51話 『女』の知っている事、知らない事
移動、体育館――
みちる先生が適当に整列をし、番号も無視して椅子に座った。右には名胡桃さんで、左には朱音がいる。二年生の席を見回すと神指さんと目が合ったり、深緑は未だ巻いているマフラーを最大限に開いて鼻まで隠している。新発田さんも見つけたけど、会釈してくれて俺も返す。今までクラスだった人がバラバラだとやっぱり寂しいな。
「それでは、一年生の入場です。拍手で迎えて下さい」
アナウンスが体育館に響くのと同時に後ろから一年生が入場してくる。パチパチと手を叩く。――この一連とも言えない動作が意外と大変。やってくる一年生達を一人ひとり確認してみる。
じーっと、またじーっと。一人ひとり確認。
「カナちゃん……いやらしい目で見ちゃだめだよ」
「そ、そんな目で見てねぇよ!」
朱音に注意された……。
俺、そんな目で見ていたか? まぁ『男』としてバレずにここに紛れてはいるけど、そんな目でみた所でバレる心配も無いだろうし、朱音が注意する程じゃないだろう。『女』として見てたら心配は無い……? いや、うん。そうか……ジロジロ見ていたら一年生が不安に煽られるか。俺の目はちょっとキツいと最近になって薄々感じてる。
「着席。拍手を止めて下さい」
静まり返る――。
その中で、桃色の髪をした『女』の子だけは落ち着きが無い。
右後ろを向いたり、左後ろを向いたり……二年生か三年生の在校生の中で誰かを探しているみたいだった。友達、もしくは姉妹……兄弟の可能性は無いから無視。いや、担任が姉妹とか兄弟とか、もしくは保護者を探している可能性がある。でも角に固まっている保護者の方向を見るだろうし、また角に固まっている担任の方向を見るだろう。でもあの『女』の子が見て探しているのは在校生の中。
「――――!」
「えっ……」
目が合ったのはいいのだが、その次の行動が軽く手を振り笑顔を見せた。
「……知り合いですか?」
「ううん、違う……」
「友達?」
「いや、違う……」
知り合いでも友達でもない、はたまた過去に会った記憶も無い。もし過去に会ったとしても目立つ髪の子を忘れる訳がない。――いや、俺じゃなくて他の生徒かもしれない。目が合ったように見えるだけで、その直線状の横だな。間違いない。
その『女』の子はもう一度、笑ってから前を向く。
「なんだったんだろう……ねー」
「あ、うん……って嫉妬してんのか?」
朱音は少し頬を膨らませて眉間のしわを寄せていた。
「知らない子まで手球に取って……バカッ、バカ奏芽」
「ちょ⁉ まてまてまて……本当に知らないってば」
そこまで朱音がへそを曲げる事も中々稀なことだ。……というか足も組んで手も組んで酷い顔をしている。これじゃへそを曲げてるんじゃなくてぐれている。というか俺は多数の『女』の子とつるんでいるのに、今になって俺も知らない『女』の子一人で嫉妬をしているのか。
「それでは、在校生の皆さん。退席をお願いします」
結局、あの『女』の子一人で入学式の内容が入ってこず、そのまま退席した。
――きっと、気のせいだ。俺以外の誰かだろう。
※ ※ ※ ※
みちる先生の話をなんとなく聞いて、午前十時に今日の全てが終わった。これから旧クラスの皆と校門前に集まってレストランに行く予定。
ピロン♪
スマートフォンから鳴る。ここ最近聞かなかったアプリ“ニカエル”からの着信音だ。
「トイレに行って、私を出して」
「どうして?」
教室でスマートフォンに向かって声を出す。最近は「オッケー」や「ヘイ」と言うだけで音声検索アプリが起動する時代で、スマートフォンに向かって声を出しても知っている人からすると普通の事なのだ。そんな音声検索アプリの認知度が無かった一年生の頃はアプリ“ニカエル”からの着信音があってもアプリへ直接メッセージを打つか、小声でマイクに向かってニカエルのメッセージと会話するのが多かった。
「学校を見てみたい」
「……今ぐらいしか無いもんな」
保護者(ニカエルの場合は家族?)が学校に来て自由に行動出来る時なんて入学式か卒業式ぐらいしか無いものな。他に保護者が来る時は多いけども、そこまで自由に行動は出来ない。という事は今がニカエルにとって一番に自由に行動出来る時なのだ。
しかし、行動が出来ると言っても時間は限られている。ここから校門を見てもまだ皆は集まっていないけど、いずれは名胡桃さんか深緑が先に来て待つ姿を見る事になるだろう。
「朱音、悪いけどニカエルが学校を見て回りたいって言ってるからもし先に行くことがあったら……」
「うん、先に待って伝えておく! だからカナちゃんはニカエルちゃんとゆっくりしていって」
――言いたい事は分かってた、か。
教室を出て、一階に降りてスリッパを拝借してトイレに隠れる。
「おーい、出ていいぞ」
「…………ぷはー」
スマートフォン内は空気が薄いのだろう、肺の空気を入れ替えるように深く息を吸っている。――そんな様子のニカエルはここまで一度も見たこと無いけど。
「ほら、スリッパ。何処から行きたい?」
「リラクゼーションルーム」
……俺がそんな所行ったこと無いのによく知ってるな。もしかして〈過去〉に俺のスマートフォンから抜け出して行ったことがあるのか? いや、ニカエルに似合った制服なんて無いし白いワンピースを着た『女』の子が櫻見女の廊下を歩いていたら大問題だ。
「リラクゼーションルームは一階……」
「知ってる、行こっ」
……本当に〈過去〉に行ったのか?
リラクゼーションルームの扉前に着くとニカエルは「おおー」と声を上げる。未視感なんかでもあったのだろうか。
「開けてもいい?」
「生徒は休み時間に入ってもいいけど多分巣窟に……いや、今は大丈夫か。入ってみよ」
昼休み時間とかにここを通るとざわざわしてる時が多いから同じ仲間が集まって中で何かをしてるんだろう。俺はそういう類いには含まれず、昼休みの使い方は寝ているか、名胡桃さんとかと会話してることに好んで使ってるからこのリラクゼーションルームは使わない。
ガチャ――
扉を開けてみると一人入っていた。ソファに腰掛け、タオルを顔に掛けてここで寝ているのだろう。
「あー見た通りだ。ふんふん」
「ニカエルあまり大きな声で……」
寝ている『女』の子の体がピクッと反応して手でタオルを取る。
――起こしてしまったようだ。
「凪冴……ぁ――」
“なぎさ”と間違えて俺に声を掛けてしまって勘違いしたのか、目玉を丸くして俺を見てしまっている。
「ご、ごめんなさい……起こしちゃ――って、確か……撫川さん?」
「あれー、唯川奏芽……だっけ? どもども」
ペコペコと二度くらい会釈してからまたタオルを顔に掛けて寝る。
「――ちょ、ちょちょ。待って」
「んー? ごめん、ウチ眠いから」
「いやいやいや、ここでなんで寝てるの? ナギサ……って人待ってるの?」
「この部屋が空いてたから凪冴を待ってるの……寝かせてー」
ついにはソファに横になって完全に寝てしまいそうだ。
もう下校の時間だっていうのに、こうも学校でフリーダムに動く人、しかも今日知り合ったクラスメイトがこんな気だるげな人物。――挨拶から見て確かに動くのも考えるのも面倒そうな人だとは思ったけど、ここまで駄目だったとは。
「――これ以上話はしてくれませんか?」
「しない、寝るから。早く帰ったほうがいいよ」
「う、うん……えーと、おやすみ?」
「おやすみ」
それ以上の会話はしてくれなかった。
ここまで俺の調子を崩す人は深緑久しくだ。ナギサさん早く来てやってくれ……友人なのか姉妹なのかは分からないけど夕方まで寝そうだぞ。
「奏芽……次行こ」
「あ……うん……」
なんとも言えない時間を過ごしてしまった。
ニカエルは周りを見ていただけであまり撫川さんには触れていなかった。リラクゼーションルームを舐め回していただけだった。撫川さんも普段はここで過ごしているのだろうか。確かに昼休みとかで乱雑な髪をした『女』の子は櫻見女を歩いていて見たことがないし……ナギサというの人も聞いたことが無い。
「はぁ――なんちゅー人……」
「……ん? 別に個性あっていいんじゃない?」
「そりゃそうだけど……あそこまでってなると」
「ふーん、私と似たようなもんじゃない」
そう言われても何か違う気がするんだが。
「……それで次は何処に行きたい?」
「んー、どうしよっかな。食堂とか」
「今日は閉鎖してるんじゃない? 他には?」
「武道館かなぁ。ほら、葵ちゃんとか行ってる所」
そんな所もあったな。弓道とか剣道とか……諸々日本の伝統的な武術をやる所だ。俺にはまた関係が無い場所で一度も寄ったことがない。体育の時には体育館かグラウンドしか使わないからな。――ここは閉鎖してる可能性が高いかもしれないけど、わからないから一度寄ってみないと分からない。
「行くか」
「うんっ」
武道館は体育館の横に入った所にあり、影に隠れてしまっている。今回は誰かが使っているようで、扉が開いていた。見学……という名を打って中にニカエルと中に入ることにした。「出て行け」と言われたらそれまでだけど、ニカエルの気がするまでは留まることにする。
「……や、奏芽殿」
「橙乃っ⁉ 何してるの⁉」
“暁の侍”が武道館を使って木刀を手に取り素振りをしていた。しかも巻物から出た直前の姿をして――
「学校だぞ! 何言われるか分からないんだぞ!」
「待て、ちゃんと許しは貰っている。暴虐無道な事はしておらん」
「そっか――じゃなくて、なんでここに」
「剣道をやりに来てな、良い場所は無いかと聞いたらここになってな。結果的に皆に指南をする先生になった」
「どういう経緯だよ……」
…………。
「というか、わたしが誰だか分かるんだ」
「ん? ああ、葵が奏芽殿が『女』になれると聞いてな」
神指さん……喋るなと言っても喋ってしまうか。まだ身内と言える橙乃に言ったから良かったものの、それ以外だったらどうするんだよ。
「神指さんからは橙乃は今こうなってる事は知らなかったし、たまに帰って身の事は言ってな……」
「承知した。では――」
「うんー……頑張ってねー」
ニカエルも十分みたいだし、橙乃とさよならする。
今日も橙乃はそれなりに暇だったのだろうけど、学校まで出没するとは俺もニカエルも変な巻物を見つけて人化してしまったな。くしゃみさえ無ければ橙乃も生まれなかっただろうに。でも現代にはそれなりに慣れたようだから一応安心していいのだろうか。
「――それで、次は何処に行きたい?」
「図書“館”に行きたーい」
図書“室”なんだけど、あの大きさは図書館と間違えるよな。図書室だったら何時でも開いているし、入学式直後だったら数人が利用している。昼休みになると物凄い人数が入ってくるけど。――それで名胡桃さんは自分自身で本を持ってきて読んでいるらしい。
「なんだかんだ楽しんでるなニカエル」
「うん、普段は本当に学校内を歩かないからねー。いい気分」
許可された人しか入れないのが学校だからな。卒業したらそれでお役御免で次入る時は事務所に立ち寄って先生を呼んで話すぐらいしか出来ないものな。誰でも簡単に入れるようだったらそれはそれで大問題であるし、限定的に入れるのが丁度いい、いやむしろこれ以上厳しくしてもいい程。
「着いた。中は……良かった、誰もいないみたいだ」
「はーい、お邪魔しま~す」
開けた扉のローラー音が響く程に中は静かだった。
「…………」
ふいっふいっと首を左右に回してある姿を見つけようとした。
俺の入学式の時みたいに、もしかしたら名胡桃さんがここにいるのでは? と耳を澄ませてみたり、目を凝らして遠くを見たりもするけど、いないようだ。もう皆は校門前に集まって俺の事を待ってるだろう。
――椅子に座って15m範囲内でジロジロと棚を見ていくニカエルを見つめる。翻訳されていない英語の本の棚とかも見ているけどニカエルは文字を理解出来るのだろうか? なんて思いながら見つめる。
ガラガラ――
誰か入ってきたのを聞いて見てみる。
「あっ……」
思わず声を漏らしてしまった。桃色の髪の子……今日の入学式で俺と目が合ってしまったあの『女』の子だ。その『女』の子とまた目が合ってしまう。今回二度目。あの時に目が合ってしまったのは偶然じゃないと知って俺の頭の中で「以前に会ったことはあったのだろうか?」という検索ワードが飛び交い、記憶を探している。
またニッコリと笑っている。
「やっと見つけた……」
お兄ちゃん――
えっと今は、お姉ちゃんかな――
「は…………」
出会いは“偶然”から始まるハズ……なのに、“必然”かのような振る舞いを見せるこの『女』の子は誰だ。しかも俺の正体まで知っているこの『女』の子は誰だ。俺はこの子の何一つも知らないのに……。
「誰……なんだ……」
本当に分からなかった。




