57話 深緑VS絢芽。しかし『女』の策略により不戦勝
天使。
ニカエルに聞けないのであれば検索なんてしてみた。――しかし、ウィキペディアを見ても何を見ても“最終神判”の事やニカエルが今まで発言した能力の事などは全て検索しきっても無かった。
夜になって暗闇の中のベッドでスマホの明かりだけで類いの文章を探しているけど、どれも有力無くデタラメかつ創作な文章しか無かった。――その中でも一つ気になったものがある。
「天使は八つに分類されている……?」
またデタラメで創作な文章かもしれないが、どの文章よりも説得力があり細かく書いてあった。
〔出来事、成長、言葉、意味、人物、時間、物、五感〕
一つ一つが他のページに飛ぶようになっていた。
まずは、と。出来事のページから飛んでみた。
〔出来事の天使は天界にやってきた人間の出来事を可変したり、また追加したり等……記憶の中でも重要な部分を触る事が出来る天使。天界での役割では人々の記憶の中の苦しみの取り払いや、幸福を与える〕
成長のページ
〔成長の天使は様々な成長を見届ける。人間界においてもある程度の助言や子供が急激な成長をするのはこの〈成長の天使〉のお陰である。天界においては子供ながら亡くなってしまった子を大人に成長させたり、片手あるい片足を失ってしまった大人達に生足生手を与える事が出来る〕
言葉のページ
〔言葉の天使は理解が出来なかった言葉を身も知らぬ内に理解が出来たり、悪い事で言うと言葉で人を操れたり出来るこの八つの天使達の中ではかなり強力な部類に入る天使。天界においては、天界にやってきた人間達全員がこの力によって理解を早めさせ、国の壁と言われる英語や日本語等の言葉を無くしている〕
意味のページ
〔意味の天使は前回述べた言葉の天使とは違って、言葉の天使は喋る事についての理解を早めるが意味の天使は文字や物等の意味を理解させる力を持つことが出来る。天界においては人間界において学力が無かった人間に対して意味を理解させる事をさせる〕
人物のページ
〔人物の天使はその通りかつこの八つの中でも最も強力と思われる。性別を変えたり他にも顔や目、あらゆるパーツを変化させたりする事が出来る。――作成者の友人で、顔を大火傷した友人が居たが一週間の内にみるみると火傷の痕が縮小し最後には消えて無くなった友人がいる。これも人物の天使の能力かもしれない。勿論、友人が奇跡的に回復力があり火傷痕が無くなっただけかもしれないので否定も出来る。……話が逸れたが、天界においては人間界で顔等のパーツに満足じゃなかった人間に幸福になるように変化させる事が出来る〕
このページには体験談なども書いてあって俺は人物のページだけじっくりと見ている。
顔を大火傷した友人が一週間の内に火傷痕が綺麗さっぱり無くなる……どう考えたってあり得ない。信憑性に欠けると思って見ていたこのサイトだが、ついに厚くなってきた。
「次は時間の天使のページ――」
ポチッと押してみたが中々読み込んでくれない。
そして読み込んでくれた時には――
〔404 not found〕
読み込みエラーかと思い、戻るボタンを押してみるが
〔404 not found〕
また出てきてしまった。
どんどん戻ってみるが〔404 not found〕の連続、最終的には天使の検索欄まで戻ってきてしまった。
「なんでだ……」
そのサイトを探せれど見つからなかった。
――削除された? 誰が何の目的の為に? もしかしたらデタラメに遊んでいるサイトかもしれないのに、この特定のサイトだけ削除されていた。信憑性で言えばウィキペディアのページも消されるはずなのだがウィキペディアは削除されていなかった。
履歴からなら行けるかもしれないと思い、履歴も探してみるが何故か無かった。履歴って確か勝手に削除されず貯まっていくのに例のサイトらしい名前は無かった。
「――っていうか、俺は何を探していたんだっけ」
……なんで必死に何かを探しているのかも忘れてしまった。
確か天使に関する何かだったのだが。
「――――寝るか」
つい真面目に見すぎて深夜の1時を迎えていた。掛け布団を深く被り深く眠りに落ちる。
※ ※ ※ ※
日曜日飛んで月曜日。
土曜日の事は覚えているのだけど日曜日は何をしていたのか分からなかった。『女』になって靴を履くまで日曜日は何をしていたのかを思い出そうとしていたのだけど何でか……思い出せなかった。
「ニカエル、日曜日って俺なにしてた?」
「ん? ゲームして散歩して限りなく普通だったけど」
うーん……? 相当普通過ぎて俺は忘れてしまったのか?
土曜日寝てから月曜日に起きた感覚なんだけど……。この違和感にピッタリ当てはまるのはニカエルの〈天使のキス〉しか当てはまらないんだけど怪我という怪我は負ってないし……本当に忘れただけ? 丸一日を? まさか……。日々として一日二日の事を時が過ぎれば忘れる事もあるだろうけど、そんな一瞬にして忘れるなんて。
「奏芽。茉白ちゃん、待ってるよ」
「ああ……うん」
道路の真ん中に立ってボーッとしてた。スマートフォンで時間を確認すると5分から10分は考え込んでたらしい。最近は自分らしくない、絢芽の事だったり。
――今日の深緑と絢芽の勝負だったり。
はたまたニカエルの出生も考え込んでしまってこの先までずっと……この感情を持ってニカエルに接していかなくてはならないのか。
「奏芽」
「はいはい」
また数分考え込んでいた。
名胡桃さんに会ってからちょっとは聞いてもらおうかな。いや……天使の事なんて絶対に知らないだろうな。――止めておこう、これだけは絶対に言わない。そう、言わない。
いつもの商店街の入り口で名胡桃さんが来るのを待つ。
しかし、最近待ってると時間を合わせたかのようにケーキ屋のお姉さんが開店準備をしている。そして目を合わせてくる。そんなん駄目だろ、“サブキャラ”は“サブキャラ”らしく月一レベルで出て来ればいいのにあの人といったら……毎回出てきてんぞ。
「おはよー! 奏芽くぅーん!」
そして喋る。
「おはようッス……開店するにはまだ早いんじゃないんですか?」
「仕込み仕込み。どうせあの白い子待ってるんでしょ? 紅茶飲む?」
モ・チ・ロ・ン、ヒャ・ク・エン・な。
一言一言口に出さんでもその後に何を言うか分かる。財布を取り出して百円を用意する。
「あれ……自分からお金出すなんて珍しい。モーニングサービスでタダだけど?」
「え?」
そうなの? というかケーキ屋なのにファーストフード店みたいな事してるんだな。後ワンカップで百円なのは微妙に高いし、ありがたくモーニングサービスを受け取っておこう。
「朝にありがたい……暖かい……」
「まぁ、紅茶自体はワタシが温めて飲んでるから」
久しぶりに暖かい物を飲んだ。
「……開店準備そっちのけで“俺”の顔見てて大丈夫なんスか?」
「んー? いや、ずっと小さい頃から奏芽くんが『女』の子だったら可愛かったかなぁって」
そう思う。でも櫻見女に通うという間違い方をしなかったらニカエルにも会わなかったし今いる友達にも会わなかっただろう。別ルートになったら果たしてどんな出会いをしていたのだろう。……多分『女』の子とは隔離された世界になってたと思う。
「…………わっ⁉ 何してんですか⁉」
ケーキ屋のお姉さんに撫でられた。ここ数年久々の出来事だ。
「なんか……したくなってさ。ほら白い子来たよ。また……来てよ?」
「う、うん。また来るから」
何か変だった。
もう会えなくなるみたいな言われかた。
「おはようございます、奏芽さん。土日は休めましたか」
「おはよう。多分……休めたと思う」
名胡桃さんは首を傾げる。
俺にも分からないんだ。日曜日が消えている。
――言えなかった。いや昨日今日一昨日ばかりは不可思議で言えない。
「SNSで伝えられていると思いますけど、鵯尾さんと厩橋さんは今日ですからね」
「うん、具体的には何で競うの?」
「それもSNSのメッセージで見てるかと思いますけど、忘れてます?」
「あ、そうなの?」
そう名胡桃さんに言われてスマートフォンのメッセージを確認してみる。……全部日曜日に投稿されたものだった。着信音が鳴るわけだし、常に手に持ってるものだから既読無視なんて事はしない、特に櫻見女グループの着信は音を変えているからもっと既読無視はしない。
「おかしい……」
「何がです?」
「いや、なんでもない」
スマートフォンをしまって前を向く。
とりあえず、深緑の勝負の全貌は見えた。深緑の十八番とも言える“リバーシ”で勝負するみたいだ。まぁ絢芽を一撃で沈めると言うのならこれが手っ取り早く他の三人は不戦勝で終わるという訳だ。――しかし、絢芽の様子を見ていたら中立的な気持ちになってしまった。スク水で土下座する絢芽の姿は見たくない。今月いや今年の気持ちはどうしたものか。深緑の時もこんな感じだったし。
「……そういえば、名胡桃さんは何で勝負を?」
「それは秘密です」
俺にも教えてくれないか。
それはそうか、絢芽に近いのは俺だろうし、言うんじゃないのかっていう名胡桃さんの判断もあながち間違いではない。
「ここの所、奏芽さん疲れてませんか?」
「え? いや」
「気のせいだったらいいんです。でも今日はヘアクリップつけてませんよ」
「あっ……忘れてた」
髪に手を添えると無かった。
やっぱり疲れているのかな俺は――。
「それでは気分転換に……心理テスト」
「はぁ」
心理テストだなんて名胡桃さんにそれを聞かれたらダイレクトに今の心理分かっちゃうじゃないか。……でも気分転換程度だからそれなりには大丈夫かな……。
「天気の良い朝です。貴方はどうしますか?」
「うーん?」
本当に気分転換なのか?
「二度寝するかな……」
「成る程、では二度寝をした結果学校に行く時間を寝過ごしてしまいました。貴方はどうします?」
「えっと、遅刻でも行く」
「はい……そうですね。ふふっ」
名胡桃さんは笑っていた。
「変な結果だった?」
「はい、変な結果です」
「どんな結果なの?」
「奏芽さん、ダメ人間です」
だ、ダメ人間……。
少しは自覚していたけど、まさか名胡桃さんからもダメ人間と言われるとは俺は少し悲しみを覚えた。心理テストというか人間性テストをされていた訳か。二度寝して遅刻というのは中々定番なアクシデントだけど、二度寝の部分がダメ人間な部分なのかな。という事は八割方はそこに来ているというのかな。
「まぁ奏芽さん、気を落とさずに」
「うん……でもいい気分転換にはなったかも。ありがとう」
「はい」名胡桃さんとの会話が少し楽しかった。
良くも悪くもって感じだが。
※ ※ ※ ※
昼休み――
お弁当は作ってもらえなかったので食堂に向かっていた。
食堂を使う人と言えば――いた。
「深緑、朱音」
「あ、カナちゃん今日はこっちなんだ」
「YK、こん」
「お、おう……こんにちは」
略語をぱっと深緑に使われると斬新さ改めて少し驚き。ついには『こんにちは』でさえ大胆に略すとは。面倒くささ極まれりって感じだな。
「メッセージ見たよ、深緑頑張ってね」
「んっ、がんばる」
今日の深緑はかけうどんにお茶。お茶は食堂の券売機の券で交換できる物で有料だ。水ならタダなのだが、それ以上の物は全て有料だ。因みに自動販売機と同価格だから代わりはない。というか自販機の物だ。深緑は缶を手にとって飲むのが駄目なのか紙コップに移して飲んでいた。
「……あれ、缶一個だけど分け合ってるの?」
そもそも真ん中に置いてあって誰の物か分からないそのお茶缶。
「この缶はあたしの、深緑ちゃんのはさっき絢芽ちゃんに貰ったやつ」
「絢芽から……ほー」
相手に礼儀正しくやってるのかな、アイツは。
「売店で売ってるのと少し違う味、多分コンビニに売ってる物」
「ほぅ、深緑は味分かるんだ」
「甘い」
俺はお茶はお茶として飲んでしまうからな。
美味しいのか深緑はうどんを食べては何度もお茶を口に注いでいた。
「深緑ちゃんとリバーシやってみたけど勝てないもんだねー。優勝者は違うね」
「深緑のリバーシはマジで強いからね……わたしも勝てなかった」
「んっ……」
朱音はまず勝てない。神指さんでもまぁ勝てないだろう。名胡桃さんと墨俣さんだったら少しは分からなくもない。となると、絢芽でも勝てないんじゃないのだろうか。
「ま、深緑なら大丈夫だろう。……頑張ってね」
「――んっ」
……?
深緑の眉が少しピクッと動いていた。余り表情豊かではない深緑は顔を動かすことなど滅多なのだが珍しく眉だけ動いた。
――その様子を見ていた俺の嫌な予感が的中した。
英語の授業中、窓ではなくボーッと廊下の方を見ていた。
窓の方をガッツリと見ていると、みちる先生に酷く怒られそうだから黒板を見ているように斜めに見るようにしていた。
そして視界にふわっと映った水色のマフラー。
「あ……」
深緑だ。
トイレだろうか? でも様子がおかしい。スタスタと深緑は歩くのだが、壁に手を付いてノロノロと右から左へと移動していた。――朱音に「様子変じゃない」と聞いてみたかったが嫌に授業に集中しすぎてて言えない。でも誰からどう見たって深緑の様子がおかしい事に気付くはずだ。
暫く見ていたらその場に止まってするりとマフラーが落ちていった。落ちたというより、深緑がその場でしゃがんだようにも見えた。
――俺はゆっくりと席を立って手をあげる。
「先生……トイレ行っていいですか……?」
「はい、どうぞ。早めにお願いしますね」
みちる先生に許可を貰って早歩きでドアに向かってドアを開けてゆっくりと閉める。深緑を刺激しないように少しずつ近づいて――小さく「深緑」と声に出す。
「くっ……はぁ……Y……K……」
「だい……じょうぶ……じゃないよな?」
「YK……手、貸して……お腹……気持ち悪い……」
相当苦しいらしい……。
お腹を押さえ、体を震えさせて風邪みたいな症状を起こしているらしい。でも――さっき見た深緑の様子だと風邪を引いたような事はしていないはず。というかそんな風邪って直ぐ引くようなものじゃないし……。
「……YK、吐きそう……」
「深緑、トイレじゃなくて保健室行こう。早く、背中乗っていいから」
深緑の前にしゃがみ深緑が俺の背中に乗り込む。
刺激しないようにゆっくりと歩いて、何が原因かを深緑に問う。
「今日のお腹とご飯が相性悪かったか?」
「違う……美味しかった……」
じゃあ何が悪かった……?
深緑は過剰な運動どころか適度な運動も好まないし、かと言って健康的には過ごしているから問題はないはず。
「深緑、保健室付いたよ」
「…………」
相当辛いらしい、何も口に出さなかった。
「先生、ごめんなさい。この子ベッドで寝かせて貰えませんか?」
「……分かった。その子を降ろしたら貴方とその子の服を一度脱がしてあげて」
「え……」
どういう意味、なんて先生に言う前に
たらり、と何か手に垂れた。袖からたらりと――深緑のお尻を片手で押さえて手を見てみる。
深緑の吐いた物が付いていた。
「感染の恐れがあるかもしれない。早く手を洗って」
「は、はい!」
少し遅かったか、刺激を与えすぎていたか。
静かに音も出さずに……いや、吐かないと我慢していたのか分からない。けどもかなりの量を吐いてしまっていたようだ。
脱いで確認すると制服の肩から袖にベッタリと深緑の吐物が付いてしまっていた。マフラーは奇跡的に汚れていなかったが、おんぶをしていたせいで深緑の服にも付いていた。
「直ぐにでも家に帰した方がいいわ。厩橋深緑さんの事知ってるんでしょう。私から許可を出すから帰してあげて」
「あの……深緑は秋空市なんで、わたしの家でもいいですか? そっちのほうが近いし……深緑の両親も知ってるんで」
「……余り宜しくは無いんだけど分かったわ」
俺も早退か。
でも深緑の為だったら授業だって無駄に出来る。
「深緑、気分は」
「……さい、あく……」
正しい反応だと思う。保健室は他の教室よりも温度暑めだから少しはマシだと思ったが、これでも深緑は悪寒が止まらないみたいだ。ガタガタとまだ体を震えさせている。
「貴方の両親呼べる? なるべく車で移動させて部屋をここよりも暖かくしてあげるといいわ」
「呼ぼうと思えば呼べると思います。後部屋の件もわかりました」
「それと制服は水洗いしてこのビニール袋に入れたから、これ単体で洗濯してね」
「はい、色々とありがとうございます……」
保健の先生に向かって一礼する。
――した後、スマホを開いてまずはお母さんのスマホに通話を試みる。
「……奏芽、まだ学校でしょ。どうしたの」
「あ、お母さん。前にさ深緑っていう子いたでしょ? 調子崩して早退を求められてて。そんで秋空市だから俺……わたしの家に連れて行くことになってさ。今って時間空いてる?」
「本当? 大丈夫? ――っていうか、奏芽がサボりたいだけじゃないの?」
「はぁ……先生、変わってもらっ」
「あ、先生もいるのね……ごめんごめん」
つくづく調子を狂わされる。
「仕事の用だって言って私抜け出すから、待っててね」
「……ありがとう、待ってる」
プツッと通話が切れる。
フゥっとまずは一息。――そして次に家に通話を試みる。
余り期待はしていないけども、というか別に準備しなくても大丈夫だけど奇跡的に出てくれないだろうか。
「……唯川家だ。その先よ、何用じゃ」
「猫子!」
猫が電話に出るという奇跡を待っていた。
「猫子お願いだ。部屋のエアコンを暖房二十四度に設定して、暖かい掛け布団を一枚用意しておいてくれないか?」
「承知した主人。……褒美は多めじゃぞ?」
「いくらでもやる!」
これで迎え入れる準備が出来て長く一息付く。
「深緑、何も心配要らないから。大丈夫……ね?」
「んっ……くっ……」
何度も波が来たようで先生に用意してもらったバケツに何度も吐く――。
これは今日の勝負どころではないよな……。
「奏芽! 来たけど深緑ちゃん大丈夫?」
ガラッと急に開けては先生に挨拶もせず深緑に近づく。
というか早いな、特急で飛ばしてきたのか?
※ ※ ※ ※
深緑も落ち着かず車の後部座席でビニール袋に向かって何度も吐き。吐く度に顔が青くなっていく。元より液状な吐瀉物で深緑も吐く物も無いのに空嘔吐を続けては何かを吐こうとしている。普通こういうのって一発で終わるものじゃないのか?
――車の中でお母さん曰く
「つわりじゃないかしら?」
「えっ――違うだろ」
「かなめぇ~まさかぁ~」
「いやっ……ヤッてない……」
「何が~?」なんてニヤけて喋っているけど、そんな深緑を懐妊させた事実は全く無い。――いやいや本当にそんな事はないのに、というかあのワンルームからウン週間経ってるのに今更そんな……
「奏芽、ウ・ソ。でも気持ちは和んだでしょ深緑ちゃん」
「少し、落ち着いた」
というか冗談でも同級生にそんな事言うのは失礼じゃないだろうか。
「さー着いた。そのビニールは私が処理しておくから。さ、奏芽早く暖かい所にね」
「分かった。ほら、深緑」
「んっ」と頷いた深緑は差し伸べた手で体をゆっくりと上げる。
本当に落ち着いた顔をしている。息遣いも荒くなく、先程あった事が何事も無く、といった。
お母さんが玄関の扉を大きく開けて中に入る。
重さで軋む階段で不安になるが、一歩一歩しっかりと自分の部屋にと向かっていく。
ここからの自分の部屋の扉を片手で開き、深緑をゆっくりと自分のベッドに座らせる。猫子が先にエアコンの電源を入れておいたお陰で部屋の中が暖かい。お古のエアコンでもしっかりとした暖かさが出るのは助かった。
ゆっくりとした動作で深緑は布団の中に入り、暖かさを実感しているようだ。
「YKの家、久しぶり」
「だいぶ経つもんな」
一月か二月頃に遊びに来たっきり。それ以降はばったりと深緑は来なくなった。別に避けている訳ではなく、秋空市と夏風町がかなり離れていて俺の家で遊んだ後に帰ろうとなると深夜になってしまうという。
――さて
ベッドに座って深緑の顔を見る。
「深緑、まだ調子悪い?」
「お腹の調子悪い」
まだ悪いか。途中で帰ってきたお母さんは急いで何かお腹に優しい物を作っている所だろう。
「今日の勝負――」
「深緑諦めよう、わたしだってそんな不調でやろうと思ってもやらないと思う」
「…………」
「ね?」
深緑は頷く。頷くけど、納得はしていないようで目は横を向いている。
「じゃあわたし、下の様子見てくるから。休んでで」
「んっ」
立ち上がって部屋の外に出る。
トントン――
スマホを二回叩く。
そうするとニカエルが嫌でも出てくるようになった。
「ニカエル、どう思う?」
「どう思うって?」
ニカエルを外に出して、問いてみる。
「至って深緑の調子が急に悪くなる事なんて無いじゃないか」
「人間だもの、悪い物でも食べたんじゃない?」
そうか――?
でも吐くって事は確かに悪い物を食べたのかもしれない。でも昼食は一緒に摂って深緑が悪い物を食べた感じはしない。それでもって深緑が道路に落ちた物を拾い食いするような性格じゃないし……って至ってまともな人間がそんなこんな程度で拾い食いなんてしないだろう、犬じゃあるまいし。確かに深緑は犬っぽいところあるけどそこまで動物になってる訳がない。
階段を降りながら考えてみるが、見てきた中で変な物を食べる様子は無かった。俺が見てたら止めるだろうし。
――コンコンと玄関の扉を叩く音が聞こえた。
以前の事があって、橙乃以外にもノックする人が現れたので覗き穴で人物を確認するようになった。
「――絢芽か。……入っていいよ」
「はーい、お邪魔しまーす」
「今日はどうしたの?」
「厩橋先輩、ここにいるんでしょう?」
ご名答。
まぁ、クラスの人に聞いてみれば分かるか。絢芽はコミュ力高そうだし。
「学校の中で勝負するんだから、今日は厩橋先輩の負けって伝えておいて」
「ん……まぁ、しょうがないな。約束伝えておいていないってことは」
不戦で絢芽の勝利となるのは仕方ないが、少し深緑の顔も見ていかないか? と言おうとしたら――。
ゴッ……カラカラ――
絢芽が何かを投げて来た。
「おい絢芽、駄目じゃないかビンなんて投げたら」
「ネタばらし。それじゃ」
ネタばらし?
足元まで転がってきたビンを見てみると『トコンシロップ』と書いてあった。
ナニコレ? 薬とは書いてあるけど、そんなに問題になるような物ではなさそうだ。これの何がネタばらしなのだろうか? 中身はまだ入っているようだが、どんな症状に効くのか分からず飲めそうにない。
――暫く経ってから。
深緑の寝息と可愛らしい顔を見ながら待つ。今日は秋空市に帰らずここで泊まると決めたらしい。次に深緑が起きるのは何時だろうと考えていると、インターホンの音が聞こえた。
「奏芽~! 茉白ちゃん来たよ~!」
「はいはーい」
また客人。
もう玄関まで入ってきており、「お邪魔します」と一礼する。
「厩橋さんの様子はどうですか?」
「良くなったか、寝息立てて寝てるよ」
「そうですか……」
ホッとしたようだ。
「容態が急変したと聞いていたので、どうなるかと思ってましたが……良かったです」
「うん……あ、そうだ。これ知ってる?」
絢芽が投げてきたビンを名胡桃さんに見せてみる。
「……⁉ こ、これは……奏芽さんこれは何処で⁉」
「いや、絢芽が持ってきたみたいでまだ中身は残ってる」
相当な物なのか名胡桃さんは目を丸くして見ている。
「奏芽さん……これは注意薬品……劇薬です……」
「えっ……劇薬……?」
劇薬って……麻薬とか、そんな物だよな……?
「『トコンシロップ』は、催吐剤です……でも……もう発売はしていないはずじゃ……」
「催吐剤……じゃあ深緑が今日吐いてたのってこれのせい?」
「はい……トコン自体苦くて中々食せない物なのですが、『トコンシロップ』はそれに甘みを加えて飲みやすくしたものです。でも毒性が強すぎて死に至る可能性も高く販売は中止されて流通も僅か。日本にあるのが変なんです」
死に至る……!
絢芽は何ていうものを……今日絢芽が持ってきたというお茶に、その『トコンシロップ』とやらを仕込んで深緑に飲ませ、本当は殺そうとしたんじゃないのか?
――でも、催吐剤と知ってて……いや……。
「奏芽さん! 鵯尾さんは危険です……!」
「でも……でも……だからと言って……」
俺の妹とは名胡桃さんには言えない。
でもって絢芽にブチ切れて、怒った所で全ての勝負が終わる訳じゃない――。
「――なるべくの接触は無いように控えましょう。それに奏芽さんも対象に当たります」
「……分かった。名胡桃さん、気を付けて」
「いえ、気をつけるのは……貴方です。奏芽さん……では……」
結局『トコンシロップ』に全て持っていかれて名胡桃さんの用事は済まされなかったようだ。
――自分はこの『トコンシロップ』を洗面所に流し、ビンの中も水で流す。その際でもふわっとした匂いがして、如何に飲みやすいかが分かった。そして――外で思いっきりビンを割る。
「絢芽ーーーー!!!!」
手を強く握って、怒りたい気持ちを空に向かって叫ぶ。
勝負一つ無駄にするのに人の命を絶やす事なんて絶対に許せない。
――でも、俺の妹だから……許せてしまっている。そんな事しないだろう、ちゃんと適切な量で合わせただろうなんて……クソッ。
「俺の……馬鹿ーーーー!!!!」
自分の甘さにまた叫ぶ。




