幕間 偽りの修道女
改めまして、ブックマーク・評価有難うございます。
まだなろうで執筆を始めた始めたばかりですが、今後も励みに頑張ります。
第三章、開幕です。
――八年前、レヴィオール王国はメアリス教国の侵攻を受けました。
それは悪夢の記憶です。
わたしは他の子供たちと一緒に捕らえられ、メアリス教国の騎士たちに角を切り落とされました。
そしてひとり閉じ込められた地下牢。
そこに訪れた不思議な雰囲気のお姉さんに助け出されて、わたしは炎に呑まれ瓦礫と化した王都から逃げ出します。
たった一人で逃げ出したわたしは、太陽と月の昇る方角へ走りました。
東に向かえば、助けてくれる老人がいる。
お姉さんのその助言を信じて、ひたすら東へ向かい……そして疲れ果て、わたしは大樹の根元で眠りました。
ここから先は、わたしにとってもう一つの故郷となった、名も無き小さな町の記憶になります。
* * *
ノックの音が聞こえてきました。
ハッとして目を開くと、わたしは知らない部屋のベッドで寝ていました。
森の中で眠ったはずなのに、周囲を見ても木々はありません。その代わり、質素で古びた白い壁がわたしを取り囲んでいます。
わたしが困惑していると部屋のドアが開きました。
「おや、目が覚めたようですね。本当によかった……」
戸惑うわたしを驚かさないよう気を遣いながら、ノックの主はゆっくりと部屋に入ってきました。
部屋に入ってきたのは背筋の伸びた痩身の老人でした。その顔に刻まれた深い皺からは厳格そうな印象を受けます。
そして彼が着ていたのは――メアリス教の司祭服でした。
わたしはその服に刻まれた紋章を見て体が強張りました。
だって、その紋様は、わたしたちを襲った騎士たちが身に着けていたものと、全く同じものだったのですから。
しかしその老人はわたしの心中を見抜いたのでしょう。
わたしを安心させるため、その厳格そうな顔に優しげな笑みを浮かべました。
「怖がらなくていいですよ。私は君を傷つけません。神殿騎士共に引き渡すつもりも、ありませんから」
……我ながらあまりにも無防備だったと思います。
ですが、わたしはその言葉を信じて警戒心を解きました。
周囲の人々から、ただ愛されて育ってきたわたし。悪意を受けた経験が極端に乏しくて、人を疑うことが苦手だったのです。
それに、幼いわたしの直感で、この人は信用できる人だと分かりました。
不思議なお姉さんの言っていた「わたしを助けてくれる老人」――それは、正にこのメアリス教の司祭だったのです。
ディオンと名乗ったその老人は、目を覚ましたわたしに温かいスープを食べさせてくれました。
空腹だった幼いわたしは、ディオン司祭の厚意に甘えて、無我夢中で空腹を満たしました。
それから、わたしたちは少しの間お話をしました。
手当してもらった怪我の具合から始まり、わたしたちの故郷で起こったこと、わたしたちが兵隊に襲われたこと、不思議なお姉さんが助けてくれたこと、そして、わたしがあんなところで眠っていた理由……。
いろいろなことを話しました。
話しながらディオン司祭はぎゅっとわたしの手を握っていました。
「ああ……本当に、よく頑張ったね。もう、大丈夫ですよ。よくもまあ、こんなに小さい手で……」
気が付くと、ディオン司祭の目から涙が流れ落ちていました。
止まることのない涙。
それはだんだんと、ディオン司祭の懺悔へ変わっていきました。
「…………すまない、私にもっと権力があれば……!」
思えば、大人の人が泣くのを見たのは、これが初めてだった気がします。
幼かったわたしは目の前で泣き出してしまったお爺さんを慰めるため、もう片方の手で、年下の男の子にやるのと同じように頭を撫でました。
「……ありがとう…………生きていてくれて、本当にありがとう」
ディオン司祭はしばらくの間、わたしの手を握ったまま泣き続けました。
* * *
それからわたしは、その教会で見習いの修道女見習いのふりをしながら過ごすことになりました。
とは言っても、そこまでの話がすんなりと進んだわけではありません。
まず、当然ながらディオン司祭が反対しました。
わたしの境遇を思えばそれが当然でしょう。
ディオン司祭はメアリス教国の手が届かない場所へ逃げることを提案してくださいました。
知り合いの行商人に頼めば、国境の山を越えられるはず。
連合国側まで逃げられれば、そう簡単にメアリス教国の手は及ばないから安全なはずだと。
でも、なんとなくここにいるべきだと感じたわたしが、わがままを言ってディオン司祭の元に居させてもらったのです。
当時のわたしがなぜそう思ったのか、上手く言葉にはできません。ですが、一つだけはっきり言えることがあります。
それは、わたしが残ったことを後悔していないということです。
だって、ディオン司祭たちと過ごした日々も、間違いなく掛け替えのない宝物なのですから。
ディオンさんの教会は辺境の小さな田舎町にありました。
住んでいたのは、僅かに中央から逃げてきた獣人の方がいただけで、ほとんどが真人族です。
そんな中、バフォメット族であるわたしの姿はとても目立ちましたが、町の皆は当たり前のように受け入れてくれました。
奴隷でない亜人族の方が普通に暮らしていけるのは、メアリス教国の中では非常に珍しいことです。
これはひとえにディオン司祭の功績でした。
今でこそディオンさんは辺境の小さな田舎町でメアリス教の司祭をやっていますが、本当は枢機卿という、すごく偉い立場の人だったそうです。
ディオン司祭は昔から、どんな身分や種族相手でも分け隔てなく接する徳の高い司祭長として有名でした。
そして亜人の奴隷化を推奨する今の教皇派と真っ向から対立して――権力争いに負け、この辺境の田舎町に追いやられたのだと、町の人たちは教えてくださいました。
だから、ディオンさんが司祭を務めるこの田舎町は、メアリス教国の中でも数少ない亜人が暮らせる町だったのです。
町の人たちはそんなディオンさんを、とても慕っていました。
ある日、ディオン司祭はぽつりぽつりと語りました。
「実は……レヴィオール王国の件ついては、私にも責任があるのです」
とても悲しげに語る彼からは、普段からは想像もできないほど弱々しい印象を受けました。
「本来ならば、私が止めさせるべき悪徳でした。しかし、私は根回しや裏工作といった、政治活動にどうしても積極的になれませんで……そのツケが回ってきたのでしょうね。気が付けば、中央に私の居場所はなくなっていたのです」
ディオン司祭は言葉を続けます。
「端的に言えば、頭が固すぎたのですよ。聖職者たる者、いかに小さな不正であってもなすべきではない。地道に善を成していけば、隣人に愛を説いていけば、それだけで頂に至ることができる……ほんの数年前まで私は本気でそう信じていました」
その声音からは、自責と後悔の念が感じられました。
「辺境に追いやられてやっと思い知りました。大きな正義を成すためには、清濁を併せて呑む必要もあったということを……現に私は、教皇派の暴走を止められず、あの悲劇を防げませんでした――これが、私の罪なのです」
……幼いわたしにとって、その告白は少し難しすぎました。
ただ、なんとなく理解できた範囲でですが、ディオン司祭に明確な非があったとは思えませんでした。
むしろ、やっぱりディオンさんは立派な人なんだなと思いました。
「許してほしいとは、言いません。ただ、せめて君だけは……必ず、私が守ると誓いましょう」
どこまでも高潔であろうとするその姿。
いつしかディオン司祭の姿に、わたしは見た目の全然似ていないお父様を重ねて見ていました。
――故郷を滅ぼされたわたしが、復讐の炎に身を焦がさなかった理由。それは間違いなく、ディオンさんや町の皆の存在が大きかったと思います。
* * *
あっという間に八年の月日が流れました。
相変わらずわたしは修道女見習いとして暮らしていました。
穏やかに流れる時の中で、わたしの周囲では色んなことが少しずつ変わっていきます。
例えば、わたし自身の身長もだいぶ伸びました。
町に新しく生まれた赤ちゃんたちも、いつの間にか元気に走り回るようになっていました。
年下の子供たちはわたしのことを「お姉ちゃん」と呼んで慕ってくれています。
町で暮らす人たちはわたしがバフォメット族であることを御存知でしたが、わたしは念のため普段から本当の姿を隠していました。
目深なフードで瞳の形や額の宝石を隠し、顔には白粉を塗りたくって、そして、不思議なお姉さんからもらった鎖のブレスレット――認識阻害の呪具を肌身外さず身に着けて。
親しくない者がわたしを見ても、亜人であるとはまず気付けないでしょう。
特にディオン司祭は教皇派から目の敵にされることが多い人物でしたから、バフォメット族であるわたしは姿を偽る必要があったのです。
表面的には穏やかでしたが、裏では教皇派とディオン司祭を慕う人たち――ディオン派の権力争いが益々激しくなっていました。
もともとメアリス教は異世界から来た英雄たちを讃える宗教。
そして、彼らは様々な種族の女性と婚姻を結んでいます。
しかし、一部の人間の利益のため、その歴史は歪められていました。
亜人を排斥し、奴隷の身分に落とす今の教皇派の在り方は、本来のメアリス教ではなかったのだそうです。
しかし、嘘で塗り固めた歴史には矛盾が生じます。
その歪みにはすでに無理が生じており、近いうちに教皇派は討たれるだろうと、古き良きメアリス教を知る人々は噂しました。
もしかすると、レヴィオール王国も近いうちに解放されるかもしれない……その時のためにも、わたしは名も無き『聖女』として、裏方で尽力していました。
わたしが聖女と呼ばれるようになったきっかけは聖術――メアリス教における魔術を学んだことでした。
ディオン司祭の指導のもと、わたしは護身用に棒術や治癒魔術、結界魔術、あとは簡単な攻撃用の属性魔術など、最低限の戦う術を学びました。
その中で、わたしには特に治癒魔術の才能があったのです。
町で病人やけが人が出た場合には、その治療も任されるようになりました。
流行り病の治療をしたこともあります。
わたしが治癒魔術を会得してからは、町で流行り病に倒れてしまう人の数が極端に少なくなりました。
ひとりの修道女によって、黒死の病から守られた、小さな町の奇跡。
気が付けば、この町で起きた出来事は広まっていて、わたしの治療を求めて遠路はるばる訪れる患者さんも現れ始めました。
そしていつしか、わたしはメアリス教の英雄の血を引いているのではないかと噂されるようになったのです。
メアリス教が崇める異世界から召喚された英雄たち。彼らはは例外なく、特別な能力をもっていたとされています。
そんな英雄の一人、“小鳥の舞う”と讃えられる治癒魔術師。
教皇派の手で隠された伝承によれば、彼はとあるバフォメット族の女性を深く愛したと伝えられています。
そのため、もしかしたらわたしこそが二人の子孫ではないかと、わたしの本当の種族を知る町の人々は思ったのでしょう。
真相はわたしにも分かりません。
もしかしたら本当にそうなのかもしれないし、違うかもしれません。
でも、そんなわたしを都合良く思った人たちがいました。
ディオン司祭を慕っている、反教皇派の司祭さんたちです。
彼らは教皇派の暴挙に対抗するため、そして反教皇派の正統性を手に入れるため、わたしを正式に英雄の血を引く『聖女』として認定することを考えました。
わたしはレヴィオール王国のような悲劇を二度と起こさせないため、そしてディオン司祭たちに少しでも協力できたらと思って、その話を受けることを決めました。
ディオン司祭はわたしが危険な立場になることを反対しましたが、時が来るまでわたしがバフォメット族であることを伏せるという条件で了承してくれました。
……打算があったことは否定しません。
でも、人助けが故郷を救うことに繋がるのなら――怒りや憎しみの連鎖を乗り越えた“救い”が、そこに存在するような気がしたのです。
こうして、わたしは『聖女』となりました。
バフォメット族であることを隠しながら、救いを求める人々を癒しつづけました。
元々わたしもディオン司祭も、苦しんでいる人を見捨てられるような性格ではありませんでしたから、来る者は拒まず治療を施していきました。
そして、その迂闊さのせいで……わたしは第二の故郷を失うこととなったのです。
* * *
短い夏の終わりが近づいた頃。
村の人たちはせっせと畑仕事に勤しんでいました。
もうすぐ訪れる収穫祭に浮かれる村。そんな牧歌的な風景を壊すかのように、物々しい装いの神殿騎士たちが訪れます。
「司祭様! 大変だ!!」
村の男の子が教会に飛び込んできました。
ディオン司祭は転がり込んだ男の子を優しく戒めます。
「こらこら、教会でうるさくしてはいけませんよ。まずは落ち着きなさい」
「そんなこと言ってる場合じゃないって! 悪魔狩りの神殿騎士だ! 早く逃げないと、ソフィア姉ちゃんが殺されちゃう!」
窓から外を見ると男の子の言うとおり、馬に乗った集団が今まさにこの教会に向かって来ていました。
その装備は白と赤を基調とした鎧で統一されており、掲げる旗には片翼をもつ女性を模したメアリス教の紋章が刻まれています。
「……悪魔狩り、それは本当ですか?」
ディオン司祭が男の子に尋ねると、男の子は食いかかるように答えました。
「うん、あいつら自分で異端審問官だって言ってた! 間違いないって!」
男の子が指差す先で部隊を先導していたのは、一際大きな軍馬に乗った異質な神殿騎士。
先頭を進むその騎士は、背中に恐ろしく長い騎士剣を背負っていました。
ディオンさんはその黒い馬に乗った騎士を見て目を見開きます。
「あれは、まさか……クロード将軍……?」
「有名な方なのでしょうか」
わたしが尋ねると、ディオンさんは切羽詰まった表情で答えました。
「……狂信の騎士、クロード・フォン・ニブルバーグ。神殿騎士団の将軍であり、私の知る限り最も己の職務に忠実な神殿騎士です。個人的には、あまり好きになれませんが」
こんな顔のディオンさんを見るのは初めてのことでした。
「これは、不味いかもしれませんね。しかし、なぜ今になってここに……やはり目的はソフィアでしょうか? まさかこんな強攻策を打ってくるとは……」
わたしたちはディオン司祭に率いられて裏口に向かいました。しかし、裏口を開こうとしたディオン司祭はその手を止めます。
「……裏口もですか。これはいよいよ本気のようです」
ディオン司祭は何かの気配を察したようです。すでにこの協会は神殿騎士たちに囲まれていました。
ディオン司祭はわたしたちを連れて、今度は礼拝堂に向かいます。
祭壇の女神像を横にずらすと、そこには地下へと続く階段がありました。
「私は彼らと話してきます。ソフィア、貴女はここからお逃げなさい。この先は森の中の涸れ井戸に繋がっています」
ディオンさんは覚悟を決めた表情で告げました。
「そんな……そんなこと、できません!」
また、わたしだけで逃げるなんて……!
幼い記憶が、心の傷が、頭の中で弾けました。
「心配は要りません。彼らだって、建て前では法を順守しています。おそらく、殺されることはないでしょう。今この場で、一番危険なのは貴女です、さあ、行って!」
ちょうどその時、教会の扉が乱暴に叩かれる音が響きます。
男の子は相手をして時間を稼ぐため、玄関へと向かいました。
「さあ、早く! 急ぐのです!」
隠し通路が閉じていく向こうから、ディオン司祭の声が聞こえました。
「必ず生きて、後でまた会いましょう」
そして、わたしの周囲は真っ暗となりました。
涸れ井戸にかけられた古い縄梯子を上ると、薄暗い森の中に出ました。
そこは、わたしがよく薬草を採りに来る森でした。
昼間でも薄暗いこの森は魔の森と呼ばれており、実際に魔獣化した生物が多く生息しています。
わたしには戦う術があるのでまだなんとかなりますが、本来この森はとても危険な場所です。町に住む人間なら、滅多に立ち入ることがありません。
そのはずなのに、一つの足音が背後から迫っていました。
そのことに気が付いた時、わたしの心臓は驚きと恐怖で止まりそうになりました。
森の影から現れたのは、一人の神殿騎士でした。
他の騎士たちは白を基調とした鎧を着ていたはずなのに、彼だけは黒い鎧を身に纏っていて、わたしにはその姿が死神のように思えました。
わたしが恐怖で動けずにいると、その神殿騎士は武器を――黒い騎士剣を構えます。
右腕から溢れだしたのは、どす黒い魔力。騎士剣を這うように燃える暗い炎。
わたしは、その炎に見覚えがありました。
騎士はわたしの名を叫びます。
「見つけたぞ……ソフィア・エリファス・レヴィオール!」
兜越しのその声はこもっていましたが、わたしはその声にも聞き覚えがありました。
「そんな……嘘……」
その声の主は以前わたしの元に訪れた――わたしが治療を施した男性だったのです。
彼のことは、治してあげられなかった患者の一人としてよく覚えていました。
右半身を覆う黒い呪いに苛まれながら、それでもなお紳士的に振る舞っていた男性。
わたしは裏切られたような気持になりました。
もしかして、わたしは恨まれていたのでしょうか?
わたしがしてきたことは、無意味で偽善的な自己満足だったのでしょうか?
その答えは分かりません。ただ、このままここにいても、殺されることは分かっていました。
だからわたしは無我夢中で、森の奥に向かって逃げました。
こうして、わたしは、また、一人で逃げました。
ディオンさんがどうなったのか、分かりません。わたしにできることは、信じることだけです。
あの町がどうなったのか、分かりません。
わたしはただ、わたしが居なくなったあの町に、何事もなかったことを願うだけです。
そんな自分が情けなくて、わたしは泣きながら逃げました。
* * *
わたしは今日も祈ります。
ディオンさんの無事を、町の皆の無事を。
無力であることが悲しくなることがあります。
どれだけ多くの人を癒しても、敵意ある暴力には敵わないことを実感します。
「……くよくよしてちゃ、駄目ですよね」
でも、焦ってはいけません。今、わたしにできることは何もありません。ただディオン司祭たちを信じて、約束を果たすのみです。
生きてまた会うために、今日も生きるのです。
「大丈夫、あの黒い騎士の狙いは……わたしだけのはず……」
わたしは自分に言い聞かせます。
そうしないと、不安に押しつぶされそうになるからです。
「だから、笑顔で、元気を出して……」
わたしは自分に言い聞かせます。
無理やりでも笑顔でいないと、心が壊れてしまいそうになるからです。
森の奥へ奥へと追い込まれ――そして迷い込んだ季節はずれの雪景色。
あまりにも早すぎる初雪の道、オオカミたちに追われながら、辿り着いた冬の城。
その城に住んでいたのは、不思議な黒い魔獣さんでした。
見た目は恐ろしくて、とても不器用だけど、本当は素直で、おっちょこちょいで、それ以上に優しくて親切な魔獣さん。
彼の傍に居ると安心します。
いっそ魔獣さんに助けを求めたいという誘惑に駆られます。
もしも、わたしが泣きつけば、きっと魔獣さんは力を貸してくれるでしょう。
その爪と牙で、わたしの力になってくれるでしょう。
でも、だからこそ、あの魔獣さんの良心に訴えかけるような……利用するような浅ましい真似はしたくないのです。
この冬に呪われた美しい秘境で、ひっそりと生きる魔獣さん。
その平穏を壊す権利など、わたしには無いのですから。
また一日が始まります。
何もできない無力なわたしは、覆せない過去を背負って、今日もまた生きていくのです。
未来を信じて生きていくことしか、わたしにはできないのです。
治癒魔術師の英雄。その家名は”タカナシ”だったと伝えられています(どうでもいい裏設定)。