55話 微笑まない天使、諦めない『女』
幾つか、お母さんの部屋の扉を叩こうとして躊躇する。お父さんには「後でお母さんに聞いてみる」とは言ったものの、この状態では聞けず……また、明日にも「聞いてみよう」なんて思えなかった。
――一日が過ぎた、土曜日。
「奏芽、今日は散歩しよ」
珍しく、ニカエルが誘ってきた。朝起きたら既に服を着替えてモードが入っている。……いつぞかに見た“I LOVE WEST”の帽子を被っている。俺達が住んでいる夏風町はどちらかと言ったら……どっちも言えない。真ん中とも言えないけど。
着替えながらニカエルに問う。
「どうして急に?」
「うんと……急に!」
意味が不明だった。
……察するに昨日の事だろう。俺のお父さんが来てからニカエルの様子が変だった。天界絡みとか言ってたけど、人間が天界に行く事なんて“死”以外にあるのだろうか? 地上の人と天界の人が絡む事はあるにはあるだろう、俺自身がそうだし。という事はニカエルは俺のお父さんとは以前に接触した事があった? ……でも昨日のお父さんの反応を見ると知り合いという訳でも無いみたいだった。
――考えれば考えるほど、複雑になるばかりだった。
「ニカエル……悩んだら俺にも言えよ」
「……うん」
「馬鹿」
「うっ」
おでこに拳を軽く当てる。
いつもなら反撃をしてくるのだが……今日はすんとも。人よりもウン十倍と元気なはずのニカエルがいつもの行動をしてくれず、俺もどうすればいいのか分からない。何度も答えを返してくれたニカエルがこの調子だと俺も狂ってしまう。――これは散歩だけじゃどうにもならなそうだ。
ピンポーン♪
朝早くから誰かがやってきたみたいだ。
「お兄ちゃーん、開けてー。絢芽だよー!」
「…………」
そういえば昨日に深く案内してあげると言ったような気がする。すっかり約束してたのを忘れてニカエルと出掛けようとしていたのだ。
「ニカエル」
「大丈夫、絢芽も一緒で」
言葉の突っかかり無くスムーズに言葉が出る。
散歩といってもどうしたものか……、絢芽も俺達のクラスメイトとは会いたくないだろうし、他の場所を提供しなければならない。――他に知っている町と言えば。
※ ※ ※ ※
四つ乗り換え、辿り着いた場所は秋空市。ここだったらクラスメイトがいない訳じゃないけど、会う確率は格段に低くなる。でも……絢芽はお金を持っているからまだ良いんだけど、俺の場合はニカエルの分も用意しなきゃならないのでお金が余計に掛かり、財布の残高に圧迫している。またATMで今年に貰ったお年玉を出さなきゃならないか。というかニカエルもお母さんからお年玉貰ったんだから使って欲しい。結局〈契約の結界〉があって外に出れないのだからさ。少し俺の負担を減らしてくれ。
「お兄ちゃん、何処を案内するの?」
「そうだなー。何処に行きたい?」
それなりには秋空市の歩き方を知っているつもりだ。深緑と何回も歩いた場所だから「何処に行きたい」と聞かれれば行ける。
「うーん……じゃああそこ!」
「何処だ? ゲームセンター?」
夏風町じゃ珍しいゲームセンター。ゲームショップと駄菓子屋ならあるのだが、ゲームセンターだけはいろんな所にない。北街に二店舗はあったか無かったか。
早速中に入ると音ゲーやらアケゲーやら、ピカピカと眩しい。メダルコーナーなんてもっと凄い事になっている。その中で慣れているのは絢芽だった。眩しい中を軽やかに歩いて向かうのはレトロゲームコーナーという場所だった。俺が見知っているゲーセンというのはこういう場所だ。変にピカピカしている場所は知らないっ。
絢芽がゆっくりと椅子を引き座ったのはリバーシのゲームだった。とりあえず、隣に座ってゲームの内容を見ると向こう側にも同じ内容のリバーシのゲームが有り、顔を見ないで対戦が出来る物らしい。アケゲーならではの考慮だな。今のオンラインゲームのアナログ方式みたいなものだ。
一回五十円、絢芽はCPUと対戦しつつ対戦相手を待つ。
「絢芽、リバーシは得意なのか?」
「それなりにかな。友達とよくやってた」
一回戦目は“やさしい”CPUなのか、あっけなく取れた。
「……あっ、来た……」
声小さく、向こう側に人が来たのか「New Challenger」という文字が画面に出ていた。対戦相手の登録名は「でぷす」。コンピュータの声で「宜しくお願いします」と発声されて試合が開始される。
バンッ――
バンッ――
何気なく石を置かれていくリバーシの盤面を見ていくが、何処かで見覚えがある盤面が出来上がっていた。最初までは絢芽が有利の盤面だったが、中盤終盤に向けて徐々に対戦相手の「でぷす」が有利の盤面になっていく。
「うんんんん――」
絢芽も悩み、制限時間いっぱいまで長考する事が多くなっていき――
負ける。もはや最終盤では絢芽が石を置くことがなくなっていた。
「もう一回やる。絶対に負けたくない」
「はは……まぁ、頑張れよ。あ、ニカエルも――」
ニカエルは既に居なくなっていた。あいつもゲーム好きみたいだし、15m範囲内だったらブラブラと遊びに行ってしまうだろう。余計なお世話だった。
二回戦、敗北――。
三回戦、敗北――。
四回戦、敗北――。
五回戦、敗北――。
十回戦、敗北――。
何回やっても何回やっても絢芽は「でぷす」に勝つことは無かった。十回戦まで無敗の勇者は一体誰なのだろうか。――十一回戦をやっている間にひっそりと向こう側を見に行く。
「……ああ、だよね」
デプスは「深」という意味、成る程と思った。リバーシの対戦相手は深緑だった。名前に“深”という文字が付く人は中々居ないし、深緑特有のハンドルネームなのだろう。同時に隣ではチェスのゲームで遊んでいる翠ちゃんがいた。姉妹でゲームセンターでアナログゲーム(デジタル)を遊ぶのは日課なのだろうか、楽しそうに遊んでいた。しかし深緑は顔一つ変えていないが。
「深緑お姉ちゃんに勝てる人なんて絶対にいないよね」
(……そうだな)
中々出来る絢芽でも全国制覇をした深緑には勝てないだろう。……元々俺は弱いからそういう判断しか出来ないけど。
「ああー!! 負けたぁぁ!!」
絢芽が大きな声を出しレバーをガチャガチャしている。
十一回戦目も負けたようだ。絢芽の隣に戻って絢芽の肩をポンポンと優しく叩く。
「絢芽止めよう、もう五百五十円使ってる」
「うう――一回位勝ちたい」
そうしてまた五十円を入れる。
――なんだか、俺に似ている。やっぱり同じお父さんだとそういった遺伝子も受け継いでしまうのだろうか。見れば見るほど、絢芽も似てくる。俺の諦めなさとか、何かと閃く感じが。別に自己分析など全くしたことないのだが、友達とか言われた事が絢芽を見てるとそっくり俺に返ってくる。
「うぅ――勝てない」
「ほら……」
そういう所も似ていた。俺自身対戦ゲームでは全く勝てないと言うわけじゃないのだが、殆ど勝てた思い出がない。せいぜい勝てるのは一緒に遊んでいた朱音ぐらいだろうか――でも、ボソッと言ったのは手加減してるとか言ってたけどまさか?
「もう帰る……対戦者さんありがとうございました……」
台に向かってペコリとお辞儀をして礼儀正しかった。こういう所で敬語が出るのも俺に似ていた。
「完敗だな、絢芽」
「…………」
黙り込んでしまった。まぁ深緑が相手だと多分名胡桃さん相手でも勝てない。……もしかして、深緑が来週にやる勝負は“リバーシ”なのだろうか? そうだとしたら絢芽は酷い晒し者になってしまう。
「うーん……」
絢芽が言い出した事だといえ、妹が晒し者になるのを嘲笑うことを兄として見れるのか……。でも深緑に弱点など殆ど無いし、見抜ける手口もまったくない。何故なら深緑は顔の表情を全くと言っていい程動かさないからだ。
――次に向かったのは体感ゲーム。
最近になってダンスするゲームとかゲーム筐体が大きくなっていってるが、ゲームセンターに入ったら端など捨てて狂喜乱舞してしまうのだろうか。特にあの対戦ゲームの周りはうるさい、家でもあんな感じで遊んでいるのだろうな……あの人等は。
ランニングマシンに映像が付いたゲームに絢芽は百円を入れる。俺は普通にランニングマシンを買うかジムでも通うような気がする。でもランキングが付いていて、走る速度やらタイムが付いている。
「一位は凄い早いね、現役の人かな?」
「あ、あ、ああ……」
一位、身内でした。
いや違う人だろうか……でも間違いないと思う。「アカネ」でこんなタイムを出せるのは多分“現役”陸上部の堂ノ庭朱音だろう。はぁ――アイツ秋空市まで行って何やってるんだ。まさかこの調子で神指さんとか名胡桃さんの名前とか出ないだろうな?
勿論、一位「アカネ」を目指して絢芽は走って、走って、走って。
走りまくったが、流石に「アカネ」には勝てなかった。息切れを起こしてもなお、淡々と走っていたが流石に朱音と絢芽のスタミナの差では連続では走れない。
「はぁ――がっ――」
「絢芽、水」
ゆっくりと手に持つと絢芽はペットボトルの底を天に仰ぎ、物凄い勢いでゴクゴクと飲む。絢芽、それは流石に『女』の子らしくない飲み方だぞ。それはオッサンの飲み方だ。
「まだまだ……やる……」
「まだまだって、絢芽……ゲーセンで体力使ったらちょっとキツいって」
百円を入れようとする絢芽を止めようとするが、無理してでも百円を入れる絢芽。確かに一位になりたい気持ちは分からなくもないが、相手はなんてったって“現役”だ。しかも女子高生。更に身内。俺が一番身にしみてる相手なのだから止めといた方がいい。
※ ※ ※ ※
疲れて横になる絢芽、膝に寝る絢芽を見る俺。
更に見るニカエル。
結局一戦も勝てる訳なく、絢芽が疲れ切った。駅までは絢芽も自力に歩いていったが、電車に乗った途端に膝を借りるようになった。かなり落ち着いたのか、小さな寝息を立てている。
「ニカエル……まぁいっか。当分は役に立つな」
「うん、たくさんキャッチした」
ぬいぐるみを何個か、お菓子はインフィニティー。店員から注意されるレベルの量をUFOキャッチャーからぶんどって来たようだ。袋を何個かに分けて両手じゃ持てないレベルで持っている。今日のお店は赤字だろ……この量は。ニカエルって案外遠慮なしに食える分だけ食ってやる分だけやるから怖い。正直相手にしたくない相手だ、何かと。
「…………」
「…………」
いつもならニカエルが楽しく会話してくれる筈なのに、今日は獲ったぬいぐるみを見つめてぼーっとしている。その顔は表情作らず真顔。「今日は楽しかったね」とか「ご飯に行こ」とか言いそうなのに今日はすんとも。
「ニカエル、少し話そっか」
「うん? ……どうしたの」
「まぁ」
「うん……話す」
絢芽も寝ている、周りには誰もいない。密話としては成立するし、聞かれたくない事も今だったら話せるだろう。
「別に少しでいい。ニカエルが話して楽になるんだったら、俺は嬉しいんだ」
「…………」
無理強いして言われるのは嫌だ。
そう思って優しく言う。
「……奏芽は分かっちゃうんだ。いいよ、話す」
そのニッコリ顔が見たかった。今日始めての顔、その顔じゃなきゃニカエルじゃないし天使じゃない。
「私、奏芽のお父さんの事をずっと気に掛けてるの」
「やっぱり」
様子はおかしかったから前々分かっていたことだけど、どうしめずっと気にしているのかが分からない。
「天界絡みとか言ってた気がするけど、俺と〈契約〉する前の人とか?」
「違う、奏芽はお父さんと初めてあって、どうだったのかな……って」
「そりゃびっくりしたよ。俺だって会うと思わなかったし、いきなり言われて……どうすれば良かったのかも分からなかったし」
絢芽とかお父さんだけで繋がっている妹もいるし、意味の分からない言葉「芽は一つだけでいい」とか言われたし……余り俺が一人の息子として歓迎されてない感じだし。何より、お母さんとお父さんが久々に会ってあんな雰囲気にされたら気不味い感じも最大だった。……“たしたし”だらけだ。
「そ……奏芽がそう思ったのなら、きっと私も一緒」
「そっか……でもニカエルがそう思うのはなんで」
そうニカエルに問いかけたら口を閉じてしまった。
「天界のせいに……するか?」
「……そうしてよ。全部天界のせい」
結局、全部は言ってくれなかったがニカエルはそっと微笑んでくれて良かった。明日も明後日もこうして笑ってくれたらいいのだが、気が重くなった時だけこうして気を楽にして笑ってくれた方が俺はいい。無理はよくない、無理に笑ってくれるのは嫌なんだ。
――ガタゴトと、太陽が落ちて明日へと向かう。来週は皆が絢芽に挑戦する週になる。自分はどちらを応援していいのか……分からないけど、絢芽が勝って欲しい気もしている今だ。
「……頑張れ、絢芽」
つい口に出してしまった。




