74話 痛みその先に
真っ黒の部屋にスポットライトのように真っ直ぐ光が当てられ、人影が浮かび上がる。
「そなた、何を望む」
私は急に投げ掛けられた言葉に動揺した。
そう、突然に望みなど言えない。
何もないと言おうと思った矢先に――
「人間の嘘が知りたい、〈感情のピアス〉でも〈黒度の眼鏡〉でも見れない人間の嘘が知りたい」
私に似た声、いや私自身の声が闇に響く。
その斜め右に光が当てられる。
もう一人の私がその光に立ち、動揺した私の代理に喋る。
「そんなこと」
「そんなこと思っている、何故なら私はあなたの裏。あなたは……隠せない。ふふふ、ふふふふははははは――」
もう一人の私は笑った。
普段の私より甲高く、背を反らせ大きく笑う。
「そなた、名胡桃茉白よ。良い物をくれてやろう。さぁ」
目覚めよ――――
その言葉の次には私は明るい部屋でベッドに横になっていた。
……嫌に現実寄りな夢でした。横にある〈黒度の眼鏡〉を掛けて鏡を見る。
……0%ですが、さっきの夢だと既に私の裏が生成されている。いや、生成されていた。だけどまだ大丈夫。何故なら、この〈黒度の眼鏡〉に嘘は無い。0%の限りは何の影響もない、奏芽さんにも影響はない。
「そういえば、良い物……あっ」
私のベッドの更に横、小物を置いておく机の上に見知らぬコンタクトレンズケースが置いてある。
夢じゃない?
……ルリエルさんの仕業かと思っていましたが、今日は天界に用があるようで夜の内に旅立ってしまった。なんとも奏芽さんの様子を見るとか。
私が寝ている内に帰ってきて置いてきたとは思えない。そんな瞬発的に奏芽さんとの会話が決まるとも思いませんし、暫く天界とは離れていたから、仕事があるはず。何故なら〈物〉の天使は〈人物〉と違って〈契約〉を持たない。
「役に立つのでしょうか。これ」
手を伸ばしコンタクトレンズケースを手に取る。
蓋を開けると名前の通り“コンタクトレンズ”が入っていた。
不自然なのは一枚しか入れられない形だけでしょうか。
……私はまだ思い出せる内に夢の内容を頭から捻り出す。
「……嘘を知る……〈物〉?」
古麓さんの言葉の操りとは違って、強制的な〈物〉ではない。
使うべきでしょうか……でも今の状況を有利に出来るのなら、使わない手は無いです。
〈感情のピアス〉よりかは抵抗なく、左目に“コンタクトレンズ”をはめ込む。視界は良好、鏡で見ても自然な色合いで、はめ込んでいるとは思えない。
嘘を知れるのであれば、私の五感にどのような形で反応させるのでしょうか。少し面白くなってきました。
「さて、今日はどうしましょ……はぁ、ルリエルさんはいませんでした」
ここ数日間はルリエルさんがいたので、つい癖で隣にいる感覚で独り言してしまいました。
「たまには一人で、出掛けてみます、か。なんて」
今はこのような事を呟いてパラレルワールドで頑張っているんですかね、奏芽さんは……。
部屋のドアノブが捻られる。
開いた間に見えたのは白衣。
「おはよう、茉白」
「おはようございます、今日は体調良さそうですね」
「ク○天使がいなかったからね。それと奏芽くんを暫くは見なくて良くなったから7時間キッチリ寝れた」
またルリエルさんをク○天使呼ばわりですか……今の状況を見るに確かに天使とは? という部分で相違する事はありますが、助けを貰っている以上、私は何も言えません。
直ぐに戻ってくるとは言ったものの、私はまだまだ行動を起こさなくてはなりません。
まずはメモ帳を開き、まだ行動と“黒度”のパーセンテージを見ていない人は居ないか見る。
「……鵯尾絢芽」
この人はいま何処にいるのでしょうか。
夏風町の何処にいるのかも分かっていない、一度も家へ訪れたことも無いしあれ以来出会っても居ない。
「――まさか、ですか。奏芽さんまさかですか」
私は気付いてしまった。
奏芽さんの父の名前は鵯尾雅人。そうなれば奏芽さんの母とも結ばれていて、元は唯川家など居なくて鵯尾家。――奏芽さんの元の名は唯川奏芽ではなく、鵯尾奏芽。
そうなれば、絢芽は奏芽さんの……妹? 反応を見れば奏芽さんの母の子ではなく、また別の子とはなるでしょうけど、血縁上では妹となる。
「妹さん……年幅も離れていないのに、なんて人なのでしょう。鵯尾雅人は」
考えられない事。
奏芽さんの母と離婚して間もなくまた人と結ばれ子を作り、数十年後に元妻が住む場所へと戻ってくるなどと――しかも子までも引き連れて。
「奏芽さんも注意しろと言うでしょうね。これでは」
奏芽さんの母も同様の事を言うでしょう。
――でも今は夏風町に居てくれてよかった。
私はメモ帳をぱたんと閉じる。
「茉白、すっごい独り言多くなったね。私という茉莉さんには話しなさいな」
「わっ」
私は茉莉さんが既に隣の部屋に行ったと思い込み、すっかり今日の事を考えていた。
あの夢の事で相当私は疲れていたのでしょう。でないと私はあんな夢を見ないし、あんな〈物〉も夢から出てこない。
「それで、メモ帳も見ていたけど」
「見てしまいましたか……はぁ」
「ヒヨドリアヤメ? に丸書いてたけど。それからヒヨドリマサトやら。鵯尾さん一家になんか用なの?」
「何か知ってます?」
「いいや何も」
この様子だと鵯尾一家の事は何も知らないようですね。
「――そういえば、『トコンシロップ』ってまだ日本に流通しているのですか?」
「ん? 犬猫の誤飲用に流通はしているんじゃない? 私は獣医じゃないからあんまり分からないけど」
「成る程、人に使用するものとしては」
「全くじゃない? というか犬猫用にしても何にしても今はアポモルヒネがよく使用されるんじゃない? まぁ人に使用するんであればパーキンソン病の治療だけど」
「――『モルヒネ』は?」
「アポモルヒネ?」
「違います、処方箋医療品及び毒薬、または麻薬に指定されているあの『モルヒネ』です」
「……『トコンシロップ』といい『モルヒネ』といいさっきからヤバい薬ばっか言ってくるね」
茉莉さんはため息を付き、私の顎をクイッと上げる。
「この一般世界に流れたの? 両方の薬が」
真剣な眼差しを向ける茉莉さんに対して、私は重く「はい」と返す。
「そっか。ま、私にはどうする権利も無いけど、逃しちゃ駄目だよその二人」
「だからこそ追っているんです。その鵯尾がどうしているか」
「がんばって。それじゃ私は寝るかな……」
欠伸をかいて茉莉さんは私のベッドで横になる。
どうして私のベッドなのかはさておき。
茉莉さんの嘘は無かったはず。どうしてそう言えるかは今日に置いてあった〈物〉で分かる。目に入れたコンタクトレンズが反応しなかったからです。現にどのような反応を起こすかは知らないですが、私の身に何も利害を得なかったのは確か。
本当に役に立つのでしょうか、これは……?
PPPPPPP――
私のスマートフォンの着信が鳴る。
茉莉さんの前で喋ったら睡眠の邪魔になるので、一旦部屋から出る。
着信の相手は……どなたでしょう。固定電話からの着信。
私は恐る恐る電話に出た。
「……もしもし」
〔ああ、茉白ちゃん? ワタシ、えっと……一宇治柑奈〕
「ケーキ屋さん?」
〔美依さんから電話番号聞いて掛けた。ちょっと怪しいの来たから〕
「怪しい?」
〔全身真っ黒で……あ、スーツでネクタイもね。名胡桃茉白を知っているか? なんて言われてだまーってたけど、知り合いか何かかなって〕
話を聞く限り、鵯尾雅人ただ一人に違いない。
しかし何故、私を探しているのでしょう?
「それでその方はどちらに」
〔あー……ちょっと待ってね〕
受話器を置いたのか、ゴトンと音が鳴る。
スピーカーから遠くドアのベルが鳴り、そして再び鳴り、受話器が拾われる音を聞く。
〔カフェの所でコーヒー飲んでるよ〕
「分かりました。今から行きます」
〔大丈夫? ワタシは遠くで見張ってるけど……〕
「大事にはならないと思うので、穏便に」
〔ん、まぁ。気を付けてね〕
そのまま電話が切れる。
鵯尾雅人、私に何の用があるのでしょうか……。
※ ※ ※ ※
商店街に着くと遠くからでも分かった。
黒いスーツが椅子に座り目の前を通る人の様子を伺っている所を……。
私は一歩ずつ鵯尾雅人を見つつ歩く。
「こんにちは。私をお探しですか」
「ここで待っていればいずれ会えると思っていた。どうも、名胡桃さん」
「用があるのは分かっています」
「――父親は東京に住んでいて、後は姉の茉莉と母親が今ここにいるようですね」
「はぁ……何処からその続柄事情を?」
「調べればいくらでも。他にも神指葵の情報から厩橋深緑の情報まである。受け取りますか?」
鵯尾雅人は一つのファイルを渡そうとする。
「取引です。名胡桃さん――何の取引かは申しませんが、これを素直に受け取れば。私はもう貴方に接触はしない」
〔私はもう貴方に接触はしない――嘘です。鵯尾雅人は接触する〕
そんな声が聞こえた瞬間に
「――ッ! あっ……⁉ うぅ……⁉」
突き刺さるような痛みが走り、目を押さえる。
眼球を更に奥に押し込むように。
私は朝につけたコンタクトレンズを思い出す。これが嘘を知る〈物〉
モノ――モノモノモノ……人を傷付けるモノだとは……思いませんでした……。
「大丈夫ですか。名胡桃さん――」
「私がこの取引に応じた後も、貴方……鵯尾雅人さん。会うつもりなのでしょう?」
「それは何故? 接触はしないと言っているでしょう」
「うッ……あぁ……また……」
グッグッと私の目が痛めつけられる。
鵯尾雅人が嘘を付くたびに私の目が痛めつけられる。
「この取引に応じません、が。この話を聞かなかった事にする取引を私は命じます」
「ほう……なんですか?」
「鵯尾絢芽は今どこにいるのですか?」
「ここ夏風町にいますよ」
「痛っ……痛い……また嘘を……」
鵯尾絢芽は今この夏風町にいない事を分かりました……けど、何処にいるのかが分からない。
でもこれ以上は私の目も破裂してしまいそうですし……どうすれば。
「夏風町にいないん……ですよね、鵯尾雅人さん」
「それはまた。……まぁいずれにせよ私は教えません、と行きたい所ですが」
「ですが……?」
「そうですね。これの処分料もとい情報料としてお金、貰いましょうか」
「なるほど、いくらぐらいですか」
「ざっと。そうですね……用意出来れば。アタッシュケース二つ程」
アタッシュケース二つ程とは、高校生の私には大金です。
が、そこは鵯尾雅人も捻じ曲げないと知っている。
少し時間を貰えれば、私も用意は出来るかもしれない。
「時間を「アタッシュケース二つ程、ですか。お安い御用です」
唐突に後ろから声が聞こえる。
夏休みに入って聞き慣れた声。
私はゆっくりと後ろを振り向くと、いつもの法服が見えた。
「遅らせながら」
ルリエルさんは法服を掴みたくし上げる。
「〈物〉の天使ルリエルは茉白様のお力に……いよっ」
ルリエルさんは体を一回転させるとアタッシュケースが一つ手から生まれ――
「はっと」
また体を一回転させるとアタッシュケースがもう一つ手に。
両手にアタッシュケースを持った状態になる。
「詳細には『ジュラルミンケース』。女性に大金を仰せうとは大変失礼な事。これで満足ですか」
ジュラルミンケースを開けるとそこにはギッシリと札束が入っていた。
「ケース一つに1億円。合わせて2億円。これにて処分と情報の二つをお願い致します」
「…………」
鵯尾雅人は黙っていた。
まさかこんな簡単に用意出来るとは思っていなかったからでしょうか。
若しくは考えていなかった。
「いいでしょう、絢芽はいま秋空市にいますよ。それからこのファイルはどうぞ。そちらで処分すれば私の信頼も高いでしょう。では――」
ぱさ、とファイルを机に投げ捨て鵯尾雅人は立ち去った。
私の目のズキズキも治まる。
「助かりました、ルリエルさん」
「いえ、茉白様こそお怪我などはありませんか。目を押さえておりましたが」
やはりルリエルさんはこの〈物〉に関しては知らないようでした。
私はコンタクトレンズを取り外し、指先に乗せてルリエルさんに見せる。
「これに見覚えは?」
「……茉白様、これにはとてつもない力を感じます」
コンタクトレンズが指先からルリエルさんの指先に移る。
「善意のような悪意、ワタクシらは悪意など持たない。しかし、天界の者にしかこれは作れない。一体これは何でしょう……。〈物〉ではありますが」
直ぐに答えが帰ってくるルリエルさんもこの〈物〉に限ってはジロジロと薄いコンタクトレンズを見て悩んでいる。
「少なくとも、ワタクシが作った〈物〉ではありません。これを何処で」
「今朝に私の机に置いてありました」
「なるほど。これはワタクシが処分いたします。〈物〉なのは間違い無いので」
人差し指と親指でコンタクトレンズを押しつぶし空に投げ捨てると塵のように消えていった。
「さて、茉白様。今日はどういたしますか?」
「少し休ませてください……目の痛みがまだ」
「承知いたしました」
左目を押さえながらも椅子に座りメモ帳を開く。
鵯尾絢芽は秋空市にいると書き込む。
……厩橋さんであれば知っているでしょうか? いえ、住んでいて見かけたのであれば、SNSのグループに書き込むはず。今は望める事では無いでしょうけど一度は厩橋さんの所へいくべき。
私はルリエルさんを見る。
……先程のコンタクトレンズについて考えているのでしょうか。
右手を顎に添えて俯いている。
「ルリエルさん?」
「あ…………茉白様、他に〈物〉の天使は来ましたでしょうか」
「いいえ。ただ――」
「ただ?」
「信じてもらえるかどうかは解りませんが、夢を見ました」
「夢、ですか」
記憶から薄れていく夢の内容を出来るだけ細かく話す。
黒い私の存在や問いた者。そして起きた時に置いてあったコンタクトレンズの事。今日の出来事を全て細かく話す。
「夢に干渉出来るレベルでの強力な天使などもう居ないはず。その者は――いえ、答えてはなりませんね。居ない者なのですから……」
「まさか」
「茉白様も答えてはなりません。こうなった以上また興味本位で聞いてはなりません。いわば知らぬが……です。ワタクシ達は見られているのかもしれません」
ルリエルさんは天を指差し、ふいふいと顔を振る。
……私もこれ以上は危ない目にあいたくはない。
「さて如何ですか。茉白様のご予定は」
「はい、それでは」
場所も告げずにまずは駅の方面に歩き出す。
トラブルはありましたが、一歩は進んだ。
まずは厩橋さんに会わなくては――――




