四話 「特殊害獣対策局」
「じゃ、これに着替えてくれ」
目覚めてから更に二日かかって康平は正式に退院することが決まった。入隊を決めてから士狼が必要書類を持ってきてくれ、それを書くこと以外は体の検査がメインの二日間だった。そして今日ついに士狼に連れられトクジュウの本部に行くことになったのだ。
出発前に士狼は康平に病室で制服を差し出した。黒を基調とした制服は新品のためかにわかに輝いている。制服を着た康平は驚いた。サイズはぴったりで堅苦しいデザインのわりに動きずらさ、ストレスを感じさせない着心地なのだ。
「これ凄いですね、むしろ動きやすいくらいです」
「なんでも人間工学だかに基づいて作られた物らしいからな、まぁトクジュウに入ったら基本的にはそれを着て仕事しなきゃいけないから着やすい分にはいいだろ」
士狼の雰囲気はまるで昨日とは違かった、昨日は悪く言えば堅いような印象があったのだがこの日は何となく取っつきやすい感じがある。
「あの……失礼ですが、なんか昨日と雰囲気違いません?」
「あー、まあな……昨日はその内容が内容だったしな、でもお前が決断してくれたんだ。いつまでも俺が暗かったらいかんだろ」
そう言いつつも士狼は心に曇りを残していた、本当にこんな子供を戦わせなければならないのか? と。
「よし着替え終わったな、そんじゃあ行くか」
士狼に連れられ、康平は病院の外に出た。外は気持ちよく晴れ、雲一つ無い、迎えの車は二人が並んで後部座席に乗ったのを確認し走り出す。走り出してから少しして康平はありきたりだが、当然の質問をぶつける。
「ずっと聞きたかったんですけど、『トクジュウ』って具体的に何なんですか?」
「特殊害獣対策局の略で、『特獣』だ。政府公認の組織って名目だが基本的には独立していていろんな特権も与えられてるし、いろんな国に支部がある」
「特殊害獣って……それまさか」
「そうこうしてるうちに着いたぜ、ここが俺たちの本部『特殊害獣対策局』だ」
車から降りた康平が見た物は高くそびえたつビルで、ビルを中心に巨大な敷地は壁に囲まれており敷地内には様々な施設が点在していて、その広さは全く想像がつかない程。康平は何がどうなっているのかさっぱり分からない。
「さ、行こう」
「は、はい」
士狼の後を追いかけて、康平はビルの中に入る。広々としたエントランスにはたくさんの人がせわしなく動き回っている、セラミックタイルの床を歩いて受付に向かうとそこには少し気が緩んでいるようだが優しそうな女性がいた。
「新入りを連れてきたんだ、局長に会う予定が入ってるだろ?」
「えーと、ああ! 十一時からの面会ですね、指令室ですでに局長がお待ちですよ」
「おう、センキューな」
受付の後ろにある巨大な階段を上り、エレベーターに二人は乗り込んだ。高級ホテルのような内装のエレベーターに康平は緊張を隠せずに肩に力が入ってしまう。エレベーターは静かに上昇を始める、その速度はどうやら一般的な物とは違うらしく、目的地である八十階まであっという間についてしまったため、康平は心の準備ができていない。
ドアが開くと歩いて二十歩ほど歩いたところに厳重なドアがもう一つある。
「さて、いよいよだな。緊張してるか?」
「してますよ、もちろん……」
康平の答えを聞いて、士狼はニヤッと笑う。どうやら彼は康平が緊張でガチガチになっているのが分かっていたようだ。
「最初はそんなもんだ。ま、俺は慣れたけどな。ははは」
乾いた笑いを口から漏らしながら歩き出した士狼の腕と足が同時に出ているのを康平は見てしまった。そこから、余計に不安になる。
「特殊害獣対策局駆逐係、神谷士狼入ります」
ドアを開けるとテーブルの前に眼帯を付けた男が一人立っていた。康平や士狼の制服とは正反対の白い制服を着ており、広い肩幅と制服越しでもわかる鍛えられた肉体、そして左目の鋭い眼光は士狼が緊張していた理由を即座に康平に理解させる。
「ようこそ、特獣へ。私が局長の中島隆だ」
それは深く重みのある声だった。険しい人生を歩んできた者だけに許されたような声は言葉一つ一つを重く心に残していく。たった一言の挨拶でここまで人を呑み込む人間が一体どれほど世界にはいるのだろうか?
「け、剣崎康平です。よろしくお願いします」
差し出された隆の手を握り、康平は頭を下げた。勧められるままソファーに士狼と共に腰かけると高級なソファーなのか尻が沈む。隆はテーブルを挟んで二人の正面に腰かける。
「特獣に入隊してくれた事、感謝する。駆逐係は人手不足だからな、士狼君も任務ご苦労だった」
「いえ……」
「早速だが剣崎君、何か質問があるんじゃないか? 遠慮なく聞いてくれて構わない。時間がないからあまり長く話はできそうにないがね」
「いくつかありますけど……まず俺たちを襲ったあれは何なんですか?」
隆は顔を曇らせる、どうやら彼にも明確な答えは出せずにいるようだ。
それでも、彼は何とか答えを康平の為に引き出してくれたらしい。
「何か……か、一体あれは何なんだろうな……一応私たちは堕ちた獣と書いて堕獣と呼んでいる」
「堕獣?」
「ああ、奴らの姿を見ただろう? 色濃く残った人の面影、それと混ざり合うような怪物の要素、人に化け社会に紛れ込み人を食らう堕ちた獣……それが堕獣だ」
康平は良子の変異したおぞましい姿を思い出しにわかに気分が悪くなった、思い出せば思い出すほどあれはひどい思い出だ。あれを目にした人間が生理的嫌悪を覚えないわけがない。
「そして、君がこれから戦わなければならない相手だ」
その言葉がどれほど康平に自らの選択を後悔させたことか、いくら何でもあれと戦うとは……どうにも現実味が湧かないのが本音だ。
「戦うって……俺にそんな力は……」
「いいや、君は与えられている。戦うべき力を」
そういって隆は康平の右手を指さす、それは康平には自らの罪に対する判決のように思えたのだ。この十字架は罪人である自分に刻み込まれた罪の証なのだと、そう理解した。
その時だった、隆の時計のアラームが鳴る。
「おっと、すまない。時間だ、詳しい事は駆逐係に行ってから教えてもらうといい、では活躍に期待する」
部屋を後にした、康平と士狼は気づかぬうちに早歩きでエレベーターに乗っていた。士狼はエレベーターの壁に寄り掛かると力が抜けるようにため息を吐く。
「ぷはー、疲れたー。な? 楽勝だったろ?」
「そうです……ね」
康平は士狼と共に体の力を抜いた、何とも言えない疲れがやって来た。このままここで眠ってしまうのではと思うような眠気も連れて。
「よっし、あとは仕事場の方にも顔出しとくか。つっても隊長くらいしかいねえと思うけど」
「仕事場?」
「ああ、特殊害獣対策局『駆逐係』俺たちの職場だ」
エレベーターを降り、ビルから出て左手の建物へと二人は向かう、二階建ての建物の入り口には『特殊害獣対策局 駆逐係』とだけ書かれた看板が置かれているだけだ。中に入り二階へ上がるとこじんまりとしたオフィスのような空間が広がっており、机と椅子がきっちりと並べられていた。
「隊長ー新入りですよー」
「お……ああ……うん」
奥のデスクでうつ伏せに寝ていた男が顔に書類を張り付けたまま顔を起こした。寝ぼけた顔をこすりながら康平の方を向く、男は人当たりの良さそうな優しげな顔をしているが疲れからか目の下にはうっすらとクマができていた。
「えーと君が剣崎君? 駆逐係で一応リーダーをさせてもらってる壁越春樹です。よろしくね」
「剣崎康平です。よろしくお願いします」
「あはは、固いなぁもっと力抜いていいよ」
男はにこにこと笑っているがどうやら体の方が限界の様で、頭をぐぁんぐぁんと縦や横に揺らしている。眠気の津波に襲われているようだ。
「隊長……何日ぶっ続けで仕事してんすか……残りはやっとくんでもう休んでください」
士狼は呆れながら、春樹の机の上に広げられていた書類をまとめていく。その量は到底一人では処理しきれるものではないのは誰が見ても明らかだ。
「駆逐係の他のメンバーはいないんですか?」
「ああ……他のみんなは……別の任務で出かけてる……詳しい話は……後で……」
そう言い残し、春樹は机に頭を叩きつけそのまま動かなくなってしまった。それを見て士狼は部屋の隅にあった毛布を春樹にかける。
「疲れてるんだ、勘弁してやってくれな。他のメンバーが来たら紹介するから」
「分かりました」
動かなくなった春樹を残して康平は士狼に連れられ、駆逐係の裏手にある寮に向かった。寮は新しく壁は白く不思議と汚れの一つも無い。階段を上り二階の六号室へ案内された。
「ここがお前の部屋だ。前いた部屋の荷物はお前が検査やら何やらやってる間に全部運んで引き払ってある」
「やる事が早いですね……」
「まあな、そんじゃあ俺は仕事をかたすから今日はもう休むなり、荷ほどきするなりしてくれ。明日はいろいろ大変だと思うからよ。じゃ明日の八時には迎えに来るからそれまで準備しとけなー」
士狼が出ていき、一人になった康平は段ボールの積まれた部屋で唯一置かれていたベットに腰かけた。
そして改めて自らに刻まれた十字架に目をやる。
あの日、生き残った少年がすべきこと、妹を見殺しにしたあの夜の罪。家族が全て殺されながらも今の今まで生きてしまった自らの罪それはこれから償う事になる。命を持って。
「俺の役割は堕獣ってのとこの力を使って戦ってみんなを守って……」
ーー死ぬ事だ。
ある程度の荷ほどきを済ませ眠ろうとした康平が、目覚まし時計を段ボールから出すと電池が切れてしまっているのか動かなくなっていた。