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この中に『男』が一人います!  作者: TASH/空野輝
第六章 唯川奏芽
85/91

73話 色の違いの見分け方

 奏芽さんの死まで残り9日――


 厩橋さんと別れてからそのまま家に帰ってから、疲れからか直ぐにベッドにゆっくりと倒れた。

 次に目覚めたのが次の日。……15時に帰って7時に起きる。私は16時間も寝ていた。

 かの有名なアインシュタインよりも長い睡眠時間。自身では疲れを微塵も感じていなかったはず。そう()()なだけで体は正直で本当に疲れていたんです。

 スモールハート症で倒れるよりかは全然問題ないんですが……昨日はもっと行動したかった。古麓さんを探すのに厩橋さんと別れて直ぐに古麓さんを探そうとしたのに、気付いたら家の前にいたのです。


 ……ところでルリエルさんは余計に疲れているのか、眠っています。

 床で。

 長い時間〈電子潜入(エレクトロダイヴ)〉を行っていたからでしょう。ルリエルさんは〈電子潜入(エレクトロダイヴ)〉が苦手。そうだと聞いたのに私は厩橋さんと電車に乗っている間はずっとスマートフォンの中に閉じ込めていた。何れにせよ長く閉じ込める事はしないようにしよう。また道のそばで吐かれても困るので。


 私は隣の部屋に移動して今は茉莉さんの部屋へと入る。

「ん、おはよう」――茉莉さんは目の下にどす黒いくまを作って、カルテの更新を行っていた。私達以上に寝ていないのでしょう。いつも奏芽さんを任せていてすみません。


「私、暫く奏芽さんを見ているので私の部屋で寝ていてもいいですよ」

「あーぅ、ありがとう。トータルで2時間しか寝てないのよ」


 24時間中のたったの2時間。

 トータルと言ってるので恐らく1時間毎に5分間寝ていたのでしょう。本当にごめんなさい茉莉さん。

 私は茉莉さんが出ていった後、茉莉さんが座っていた椅子を奏芽さんのそばまで動かし座る。


「今、皆は奏芽さんを思えば逆の方向に気持ちが行ってしまう。それは分かってるんです」


 分かってるんです……。だから厩橋さんが分からなかった。どんなに奏芽さんの事を思わせても“黒度”上がる事は疎か下がってなおかつ5%に留まる。その5%に留まる理由が分からなかったんです。どうしても縮まらなかったあの5%。厩橋さんは何かに引っかかって“黒度”を持っている。安堵が無い? 不安? 苛立ち? 〈感情のピアス〉でも分からなかった何かの気持ちに引っかかっている?

 ――とにかく今は厩橋さんは何かに引っかかっている。何れにせよまた厩橋さんと会う、だからその時に解決出来るように構えておかなくては。


「ねー! 茉白ぉぉ」

「わっ⁉ 茉莉さん?」


 最早どす黒いどころか、灰色になってきたくまを持ってきて茉莉さんは私に抱きついてきた。

 理由はすぐに解った。そうドアの側にルリエルさんが立っていたから。寝れない理由の一つってルリエルさんが居るからで間違いないでしょう。


「おはようございます、茉白様。失礼ながらも茉莉様の側でお立ちになったらこのようで」

「どうにかならないの茉白、このク○天使マジでク○天使過ぎて私もう嫌だ、寝かせてー! ク○天使! 本当ク○天使、ドマジにク○天使! ……ク○天使! クー○「分かりましたから茉莉さん余り連呼しないでください! ビジュアルの差が激しいです! 私がルリエルさんを見ますから!」


 茉莉さんを押し出しルリエルさんを引っ張って中に入れる。


「ルリエルさん、今後は余り茉莉さんに触れない方がいいと思います。茉莉さんはなるべく一人の方が落ち着き寝れるので」

「でしたらそう言えばワタクシは退きますのに……おっと」


 スカートの中から何かが落ちる。

 落ちた音はやや重い機械仕掛けの物が落ちる音。

 ジーンと鐘が鳴りこちらに転がって来た物は時計だった。


「……ルリエルさん、茉莉さんに時計も必要無いですよ」

「ホホホ。失礼、人にはこういう〈物〉も必要かと思いまして……おっと」


 次々とスカートの中から大量に時計が落ちる。

 2個3個のレベルでは無く10個以上どんどん落ちてくる。

 その落ちる都度に鐘が鳴り、私は耳を塞いでしまった。


「がーもう、うるさい! 何してんのそっちの部屋で!」


 やはり茉莉さんが噛み付いてきた。

 しかも向こうの私の部屋から大きな声で。


「ルリエルさん、どうしたんですか」

「すみません、ワタクシの奇跡が暴走しておりまして、朝から気分が悪いのです」


 ……これは明らかに〈電子潜入(エレクトロダイヴ)〉の影響が出ていますね。


「ごめんなさい、私のせいで」

「茉白様のせい? いえいえ、これはワタクシの意志の弱さ。〈契約〉を持てない天使が柔軟に対応が出来なかっただけ」


 そう口を押さえて言われても、次に対応が出来ないと思うんですが。


「さ、ワタクシの事は別で。茉白様、今日の行動は如何なさいますか?」

「そうですね……」


 私はメモ帳を開いてまだ未記載になっている人の“黒度”を確認してみる。

 古麓さん、堂ノ庭さんに神指さん。……鵯尾絢芽。古麓さん以外は接触したくない人達。

 でもこのままでは一歩も進まない、奏芽さんの邪魔にもならない為にも私がなんとかしなくては。


「堂ノ庭さんに会いに行こうと思います。ルリエルさん」

「仰せのままに――しかし、ワタクシって必要ですか?」


 不意にルリエルさんは私に聞いてくる。


「ルリエルさんは必要ですよ。私に助言や天使の事を教えてくれるので」

「ワタクシそんな事おっしゃっていましたか?」


 首を傾げていますが、おっしゃっていたのですよ。

〈物〉の天使ルリエルさん。




          ※  ※  ※  ※




 堂ノ庭さんの怒号が飛び交った。

 奏芽さんの母から家の位置を教えてもらい、インターホンを鳴らしたら激しく扉を開け私を怒鳴った。私の言いたい事が飛んだ。理不尽な発言、意味のない感情。


「カナちゃんと思ったらどうして茉白が出てくるの!」

「決して、そう思って来た訳じゃ――」

「今は関係無い! カナちゃん連れてきた訳じゃないんだったら帰ってよ!」

「待ってください! ……待って、ください……ってば!」

「離して!」


 手を掴んで私は離さない。

 いや離したくなかった、友達として奏芽さんを想う人として。

 本当は羨ましかった、奏芽さんの幼馴染だと知って。私には幼馴染と言える友人がいなかった。本当は友人に敬語なんて使いたくない、でも私の性格上そんなことはしたくなかった。もっと堂ノ庭さんと話したかった。でも……時間が合わない、場所が合わない、堂ノ庭さんが話す相手は奏芽さんか神指さんか。それで諦めてしまっている私がいた。私は堂ノ庭さんの前では本当は奏芽さんのようになりたかった。私とは全く真反対の人生を歩んでいた堂ノ庭さんともっと話したかった。あの頭を叩いてみたい、雑な言葉を使ってみたい、ふざけてみたい。今の私と奏芽さんが入れ替わったら……どうなるだろうか。今だけでも。

 私は堂ノ庭さんの手を握って家の中に入れんと引っ張っている間そう考えていた。

 ……今、ここでずっと性格にすがってこんな態度で私は堂ノ庭さんに接してていいんでしょうか? ここでまた性格譲りで手を離していいのでしょうか? いや、こうして手を離してまた元の名胡桃茉白に戻ったら絶対に後悔する。

 絶対に――――

 

「離さない! 私の話を聞いてっ! 堂ノ庭、朱音! ……聞けっ! 朱音――」


 体から私の性格が冷えて。

 込み上げてくる私の何かが熱く滾る。

 永らく仕舞ってきた……何か……性格?

 そうだ、性格。今だけ、奏芽さんのような性格を……


「色々、突っ走りすぎだ! アホ朱音!」

「……はっ……ご、ごめんカナ……茉白、さん」


 朱音さんの力強く引っ張っていた手が緩む。


「一方的に私を責めないで私の話を聞いてほしい。私も朱音を話を全部聞くし真面目に聞く。私は気が朱音にとって気が弱い人間だとも思っているのも分かる」

「そ、そうは思ってないけど、さ――」

「いや、思っている! 今の私だったら朱音の気持ちでさえ読み取れる! 奏芽を想う気持ちは雲のように柔らかくふわふわで。私に怒ってる気持ちは雷のように鋭く私の体に刺さっていく。朱音の全部が素の気持ちだって分かる……なのに、どうして誰とも向き合わず逃げようとする? ……その気持ちだって今の私には分かってしまうんです」

「……気持ち悪。……でも、次にもっと話す。ごめん、今日は、一人にして」

「わかった、今度。ね?」

「うん、カナちゃんのこと、宜しく。……ほんとは悔しいけど、任せたよ、()()()()


 するりと手が抜ける。

 堂ノ庭さんは先と違ってゆっくりと玄関の扉を閉めた。

 ――急いで〈黒度の眼鏡〉を付けて堂ノ庭さんを見る。

 75%前後だった“黒度”は50%まで落ちた。

 良かった、勇気を出して堂ノ庭さんに、思いっきり言えた……。奏芽さんのように、朱音に言えた。下の名前で初めて言えた。

 私は扉の前で一礼して、堂ノ庭さんの家を後にする。


 ……堂ノ庭さん、本当の所〈感情のピアス〉から通じたのはグチャグチャな感情だった。でも堂ノ庭に言ったあの感情は薄く感じていた。そう薄く、何もかもが混ざって薄く。堂ノ庭さんはやはり奏芽さんを失った事で何が起きたのか誰を信じていいのかを迷っている。疑心暗鬼で気持ちを走らせている。……私はそう理解した。

 ……青空を見て、私はつい目を閉じてしまった。

 感覚が歪む。

 空気が体の中と混ざらなくなる。

 体が絞まる、ついに空気が抜ける。

 熱い性格も空気と共に体から抜け。

 落ちる。

 

「茉白様!」


 バクバクでした、私の心臓……。

 もう、限界――――――――――。


 ルリエルさんには初めて見せる姿ですね。申し訳無いですが、ルリエルさんには家まで運んできて貰って次にはベッドで寝ていて……。暫く茉莉さんにお世話になるのでしょうね。無空間で浮いている間、そこまで予想を付ける。

 そして私自身の心臓の鼓動を感じ、シナリオ通りの希望だと思い目を開けた。


「……あ、れ……」


 違う。

 ここ、何処?

 まず私の本棚がない。次に私が寝ているベッドのスプリングの違い、私のはもっと柔らかい。……そして部屋の大きさ。6畳程の大きさで私の部屋より明らかに狭かった。

 私はルリエルさん以外に連れ去られた? もしや夏風町じゃない? まずい事にもう一度心拍数が上がる。不安でいっぱいになっている。

 私が倒れたら基本的に救急車に運ばれるか、人に運ばれてベンチに横にされるか。前者が多いけど、家という家まで運ばれるのはこれで2回目、1回目は奏芽さんに運ばれて私の家。2回目はこの場所。そう、知らない場所。


「ルリエルさん……だ、誰か。誰か誰か!」

「ギシ……」


 ち、違う。ルリエルさんの足音じゃない。

 ミシミシと足音がこちらに近づいてくる。不用意に叫ぶんじゃなかった。不安でつい……。


「いっ……」


 ついにドアノブがゆっくりと捻られて、扉の厚い部分が見える。扉の奥、暗い先の人影は陰か陽か……。

 とりあえず、言っておきたいのは。


「南無三……!」


 細く言葉に出した。

 他人のベッドに居座りながらも、部屋が大きく私が小さく感じる程に小さく丸まりながら「南無三」とつぶやく。どうして「南無三」と声が出てしまったのは私にもわからない。


「……茉白くん、ぼく」

「……古麓、さん?」

「道端で倒れるほど()()()()()()()()()()?」

「いや、そういう訳じゃ……ただ不安で、怖くて」

「なら大丈夫。ここはぼくの家。夏風町の北街の隅っこ、水飲む?」


 手渡されたペットボトルを受け取り、口いっぱいに含み喉を潤す。


「助かりました。……所で家の中でもペットボトルなんですね」

「え? そ、そう。意外な事聞くんだね。ぼくはいつでも水はペットボトルに入れてるから。癖なんだ」

「いつでもですか。それはその特殊な口調で困惑させるからですか?」

「んん……確かに特殊だけど…………()()()()()()()()()?」

「いえ、何も」

「成る程、それ以上は聞かない」

「とにかく、私の事を助けてくれてありがとうございました」


 私はベッドから立ち上がりスマホを立ち上げる。


()()()!」


 歩き出そうとしたら、私は古麓さんの言葉を聞いて止まる。


「何でしょうか、古麓さん」

「ぼくの事は聞かなくていいから、()()()()()()()()()()()()()()()?」

「実は――私の今のあり方に悩んでいるんです」

「成る程……1()0()()()()()()()()()()()()()


 始まった、古麓さんの口調が私の口を動かす。

 この10分間、私の思っている事と言葉は食い違うかもしれない。

 言いたくない事も、隠しておきたい事も、全て口に出てしまう……。


「今のあり方? それはどういう?」

「はい、私の性格のあり方……そう、人格とでも言いますか」

「それは大変だね。性格もとい人格をイチから直すというのは簡単な事じゃない。それに君は持病持ちだろう。変に気を持って人に接したら君の心臓に負担が掛かって、いずれ爆発してしまうだろう……それでも性格を変えようとしているのは何故?」

「言い方が悪いかもしれませんが、人に舐められてる気がするのです」


 ……本音……。

 私の本音です、これは。

 人に舐められてる。これは本当に思っている事。


「ほうほう、舐められてる……か。ぼくにも舐められてると思うかい?」

「二人程。いいえ――二人、古麓さんは私からはそう見えません」

「だれだい?」


 それは……言いたくない。

 私は「言うな」と念じて口を固くする。


「…………」

「ぼくは誰にも言わないし答えない。さぁもう一回言うよ。()()()()?」


 口に掛けた、自己暗示という透明な糸は徐々に切られ、口が開く。


「こ、こう、こうざ、神指さん――」

「もう一人は? ……大丈夫、誰にも言わない」

「堂ノ庭さん――」

「そっかそっか、ごめんね、ありがとう。葵くんと朱音くんか。どちらも体育系、そして君は学校でいう文学系。この壁がきみには超えられないだけじゃないのかい? 舐められてるんじゃなくて、あっちもどう接すればいいのか分からないんだよ。――きみだけの問題じゃないんだ、今回のきみが関わっている件は。もしかしたら、ひょっとしたら――ヤツは“黒”なんじゃないか。という人間不信から皆が茉白くんを疑ってるんじゃないのかな?」

「私は“白”です! “白”だから“真白”だからこそ“黒”にならないんです! それを――分かってもらえなくて――辛いんです」

「大丈夫、きみは十分どころか十二分に“白”だと思う」

「もし、私が“黒”くなったら古麓さんは――救ってくれるんですか?」

「それは出来ない」

「どうして……!」


 私の体は勝手に動いて古麓さんの肩を握る。

 違う、私は救いを求めてる訳じゃないし、白黒の話をしたい訳でもない。

 ですが、私の口は勝手に動く。


「私は、私は……! 一人で――一人で戦ってて、もう、しんどいんです……どうにもならない事ばかりで……嫌に……嫌になってるんです。あの24日からずっと戦って、いや奏芽さんが倒れたあの4月からずっと……誰よりも戦ってきたんです! なのに誰も救いの手を掴んでくれない――どうしてなんですか!」

()()()()()

「――ごめんなさい、つい」


 古麓さんはスマートフォンで時間を確認したのち、私の手を優しく握る。


「茉白くん、10分経った。しっかり泣いてストレスも軽減しただろう。出来ないのは君の身代わり、相談ならいくらでもぼくは出来る。泣く事は良いこと。振り返ってみて、君はその24日に入ってから何回泣いた?」

「――全然、泣いてませんでした」

「そう、必要なのは性格を変える事じゃない、君がもっと感情を出すこと。そうすれば柔らかく人に接することが出来る。ね?」

「――ありがとうございます、古麓さん。お蔭で私は何か見出だせたかもしれません」

「うん。――そろそろ帰るといい、時間も遅いからね」


 私は握られた手を自分から離し、足を動かそうと思ったら不意に思う。


 居ない――

 特徴的な緑髪で背の小さく、深々と帽子を被ったあの天使。

 姿が見当たらなく、スマートフォンを確認してみるが、アプリ『ルリエル』にもいなかった。


「……あの、緑髪の子もいませんでした?」

「きみの相方ならあっち。ぼくのリビングでゆっくりしてるよ」

「ありがとうござ「〈物〉の天使の力、だってね?」


 礼をしている途中で、衝撃的な言葉を聞く。


「古麓さん、まさか」


 ――まさか、ルリエルさんにもその口調で吐かせた?


「――きみの〈感情のピ(それ)アス〉でぼくの感情を見たらどうかな。そっちの方が楽じゃないかい?」

「そういう風に〈感情のピアス〉を使う物ではありません!」

「僕の〈言葉〉と一緒じゃないのかい? それも」

「古麓さんのは強制的じゃないですか⁉ ――これは一方的にしか見れませんが、あなたの〈言葉〉は傷つける事がある。感情の出し抜きは自由ですが、あなたのは絶対的な服従のような特殊な口調です! ――私の〈物〉とあなたの〈言葉〉は違うものです!」

「……そっか、ごめん。似て非なるものか。すまなかったね、これは少し考えるよ。ぼく自身で」


 私の〈感情のピアス〉まで知っているとは――古麓さんどこまで?

 言葉で人を操るのは違う。

 感情は自分にしかなく、自分で抑えるもの。でも言葉は抑えても口に出して人を傷付ける事がある。それを古麓さんに知ってほしい。

 ……もしかして、この発言は“黒度”の影響?


「とにかく、こんな遠くまで私を運んでくれてありがとうございます。ここからは自力で帰るのでここまでで」

「うん。――そうそう、ぼくの“黒”い物は君のよく知っている人物に影響無いから今後ともぼくの取り除き作業はしなくて大丈夫。()()()()()()()

「ええ、失礼します」

「それからいつでも相談しにきて、SNSのID教えるから」


 私は古麓さんのIDを教えてもらい横を通る。

 そのまた玄関に立つルリエルさんに頷かれ古麓さんの家を後にした。

 北街でも静かでとても高級なマンション。こんな所に古麓さんは住んでいたんですか。

 ……何か特殊な事情でもあるんですかね。古麓さんは。

 私には知らない何か特殊な事情が。


 エレベーターに乗り込み、空白の時間でルリエルさんはぼそと私に聞く。


「茉白様、雪奈様から何か聞きましたか」

「いいえ、何も? 何かありましたか?」

「……雪奈様、アナタの口調は何を願えば」


 ルリエルさんは何かでうなだれる。

 ……さっきまで私と古麓さんで何かの会話をしてましたっけ?

 私は相談を受けただけな気がするのですが、その後の会話は忘れてしまっていた。

 頭の中では勿論、忘れていると理解しているのですが。忘却にしなければならないほどに危険な事でしたか?


「雪奈様の言葉には考えものですが。別に利害の一致を目指して雪奈様は使っているだけかと。深く考えにはならないほうが宜しいかとワタクシは思います」

「私にも事情がある以上、触れる訳にはいきませんよ。ルリエルさん」


 1階に着いた頃にはもう落ち着いていました。

 特に性格など変える必要なく、今まで出していたものを心にしまっていただけ。


「人間、《苦悩》の塊ですね――ワタクシには理解が出来ません」


 私の後ろに付いたルリエルさんはそうつぶやいた。

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