誰が為の葬儀
お待たせしました。第七章開幕です。
巡る四つの季節。司るは四人の王。
これは時の始まりからその終わりまで、悠久を越えて生く不滅なる者達の詩。
一番目の玉座。座るは妖精の少女。同胞を引き連れ世界樹の城へ。
新緑の髪に、虹色の翅。
色を失くした世界を、夢幻の花で彩った。
やがてその季節は“春”と呼ばれ、心優しき女王は魔獣の爪痕を癒す。
二番目の玉座。座るは巨人の青年。世の果てを望んで太陽の城へ。
炎の剣に、黄金の歌声。
あらゆる者を惹きつけて、命を燃やして進軍した。
やがてその季節は“夏”と呼ばれ、情熱的な王は魔獣の脚を退ける。
三番目の玉座。座るは地龍の乙女。儚きものを愁いて大地の城へ。
落葉の鱗、苔生す躰。
己の魂を切り分けて、世界に恵みをもたらした。
やがてその季節は“秋”と呼ばれ、慈悲深き女王は魔獣の咆哮を迎え撃つ。
命の芽吹きに感謝して、燃える日差しに恋をして、収穫祭に歌って踊れば……。
太陽さえも退けて、呪われた季節がやってくる――。
四番目の玉座。座るは不死の魔獣。醜い世界を呪って白亜の城へ。
凍てつく毛皮に、吹雪の吐息。
全ての命を憎むがあまり、冥府の支配者と手を組んだ。
いつしかその季節は“冬”と呼ばれ、勇なる者たちがその首を獲ろうと挑んだが……。
……誰一人それを成し遂げることは無く、今年も心冷たき魔獣の王が来る。
――後の世に唄われる童謡『季節の王様達』より――。
* * *
その日は天気が少し陰鬱だっただけで、それ以外はなんの変哲もない一日で終わるはずだった。
実際、日が暮れるまでは、メアリス教徒にとっては平穏な、虐げられるバフォメット族にとっては苦痛と恥辱にまみれた、いつも通りのありふれた一日だったはずである。
それがまさか、雪や氷の精霊たちにとって記念すべき日となることを……そして、人間たちにとっては、未来永劫忌避すべき日になることを、いったい誰が想像できたであろうか。
分厚い雲が覆った闇色の空。
それはまるで異界から来た魔獣のように、輝く星を持たない代わりに冷たい雪をこの地へと運んで来た。
周囲の音を奪いながら、深々と舞い降りる純白なる氷の結晶たちは、まるで彼らの主のために静寂な世界を……彼の望む『冬に呪われた地』を再現しているかのようであった――。
霊峰に囲まれた湖の亡国、レヴィオール。
その中央にある湖の東側。岸辺に位置するネナトの町。
さらにその職人街の、路地裏の袋小路。かつては屑石や廃材の捨て場としても使われていた小さな広場に、その魔獣は佇んでいた。
ただし、その場所にかつての面影は残っておらず、今や霜と氷に支配された冷たい霊安室と化している。
凍てついた袋小路の葬儀場で、喪主を務めるは、深い藍色の毛皮を身に纏う冬の魔獣だ。
氷の棺桶に、霜の墓標。
天井に開いた穴は死体を覆い隠すためか、本格的に降り始めた雪を招き入れる。
死体が雪に埋もれゆく様は、雪葬とでも呼んでやるべきかもしれない。
凍りついた石畳の上で、雪に埋もれながらぞんざいに打ち捨てられているのは、出来立ての惨殺死体。
その肉塊や血は地面に落ち切る前に凍りつき、落ちた衝撃で粉々のシャーベット状になっていた。
死体となったのは中年の男。
彼はほんのさっきまで、神聖メアリス教国軍部の大佐階級だった。
しかし冬の魔獣の怒りを買ってしまったがため、彼は無残にも真っ二つに引き裂かれる運命となったのである。
その葬儀に参列した者達も皆、今や物言わぬ氷像だ。
冬の化身のごとき魔獣が放った、冷たき怒りの波動。その余波に、儚き人間の身では耐えきれなかったのだ。
傲慢だった騎士たちも、下賤だったバフォメット族の奴隷たちも、今は平等に冬の魔獣に命を差し出していた。
だが、この袋小路の葬儀場は狭すぎる。
こんなふうに所々氷像が突っ立っていては、体の大きい魔獣が身動き一つするのにも邪魔になるのだ。
だから冬の魔獣は、その腕を薙ぎ払った。
邪魔な氷像たちは刎ね飛ばされ、壁や残っていた廃材に当たって、粉々に砕け散った。
もはやその所作に躊躇いは無い。
かつての、人を殺すことに迷いを持っていた甘い魔獣は、もう何処にもいない。
だいたい、なぜ不死身の魔獣である自分が、貧弱な人間ごときを殺すのに、いちいち気を遣ってやらなくてはならないのか……今となっては、その理由すら分からなくなっていた。
――冬の城で散った紅いバラの影響は、確実に出ていた。
幸か不幸か、本人は全く気が付いていなかったが――それは、彼の精神が極限まで削り取られていることの証明でもあった。
冬に呪われた地の白亜の城で、硝子のケースに飾られるバラの花。
あの真紅のバラは、魔獣にされた者の魂の一部であり、他人を思いやる心の具現化だ。
魂の一部であるがゆえ、そのバラの花が散る時、心の欠片を伴って剥がれ落ちる。
あるいは逆に、バラの主が優しさや真実の愛を――自分の心を否定した時、バラの花弁も一緒に散ってしまう。
そして花弁が一枚散る度に、バラの主は他人を思いやる心を忘れ、身も心も獣に近付いていくのだ。
本来ならば、それは耐えがたい恐怖だろう。
しかし、そもそもの大前提として、あの魔法は心の冷たい悪人を懲らしめるための罰ではない。
心の凍りついてしまった、憐れな者を救済するための魔法なのだ。
心の奥に咲き続ける優しさを、他人を思いやる気持ちを思い出してほしい――そんな願いの表れである、『真実の愛』の魔法なのだ。
そう、つまりあのバラの本質は、自己を見つめ直させること。決して時間制限を設けるための存在ではなかったのである。
もし本気で時間制限を設けたかったのならば、例えば砂時計なんかを用意したほうが、よっぽど相応しかったはず。
制限されていたのは、時間ではなく心の在り方。
あれは魔獣が人間に戻ることを諦めない限り、真実の愛を追い求め続ける限り、永遠に咲き続ける奇跡のバラ……そのはずだったのだ。
しかし、その紅いバラは彼と相性が良すぎた。それが悲劇の始まりだった。
彼は自分が消えていくことに、全くと言ってよいほど抵抗が無かったのである。
彼は地球人だ。平成の日本を生きた、凡庸な人間だ。
だから彼は子供の頃に、得意だったことを見限った。
大切だった夢を捨てた。
社会に出てからは、好きだった物を忘れるよう努めた。
不要だった自我も棄てた。
とりあえず明日を生きるために、安い賃金で人生を使い潰した。
こうして自己否定を繰り返しながら、彼は不景気のまま終わった平成の日本を生き抜いてきたのだ。
だからバラの花が散ることに、人間を辞めることに、今さら特別な恐怖を覚えなかった。
なにより彼は、自分が嫌いだった。
むしろバラの特性を利用して自己否定を繰り返し、彼は魔獣として最適な肉体と精神を手に入れたのだ。
最初は痛みと恐怖心を封じた。
次は、人間としての自分を否定することで、魔獣としての力を手に入れた。
その後も、傷つく度にバラの花弁を毟って、戦う力に変えてきた。
そして挙句の果てに、狂戦士状態を――人殺しを躊躇う甘い心を否定するための呪いを、自ら魂に刻み込んだ。
それは常人ならばまず考えられない、とんでもない呪い。
彼がしでかしたのは、限りなく禁忌に近いとされる真似だったのである。
自分の心を否定する呪いは、変わりたいという願望だった。故にそれが魂に刻まれてから、彼の魔獣化は益々加速した。
全ては、とある少女を守るため。その力を手に入れるために。
「…………ソフィア」
結果として、残った花弁はたったの一枚。
登り詰めた食物連鎖の頂点。
何時か願った、強くなりたいという切なる思い。
その願いはようやく叶った。
唯一誤算があったとするならば――。
(……そもそも、なぜメアリス教徒をなるべく殺さないようにしていたんだっけ? ソフィアの敵なら、皆殺しにすればいいのに)
しぶとく残った最後の心の欠片は、ソフィアへの想い。
だが、彼女以外の存在を思いやる心は、もはや彼の中に残っていなかった。
(ああ、そうだ。戦後の処理が面倒臭くなるからだったか。でも……それなら国ごと滅ぼしてしまえばいいだけの話だよな?)
魔獣は何も疑問に思わず、あくまで自然にそう考えた。
そして皮肉にも、今の彼には、その考えを実現できる力があった。
強くなりたい。
花弁を犠牲にして、その願いを叶えた魔獣。
彼に唯一の誤算があったとするならば、それは心を削る進化によって、他人の心を理解できなくなってしまったことだろう。
ソフィアが何に心を痛めるか。
そんな事すら、今の彼には想像できなくなっていたのだ。
二人が過ごした冬の城の、暖炉の部屋。
あそこにあった平穏はもう、何処にも無い。
魔獣とソフィア。暖炉の前で眠くなるまで語り合った二人の心は、もう通わない。
冬を纏う魔獣は獲物を求めて、凍てついた袋小路の葬儀場を後にした。
はたして誰が為の葬儀だったのか。
前話のサブタイトル「裏切りと代償」。地味にこの話にもかかってきています。
正直この話まで第六章に含むかすごく悩みましたが、主人公の心機一転(絶望)の意味もかねて、結局ここから第七章としました。




