62話 『男』の見回り町内(市内も)
土曜日――。
長かった、この曜日に来るまでが長かった。
月曜日には深緑が、水曜日には神指さんが、金曜日には朱音が絢芽と対した……けど、こちら奏芽グループは連敗。残るは名胡桃さんだけになった。
とりあえず、朝になったら俺も泣き止んでいた。真っ暗な画面のスマホで顔を確認してみるとまぁ涙の跡が酷い。漫画やアニメでよく見るダラダラとした涙の流し方をしたせいで目の下が固まっている。――顔を洗うのは面倒だから手でゴシゴシと拭う。
はぁー、我ながら酷い泣き方をした。
「朱音、朝!」
今日ようやく、まともな声を出せた。
――が、朱音は返事をせず。
「おーい、朱音」
掛け布団をどかし、横になっている朱音の肩を掴み手前に引く。
だらん――
「……嘘だ……朱音!」
抵抗が無かった。
まさか、いやでも……元気だったじゃないか。
「朱音? 朱音!」
焦ってこの場合何から始めたらいいのか分からず……。
「こきゅー……」
「呼吸? 分かった!」
聞こえてきた声に反応して、昨日と同じく再び朱音の顎を上げて人工呼吸を開始する。
「すぅー…………?」
「んー、んー、んー……ん? あり?」
明らかにキス顔で待つバカな事を思いついた幼馴染の迷惑な姿があった。
「「…………」」
目と目があったまま、俺は息を吸い込んで吐き出さないし、朱音はタコみたいな顔をして俺との人工呼吸を待っている。
一方の一方でニカエルはワンピースのスカートを逆さにしてパンツ丸出しで寝ている。
「――キス、しようか」
「ちょっとイケメンな声で言われてもやらない、このアホ!」
昨日どれだけ俺が心配したのか分からないからそういう行動に出れる! 今でも朱音が息しなかった時のトラウマが残っているのだから暴利に俺の心配を振り回すな!
「昨日の事だから叩かないけど、本当に止めてくれよ。また……泣くぞ……」
「あー! ゴメン! ゴメンって! 二度とやりません!」
朱音は立ち上がり俺に土下座する、筋肉痛でぎこちなくペコペコと何回も。
ちゃんと反省はしているから、今のは無聞としよう。
「さぁ朱音起きろ。今日は土曜日で学校も無いし、家まで送るよ」
「本当? ありがとうね、カナちゃん」
また朱音の微笑みを見てしまったら、俺はまた涙ぐんでしまった。
「ほらほら、また泣きそうになってるよ。――やめてよ奏芽、あたしは元気なんだから」
「……悪いな」
昨日の事を引きずっている俺も俺だが、朱音もあまり無事と言える状態ではない。心肺停止によって後遺症が出る可能性だってあるんだし、今は元気であっても次の日になにかあったら……なんて考えたら、あの人工呼吸をいつでも昨日の事のように思い出してしまう。――本当に一生の傷として俺は残ってしまった。
「じゃ、朝の体操でランニングから――」
「だーかーらーね? 自宅で大人しくしてろって!」
でも、いつも通りの調子すぎて……忘れるかもしれない。不幸話も笑い話になるような程の無鉄砲な朱音のおかげで俺も素になれる。
「いっつつつ……」
朱音は立ち上がろうとするが、筋肉痛で体が痙攣して動けず……ベッドに倒れる。
「ちょっと――朱音、本当に大丈夫?」
「攣ったかも……うっ、うー」
膝を立てて痛みに堪える、そしてまた別の部分が攣ったのか手も曲げて苦痛の顔をしている。
「俺に何か出来ることない?」
「軽く、体をマッサージしてほしいな」
朱音は体を動かし、うつ伏せになり俺のマッサージを待っている。軽くマッサージとは言ったものの、ただ単に揉めばいいのか或いは特殊なマッサージを施せばいいのか……。
まぁマッサージといえばマッサージだ、揉むのが一番だろう。まずはふくらはぎに触れて、きゅっと圧を加える。
「んった……」
「痛くない?」
「だいじょうぶ……」
これぐらいの力で良かったか。ならば足首に手を乗せきゅっきゅっと股まで徐々に手を近づける。
「んっ……んっ……んんっ……んぁ……」
「結構硬いんだな」
朱音の足を初めて触ったけど、陸上部ならではの足の硬さ。
俺の手を跳ね返そうとする程の硬さ。
この感触は悪くない。
「いっ……ああああ――ふとももぁ、気持ちいいぃ……」
「…………」
こう、朝に艶めかしい声を出していると誤解を招かれざる得ない気がする。
土曜日とはいえ駅に急ぐ社会人もいるだろうし。
「たまに……じぶんでもやるっ……けど……すっご……」
「そんなにいいか?」
もう片足もやるけど、同じ反応で相変わらず。
「筋肉痛だから余計に……んっ……いいのかも――きゅ……」
「きゅって……言葉に出すもんじゃないぞ」
ギュッ――
「んんんんああああ……!」
太腿、股に近い部分を揉んだら軽くエビ反った。
痛くは無いらしく、同じ艶めかしい声を出す。
腕も、背中も、肩も。
「はーっ、はーっ――バカッ……やりすぎ……」
「やりすぎたか?」
「ちょっと……んっ」
「うん?」
どうして顔真っ赤なんだかが分からなかった。
「でも、だいぶほぐれただろ。歩けるか?」
「うん、気持ちよかった。ありがとう」
朱音はベッドに手を付けてさっきよりは軽く立ち上がり、ベッドに座る。
「はー……また頼んでいいかな?」
「そんな何回も頼むものじゃないです。……まぁいっか」
本人が気持ちよかったのなら、また頼まれよう。
――クイクイとズボンの裾が引っ張られる。
「かーなーめー」
「あぁ……お前ってやつは本当に良いタイミングで起きるな」
駅に急がない、会社へも学校へも自ら行かない。土曜日でもこんな朝早くに起きるはず無いのに、ニカエルは起きた。別に事が済んだ後だからいいのだけど、もし聞かれていたらこいつに誤解される所だった。
「結構朱音ちゃんうるさかった」
「うわ……聞いてたか」
「昨日はうーうーうるさかったのに、今日は喘ぎ声が凄い。うるさくて眠れないよー……」
枕を抱えて言われても……しかし、音も出ない。俺達に害があってニカエルに一利もないんだから。
「ニカエル、俺は今日皆に会いたいからスマホで寝てな」
「うん、入ってる」
ムカデみたいに移動してスマホの中に入っていく。
――枕も一緒だ。それ無くたってニカエルは寝れるはずなのに。
さて、ニカエルが入った所で俺も着替えて朱音を家まで送るとするかな。
「じゃ、行こうか」
「うん」
着替えと言えば朱音も必要だ。俺のクローゼットには朱音のパジャマも用意してあり、昨日は着替えていた。そして朱音のジャージや制服は洗濯してハンガーに掛けてある。
幼馴染でも流石にパジャマ用意してあるのはおかしい。と思ってるところだろうけど、別に俺が用意してるわけじゃない。だからといってお母さんのお古でもない。朱音が忘れていってはここに置いてあるだけだ。そして朱音も「忘れてたー。でもカナちゃんの押入れにでも置いといて」だなんて言うから俺の服に並べ掛けて、今も大事にしている。
「カナちゃん、それじゃ向こう行ってて。それとも見る?」
「見ない見ない。もっと大事にしろよ……その……ビジュアルを……」
「えー、見ないのー?」
「なんでそう……わー! もう脱いでんなって! 出るから」
「裸見てるクセに……」
なにかボソッと聞こえたけど、自分を大切にしろって。
見る気もないし、さっさと部屋を出て……倉庫に入ってみる。
前の搦目さんの言葉を思い出す。
「もう一人いたこと」――この倉庫となっている部屋に誰がいたのだろう。でも俺が物心付いた頃には倉庫だったし考えるに、俺が物心付く前もしくは産まれる前には何かだったのだ、と妥当。
……別に誰かいたのなら隠す事ないだろう。――まさか、ね。
「かなめー、準備出来たって……」
「ニカエル」
やっぱり枕片手に引きずり、倉庫に入り俺を呼び出す。
スマホから出たり入ったりすまんな、ニカエル。
「うぁー、眠いー」
「わっと! 俺に倒れ込むな!」
少ししゃがみ肩で顔を受け取り、手は肩を受け取る。割とニカエルは軽いから持ちこたえられる。
「かーらーのー?」
「からの……?」
からの?
ニカエルは眠たそうな顔から真面目な顔になり、俺と目があう。まさかプロレス技? それとも魔法が飛び交うか?
そう心構えていると――
「何もしない」
「何もしないのかよ」
俺が警戒する格好を見てニヤケるだけの天使の姿があった。
「やんもう、ちょっと面白かった」
「俺は怖かったよ。ほら、部屋に戻れ戻れ」
ニカエルの体勢を立て直して、回れ右させる。
こんな事で俺は疲れたくないし、時間も取るから茶番は止めてほしい。
「ほらほら〜押して押して」
「はいはい」
ニカエルの背中を部屋まで押して戻る。
もしかして、暫く会話も無かったし俺と遊びたいのか? ニカエル。 ――名胡桃さんの勝負が終わったら暫くは付き合ってやるからな。それまでは大人しくしていてくれ。
※ ※ ※ ※
今日も天睛。
でも明日は雨が降るとのこと、夏風町だと雨なんて滅多なのに最悪な日曜日なりそうだ。
――だいぶ古い話になるけど、中学生ぐらいの事か朱音が四国の実家に帰るなんて事があって、その相談しに来た日は雨だったな。朱音がずぶ濡れでこっちにやってきてタオルで頭をわしゃわしゃ拭きながらどうするかを論議していたな。
「じゃあカナちゃん、ありがとね。また月曜日」
「おう、またな」
マッサージが効いたのか普通な歩き方が出来ている。
家には朱音お母さんもいるだろうし、この先の問題は何も無いはず。
「ニカエル、どうする? スマホの中にいるか? それとも――」
「今日は一緒に歩く。皆の所に行くんでしょ」
そう言うとは思った。
聞くまでも無かったな。
――さて、ここから近いのは名胡桃さんの家だったな。
ここから東に向かって、久々に名胡桃さんの家へ。
「茉白ちゃんのお家? 勝負は月曜日なんだよね?」
「そうなんだけど、その内容とかを聞きたくてね」
名胡桃さんがどんな勝負をするかは何度か聞いてみたのだけど、名胡桃さんは言わなかった。でも、残りが一人……名胡桃さんだけとなった以上は俺にも言わなくてはならなくなった状況。今回こそは聞いてみようと思って名胡桃さんの家に行って会ってみる。
「茉白ちゃんの事だから言ってくれないと思うよ~?」
「俺は多分言ってくれると思って行く。言わなかったら当日まで待つよ」
まぁ――ダメ元っていうやつだ。
それよりも名胡桃さんが今、家に居るかどうか分からないけども。
「奏芽、どういうルートで行くの?」
「ん? ああ、ちょっとね。回りくどく行く」
ここの所、どうも視線を感じる。
今は『男』だから別に気にしなくてもいいとは思うんだけど……櫻見女に通っていても今こうして普通に歩いていても薄っすらと視線を感じている。「見ている!」っていう鋭い視線ではなく、かなり遠くで「見てますよ」という視線。――それが逆に恐怖で背筋を冷やす。
「ぅん――」
後ろを振り返ってもその視線の先が見えない。
木曜日から三日間ずっとコレを感じ続けてるからイライラしてくる。
名胡桃さんの家に着いてからはまた視線の感じが消えた。
大体視線を送るぐらいだったら姿を見せて話しかけてこいってんだ、知らない人でも少しは話を聞いてやるから。
「後ろばっか確認してどうしたの奏芽、押すよ~」
「おう」
ニカエルがインターホンを押して呼び出している間も視線の先を見ようとする。
やっぱり気のせいなのだろうか――。
「奏芽さん、おはようございます? 今日は何用ですか?」
「おはよう名胡桃さん。月曜日の事聞きたくて――」
外ではなんですし、ということで久々に名胡桃さんの部屋に入る事になった。
前に入った時と違って本は入れ替わっており、香りも違っていた。桃の匂い……こんな芳香剤があったのか、たまには俺も部屋に芳香剤を入れてスッキリしてみたい。
「ここ、どうぞ。何か飲み物は?」
「いや大丈夫。まだ行く所あるから」
椅子に座って入れ替わった本を見てみる。厚い本はいつものこと、ブックカバーにしまわれている本達はお気に入りで、その隣にはライトノベルの本ばかりになっている。でもジャンルの偏り無くバランスよく読書はしているようだ。因みに俺が来るまでに読んでいたであろう机に置いてある本は夏目漱石の純文学だ。
「それで月曜日ですか――じゃんけんしてみましょうか」
「いいよ、それじゃ――」
ジャンケンポン。
グーを出したが、負けてしまった。
「はい、それが勝負の内容です」
「……え? じゃんけん?」
「はい、じゃんけんです」
「マジか――自信は」
あります――絶対に負けません――。
名胡桃さんは目をしかめて言った。かなり自信があるようで。
名胡桃さんの事だ。何か得策でもあるのだろう。それじゃなきゃこんな運だよりなゲームなんて立案しない。絢芽が言うには一人が勝てばそれで絢芽の負け。後は名胡桃さんだけのなのだから、これが得意というのであれば絶対なのだろう。
「じゃんけんぐらいだったら、言ってくれてもいいのに」
「私にも考えがあるので――それは途中では言えないです」
「うん……」
「では月曜日にまた。鵯尾さんに気を付けて」
名胡桃さん、まだ何か隠しているんじゃないか――。
ここ最近優しく無いからそういう風にも思ってきてしまった。
俺だって頭を煮詰める事が多くても皆には優しく振る舞ってきたけども、何かいけないことでもしてしまっただろうか……。
名胡桃さんは玄関まで付いてこず、部屋で別れてしまった。
「ニカエルぅ……」
「はいはい」
天使にも雑な扱われっぷり。
「慰めの言葉はないのかね? 天界の人よ」
「だってー、ねー? 茉白ちゃんだって真面目に答えてたし。奏芽の事だって嫌いじゃないでしょ」
「そうかなー」
なんか寂しいな。俺がただ勘違いしてただけなのか?
……さて、次に行くのは神指さんの所だけど――果たして家に居るのか神社に居るのか。
でも両方に行ける範囲ではあるから、まずは神社に行ってみる事にしよう。
※ ※ ※ ※
たんたんと石段を登って見てみると……いたいた、橙乃と神指さんだ。流石に神指さんは私服姿でベンチに座っていた。そして橙乃は巫女服で……木刀を持っていた。
「おはよー……」
「おお、奏芽殿ここに参ったか。少々暇でな、型を見せていた」
「おはようございます奏芽くん。橙乃姉さまの型は見ててキレがありますよ」
というか、掃き掃除でもしてろよ……巫女服に木刀も合うけど君達は日常的に木刀を持っているのか? 俺が気絶させられた時も神指さんが何故か持っていたし、今回は橙乃が持っている。かなり不安に感じてるんだけど……警察にご厄介になっていないかなんとかで。
「怪我の状態はどう?」
俺は神指さんの隣に座る。
見る限りは相変わらずで、唯一取れた所はほっぺたの湿布だけだ。他には絆創膏や包帯で巻かれている。
「まだ右腕も捻挫も治っていませんよ」
「……大変だな」
「箸も使えないですし、髪の毛もクシを通すだけでお風呂入れないですし……ウンザリです」
利き手が使えない弊害と、包帯が取れない事による弊害が出ているか。――考えてみれば朱音や深緑と違って一番被害が大きい人だよな、神指さんは。
「あ、絢芽さんから貰ったくだものは美味しく頂きました。会ったらありがとうございましたって言っておいて下さい」
「なんで俺? 直接言えばいいんじゃない?」
「いえ直接はその――正直会いたくは無いので……」
「ああ……うん、分かった」
怪我させられた張本人だものな。
次に会ったらまた何かされると構えてしまうし、何せ神指さんのトラウマでもあるし、会いたくないのは良く分かる。
「……一つ、どうだ奏芽殿、手合わすか」
「俺⁉ なんで⁉」
目に映った突然の木刀を目を引かせながらも片手で取り、つい立ち上がってしまう。えええ――剣道はおろか木刀でも振り回した事無いのに突然手合わせなんて……しかも相手は戦国時代で“暁の侍”と恐れられた大将だぞ。
「輩と葵以外とは戦った事が無きに、突如首相手が欲しくてな……覚悟は良いな?」
「待った! 寸止めは……するよな?」
「もちろん」
スッと橙乃はいつもの特殊な構えに入る。
左足を一歩出して右足は引かせ、片手で木刀を下に降ろしつつも構える。刃先だけを俺に向かせて睨む。
俺は見よう見まねの中段の構え。寸止めはしてくれると言ったものの、俺も寸止めが出来るかどうかが分からない。
「いくぞ……!」
「おう……!」
と言っても動けなかった。
こうして眼光を浴びせられると蛙のように動けない。鹿島新当流……だったか。どんな技が来るのかも分からないし、下手に動くと胴に当たりそう。
――そう考えてる内に、もう橙乃は近づいてきており降り掛かった木刀に俺の木刀で防御も出来ず……
ドゴォッ――
「うっぐ……⁉」
「…………」
寸止め出来ず、あばらに思いっきり入った。何本か折れそうな勢いなのだが、何処も折れずに済んだ。
「うっぐぁ――いたい〜」
「薬草を擦り込むか?」
「いや大丈夫だから……家に帰るまでには痛み引いてると思うから」
こう大丈夫、大丈夫、と答えるけど、それは『男』の意地で本当は折れるレベルの勢いで来たからこそメチャクチャ痛かった。
「ではもう一回」
「ちょっと……」
まだやるのか?
痛むアバラ骨を押さえ、構える。
「今のは練習とでも言おうか。では、いくぞ」
「……はやっ⁉」
既に傍まで寄っており、左手を打たれる。
「あいったぁぁあ⁉ おい! 誤射は一発までだぞ! 寸止めルールはどうした⁉」
「……もう一回」
まだやんのかよ! 次も絶対に寸止めはしない。
胴打ちに小手打ちと来たら――次は何処だっけ?
「では、行くぞ……!」
「……! 掛かってこい、“暁の侍”!」
素早い足捌きで橙乃はまた傍まで寄ってくる。
胴に小手と来たら……来たら、面打ちしか無いだろう!
橙乃は少し離れ、真っ直ぐに木刀を振り下ろして来る。
「ふぅっ――!」
木刀を木刀で受けて右に滑らせて橙乃の後ろを取る。
膝を付いた橙乃の首に木刀を少し間を開けて。
スッ――チャン――っと。
「……やれ、衰えたか」
「少し分かった。俺相手にして恨みをたたっ斬ったって無駄だ。俺は絢芽じゃない」
「貴様、『男』なのにどうして前に出ない……! 本当は逆だぞ! 貴様が戦い、『女』を守るのが――」
「そうかもな。確かに俺が戦うべきかもしれない。申し訳無いとも思っている。――だからここに来た。皆が俺をどう思っているのかも、皆が今どうしているのかも、見に来た。――あの時だってもし気にしてなかったら見に来てなかったし、止めろなんて言わなかった」
「…………」
「何も出来なくたって、見守る事、気遣う事は出来る。それだって『男』だ」
「――やれ、負けだ」
橙乃は俺の木刀を手に持ち、首に当てる。
「すまなかったな、体は大丈夫か? 手は大丈夫か? ――必要であれば、薬草を擦り込むぞ」
「大丈夫。さ、立って」
手を差し伸べて立ち上がらせる。
「立場が違うと、やっぱり恥ずかしいな――」
「たまにはいいんじゃないか?」
橙乃も『女』の子だから。
「ほら、奏芽くん。ちゃんと芯を持って行動してるんですよ、橙乃姉さま」
「やれやれ、葵の言う通りだな」
橙乃は袴を結び直して土埃をはたき落とす。
この二人は何かと似合っている、神社の巫女さんだからだろうか、戦国時代の大将だからだろうか。俺よりも楽しく話し、談笑している。
「さて、拙者は本殿でも掃除しに行く。奏芽殿はゆっくりしておけ」
「はいよ」
橙乃は木刀を神指さんに預け、木刀からほうきに持ち変えて、裏の方へと行く。
「橙乃姉さま、背中取られたの初めて見ました。私良いのを見れました!」
「そこ喜ぶ所なんだ……」
はいっ! なんて元気よく発するけど、体は全く元気では無く、ぱたぱたと喜んでいるようにしか見えなかった。
「やっぱり、痛む?」
「奏芽くん、そう時間は経ってないですから痛みますよ〜」
ニカエルだったらなぁ。
そう直ぐに魔法を頼ってしまうのは人間としては一番よくない。――でも〈天使のキス〉で直ぐに回復出来るのになぁ。いや、〈魔法転移〉は怖いし……精神的にも壊れそうだからこの案を出すのは止めよう。すまない、神指さん。
「奏芽くーん? 奏芽くん? どうしました?」
「んっ? いいや、なんでもない。また今度来るよ」
「はい、土日は絶対ここですし学校でもまた会いましょう」
左手でバイバイと手を振る神指さんは笑っていた。
――笑える状況じゃないのにな。お大事に。
ニカエルと一緒に手を振って石段を降りる。
「奏芽さっき、私の魔法の事考えたでしょ。お見通し」
「バレたか。でも自然治癒が一番、頼るのはよくない」
「えらいっ」
ぎゅっと俺の腕を両手で掴む。
日中構わずこいつと来たら――誰も見てないからいいんだけど、次は市内に入るから止めてほしい。
※ ※ ※ ※
「あー、やっとついた」
「電車の乗り継ぎも楽しいじゃん、またゲーセンいこっ」
「目的が違う。今日は行かないぞ」
秋空市について早々、主目的を見失うのは駄目だ。
そうやって深緑に会わないでゲーセンで過ごして夜になって合わず終いになる。――まぁ、余裕があれば寄ってもいいのだが夜になってしまいそうだ。何せ夏風町からここまで遠いからなぁ、あの当時は勘弁してほしかった。
「それで、行くんでしょ。深緑ちゃんの家」
「うん、あの部屋へな」
三ヶ月過ごしたあのワンルームへ。
勿論、道は覚えている。最近行かなくたって何度も通っていたら嫌でも覚える。
――おお、あの電柱ではないか。って、まぁ電柱は何処でもあるけどあの電柱だけはよく覚えている。深緑との生活最初で最後の深緑に通話したところであり、深緑の「さよなら」を聞いた場所でもある。
こうして歩いていると徐々に記憶が出てくる。スーパーで一緒に買い物したことや、銭湯に行った事。最初は嫌々だったけど今となっては楽しい思い出ばかりだ。――場所を考えると深緑には申し訳無いけど一緒にはもう生活出来ないけど。
思い出にふけっていたら深緑の家へ着いた。
相変わらず狭い狭い。
ここも勿論、ルームナンバーも場所も覚えていてスムーズにインターホンを押す。
ビーーー……
――こんな音だったんだな、ピンポンの音。
部屋の中は狭いから、直ぐ出て来られるのだが……深緑は出てこなかった。もしかして留守か? 自転車かスクーターを見に駐輪場へと行く。
――げー、スクーターが無い。
参ったな……普段は家で大人しい深緑なのに今日は出てしまっているか。別にアポ無しで来てしまっている俺が一番悪いのだけど……
「おぉー、ゲーセン? ゲーセン⁉」
「目を輝かすな、ったく」
スマホを取り出して深緑に通話を試みる。
「YK、何」
待つかと思ったが思いのほか早く出た。
「深緑、今さ深緑の家の前に居るんだけど何処にいる?」
「実家、迎えに行く」
「あっ、うん……また……」
迎えに行くって……あの50ccのスクーターだろ? 確かに以前一回乗ったことあるけど……もう乗るのは勘弁だぞ。
――お母さんが車で迎えに来るっていう意味だろうな。片言な深緑の事だろうからこの意味で合っているはず。
「おっ、来たかな」
意外と早く来たな。
ヴォォォォ――――
それにしても音がデカい。
車にしては大人しくない音だ。
ということは迎えじゃないな。
全くうるさいにも程が――
ヴォォォォ――――!
こっちに来てる。
音が聞こえてくる方を見ると一つのオートバイが来る。
スポーツタイプと言ったか。余り車両関係は分からないから何も言えないけど周りにプラスチックに囲まれたオートバイがやってくる。
ヴォォンッ――ドッドッドッ……
「止まった」
「YK、こん」
「深緑⁉」
「んっ」
ヘルメットのバイザー部分を開いて深緑が目を合わせてくる。
エンジンを止めて、ちょこちょことオートバイに乗ったまま歩いて駐輪場に納める。
ヘルメットを脱いで、顔を左右に振るといつものふんわり髪型に戻った。
「――いやいや! 華麗に来たけどどしたの⁉」
「普通自動二輪、中型、250cc」
「取ったの……?」
「んっ」
そんなの深緑らしくないぞ!
だって今年の二月までスクーターでポコポコ走っていたのに四月になったら成長している。確かに免許の取得は櫻見女オッケーになったけど……
「春休みに取ったの?」
「一発」
「一発⁉ ……って何?」
「自動車学校行かない、免許センター、試験のみ。後お金」
そんなに頭良かったっけ……深緑……。
俺と同格ぐらいに思っていたけど深緑の方が上だったか……くぅぅ……ちょっと嫌な感じ……。
「それで後ろ乗せてくれるの?」
「駄目」
「どうして?」
「取得一年、二人乗り罰則」
俺は運転に関してはからっきしだから初めて知った。車は直ぐ乗れるってお母さんから聞いた事あるけど、オートバイのそれは初耳。
「まぁ、用有りで実家行ってたみたいだし、深緑も大丈夫そうだから安心した」
「んっ、回復、早い」
月曜日の事だし土曜日になれば回復もするか、無駄な心配だったな。
「YK、来てくれて、ありがとう」
「おう、どういたしまして」
目を細めて少し笑ってくれたのを見て俺はドキッとする。
その時折に見る顔の変化は俺の気持ちを揺らがせる。深緑だけだ、こんな感情になるのは。
「何かあったら電話していいんだぞ?」
「んっ」
深緑はまたヘルメットを被ってオートバイに乗り出し、行ってしまった。
「奏芽、深緑ちゃん凄かったね」
「ああ……びっくりした。――俺も取ろうかな、原付ぐらい」
これは影響されてしまう。
深緑と何処かオートバイで行けるのはいいなぁ。
いつか朱音か名胡桃さんでも乗せて走ってみたい。
――その前に、深緑に乗せて貰うのが先になりそうだけど。
「奏芽、原付免許じゃ二人乗り出来ないよ……」
「そうだった⁉」
ほら、運転に関してはからっきしだ。




