二話 「目覚めの時」
「くそっ……」
黒衣のフードを被った男が建物の間を駆け抜ける、目指すは丘の上にある公園だ。『奴』の反応をキャッチできたのは幸いと言えるが、こんな夕暮れ時から姿を現す事は予測できなかった。
--余程こらえ性の無い奴か目当ての『食い物』でもみつけたか?
男はさらに加速し、公園に続く道に入って行った。
「凄いぜこりゃ……テレビ局に言えばたんまり謝礼がもらえんじゃねえか?」
ノブは軽口を叩くが心から沸き上がる恐怖を隠しきることが出来ない。それもそのはず、目の前にいるのは人間でも獣でもない正真正銘『化け物』なのだから。
口元が大きく割れ、体は異常なほど大きくなり不格好で巨大な両腕には鋭く尖った爪が生えている。灰色の肌はざらつき爬虫類のような印象を抱かずにはいられないのに頭から生えた髪と人の面影を残した両目が不気味にも先ほどまで人間だったことを感じさせる。
人間と化け物のような特徴が最悪の形で融合して出来上がったものが二人の前に不気味な笑みを浮かべて立っている。
「さてと、そっちの子も美味しそうだけど……やっぱり康平君から食べちゃおうかしらねぇ」
良子の巨大な腕が康平に向かって振り下ろされる。康平は死を覚悟せずにはいられない、あの腕に潰されれば間違いなく走馬燈を見る余裕すらなく体を圧し潰され死ぬ事が分かっているのに康平の体は震えで動かない。
「馬鹿野郎!!」
康平をノブが突き飛ばし何とか康平の体は平面にならずに済んだ。だがかばった時に良子の爪はノブの腕を切り裂いていた。傷は深く血がどんどん溢れ出る。
「痛ぇなちくしょう……」
脂汗を浮かばせノブは顔を歪ませうめく、康平の体はまだ震えが止まらない。やっとの思いでノブに駆け寄る。
「おい! なんで俺なんかを……かばったんだ」
--おれは誰かを傷つけてまで生きていていい人間じゃないんだ。
「邪魔ねぇ、まあいいわ改めて殺してあげる!」
再び振り下ろされた腕を黒衣の男が受け止めた、男の足元の地面がひび割れ、足が沈み込みその衝撃の強さをうかがわせる。
「こいつは俺が止める! そいつを連れて逃げろ!」
「あなたは……そう嗅ぎつけられちゃったみたいねぇ」
「殺しすぎたな化け物」
ノブに肩を貸し、よろよろと状況を把握しきれないまま康平は逃げ出した。二人の姿が見えなくなったのを確認し、男は受け止めていた腕を押し返した。
「てめえはここで駆除する、しかし階層B3とは……よくもまあ育ったもんだ」
「あなたたちが無能なだけでしょう? まあもっともおかげでここまで成長できたのだけど」
「そうかもな、ならその始末はしっかりつけてやるさ」
男が右腕の手袋を外す、右手の甲には黒いラテン十字架が刻まれている。手に深く刻み込まれた十字は良子に向けられた。
「まさか……あなたが……『あのお方』言っていた通りみたいね」
「年貢の納め時だな、神造兵器ーー」
男の右手がにわかに光った時、良子は笑みを浮かべた。
「でもあなたの相手は私じゃない」
「何?」
良子の言葉と共に草むらから体の一部が変化した人間? が二人現れ男に襲い掛かった。
「ほかにもいやがったのか!」
「そいつの相手は任せたわ」
良子は巨体からは想像できない跳躍を見せ、康平たちの後を追いかけ始めた。それを追おうとする男の前に二体の人間? が立ちふさがる。
「邪魔くせえ……速攻で片づけるしかねえな」
「神造兵器……解放」
男の右手の十字架が先ほどよりも眩く光り輝いた。
「……ここまでくれば大丈夫だ」
康平はノブを連れ、先ほどの場所から離れた場所にある広場の休憩所まで逃げてきていたが、丘から降りる事の出来る入り口からは反対方向に来てしまっており、ここから出るには今来た道を戻らなければならない。
「さっきのは何なんだ? あんな化け物……見た事ねぇ」
ノブには勿論見た事も無いものだったが、康平は二度目だった。もう見たくなかった、あの日からまるで抜け出してきたような化け物の姿はいつまでも康平の脳裏にちらつき容赦なく体を震わせる。
震えの止まらない体を両手で押さえて康平は先ほどの質問を繰り返す。
「なぁ……どうして俺なんかをかばったんだ? もちろん感謝はしてるんだ、でも俺なんかの為にノブが傷つくこと無いじゃないか……あいつは俺を狙ってきたんだ、だから俺を見捨てて逃げれば良かったんだよ」
繰り返すのが怖い、十年前のあの日を今度はノブで……大切な友人で繰り返さなければいけないと考えただけで康平の心は罪悪感で押しつぶされそうなのだ。もしここでまた自分が生き残りノブが死んだとあっては今度こそ康平は心を壊し最悪の形で自らの人生に幕を閉じてしまうだろう。
「ばーか、何言ってんだよお前」
傷口から血を滴らせながらノブはここ一番の笑顔を見せた。痛くないはずはない、並みの人間なら痛みで動けなくなっていてもおかしくない傷の深さだというのにノブは康平に笑いかけているのだ、いつもと変わらない笑顔で。
「俺だって怖かったさ、でもな俺にとってお前は大事な親友だ。それになここだけの話なんだけどさ……多分お前だからこそ俺もかばえたんだよ」
「え?」
「正直他の奴だったら、震えて助けらんなかったもしれない。でもお前は助けれた、なんでか分かるか?」
「……分からない、どうしてなんだ?」
「お前が俺の親友で」
「俺のヒーローだからさ」
突然ノブの肩を鋭く尖った触手が貫き、そのまま主の元へとその体を運ぶ。そこには良子がいた、指先から伸びた触手を使い、ノブを絡めとるとそのまま右手で鷲掴みにした。
「がっ……!」
「ノブ!!」
右手に掴んだノブを満足げに見つめながら良子は口を割り大声で笑っている、それはあまりに聞くに堪えない声で、しゃがれた老人の声にも壊れたバイオリンのようにも聞こえた。
「さあ、康平ちゃん? 大人しく食べられてちょうだい、じゃないとこの子から食べちゃうわよ。大人しく食べさせてくれればこの子だけは逃がしてあげる」
もちろんそれは嘘だ。良子はどうあろうと康平を食らい、邪魔をしたノブも食らう腹積もりだ。それは康平も分かっている……が康平は黙って歩き出す、良子の元へ。
「いい子ねぇ、ふふふふふ」
--ほんとに馬鹿でいい子よねぇ。
「おいこら康平!」
そのノブの一声は剣崎の愚かな歩みを止めた、ノブは康平の方を見ずに叫び続ける。
「お前はほんとに大馬鹿野郎だ!! 自分の価値なんて勝手に決めんな馬鹿! 小三の時の事忘れたのか!」
「小三……」
小学校三年生、そのころ康平はノブと遊ぶことが多く、いつも一緒だった。ある日公園で康平を待っていたノブは民家から逃げ出した犬に襲われた。巨大で自分を見据えうなる犬にノブは震えて動けない、とびかかってきた犬からノブを康平が救ったのだ、犬に水をかけノブを助けるために犬に噛まれ引っかかれても康平は戦い犬が逃げ出した後に康平はノブに笑顔で手を差し出した。
「あの時からお前は俺のヒーローなんだ! だから俺はお前のためなら体張れたんじゃねえか!」
「この化け物野郎が! 食うんなら俺にしとけ、ぜってえ腹下させてやるからな!」
--俺は……どうればいい?
「いいわ! ならお望み通り最初に食べてあげる!」
地面に崩れ落ち、膝を付きうつむく康平の体はまだ震えている。動き出したいのに地面の土を手が握るばかりだ、
--友達を助ける力が欲しい。
「ぐっああああ! ちっくしょう……」
ノブを捕まえている右手に力が込められノブの体は悲鳴を上げてきしみ始めた。それでもノブは顔を歪ませて笑う。それが彼に残された最後の抵抗だ。
--もうあの日を繰り返さないために。
--今度こそ守れる力が欲しい。
--神様でも何でもいい俺に力をくれ。
そう願った時、康平の震えは胸に熱い何かが沸き上がると同時に収まっていた。
「くっそ……! 間に合うか……?」
黒衣の男は二体の人間? を処理し、良子の後を追っていた。正直あの二人の学生の命は絶望的だ、男は半ば二人を諦めている。そんな時だった走る男の視界に光の柱が見えた、天高くそびえる光の柱が。
「あれは……!」
広場に着いた男は見た、光の柱の中に立つ少年の姿を。
「あなたが……まさか……」
良子はその輝きにたじろぐしかない、光に驚いただけではない。剣崎の雰囲気は明らかに先ほどとは違う。体は震えておらず、その鋭い両眼は良子の姿をしっかりと捉えている。だが一番目を引いたのは右手に握られた日本刀だった、絵にかいたような典型的な何の特徴も無い日本刀なのにどこか目を引き付ける。
剣崎の右手の甲の傷が変化し、十字架になった。それは逆さの十字架、聖ペトロ十字と呼ばれる形状だ。
「確かに想定外だけど……それだけじゃ私は倒せない!」
言葉を言い終わった良子はやっと気付く、右手の手首よりも先が切り落とされていることを。傷口から赤い血が溢れだし、地面に血だまりを作った。
「ぎゃあああああああ!」
宙に投げ出されたノブを受け止めると剣崎はそっとノブをベンチに寝かせ、康平は良子に向き直した。
「よお……震えは止まったみたいだな……?」
その言葉を最後にノブは気を失う、剣崎は背後から投げかけられたその言葉に何も答えない。
「ふふふ、この程度じゃまだまだね……」
切り落とした右手は切断面から伸びた触手によって再び接合された。冗談のように鮮やかに接合された腕は切り落とされたことを無かったことにするかのように動いている、
「油断したけど……今度こそ死ねぇ!」
再び振り上げられた右手は狂いなく剣崎に振り下ろされようとしたが、剣崎の一閃は今度は手首どころではない、良子の右腕を肩ごと切り落とした。
「なっ……あ……?」
更に切り落とした右腕を剣崎は細かく細かく切り刻んだ、右腕は再生する間もなく灰となり散った。
「そんな……ありえない! なら……これでどう!?」
残された左手の爪は触手の様に伸び剣崎に猛攻を仕掛ける、嵐のような攻撃をまともに食らえば人間の体は豆腐のように四散する。あくまでまともに食らえばだが。
二本目の刀の柄が剣崎の胸から現れる、迷いなくそれを引き抜いた剣崎は襲い来る触手の全てを悉く防いだ。
「どういう事? 触手の動きが読まれてる!? ならもっと早く……!」
触手の動きは鋭さと速さを増し襲い掛かるが、剣崎にとってはそれすらも無意味だ。おぞましい触手は剣崎の体を一度たりとも傷つけることが出来ない。
そして、触手の全ては結局その意義を果たすことなく全て切り落とされた。
「嘘……嘘嘘嘘嘘よぉぉぉぉ!」
がむしゃらに剣崎に突っ込んだ良子の視界がひっくり返る。視界の端には自らの足が見えた。
それは素晴らしい一太刀だった、一人の人間が生涯を剣に捧げ素晴らしい師に師事しさらにそこから休むことなく腕を磨き続け、晩年になってようやく繰り出せるであろう一太刀だった。剣崎の刀は息を呑むほど美しく良子の頭を胴体から切り離していた。
「う……そ」
良子の醜い体は灰となって風に吹き飛ばされた。もう何も残っていない。そこでようやく男は今の戦いに呆気を取られ動けていなかった事に気付いた。
「おい! お前……」
男が声をかけた瞬間に刀が砕け散り、康平はその場に倒れこんだ。意識を失い眠っている。
「ったく……なんなんだこいつは……B3を単独撃破だと……? まあとにかく本部に連絡をいれんとな」
スマホを取り出し、男は『本部』にコールした。
「あー本部? 俺だ、調査領域で階層B2を二体駆除した。あとB3とも会敵したぜ」
電話の向こうからは明るい声がする。
『それで? けがは?』
「怪我はねぇ、それとB3をやったのは俺じゃない」
『ええ!? 誰だい? その付近には他に隊員はいないよ?』
「……もしかしたら新入りが一人入る事になりそうだ、回収を頼む怪我人もいるからな」
『了解、ポイントで待ってるよ』
通話を切り、康平を軽々と男は担ぎ上げ、あっという間にノブも担いだ。
高校生の男二人を担いだまま、男は走り出した。
誰もいなくなった公園に一人の少年が現れた、身長は百六十センチほどで白い髪は風に揺れている。両目は美しい緑色だ。
「力を……掴んだみたいだね、ケンザキ」
「さあ、これは君の未来への反逆だ。陰惨で無慈悲で悲惨で冷酷で残忍で、残酷な未来へのね」
「また前とは違う物語を見せてくれよ、ケンザキ?」
「まだ、『ケンザキコウヘイ』としての物語は始まったばかりなんだから」
少年が空間を指でなぞるとそれに応えるように何もないはずの場所に裂け目ができた、そこに吸い込まれるように少年は消えた。