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この中に『男』が一人います!  作者: TASH/空野輝
第一章 名胡桃茉白
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7話 『男』でも『女』でも風邪には負けるし最悪な日

「また明日」


 俺は名胡桃さんの家を後にした。

 まだ雨が振っていて、朱音が先に家へと帰ってしまって傘は朱音のと相合傘で家まで来たから俺はそのまま雨に打たれる。名胡桃さんから傘を借りて明日返すのも良かったけど、散々泣かせた挙句に傘を借りようと虫の良いような事はしたくなかった。

 「ピロン♪」アプリ『ニカエル』からの着信だ。「本当に良かったの?」傘についてだろうか? 俺はこのアプリに初めてニカエルに対してメッセージを送る。「返すの面倒」と俺らしいメッセージを送った。本意とは違うが、もうこのまま家に帰るだけだし人に会うわけでも無い。走らずにゆっくりと雨に打たれる事にした。




 バタン――

 ズブ濡れになりながらも部屋まで帰ってきた。外の模様も暗いせいでこの部屋もどんより真っ暗だった。『男』に転換、俺は着ている物を床に投げ捨て、エアコンを暖房で付けて乾燥させようとする。流石にスカートとかを洗濯に出す訳にはいかなかった。スマホもカバンもびちゃびちゃだったがこれは丁寧にタオルで拭く。

 下着姿で一階の洗面場まで行き洗濯機に下着を入れて、風呂場に入る。一回シャワーで全体の最初の汚れを落としてから浴槽に入浴。肩まで浸かって天井を見る。


「そういえば、本当に一人になるのはここだけだなぁ……」


 独り言を交えてこの時間を楽しむ。蛇口から雫が水面に垂れて波紋が出来る、この波紋を見ているだけでも俺は楽しかった。

 昔も今もそうで、誰かと家の浴槽で喋ったりした事が無い。幼少期に母親には「一人で入りなさい」と言われてこれだし、俺には兄弟というのもいないから一人でただじっくりと入るだけだった。ニカエルぐらいここに入ってきても良いのだが、深夜辺りに一人でシャワーを浴びているみたいで、数日前かに目撃した。それで母親に目撃された事がないのだから驚きだ。絶対に一回ぐらいは目撃されてもいいと思うんだけど。制裁を喰らいなさい。


「さて、出ますか……」


 俺は暫く入浴してから出た。




 俺は洗濯したての下着に着替えて今日は冷えると思って櫻見女の下ジャージを持ってきていた。それを穿いて部屋に戻る。


「んっ……奏芽の……臭い……」


 俺はこの声を聞いて階段を登るのを止める。ニカエル、何をしてるんだ……⁉ 俺はゆっくりと部屋に近づいて耳をドアに付ける。


「これ……キツイかも……ひぃんッ」


 俺は居ない間にこんな事になっているなんて思ってもいなかった。まさか以前に本屋で十八禁コーナーをじっくり見ていたのを実践しているのか? 天使とはいえそれは無いと思うが――


「あぁん――凄い……臭いで包まれて……キツくて……あ、あ、あ、あぁ――」


 喘ぎ声が聞こえた所で俺は我慢できずにドアを開ける。


「ニカエル! 何してるんだ!」

「きゃあ⁉ 奏芽――⁉ こ、これはね。その――」


 目の前に見えたのは、俺の櫻見女の制服を来て床に倒れてるニカエル。まだ制服は雨で濡れているのにこいつと言ったら……!


「なんでそんな声を出すんだ! 全く、恥ずかしい」

「だって、冷たいし色んな所刺激してきて……うんっ……一度着てみたかったのぉ――」


 ビクンッとニカエルの体が揺れる。

 未だに喘ぎ声を出してどうする。そんなに敏感な物なのか?


「あの、正確に何処が刺激されるの?」

「アソコとか……あっ……アソコとか……水に濡れ……って……ツーって……」


 もうその理由を聞いただけで俺はニカエルから服を脱がす。


「ほらお開きだ、それ俺の制服だし。似合ってるかもしれないけどさ――濡れてるからさ」

「やっ⁉ ダメ、奏芽シャツの下――⁉」


 上着を脱がしてシャツの下は何も着ていなかった。理由が分かった、どうしてそんなに敏感になるのかって、下に何も着ないでそりゃ突起部分に水が垂れて感じますわな……


「――あっ、見ないで!」


 ――アゴに一発入ったのを感じて俺は倒れる。反対方向にシャクれちまうよニカエル……。


「あ、ついうっかり。奏芽大丈夫⁉」

「ダメかもしれない――」


 生理的に鼻血も出てるし、天国ヘヴンまでもう少しかもしれない。




 

 ――奏芽は、ベッドの上で倒れて私はその上に覆いかぶさる。奏芽は抵抗するけど、私はその抵抗する体を手で押さえつけて、唇を奪う。私は無理に舌を絡ませると奏芽の顔はドンドン真っ赤に、そんな奏芽の顔が可愛かった。私の唇を奏芽の唇から離すと一本の線がタラリと奏芽の方に垂れる。別に濡れた私の下着に奏芽の手が行く。私はそこまではしないと抵抗するけど、野生に還った奏芽は既に手を入れて音を響かせようとしていた。喘ぎ声を必死に抑えてるけど体は痙攣する。私を絶頂させようと――


「おい――」

「ん? どしたの~?」

「それ、俺の文章じゃないし。十八禁の性的表現は止めてくれない?」

「せっかくいいムードだと思ったのに~」


 俺はアゴに一撃食らわされてから喋りづらく、必死に元の位置に戻そうとしていた。多分、アゴが外れていたのかもしれない。その間に天使がとんだ失礼を犯したおうで申し訳ございませんわたしの監督不行き届きで――。本当にアゴが戻ってよかった……俺は喋れなくなったらどんなに酷い事が起きるのやら。さっきみたいにニカエルがにわかの十八禁知識をまた文章として打ち込んで来るだろう。


「奏芽はエッチとか――」


 ニカエルは胸を持ち上げて舌を出して誘ってくる。

 ……が!


「全ッ然思わん」

「手、入れてみたいとか――」


 スカートを股に押し込んでまた誘ってくる。

 ……が!


「入れたくっ無い」


 M字開脚をして赤裸々に


「じゃあチン――」


 俺はニカエルの口を押さえる。もう無理にでも押さえた。


「んーん! んー! ぷはぁ……!」


 悶た所で俺は手を離す。今日のニカエルの精神はどうなってるんだ、俺の濡れている制服を着たり性交渉したりとかして。――発情期なのか? 俺でもまだなんだけど……全く、この偽天使は。


「じゅ……じゅるる……ぼっぷ……あっ、じゅるぁ……」


 何かをしゃぶる音を聞いて俺は俺自身の全体を見る。


「……って何指しゃぶってんだよ! 止めろって」

「んぷはぁ……!」


 俺は指をハンカチで拭く。今回は表現のギリギリを狙う回じゃないぞ。


「今日どうした⁉ ニカエルおかしいぞ!」


 俺はベッドの方に退避する。おぞましい、今日はおぞましいぞニカエル。俺は別にそんな日じゃないし気持ち悪い。

 ニカエルの様子を見ると「はぁ……はぁ……」と息を吐いて、その場でぐったりとしていた。


「ニカ……エル……?」


 俺は手を差し伸べておでこに手を当てる。

 ――凄く熱かった。俺のおでこの温度と比べてみると明らかに高い。


「ニカエル、風邪か?」

「私だって元は人の子。天使でも出来ない事だってあるし――治せない事だって」

「分かった、分かったから――」


 俺はニカエルを抱き抱えてベッドに寝かせる。そして毛布ともう一枚掛け布団を押入れから持ち出しニカエルに掛ける。――多分、ニカエルは俺を元気にしたくて無理に制服とかを来たり……誘ってきたりとかしたのだろう。でも、俺を心配させるような事は止めてくれよ。


「――奏芽、ごめんね」

「……バカ」


 病人を叩く事はしなかった。俺が嫌な事は他人にしない。やられたらやりかえすが、俺から仕掛ける事はしない。――下心が出てしまうのは仕方がないことだからこれは不可抗力だ、『体が勝手に』ってな。

 俺は人を看病した事が無いし、最も天使の看病の仕方ってどうすればいいのか……。スマホで検索しても出てこないだろうし、他人に聞くことも出来ない。――これはマズいな、『天使の飼い方』という本が欲しいぐらいだ。


「ニカエル、何か欲しい物あるか?」

「――奏芽が傍に居るだけで良い」


 苦しそうな顔ながらも俺がいるだけでいいと言ってくれた。――俺はそのニカエルの判断に困った。食いしん坊のニカエルがまさか食べ物を求めないとは……そもそも買い物するにもニカエルから15m以上離れると『契約の結界』が発動するから出るに出れないんだけど、下で何か作るぐらいなら――と思ったけど料理が出来ない俺はどうすればいいのか。


「ニカエル、お粥食べるか? レトルトあったはずだからそれで」

「――何もいらない」


 どうにかして食べさせたい俺はここで食い下がる訳には行かなかったけど、このニカエルの苦しい表情を見ると食も喉を通さない状態なのだろう……。




 雨はまだ降り続いてる。ニカエルはまだベッドの上でぐったりとしている。スマホの中といえども寒いだったろうし、俺の気持ちが沈んでたからニカエルも元気を付けようと濡れた制服だったり下な話をしたのだろう。――別に俺はそんなエロい男では無いんだけど……。

 またニカエルのおでこに手を当てる……熱いな。俺はタンスの中から暖かそうな衣類を取り出してニカエルに渡す。


「これ、長袖だから――そのワンピースと取り替えて」

「うん……」

「部屋の外出てるから」


 ドアノブを捻って外に出る。俺も律儀にニカエルが着替える時は外に出るんだな。久々にスマホの状況を見てみると色んなゲームアプリが――俺が普段暇な時に遊んでいるゲームを見てみるとレベル30だったのがレベル189とかエグいやり込みだ。大体知らないゲームでもレベル100を超えると皆引くよな、俺は引いた。――他にもレベル204、レベル101、最近インストールされたのでも89か。授業中はニカエルも暇とはいえガチプレイしなくてもいいのでは……。多分、スタミナ制度のゲームが多いからスタミナがなくなる度にゲームが増えてゲームのロータリープレイが始まるのだろう。


「奏芽、入っていいよ……」


 許可が出たから中に入る。

 また女性物の服装じゃないからアレだとはいえ、今は我慢をしてくれ……というよりこれからも我慢をしてくれ。ニカエルにまた掛け毛布を被せて寝かせる。


「ありがとう……」


 よくよく思うと俺が感謝するべきなのに、感謝される事が多いな。天使に感謝される人間も中々居ないと思う。……この感謝の多さには何か理由があるのだろうか? 食事に連れて行った時も、デートに連れて行った時も、今も。結構普通なことで感謝されてるし……深入りする必要はないな。ただ単に俺が気にしすぎてるだけかもしれん。俺と親しい女性で言うとウチの母親か朱音ぐらいだし、殆ど感謝された事が無いからだ。


 うーん、元に俺が天気予報も見ずに傘を持っていかなかったのが悪い。今日沈み気味だったのもまた名胡桃さんの事があったからだ。……全体的にニカエルが風邪を引いてしまったのは俺が悪いから? という事になってしまうわな。

 俺は布団を少し開いて入ろう……とした。くそ、改まって一緒に寝ようと思ったら恥ずかしいな。――躊躇しない俺が今ここで留まってどうするんだよ。……あーもう、俺は勢いで入った。


「か……なめ……?」

「俺が入ればもっと暖かいだろ?」

「風邪……移っちゃう」

「俺はバカだから移んねーよ」


 少し恥ずかしいながらも、ニカエルの体に抱きついて密着する。本当にイチャラブになってきたな……。ラブコメの波動を感じるって? まだ何も始まってないってば。


「ハクシュ……」


 くしゃみで飛び出た鼻水がべっとりと俺の体に掛かったからこれは明日風邪だな……。



          ※  ※  ※  ※



「ぐあああぁぁ……風邪かよぉぉ」


 ニカエルが風邪になった次の日は好調でバカだから余裕かと思ったらニカエルの調子が良くなった数日後に、俺が段々悪くなってきた。天使から人間に風邪を送るとは恩を仇で返すような物。

 ダラダラと商店街を歩いているけど、鼻と体のダルみが続いて歩くのも面倒になってくる。因みに元気になったニカエルはというと――


「どしたの~風邪~?」

「じゅるる……うるっさい……」


 風邪が治って俺を煽ってくるニカエル。病原シック天使エンジェルニカエル。

 お前とは違ってちゃんと人間の生活をしてるんだから少しは心配してくれよ。


「おはようございます、唯川さん」

「おはよう……名胡桃さん」


 俺はその呼び掛けに反応を返すけど直ぐに名胡桃さんは俺の状態に気付いた。


「風邪……ですか?」

「ま、まぁ……移されたみたいで」


 俺は名胡桃さんと少し離れて歩く。彼女に風邪なんて移したら前以上に俺は沈むぞ。


「風邪の時はみかんとか生姜とか……ネギとか?」

「なるほどね……帰ったら食べる」

「食べて下さい」


 全員を心配させる訳にはいかないし、名胡桃さんをもっと心配させる訳にはいかない。一日でも早く治さないと誰かに移してしまうかもしれない。天使のウィルスは俺で留めないと……。


「カナちゃーん、カナちゃーん!」


 本当のバカ、朱音も後ろから走ってきた。今日もポニテを左右に揺らして元気そうだ。俺は手だけを挙げて挨拶を返す。


「どうしたの? カナちゃん元気が無いね」


 ウンウンと俺は顔を振るだけ。


「声出さないと元気本当に出ないよ?」

「そうだね……」


 今日は休みたい――。




 今日は身体測定ということで、合間合間に測定を受ける。皆ブラジャーを外しているんだけどこの光景実に最高である。自分はぺったんだから未だにタンクトップのみで下着すら脱ぐ事もなく体育服に着替えるのだが、皆はパチンパチンとホックを外してズルリと外している。大体の人は体育服に袖を通さないでスッと脱ぐ中、朱音はスポブラだから体育服を脱いで「よいしょ~!」と大胆に脱いでいた。流石に俺は幼馴染の生を見るわけには行かず目を伏せてしまった。前回に罰として脱がそうとしていたのにいざとなると俺も『男』じゃねぇなぁ。


「た、体育館でやるので来てくださーい」


 みちる先生も何故か体育服姿なんだけど『きゅうじゅうご』が服を破りそうだぞ。それにしてもラインがよく分かるなこの服は。しかも皆ノーブラだからいつもより余計に揺れるようで、擦れるようで……。




「じゃあ胸囲測定しますよー」


 胸囲測定かー、小学校中学校の時には胸囲測定なんてやらなかったのだけど、高校になってからは胸囲測定が入るのだな。

 名胡桃さんは「88」朱音は「84」俺はと言うと――


「70……あのー、ちゃんと食生活バランスよく取ってますか? 人それぞれなんでアレなんですけど……」


 このクラスの中で最低だった。その病院の方にも凄い心配されるレベルのぺったん。ニカエル、そろそろ俺にも女性の要素を少し増やしてくれ。AAカップって本当酷い……もう一個AAAカップになったら俺の胸はどうなってしまうのやらか。

 全部が全部俺の身長体重は『男』の状態よりマイナスされているので、これは公式記録ではない。だから俺はこの身体測定は無駄なのだ。使えて視力聴力ぐらいだろうか。因みに肺活量と背筋力と握力といった筋力系と体力系は全部トップに近かった。




「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド――ポーン……ド、シ、ラ、ソ、ファ、ミ、レ、ド――ポーン」


 俺はひたすらにこの音に合わせて20mという距離を走っていた。ポーンで折り返しては走って折り返しては走ってを繰り返す。そうシャトルランだ。もう誰も居なくなって俺が単独で走っている状態だが少しも疲れる様子を見せないで無理くり走っていた。

 この持久勝負でも余裕のトップであった。一方で名胡桃さんはというと、病気のせいだからか途中ででヘナってて可愛かった。神指さんも名胡桃さんと同様で三十回ぐらいでヘナってたかな、後このシャトルランをリタイアした女性の息遣いを聴くのも幸せ。

 このシャトルランにはハンデがある。――風邪だ。視界も足もグチャグチャになっても何の為に走っているのかも忘れてこの音を聞いて折り返す。


「あばば、やば」


 ついにラインを踏めずにシャトルランが終わった。


「ぎゅぁ……なんで頑張った俺……がっはぁ……もう駄目だぁあ……」


 記録は一六一回、女子の平均四六回を大幅に超える体力魔になった。風邪で無理をしすぎた俺は視界さえ真っ黒になって地面で横になっていた。グルグルと天使が俺の頭で回ってるけど――これニカエルか……。


「ハァ……私も唯川さんぐらいの体力が……欲しいです」


 名胡桃さんは羨ましそうに語っていた。


「カナちゃん……ハァハァ……カナちゃんだね、あたしには出来ない事ぉ簡単に成し遂げて凄い事しちゃんだから。面白いねぇ……はは、はっははは」


 もう脳まで酸素が回ってない朱音はもう言葉でさえ整理出来ずに分からない事を言っていた。これが俗にいう『壊れた』っていうヤツだな。皆全力でやってたから汗もダラダラ……。お、ノーブラだから凄い光景だこれ。疲れた体にはこれはキツく効く、いやぁこの学校幸せだぁ……。



          ※  ※  ※  ※



 十分に酸素補給をしてからマスクを装着して今日が終わった、保健室に一度寄っておでこに冷却シートを貼って冷たさを実感している。中々外で冷却シートを貼って歩いている人なんて中々居ない。商店街を歩く人々も見て見ぬふりをする、この恥ずかしい姿を晒すのも今回は嫌になる。


「唯川さん、じっくり休んだほうが……」


 この姿見られて心配しないほうがおかしい。


「名胡桃さん、わたし明日休むよ――」

「そうですよ、無理しないで下さい」


 クッソ、滅多に風邪でダウンする事がないのに俺は次々とダメージを負う。毒の沼に入ったみたいに一歩ずつゾクゾクと来る。チクショウ、名胡桃さんの前だっていうのにみっともない所を見せている。商店街を歩き終わっていつもの分かれ道だ。


「唯川さん、一人で大丈夫ですか?」

「大丈夫……歩けるから――」


 名胡桃さんは俺の様子を見ながらも角に曲がるまで見守っててくれた。その不安な顔を次は明るくさせる為にも俺はこの風邪を治さないといけない。


「はぁ……はぁ……苦しいな――」


 大切な人も居なくなったし息苦しくもなってきたからマスクを外した。ニカエルから移った風邪は酷さを増している。インフルエンザじゃないよな?


「奏芽……大丈夫?」

「お前から……移ったのに……心配されるほど……ヤワじゃねぇ……」


 強気を見せるけど、残念ながら風邪がツラい。

 ようやく、家に帰って階段をあがって『ヤサニク』に電話を掛ける事無く、直ぐに暖かい服装に変えてベッドに潜り込む。


「奏芽……」

「いや、大丈夫……大丈夫だから……」


 俺は心配させたくないからひたすら強気に見せるが、それも叶うこと無く喉の調子も悪いから声がガラガラ。全ての言葉に濁点が付くような声だ……とても『女』の声とは思えない。


「奏芽ー? 入るわよー……かなり調子悪そう、大丈夫?」

「うん……」

「声も変わっちゃって……何が欲しい?」


 何が欲しいか……数日前はニカエルに対してこの言葉を言ってたのにまさか言われる側に回るなんてな。


「うん、卵が入ったお粥が良いかな……」


 俺は掛毛布から顔を出す。


「あらっ、顔も変わっちゃって……って奏芽⁉ 奏芽なの⁉」


 風邪での誤算そのニ、『ヤサニク』に発信してないから性が『女』のままウチの母親と目が合ってしまった。いつもならミスしないのにこれは痛い凡ミス……もう言い訳も出来ない。


「奏芽が……奏芽に奏芽が……女の子に……あれ……?」


 流石に普段冷静な母親もこれには困惑。それは生涯『男』のハズで生きている息子が娘に変わったらそれは驚くわ……。


「奏芽……なの?」

「ごめん……」


 なんで謝ったか俺もよく分からなくなってしまった。


「……好きなものは?」

「トルティーヤドッグ……」


 俺の記憶診断と、本人かを確認してるのかお母さんよ。俺は本人だ、唯川奏芽だ。


「幼馴染は?」

「朱音」


 この回答にまた母親が驚く。


「……誕生日と昔に飼ってた犬の名前は?」

「誕生日は四月二十日、後は犬じゃなくて猫の『ナーコ』……」


 完璧な回答により、母親は俺が奏芽だと信頼したようだが。


「風邪になると『女』になるの……?」


 とかかなり驚いていた。こんな滅多な現象だなんて会える事は無いからな。


「あ、奏芽……お粥ね? 持ってくるから……」


 お母さんは扉を閉めて下に降りたようだ。俺は枕にまたぐったりと倒れる。ついにバレた俺の性転換、まさかその一が母親になるなんて思わなかった。俺のバレ処女はまさかのお母さんであった。『女』初日で慣れない時に一回会っているはずなのだが、もう顔を忘れているのだろう。忘れてなきゃこの反応は出来ない。




 コンコン――

 ドアを叩く音。


「奏芽? ――やっぱり女の子……。お粥、持ってきわよ」

「ありがとう……」


 そのお盆に持ってきてくれたお粥を手渡される。俺はスプーンでお粥を口に持っていく……噛むことも無くこの優しい味付けが喉を通っていく。その食べる顔もマジマジと近くで見るお母さん。「どういうことなの……」とブツブツ言ってる。このままだとうるさいので俺は早速ネタバラシをする事にした。


「お母さん、俺の携帯から「831-2929」っていう番号があるからそれに掛けてみて……」


 お母さんは言われたままに充電スタンドに差してあるスマホを取り出し、発着信画面から『ヤサニク』を探し発信をして耳を当てる。もちろん、耳を当てた所で音は聞こえないし、この発信が行き着く所がない。俺は徐々に『男』に転換していく――。


「……俺だよ、お母さん」

「か……なめ……」


 俺はこれまでの経歴を話した、俺が行ってる学校が「櫻見女子高校」という近くの学校とか、ニカエルにも出てきて貰ってこの経緯もニカエルにも話してもらった。


「なんか、嬉しいようで――悲しい」


 ウチのお母さんの心境は複雑のようだ。


「元々、お母さんね。『女』の子が欲しかったの。でも奏芽は『男』の子だったでしょ――それで、雅人……お父さんと別れた時、本当に奏芽とやっていけるのかなって思ったり……どうすればいいのかなとか悩んじゃったり――でも、『男』の子で育ってきてちゃんとしてたから私も安心で」


 俺はお粥を食べる事を止めて聞き入っていた。


「でも、そんな『男』の子の奏芽だったから……今、『女』の子の奏芽を見てちょっと嬉しくて……私も一人のお母さんとしてあなたのおばあちゃんから教えてもらった事を奏芽にも色々教えたくなるし……でも、これまでの『男』の子の奏芽はどうなるのかなって思うと悲しくなっちゃって。――言うけど、奏芽。『男』と『女』……どっちで生きていくの?」


 どっちで生きていく――か。そんな事は今は考えられずに「今はまだ」と答えた。


「そう――でも、奏芽。お母さんは今嬉しいよ。『女』の子になれる奏芽を見れて。ビックリしちゃったけど」


 一滴の涙が頬を沿う。嬉しいと言っておきながらこの悲しい笑顔を見るとやっぱりお母さんの気持ちは複雑になってると心の中で察した。

 ――やっぱり言うべきでは無かったという気持ちも俺にはあった。でもあの状況じゃ嘘も何も言えず、ただ苦悩になってしまった。




 夜――

 今日はニカエルに風邪を移さないように、スマホに入ってもらった。部屋の中で一人になった俺は『女』ってバラした事による人の気持ちの重大さに気付いた。あんなお母さんの悲しい笑顔を見たのは初めてだし、トボトボと一階に帰っていく姿も俺は見ていられなかった。すっかり俺は風邪の事なんて忘れて、お母さんの気持ちの真意を考えていた。本音なのか? それとも――と言った感じで納得が行かない感じだった。でも、俺のお母さんだからやっぱり最終的には受け入れる事だろうと、そう受け取っておくことにした。


「奏芽……お母さんの事、気にしてるの?」


 スマホから半分体を出して俺に問いかける。


「気にしてると言えば……気にしてるな。寝れもしない」


 今も『男』に転換しないままベッドに寝ていた。明日になったらどんな顔をしてお母さんに言えば良いのか……。


「奏芽は奏芽。お母さんはお母さん……大丈夫。理由だって言ったし、奏芽は何も気にしなくていいんだよ」


 優しいニカエルの言葉に俺は「うん」と答えた。身近で悩みに答えられるのはニカエルだけだ、唯一恥ずかしがらずに『男』としても『女』としても答えられるのはニカエルだけだ。でも、それでも――次々と悩みが出てくるから答えても答えても――重なるだけだった。


「おやすみな……ニカエル」

「うん、おやすみ」


 ニカエルはスマホへと戻っていった。風邪の日は最悪だ……皆に迷惑を掛けるし、俺自身も負担になるし――どうする事も出来ずに俺は枕元を濡らした。

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