Y井さん
「おい、何しとるだー、お前」
以前、自分がアルバイトで警備員をしていた頃に個性的なキャラを持つ人物に出会った。『Y井さん』、実名は伏せさせて戴く。六十歳に近い白髪頭で、大きな四角い顔に恰幅の良い図体、そして眼鏡が特徴のどこにでも居そうなおっさん。
しかしこのおっさん、いざ喋らせるともうメチャクチャ。一生忘れる事の出来ないインパクトを相手の記憶に残していくのだ。まず喋る言葉からしておかしい。どこの地方の方言なのかサッパリわからない語尾を使うのだ。
「もーう、冬の朝の寒さは体に堪えるだなー、ワシは寒いのだけはホンマに苦手だでー」
『だー』とか『だでー』とか『んでー』とか一体アンタはどこの国の人? と聞きたくなる様な奇妙奇天烈な喋り方、見た感じでは何か非常に気難しそうな頑固親父なのだが、一度口を開くとその会話内容にはほとんどが実にもならない無駄話ばかり。
自分がそんなY井さんと初めて出逢ったのはあるマンション建築現場での警備の仕事。資材搬入の為の車両誘導と現場監視の為に常駐していた自分の応援増員として同じ警備会社のそのおっさんが送り込まれてきたのだ。
「おい、お前今、ちゃんと見てたか!?」
「えっ? 何が何が?」
「馬鹿がお前はー!? ボケッーとして何をしとるだよホンマに!?」
この時、自分は仕事柄てっきり何か建築現場に搬入される車両か、もしくは工事現場前の危険な場所を通る歩行者でも見落としてしまったのかと思って焦ったのだが、次にY井さんの口から出てきた言葉はそんな緊張を一瞬で脱力させるものだった。
「今、向かいの歩道にメッチャクチャおっぱいのデカい姉ちゃんが歩いとったの見てなかったのか!? もったいないなぁ、何をしとるだー、馬鹿もーん!」
「………………」
とりあえず、自分よりY井さんは遥かに年上の人間ではあるが、そこの建築現場においては常駐している自分がリーダーな訳であり、仕事の指示を出す立場だったのだがこのおっさんの面倒だけは本当に手を焼いた。
なぜなら、この建築現場の近所には現場監督や他の作業員達が苦手にしていた口うるさくしつこいクレーマーがいたので、無駄な立ち話などをしているとそれを写真やビデオなどで撮られていちいち指摘されたりしていたのだ。
「……Y井さん、頼むからもうちょっと静かにして仕事してくんないかな? 監督からも『あのおっさん、何だ?』って注意されちゃったんだからさ……」
「何でだ? ワシは近所のおばちゃんから挨拶されたからちょっとお喋りしただけだでー? 仕事するなら楽しくやった方がええだろー?」
「……だからさ、声が大きいんだって声が! 全く喋るなとは言わないから、もうちょっと小さい声で喋ってよ!?」
「そんな事言われてもこれはワシの地声だで、それにおばちゃんと耳打ちしてコチョコチョ喋っとったら怪しい関係だと思われてしまうてー?」
「……困った人だなぁ……」
会社からは事前に『あの人、かなり変わってて苦労すると思うけど頑張って(笑)』とは言われていたので多少の覚悟は出来ていたものの、この時自分のストレスはかなり溜まってイライラしていた。こんな緊張感でピリピリとしている現場にこんないい加減な人間を送ってくるなんて、仕事が終わったら会社に何て文句言ってやろうか、そんな事を考えながら昼休憩までの仕事をこなしていた。
しかしこの日、自分はこのおっさんのさらにとんでもない言動にひっくり返される事になる。
昼休憩も間近になった頃、一仕事を終わらせて昼飯を買いに行こうとした作業員がクレーマー対策として立ち入り禁止にしていた現場横の側道に足を踏み入れてしまった。その側道は例のクレーマーが住職をしているお寺の参道だと理不尽な言い掛かりをつけている道で、これが原因で建築会社とクレーマーとの間で民事裁判にまで発展する問題になっていたのだ。
その為、この現場に派遣された自分達警備員は作業員達が側道を通らないように見張り、通った時にはすぐさま駆けつけ現場内に引き戻すのが仕事になっていた。この時も作業員の姿を確認したクレーマーがお寺から出てきて文句を言おうとしていたので、自分は急いで作業員の元に駆け寄り注意をしようとした。
正に、その時だった。
「おーい、何しとるだー! 鳶の兄ちゃん、そこを歩いたら裏のお寺のジジイがうるさいだよー! そこを通ったらアカン!!」
このY井さんの言葉に、側にいた自分と現場監督は一瞬で真っ青になった。大声に気づいた作業員はすぐさま現場内に戻って指定された出口から買い物に行ってくれたのだが、しっかりこの言葉は近くにいたクレーマーにも聞こえたはず。『うわぁ、やっちまった!』と頭を抱える自分達を尻目に、Y井さんの独壇場はさらに続く。
「裏のジジイは頭がおかしいから、ちゃんと現場のルール守らんと何を仕出かしてくるかわからんて! あのジジイは近所の人達にもうるさくて嫌われてるらしいから、わざわざこちらから相手するような事したらアカンてー!?」
言葉一つ一つに何のクッションもないY井さんの注意に、クレーマーに対してかなりのストレスを感じていた現場の作業員達は手を叩いて大ウケ。それどころか、あまりに単刀直入で堂々とした態度に例のクレーマーも呆気に取られ、文句を言ってくるどころか恥ずかしそうにコソコソとお寺の中に退散してしまったのだ。
「ああいうキ〇ガイ相手にはなー、言いたい事をガツンと言ってやるのが一番だでー、下手におだててもつけあがるだけだから、これくらいがちょうどええんだー!」
その日以来、あれだけ現場を苦しめていたクレーマーは借りてきた犬の様におとなしくなってしまい、たまに外に出てきても監督に気に入られて毎日現場の警備に来るようになったY井さんの顔を見るとスタコラ逃げ出してしまうようになった。
くれぐれも言っておくが、決してY井さんは何か威圧的な態度でクレーマーを追っ払った訳ではない。見た目こそ立派だが、その口から出てくる言葉と雰囲気は呆れかえるほどにいい加減で脱力系、おばちゃん達に話しかけられると誰でもニコニコと喋る人懐っこい、いや少々馴れ馴れしいくらい陽気な人物なのだ。
この日を境に、自分とY井さんの現場での立場が綺麗に逆転したのは言うまでもない。もちろん、自分も納得の上である。あまりクレーム処理とか苦手だった自分からしたらY井さんは正にこの現場の救世主であり、面倒な事を一手に引き受けてくれる頼もしい相棒。素早い行動が求められる車両誘導等は自分が引き受け、一癖ある人間ばかりの作業員の注意やクレーマー対応はY井さんが行うという見た目も生活もまるで違うデコボココンビはこの日こうして誕生したのだ。
「おーうお前、ちゃんと休みの日はええとこ行って遊んどるかー? 日本の女はええだろー? パイのパイのパーイ!」
休憩室で出稼ぎのベトナム人におっぱいを揉むゼスチャーをして爆笑させるY井さんは完全に現場のアイドルになり、次の建築現場の警備も名指しでゼネコンから指名された。その現場には今度は自分が応援要員として何度か派遣されては下らない会話を良く交わした。
「Y井さん、通行止めにするから道の入り口まで標識看板持っていって!?」
「ワシ、箸より重たいもん持った事ないんじゃー」
「ふざけんなジジイ(笑)」
「ホンマだでー」
「じゃあ、女抱く時どうすんのさ?」
「そりゃあもう女に上になって貰うだー、もう自分が動くのは疲れるだよー」
「面倒くせぇジジイだなオイ(笑)」
半年ぐらい付き合いが続くと自分もY井さんの独特のトークにもすっかり慣れて、いつの間にやら馬鹿な発言に対して突っ込みを入れる立場と化してした。仕事が忙しい時はきっちり真面目に仕事をしてくれる人なのだが、少し余裕が出てくると突然やらかしてくれたりするから自分もなかなか油断が出来ない。
これは狭い道から搬出入車両を誘導する仕事中に無線機で会話したやりとりの一部。
「ほい、生コン車一台搬出しまーす、対向車止めて下さーい」
「りょうかーい」
「ほい、もう一台生コン車出しまーす」
「りょうかーい、二台ね?」
「ほい、もう一台……」
「三台!? Y井さん、そんなに搬入してたっけ!?」
「ボインの姉ちゃんの自転車が行きまーす」
「……ただの太ったババアじゃねーかよ!? ふざけんなよオッサン(笑)」
別の現場で搬入車両を現場出入り口で待っていた時、暇を持て余して別の入り口からこちらにやってきたY井さんとの間にはこんな会話もあった。
「なあ、〇坊(自分の名前)はおっぱいデカい女と痩せた女、どっちが好きだー?」
「……うーん、あんまり大きさにはこだわらない方だけど、あまりデカすぎるのもアレかなぁ……?」
「ワシはな、デカい女が大好きだで、おっぱいはデカければデカいほどええなぁー?」
「へぇー、奥さんはデカいの?」
「デカかった方だでー、もうすっかり萎んじまったけどなー」
「ふーん、でさ、何でそんなにデカいのか好きなの?」
「デカいおっぱいでないと出来ない事があるからなー?」
「……何かとてつもなく馬鹿な雰囲気がしてきたけど、とりあえず聞いてみるよ、何すんの?」
「まずなー、女のおっぱいを両手で力強く真ん中にギューッと寄せるだー」
「……で?」
「んでなー、今度はその左右の乳首を出来る限り近くにくっつけて、口の端と端で引っ掛けてくわえるだよ、これは小さいおっぱいでは出来んからなー?」
「……(失笑)、で?」
「でなー、舌でその左右の乳首をレロレロして女に聞くだよ、『どっちが感じる? どっちが気持ちええ?』ってなー」
「仕事戻って下さい(笑)」
「ほい」
疲れてヘトヘトの仕事の帰り道でもY井さんは一切遠慮してくれない。二人で焼鳥屋の前を通った時にはこんな会話もあった。
「うわぁ、焼き鳥の良い匂いがするなぁ、腹減ったなぁ」
「焼き鳥ええなぁー、焼き鳥つまみに冷たい日本酒でもキュッと飲みたいもんだでー」
「自分、実は酒飲まないんですよ、一滴も」
「酒飲まんのかー? もったいないのーう」
「だから、同じ米なら自分はアツアツの白いご飯を片手に焼き鳥つまみたいですね、どっちかって言ったら」
「あああぁ、ワシはアツアツのご飯はダメだー!」
「……へっ? 何で?」
「口の中が火傷するだよ、ワシは猫舌なんじゃ、アツアツのご飯なんか食えたもんじゃないで」
「……ご飯は炊きたてが一番美味いじゃん? じゃあ何、Y井さんはいつも冷めた米ばっかり食ってんの? それじゃまるで仏様じゃん?」
「それでも熱いのはダメだー! カミさんにはいつも冷まして貰ったご飯しか出して貰ってないだよ、それでも一度だけ炊きたてのアツアツをワシの前に出した時があってな、その時は……」
「……その時は?」
「あまりに熱かったから頭きてちゃぶ台ひっくり返してやっただよ」
「ちょ、ちょっと(笑)」
「いや、本当に熱かっただよ、お陰で口の中が大火傷になっただー」
「……(爆笑)、アンタは一体どこの有名音楽バンドのリーダーだよ? ご飯が熱いからってちゃぶ台ひっくり返すとか、それってシャワーが熱いとかカレーが辛いとか言って駄々こねてんのと同じじゃねーかよ!? それにさ、それって一体いつの話!?」
「確か、二年前くらいだったかのー?」
「五十過ぎたおっさんが何やってんだよ(爆笑)」
「ワシには全然大人の自覚はないからのー、いつまでも少年の気持ちのままだでー」
「小さい子が見たら真似するから少しは自覚持って下さい(笑)」
「ほい」
いやー、本当にこの時はツボに入って爆笑させて貰った。Y井さんが語る言葉はどれもとても自分より何十年も生きてきた大先輩とは思えない馬鹿過ぎる話ばかり。自分の生涯の中で、これだけインパクトのある人はそうそういなかった。色んな意味で脳裏に深く焼き付いた人物だった。
そんなY井さんともお別れの時が来た。
自分が警備会社を辞めて別の職業に転職し、当時一人暮らしをしていたアパートも引っ越して実家に戻る事になったのだ。一緒に仕事をした最後の現場の帰りの電車の中、これまでお世話になったお礼と昔話をしながらY井さんとの別れの時間を過ごしたのだが、このおっさんは最後の最後まで容赦してくれなかった。
「……〇坊がいなくなると寂しくなるのう、やっぱり次の仕事の方が金が良いんか?」
「まあね、その分メチャクチャ忙しくなるけどね」
「忙しくてもちゃんと遊ばないとアカンぞー? 金が貯まったら旅行とかするのがええなー、韓国なら近いし安いし最高だでー?」
「……韓国ねぇ、忙しくてそんな暇あるかなぁ……」
「うん、やっぱり韓国が一番ええ、飯も美味いしなー、旅行に行くなら韓国がオススメだでー?」
「……あのさ、忙しくてそんな暇ねぇって言ったの聞いてた? 人の話聞いてる? 聞いてないか、聞いてる訳ないよね、いいやもう……、じゃあ何、Y井さんは韓国に良く旅行に行ったりするの?」
「韓国に何人かワシの女がいるだよ」
「……あっそ」
「韓国の女はええぞー? 気は利くし、料理は上手いし、家事も完璧だからなー、日本のチャラチャラしたオナゴとは全然違うでー?」
「……へぇー」
「それになー、何といっても甘え上手だで、可愛い声で『Yさ〜ん』って子猫ちゃんみたいに甘えてくるだよ」
「……でもさ、韓国の女の人ってぱっと見性格キツそうじゃん?」
「確かに、浮気なんてしたらそりゃあ怖い怖い! 外目は甘い声で甘えてくる子猫ちゃんでも、そこに潜めた心の中は熱い熱い!」
「キムチの国だけにピリピリと辛い訳だね?」
「そうそう、上手い事言うなお前はー? 韓国の女は口や仕草は甘いがな、一口食べるとその味はピリリと火を噴くピリ辛なんだでー?」
「へぇー」
「でもな、ワシは違う、その逆だで」
「……ハァ? 何、突然?」
「ワシは見た目や口は悪くて激辛の様に見えるけどな、心の中は違うだで」
「……別に聞いてねーんだけど、何よ?」
「……心の中はな、女が甘くてとろけちゃうようなチ・ョ・コ・レ・ー・ト♪」
「……馬鹿じゃねぇの?(笑)」
「もちろん、ベッドの上でも女はトロトロにとろけちゃうんだでー」
「ほら、駅着いたよ!? さっさと降りて帰りなさい!」
「ほい」
その日以来、Y井さんとは一度も会っていない。今頃何をしてるのだろう。まだあの警備会社で働いているのだろうか、色々な工事現場で作業員や同じ警備の仲間達相手に下らない話を披露しているのだろうか。つーか、まだ生きてんのかなぁ? まぁ、何度殺してもあのおっさんだけは絶対死にそうにないけどなぁ……。
ー完ー