56話 天使という『女』
夏風町到着。
駅で絢芽と別れようとしたが、手を掴まれてそのまま鵯尾家へと連れて行かれる。
ニカエルはいつの間にかスマホの中へと入り静かになった。どうしてもお父さんには会いたくないようだ……俺は気になってしょうがない。ここまで執着して会いたくないのはやっぱり理由あり。
「ここがお家。お兄ちゃんの家から遠いけど、一緒の町だから大丈夫」
辿り着いたのはやや大きめのマンション。古い部分が一切無く、今風のニーズにあった無駄のないマンション。二階に上がって手前から三つ目のドアに鍵を刺す。中に入るとやっぱり大きかった。面積的には一軒家よりも遥かに超えるのではないだろうか。
「はい、ここがわたしの部屋。入って」
「お邪魔するよ。…………」
俺の部屋よりも大きく、ぬいぐるみや写真立てがたくさん飾ってある。
椅子を差し出されて、軽めに座ってまた周りを見る。
「わたしジュース取ってくるから、自由に見てていいよ」
そうして絢芽は部屋を出て行った。
出て行った様子を見てみるとリビングと思われる部屋の電気を付けて灯りが灯る。まだお父さんはいないらしいので、スマホを三回トントンと叩いてニカエルに合図を送る。
ピロン♪――
「メッセージ送らなくても大丈夫、絶対にいないよ」
「本当?」
スーッと体半分だけを出してニカエルは辺りを見る。
「絢芽の部屋だし、万が一帰ってきても直ぐにスマホに戻れるだろ」
「うん」
安全がとれた後、ニカエルは体全体を出して絢芽の部屋に足をつける。
その足で向かったのは写真立ての方だ。
「これが絢芽のお母さんなんだね」
「どれ……」
ニカエルはその写真立てを手に取り見つめる。
お父さんと絢芽のお母さんと絢芽が写っている。小学校の入学式の写真らしい。
「綺麗な人だな……髪の毛とか目は絢芽に似てるな」
「そう、一番大好きなお母さんだった」
いつの間にか部屋に戻ってきていた絢芽はジュースとお菓子を机に起き、写真立てがニカエルから絢芽の手へと。
「十歳の時に病気で死んじゃった」
「…………」
なんて絢芽に言葉を掛けていいか分からない。人の死に直面した事なんて無いから……軽く「そっか」なんて言えないし、「残念だったね」なんてまた言えない。
「でも、わたしは大丈夫だから。お父さんがいるし、お兄ちゃんがいるから」
「強いな……絢芽は」
うん、と頷く絢芽だが少し寂しそうだった。また悲しそうな声でうんと言ったからやっぱり隠しきれない部分はあるそうだ。俺はそういった身近な人が亡くなった事がないから分からないが、話せなくなる触れなくなる見れなくなる……五感で伝わる物全てが無くなると寂しくなってしまうのだろう。人ではなく動物のナーコが逝ってしまった時はどうしていいか分からなくなってしまった時があるからだ。
「……もし、再婚したらどうする」
「再婚かぁ……わたし、考えた事もないな」
ボソッと俺は喋ってしまった。俺のお母さんと現状絢芽のお父さんが再婚したら、それはそれで何かと円満に終わりそうなのだが、お母さんがああではお父さんもそういった話も持ち出さないだろう。
「どう思う」
「新しいお母さんってのもいいけど、わたしはやっぱり死んだお母さんが好きだから」
うん。
やっぱり、そうなってしまうんだろう。再婚したら俺は元のお父さんが帰ってきて、お母さんが居てニッコリだが、絢芽は複雑になってしまう。亡くなったお母さんと新しいお母さんと言った二人のお母さんの存在が出来てしまうからだ。そう言ったら別の母の子供といった感じで絢芽と俺の存在が複雑になってしまうが。
「――それで、ニカエルちゃんは何処の子?」
「私?」
絢芽が持ってきたポテトチップスを貪り食っていたニカエルは急に話を振られて硬直している。天界の育ち……だから、天界の子なのだろう。詳しく言えば天の使いだらだら。
「私はテンプレ通りに言えば天界の育ち」
「ニカエルちゃん、テンプレになってないよ」
確かに。
俺が思っていた通りの“ド”テンプレートな言葉を出してきやがったけど、何処の子と聞かれて天界とは少し矛盾。
「ニカエルちゃんにも、お母さんとかお父さんとかいるんでしょ」
「…………」
ニカエル?
「私にも居るけど、お母さんとお父さんの名前は言えない。言っちゃいけない事になってるの」
「そうなのか」
初耳だ。
まぁ、天使という存在事態が余りにも不思議すぎて、天界について突っ込み過ぎた話を人間にはしてはいけないのだろう。そりゃ天使の親ともなればゲームでいうラスボス級な存在なのだから……いや神の存在とも言うべきだな。
「もし言ったら?」
「言っても何ともならないけどね」
…………。
天罰が下るような事を言うかと思ったけど、案外“下らない”事だったな。
ガチャ――
その音を嗅ぎ付けてニカエルは早急にスマホの中に戻る。
コンコン、ガチャ――
「ただいま――なんだ、奏芽。お前も居るのか」
「お、お邪魔してます……」
相変わらず、黒いネクタイ。柄も付いていない無地な黒のネクタイ。
そして片手には重たそうな荷物を持っていた。
「絢芽、何か固形物で欲しいものは無いか? 試しにこれを使ってみたい」
「何かを買ってきたの?」
ドンと重く音を立てたその荷物をお父さんは開ける。
「3Dプリンター、知ってるか?」
「あー! 何度かテレビで見たのだ!」
3Dプリンター。
PCで3Dデータを設計図にして、歯車とか欠けたプラスチックの部分を作成する事が出来る何かと便利なものだっけ。お父さんが持ってきたのは小型の物で、コンパクトな物だったら何でも作れそうだ。
「ついでにだ、奏芽。お前も何か――」
「いや、俺はいい」
“ついで”とは何だ。
俺は立ち上がりパスパスとズボンの裾を戻しお父さんの前に出る。
「つまらんな。話に乗ってくれないとは」
「別に、ちょっと癪に障った事があっただけ。気にしないでいいよ、うん。それじゃ」
お父さんを避け、玄関を開けて出る。
――横を通る時に荷物を持った逆の手を見てみるとUSBメモリを持っている。3Dプリンター用に設計図のデータでも入れているのだろう。そうでもなかったら片手にUSBメモリを持つ意味がなくなってしまう。なんでケースにも入れずに片手に持ってるのかは謎だが。
「お邪魔しました」
冷たく言われるのは心外だ。
絢芽には悪いけど、少し苦手なお父さんだ。
※ ※ ※ ※
奥に見えた夕焼けが落ちて周りが暗い、外に長居しすぎた。ふわっとニカエルが出てきて一呼吸入れる。相当鵯尾家は空気が重苦しかったらしい。
「そういや、絢芽のお母さんが亡くなってるという事は……会ってるんだよね?」
一度、向こうの事情を聞いてみたかった。死後なんて今まで考えた事も無かったけど、こいつの存在があるということは極楽浄土なんてものもあるんだろう。
「私は会う事が出来ないの」
「じゃあそういう亡くなった人等って天使の中で誰が会えるの」
まさか天使はニカエルだけという事はないだろうと思って内情を探る。
あまりしたくはないけど。
「最終神判、それを行う天使だけが出来る。正確には木槌を持った天使だけが行える。――最も残酷であり、最も平和な方法って言われてる」
残酷なのに平和なのか……天国っていうのは矛盾ばかりな世界だな。
「それで……ニカエルはなんで、らすとじゃっじめんと……? そういう事を知ってるの?」
「えっと……まぁ、同期の天使がいるからね」
同期⁉
天使にもそんな会社みたいな関係の人がいるのかよ。……あっちの世界の事が少し分かっただけでも俺は満足だ。知った所でニカエルと一緒の世界なんて何十年も先なんだろうけど、知っておくだけでも有利になるだろう。
…………。
「因みに……俺が何年先に死ぬとか……分かるの……?」
「それ聞いて奏芽は得する?」
ムッとした顔を見せられて、初めてその顔を見てビクッとする。
ニカエル――知っている?
「私だからって何でも知ってる訳じゃない。仮に知っていても人間に教える訳じゃない」
「ご、ごめん……」
「それから天使の事なんて聞けば聞くほど、私達の事が嫌いになると思う。詮索はしない方がいい」
「う、うん……」
ニカエルとは思えない程の真面目な口説きでグッと俺の中の何かが消える。
つい熱くなりすぎた……。優しいニカエルが怒る程だ、これ以上はニカエルに話す事は止めた。今ここでニカエルとの契約を切られてしまったら櫻見女に通うこともままならなくなってしまう。……でも、最後に聞きたい事があった。
「ニカエル、俺にだけ……お前にお父さんとお母さんを教えてくれないか?」
「……ッ!」
バァンッ、と空気が揺れる。ぼうっと木が揺れ、電柱に止まっていた鳥が飛ぶ。自分も目を顰める程の重い空気の揺れ方。そしてニカエルが近づき本気でビンタされる。
――ここまでニカエルに怒られ、ニカエルの気が激しくなるのも初めてだ。
「奏芽! ……もう、駄目だってば……」
「分かった、ごめんって……俺が悪かった……」
鈍い痛みと、目の前に見える涙。
「嫌な事あっても……奏芽と違って私は逃げられないんだよ……? 15mとスマホの中にしか私の居場所はないんだから……」
「〈契約の結界〉と……まだ聞いたこと無い能力」
「電子潜入、奏芽のスマホにしか入れないけど」
「んん……何気にかっこいいな。それとニカエル、お前の居場所はもう一個あるぞ」
……?
なんて思いつかない顔をしているが、最も忘れてはならない場所だと思ったんだが、そう、もう一個あるんだ。
「分からないなら後で教えてやるよ」
「なんで今じゃないの」
「向かってるから」
「……?」
はぁ、どうして分からないんだか。
そうこうニカエルとしているうちに駅前まで着いた。夜の夏風町を出歩くのはイベント毎があるか、お母さんの帰りが遅くて外食に出かけるかぐらいだから暗い駅前を見るのは久々。街灯と駅前交番の灯りぐらいしか明るくない。
「Excuse me」
聞き慣れない言葉を聞いてウッとなる。
聞こえてきた方角を見てみると俺よりも身長の高い金髪の『男』が地図を俺に見せて何かを聞こうとしている。
マズい、俺の英語評価はほぼ最低だぞ……。YESとNOとREALLYぐらいしか分からないし、中学英語も殆ど覚えてない程の最低クラス。
「Is there a hotel here?」
「ほ、ホテル?」
夏風町にホテルらしい物は無い。あるとしたら宿ぐらいなんだけど、“宿”をどう言えばいいのか分からない。宿も動揺“ホテル”って言っていいのだろうか……。そうこう悩んでいるとその『男』も立ちながら貧乏揺すりを始めている。
「夏風町にホテルはないですけど、宿ならありますよ」
「really? please tell me」
「えっ……」
ニカエルが会話に入った瞬間にトントン拍子で会話が進んでいく。
その間もニカエルが使うのは全部“日本語”。そして外国人は勿論“英語”。それなのに会話が成立していき――
「Thank you!」
「は、はぶあないすでー……?」
「どういたしましてー」
案内が完了したようだ……そして謎が残してしまった。
「なぁ、ニカエル。勿論聞いていいよな?」
「あ……うん。奏芽、耳貸して」
うんと頷くと耳をニカエルの手で塞がれる。
「Suこch이Такa这う样иеสิ่ง的い事ве런นั้うน情thiこngщиと」
「うっわっ――⁉⁉」
ついニカエルの手を退けてしまった。他国と思われる言葉と聞き慣れた言葉の全てが耳の中に入ってきて気持ち悪くなってしまった。
「どう? 天使達は皆こういう言葉で話してるの」
「いやいや、今はこうして日本語で聞こえるけどさっきはどうして?」
「〈万物の言葉〉。一人ひとりに母国の言葉で話しかける事が出来る――でいいかな。結構複雑な物だから説明はしたくないけど」
「うん、もう十分」
つまり――翻訳要らず言葉を変える必要無しでニカエルは「ありがとう」を世界中に伝える事が出来るという事だな。〈万物の言葉〉は俺も欲しい。多分無理だけど。
「薄っすらとだけど、さっきのは“こういうこと”って言ったんだよね?」
「……分かったんだ」
アレ?
もしかして分かっちゃいけないものなのか? ニカエルが目を丸くしている。――俺も天国に行ったら天使になれるレベルとかだったり? 少し期待してしまう。期待するだけで多分無理だろうけど。俺ニカエルに会ってから無理ばっかだな。性転換出来るだけで素晴らしい能力だと言うのに。
「それで奏芽。向かってるっていうのに家着いちゃったんだけど」
「来たじゃないか。お前のもう一つの“場所”に」
「……そっか。忘れてた、ここも……一つの場所だね」
「うん、お帰りニカエル」
唯一、いや結局俺と一緒だけどニカエルが自由に行動出来て嫌な事とかもぶっちゃけたり出来るのがここ唯川家だ。確かにニカエルは逃げれない存在かもしれないけど、話したり喋ったり出来るのがここだと俺は思っている。
「どんな事があっても俺はニカエルの事嫌いにならないから……いつか教えてくれな?」
「…………」
「ま、まぁ。無理だったら無理でいいけど」
「うん、無理」
ニッコリと笑った。
口をすぼんで上目遣いされるより、ニカエルには笑って貰ってくれていた方が可愛くて嬉しい。
お前が来なかったら……俺も変わってなかったかもしれないな。
「「ただいま」」
二人声を揃えて家の中に入る。




