いやそうじゃないっていうのはそういうことじゃなくて。えと、その」
また固まってしまった。
「えーっと、とりあえず怒ってない?」
カエデはコクコクと頷く。よかった。危うく犯罪者になるところだった。
「わ、私が泣きたくなったのは、傷つけられたからじゃないってこと。それだけ」
「え、じゃあなんで泣いたの?」
「泣いてない!」
「ごめん、なんで」
「言わない!」
よくわからないけれど、とりあえず傷つけてはいないようでよかったと思っておく。
「あったよ。なにか」
しばらくしてから彼女がポツリと言った。
「でも、気取らせるつもりなかったし。まさか言い当てられるなんて思わなくて、なんでわかったの?」
「......なんとなく?」
「私そんなに隠すの下手なのかな」
笑って言うけれど声が震えている。
「それ、やめろよ」
言ってしまってから言葉が足りなかったと気づいて慌ててつけたす。
「あ、いや、僕が言いたかったのは、無理して笑おうとしなくていいんだって。その、僕はカエデにとって笑わないといけない存在になりたくないんだ。泣いてもいいって、思って欲しかった。ごめん」
言って彼女の方を見ると、また目に涙が溜まっていた。
「えっ、あの」
彼女はもう顔を背けなかった。涙はもう飲み込むことを諦めたのかそのまま彼女の頰をつたう。そして出てきた言葉は予想外のものだった。
「もう、だって、そんな優しいこと言われたらさぁ」
「え......」
まさかとは思うが。
「嬉し、泣き......?」
半信半疑で確かめると、彼女が胸に飛び込んできた。ふわりとした胸が当たる感触に知らず顔が熱くなる。彼女のいい匂いが鼻腔をくすぐった。
「あ、あの」
動揺するな、ここは男らしく受け止めなければ、と思いながらも出てきた言葉はしっかり震えていた。
「好きだよ。カナタ」
今度こそ。ゴクリと唾を飲み込む。
「僕も、好きだよ。カエデ」
ゆっくりと優しく肩を抱く。決まった。観覧車はもう最上を過ぎていた。地上に、着いて欲しくなかった。しばらくそのまま固まっているとふとカエデが腕を解いて顔を上げる。目元は赤いがもう涙は止まっていた。
「でもねカナタ、私無理はしてないよ。だって、カナタの顔見ると私どうしても笑っちゃうの」
そう言って満面の笑みを見せる。かわいい。こんなに幸せでいいのだろうか。「そんなに僕の顔面白いかな」と、言おうとしてやめた。彼女の顔を見れば笑っちゃう理由は明白だったから。
----------翌日-----------
「カナタ、家デートはもう飽きたわ。どこか外へ行かない?」
カナタはカヤと部屋でお茶を飲んでいた。カナタの部屋ではなくカヤの部屋のようだ。上品な調度品が並ぶ室内で小さなテーブルを挟んで座っている。
「そうですか?僕はこうして部屋で2人過ごすのも好きなんですが」
カナタは言ってお茶を啜る。
「それは、私も好きだけど......ねぇどこかいいところないかしら?」
「それじゃあ、南東にある丘はどうですか?この時期は花が綺麗ですよ」
「北西でなく南東?例えばどんな花があるの?」
「そうですね......クロユリとかがありましたよ」
「............最近行ったの?」
「えぇ......まぁ。でも少し遠いですし北西にしますか」
「丘は虫がいそうで嫌だわ、でもクロユリは好きよ。花言葉、知ってる?」
「いえ、花言葉なんて気にしたことありませんでした」
「『恋』よ。私たちにピッタリだと思わない?」
「そうですね」
カナタは微笑んで続ける。
「カヤさんの付けている髪飾りの薔薇にも何か花言葉があるんですか?」
「あるわよ、薔薇は色によって花言葉が違うの。私の髪飾りは黒だから......『貴方はあくまで私のもの』だったかしら」
「はは、随分情熱的な花言葉ですね」
「そうね、花言葉はもういいわ。ねぇ、他に最近行ったところはないの?」
「......えぇと、ちょうど昨日観覧車に乗りました」
「観覧車?1人で?」
「まぁ、そんなところです」
「へぇ、でも観覧車はいいわね。今から一緒に行かない?」
「今からですか、急ですね」
「どうせ今日は1日一緒にいるつもりだったのだからいいでしょう?」
「いいですよ。じゃあ行きましょうか」
言ってカナタは立ち上がるとカヤに向かって左手を差し出した。カヤが優雅にその手を取り、2人は連れ添って部屋を出ていくのだった。