魔女と魔獣
目の前で仁王立ちしている幼女。
人形のように愛らしい彼女は萌木色のドレスに身を包み、その上に禍々しい雰囲気のローブを羽織っていた。
さらには、身の丈より頭二つ分は長い樫の杖。しかし、それを携えた姿は一見すると、十歳にも満たない女児のようにも見える。
「ああ、あんたか。久しぶりだな」
俺は目の前の少女――俺を魔獣に変え、この世界へと連れてきた張本人たる魔女に挨拶をした。
俺の挨拶が特に無礼だったなんてことはないはずだ。しかし、魔女はなぜか、たいそうご立腹な様子である。
彼女は肩を怒らせ、勇み足で俺のほうに詰め寄って来た。
だが、その姿は非常に可愛らしく……悲しいことに、威厳とか恐ろしさとか、本人がその仕草に期待したはずのものは一切感じられない。
「……どうした? なんだか、機嫌が悪そうに見えるぞ」
「何を呑気なことを言っている! 『久しぶりだな』、じゃないわ! もう一ヶ月も経っておるんじゃぞ! お主、なんでそんなに余裕なのじゃ!? 試練はどうした、試練は!!」
魔女は激しい口調で、一気にまくしたてた。
「は? なんだって? 試練?」
いったい何のことだろう? 心当たりがない。
今の俺の表情を擬態語で表すならば、きょとんとしていたはずだ。
「惚けた顔で首をかしげるな!! 『真実の愛』じゃよ、忘れたとは言わせんぞ!!」
「………………あー、はいはい、思い出した。それのことか。大丈夫だ、その設定はちゃんと覚えてる」
「設定!? 今、設定と言ったか!?」
律儀な魔女は俺の言葉の綾に対しても、しっかりと突っ込みを入れた。
「なぜじゃ!? どうしてそんなに、お主は他人事なんじゃ! 自分の事じゃろ!?」
彼女の必死さに、なんか申し訳なくなる。
一応言い訳させてもらうと、別に忘れていたわけではない。
単に『試練』という単語と『真実の愛』という言葉が、頭の中で結びつかなかっただけなのだ。
さて、この魔女は『試練』だなんて固い表現をしているが、要は彼の名作『美女と野獣』の王子に課せられた魔法と同じものだ。
魔女にもらった紅いバラの花。それが散ってしまうまでに人を愛することを学び、人から愛されるようになったら人間の姿に戻ることができる……そんな感じのおとぎ話的な、まあアレである。
理解なら、十分にしていた。
ただ問題点を挙げるなら……そもそも俺自身が積極的になれないことであろうか。
人間に戻りたくない俺はどうしても、その試練とやらに取り組む気が起きなかった。
「なあ、お主……このままじゃと本当に人間に戻れなくなるぞ? そのあたり、ちゃんと理解しておるのか?」
「ああ、もちろん。それは分かっているつもりさ」
ちなみに例の紅いバラは部屋の隅、埃を被ったガラスケースの中で萎れていた。
……もし魔女がこれを見つけたら、ショックを受けてしまうかもしれないな。
「そういえばお主、あのバラはどこにあrィギャアァアァァーーー!?」
そう思ったのも束の間、魔女が突然大きな悲鳴を上げる。
どうやら今まさに、ぞんざいに打ち捨てられたバラを見つけてしまったらしい。
魔女は目にも留まらぬ素早い動きで埃の海に沈んだバラのケースを救出。そして悲痛な声を上げた。
「お、お、お主、馬鹿じゃろ!? 馬鹿か!? 馬鹿なんじゃな!! このバラはお主の運命を握っとるんじゃ、もうちっと大切に扱わんかい!!」
「いや、そんなこと言われてもなあ……」
「お主いい加減にしろよ!?」
魔女の口調がだんだん荒くなってくる。
だが、二度と人間に戻るつもりの無い俺にとって、そのバラは本当にどうでもいい存在なのだ。
どうでもいいものを大切に扱える人間なんて、はたしてこの世にどれだけ存在するだろうか? いや、そんなこと、誰にもできるはずがない。
しかし、いくら関心が無いとはいえ、少しデリカシーが無さ過ぎだったのも事実。
適当にあしらわれ続けたせいか、小さな魔女はすっかり涙目となっていた。
彼女はバラが入ったガラスのケースを大事そうに抱え上げ、着ているローブで必死に拭う。上等そうなローブが汚れるのもお構いなしだ。
彼女がガラスのケースを磨きながらフーッと息を吹きかけると、大量の埃が宙を舞った。
一瞬で見通しの悪くなる視界。想像以上の埃だ。
不幸なことに、魔女はそれを思いっきり吸いこんでしまったらしい。息苦しそうに大きく咳き込む。
「ゲホッ、ゲホッ、ゴホッ、オェッ……こんなにホコリまみれにしおって……」
「……窓、開けるか」
とりあえず空気を入れ替えよう。
汚い声で咽る魔女の様子に呆れながら、俺は窓を開けてやった。
――外から冷たい空気が流れ込んでくる。
冬に呪われた地の夜は、昼間に比べてさらに冷える。
もともと薪ストーブも沈黙した部屋の中が温かいわけないが……風が通ると、ますますその冷たさを実感できた。
ただ……風の冷たさで言えば、元の世界もいい勝負だと思った。
「……そろそろいいか」
これ以上はいたずらに部屋の温度を下げるだけだ。
空気の入れ替えは十分なはず。
しかし、窓を閉めても、魔女は未だに咳き込み続けていた。
流石に憐れに思った俺は、尻尾で背中をさすってやった。
この魔女だって見た目は可愛らしい幼女。ついつい優しくしてしまうのだ。
魔女は無価値なバラを後生大事そうに抱えていた。
俺からすれば、その姿はあまりにも不憫だった。
まるで、大切な宝物のように、無価値なゴミを抱えるその姿――なぜか、かつての自分を想起させる。
「……なあ、そんなバラ、もう放っておいていいぞ。適当にそこら辺に転がしておいてくれ」
「な!? 何を言っておる!? まだバラは散っておらんではないか! 諦めてはいかんぞ! 希望は最後まで持ち続けるのじゃ!」
「だから、諦めるとか希望とか、そんな話じゃなくてだな……」
本当に俺からすれば、人間に戻るメリットが全くないのだ。この魔女はなかなか理解してくれないようだが。
「だって、なあ? この姿も普通にカッコイイし。そして何より、特典つきだ」
「強がりを言うでない。その魔法はもはや『呪い』と称される類のものじゃ。百害あって一利なしじゃよ。儂も手伝ってやるから、意地を張らず人間に戻ろ?」
魔女の口調は、幼い子供の我が儘に対して言い聞かせをする母親ようだった。
見た目は魔女のほうが明らかに幼いので、なんとも妙な気分になる。
もしかしてこれが少し前流行っていた『バブ味』というものなのであろうか。
だが残念、俺の胸には響かない。
「ハハッ、利がないだって? 何を言っているんだ魔女さんよ。この魔法のことは、あんたが一番よく知っているはずだろ?」
俺は肝心なことを忘れている魔女に対し、嘲るように鼻で笑った。
元々の俺がどうしようもない底辺のIT土方である。
もちろんこれも、人間に戻りたくない理由の一つだ。
だがそれ以上に、魔獣化した際に得られた思わぬ特典。その存在が何よりも大きかった。
何を隠そう、魔獣化した俺には――永遠の命が与えられていたのだ。
「だから、それこそが呪いなのじゃ。魂を蝕まれる前に、お主は人間に戻らんといかんのじゃよ!」
「それがどうした? せっかくノーリスクで都合よく不死の存在になれたんだ。それなのに、今さら脆弱な人間に戻れだって? ありえないね! 素直にそんな命令を聞くやつ、いるわけがないだろ!」
俺は魔女の忠告を無視して、突き放すように言い放った。
* * *
今の俺は、不死身の怪物である。
その事実に気が付いたのは、この城に連れてこられた初日のことだった。
あの日、魔獣に変えられた挙句、見ず知らずの土地に放り出された俺。
碌に周囲の状況も理解できないまま、俺は慌てて冬の城を飛び出した。
行く当てがあったわけではない。我ながら相当混乱していたのだろう。
とにかく、どうにかして元の姿に、そして元の世界に戻ろうと、半ばパニックに陥りながら走り出していた。
しかし、冬に呪われた森の中。
迷い込んだ俺を歓迎したのは、飢えたオオカミの群れであった。
それも、ただのオオカミではない。
この冬に呪われた地の魔力に適応し、独自進化した――即ち、魔獣化したオオカミだ。
ちなみに魔獣というのは、その土地のもつ魔力に適応し、姿を変えた動植物の総称である。ついでに俺も魔力によって姿を変えられているので、広義の意味では魔獣となるらしい。
なお『魔獣』と呼ばれてはいるが、哺乳類のみならず魚や植物でも魔獣だ。それどころか幽霊や付喪神的な無機物であっても魔獣と呼ばれる。
無機物系なんかは『魔物』と称されることあるらしいが、それはあくまで俗称で、正式には魔獣で統一されているんだと。
もちろん、これらは全部、後から聞いた話だ。
それはさておき、冬に呪われた地に適応した魔獣であるオオカミ。あいつらは当然のごとく氷属性の魔力を扱うことに特化していた。
群れでの連携を駆使するだけでなく、氷で壁や罠を張って俺を誘導するのだ。
俺は必死に逃げまわったが、あっけなく追い詰められた。
もはや奴らの知能は、野生の獣のレベルではないと言えるだろう……追い詰められた側の俺がこんな主張をしたところで、間抜けなだけなのは重々承知しているが。
さて、必死の逃走もむなしく、そのまま氷で動きを封じられた俺。
オオカミたちに群がられ、流れ出た血は周囲の雪を赤く染めていく。
絶体絶命の状況。
腕を振り回し、悪あがきのような抵抗は続けていたが、あの時はさすがに死を覚悟した。
――しかし、いつまで経っても、その『死』が訪れることはなかった。
血は止めどなく流れていたはずだ。
体が冷えていく喪失感も、確かに感じていた。
だが、いつまで経っても、自身の体から血液が完全に失われることは無かった。
それどころか、時間が経過するほど、逆に意識ははっきりとしてくる。
そして、奇跡は起きた。
まずは、オオカミに切り裂かれた傷口。
それがが燃えるように熱くなり、見る見るうちに治っていった。
以降は、むしろ傷付けられればられるほど、近づいてくる“死”に抗うための力が湧き上がってきた。
喩えるなら、まるで腹の奥から、命そのものが湧き上がるような、そんな錯覚を覚えるほどに。
死に近づけば近づくほど、『生きる』ための力が膨れ上がっていく。
そして、生命エネルギーの奔流の中で、俺は唐突に理解した。
――もう、自分が死なないという事実を。
死ねない、という現実を。
オオカミたちが氷の魔獣であるように、俺は不死身の魔獣だったのだ。
そうと分かれば、もはや何も怖くない。
その後に繰り広げられたのは、不死性にものを言わせたゴリ押しによる、一方的なオオカミの大虐殺だ。
それは、この冬に呪われた地に、新たなる主が誕生した瞬間であった。
……まあ、そのあと俺はトラウマのあまり引き籠ってしまったわけだが。
さらにその挙句、幸か不幸か魔法の鏡の有用性に気が付いてしまったため、今日まで冬の城から一歩も出ない自堕落な日々を過ごすこととなったのである。
そんなわけで、偶然にも俺の中に宿った奇跡。
それは、人類史上多くの英雄や権力者が渇望したであろう幻想――『永遠の命』。
図らずも自分がその不死の存在となってしまったのだ。恐怖や不安はもちろんある。
けれどそれ以上に、その言葉の響きは魅力的だった。
不死なんてあまりにも使い古された設定。今時じゃネット小説ですら滅多に見ないデタラメなチート能力かもしれない。
なぜ魔獣に変えられたら不死の存在となったのか?
いろいろ考えてみたが、魔獣化がもともと「冷たい心に対する罰」だからではないかと俺は睨んでいる。
この魔法にかけられた者は魔獣として、誰からも恐れられる姿で永遠の孤独を味わうがよい……これはきっと、そういった趣旨の呪いなのだ。
もしそれが嫌ならば、魔法を解いて死ぬことができる人間に戻るしかない。
ついでに異世界に飛ばされることで、生活基盤や頼れそうな人間関係などからも強制的に引き離されるのだ。
つまり本来ならば、この魔法にかけられた者は人間関係がゼロにリセットされた状態から『真実の愛』を探さなければならない。
しかも、外見は恐ろしい猛獣の姿に固定された上で……である。
……そう考えると結構えげつない魔法だな。ここまで全部、俺の勝手な想像だが。
もしリアルの生活が充実している性格の悪いイケメン野郎にこの魔法がかけられたとしよう。文字通り何もかもを失って、下手をすれば発狂ものだ。
そして、彼がもし真実の愛を知ることに失敗したら、二度と人間には戻れない。
いっそのこと死んでしまいたい。人によってはそう願うだろう。
しかし、残念ながらそれは許されないのだ。
なぜなら――この魔法をかけられた者は、すでに不死の怪物となっているのだから。
……本当にえげつない魔法だ。
とことん『外見でチヤホヤされている性格が悪い誰か』を叩き落とすことに徹底していると言える。てか、それ以外の使い道が思いつかない。
そういえば『美女と野獣』の王子も、外見は美しかったからこそ、甘やかされて心が冷たくなったと描写されていたな。
きっとこの魔法の開発者は、相当嫉妬深い大魔法使いだったのだろう。
でも悲しいかな。
だからこそと言うべきか、この魔法って俺にはあまり効果ないんだよね……。
だって、ぶっちゃけ一人身なのは、今までと同じだもん。
別に元の姿でも女の子にチヤホヤされたことない。だから、獣の姿になっても何も変わらない。
下手すれば獣になってからのほうがよっぽど人生充実している。
そして仮に、俺が真実の愛を知って魔法が解けたとしよう。
そこにいるのはイケメンの王子様ではなく、不健康な底辺IT土方だ。
え? なにそれ? 新しい呪い?
また別の呪いをかけられちゃったの?
そっちの呪いはどうやったら解けるんですか?
……もうね、アホかと。
百年の恋だろうが真実の愛だろうが、一瞬で冷めるわ。
お姫様の愛で呪いが解けたら、現れるのが底辺のおっさん――最悪のバッドエンドである。
コメディ的な意味では、むしろ最高のギャグだ。もはや笑うしかない。大爆笑だ。
だいたい、こういった御伽話は美女と野獣に限らず、シンデレラしかり白雪姫しかり、登場人物が美男美女じゃないと成立しない。これは衆知の事実だろう。
つまり、俺の物語にハッピーエンドはありえない。
人並みのハッピーエンドすら望めないならば、いっそ獣として面白おかしく生きていきたいのだ。そっちのほうがよっぽど幸せだ。
そもそもの話、人間は生きるために働くのである。働くために生きるのではない。
しかし、不死ならどうだ?
お腹も空かない。寒くない。外敵にも怯えなくていい。
もし、そんな都合のいい永遠の命を手に入れたとしたら?
簡単な論理である。
働かなくても生きていけるのならば、働かなくていいに決まっているだろ!!
それが生物としてあるべき姿!! これぞダーウィンの進化論!!
つまり俺が人間に戻るメリットはない! やっぱり不死は最高だぜ!!
「というわけだ。俺は人間を辞めたぞ! 魔女――!!」
「まさかそう来るとは……我ながら恐ろしい怪物を生み出してしまったのじゃ……!」
魔女は頭痛に悩まされているのか、苦悶の表情で眉間を抑えていた。
唐突なジョジョパロ。
これで私も一人前のなろう作家です。
あと、ダーウィンさん。ごめんなさい。