EX-7 暁の侍 中編
失敗した。
猫子達を外に出したのはいいけども、猫子にはスマートフォンという何処でも通信が出来る便利な道具を持たせておらず、何処に行ったか分からない。着物姿と武者姿だから手軽に見つかるだろうと思ったが、残念ながら橙乃は猫子に説得されて刀以外にも装備一式をお父さんの部屋に置いていき身軽にしてしまったようだ。……という事で今どういう姿をしているのかも分からない。分からない尽くしで夏風町を探し回っている。
もし俺が過去の人間に案内する場所と言ったら現代の今というのを見せると思う。――外に出たら十分に現代を感じられるというツッコミは“おいそれものの人間”が言う言葉として、俺だったら夏風町であれば北街を案内すると思う。
「……流石に距離がありすぎる。猫と侍だったらこんなの屁でもないか」
車で来る距離をよくあいつらは歩いていったな。
そう言っても以前に深緑が遊びに来た時は俺達もここまで歩いてきたが。
「……あれ? 奏芽さん、奏芽さーん! こっちです!」
カフェの方角から呼ぶ声がしてオープンテラスの全席を一つ一つを見ると、名胡桃さんだった。その姿は確認できたが、猫子と橙乃の姿は確認できなかった。
「名胡桃さん、こんな遠くまで来て大丈夫なの? 普段は商店街の喫茶にいるのに」
「人には気分というのがありますからね。歩きたかったんです」
今日の俺は歩く気分じゃない。
――なんて名胡桃さんには言えなかったが、自分の体を休めるには丁度いい。どうせ猫子達はいずれ見つかるだろうし、名胡桃さんと話し込んでも問題無い。
「名胡桃さん、いつ頃からここにいた?」
「えーと……だいぶ経ちますね」
小さな腕時計を確認してだいぶ経つという事は一時間ちょっとぐらいか?
……念の為に猫子達の事をそれとなく聞いてみる。それとなく、だ。実は猫子の事は朱音疎か俺が『女』に転換出来ると知っている皆にも猫子の事は話していない。ただでさえ俺が転換出来る事が驚きなのに人化出来る猫がいるなんて聞いたら驚いてしまう。
「着物を来た子と橙の髪色をした『女』の子見かけなかった?」
「はい? ……ちょっと前に見た気も……ごめんなさい、本に集中してあまり周りは見てなかったです……」
「そっか……ありがとう、また遊ぼう」
「はい」
名胡桃さんは椅子に座ったまま一礼して微笑む。
あまり手がかりという手がかりでは無かったけど、この北街にいるのは分かった。
「ニカエル」
「はい……」
今日は珍しくノンポジティブなニカエルだけど、デコピンが相当痛かったようだ。そりゃ跡が付くほど強く打ったからな。
「魔法でなんとかならんのか。北街は結構広いんだぞ」
「なんとかなったら探さないでしょーよ、馬鹿」
そういう所はどうして強気なんだか。
「もう一発喰らうか? デコピン」
「滅相もございません……はいっ」
なんかニカエル、敬語で下に出過ぎて少しキモい。
厄介事が起きる前に何とか猫子達と合流したい所なんだけど――
「姫に謝れと言っている! 何も分からぬのか! この輩が!」
「んだとゴラァ!」
俺が少し前に聞いた声が聞こえたなー……もう厄介事は起きていたようだ。人々の視線の先を追いかけながら声に近づく。平和な夏風町で騒ぎは起こしてほしくないものだけど。
「よさんか胤治、余は無事じゃ」
「これだけはいくら姫の命令でも聞けぬ! ……この輩が謝れば拙者も引く」
だいぶ長期化しているようで野次馬は少しいるようだ。
「はいごめんなさーいどいて。……猫子何の騒ぎ?」
「ん、主人。余にあやつがぶつかってな。それだけの事じゃ」
それでこの……ヤンキー風な三人衆は謝らなかったと。
はぁ……そりゃ姫と慕う橙乃にとってはキレる原因となるわな。
「おーい、橙乃。迷惑になる前に他に行こう。それにそこの三人、俺の知り合いがすみませんでした」
「――は? 俺達通っただけでフッカケられて不快なんだけど? 土下座ぐらいしてくんね?」
「んー、この子も悪気は無かった訳だし、どうが許して下さい」
「ふっざけんなよ! お前が割入る必要が何処にあったんだ……よ!」
強烈そうなフックが来る、殴られると想定はしていたけど急すぎて体が順応してくれない。
……ここは殴られるか。
「腑抜けた殴りだな」
パシッィ――
殴られるのを覚悟していたのに、隣りにいた橙乃はあっけなくヤンキーのパンチを手の平で取る。
「長柄組の槍捌きよりも遅いぞ輩」
「くそっ、『女』だからって容赦しねぇぞ!」
「橙乃! 右!」
右の方向から飛び蹴りをカマそうとしている奴も俺の掛け声で即時反応し橙乃は足を取り脇に挟む。
「ヌルいっ! ――何処の流派だ? 全くもってヌルいな!」
そのまま振り回し、正面の拳を掴んでいた手を離し、脇に挟んだ足を振り回し正面のヤンキーにぶつける。
「うわっ」
「ぐおっ」
人間一人をフルスイングで投げ倒すとは……なんて恐ろしい腕力をしているんだ。一気に二人を倒して残りは一人となった。――その一人は勿論仲間の為にと立ち向かうのだろう、哀れな。
「貴様が大将か、我は首里橙乃胤治――! 首を貰う――!」
「うっ……へへ、そんなんでビビらせようたってビビんねーよ!」
手元から出したのは驚かせようと思ってか、刃渡りが十分法律違反のナイフだ。
勿論ナイフの登場で周りで見ていた野次馬はどよめく。棒立ちになっている者や逃げ出す者まで。はたまたスマートフォンを取り出して警察に通報する者もいた。俺達もそこまで厄介事には巻き込まれたくないので橙乃の腕を掴んで逃げ出そうとする。
「橙乃……マズいっ! マズいってば!」
しかし、橙乃は逃げ出そうともしない。
俺も無理に橙乃を引っ張ろうとするが、その体は鎧も何も付けていないのに重く、地面に張り付いているようにも思うくらい重く、とても『女』の子の体重とは思えないくらい……重い!
「ふん、貴様の刀はそれか? 笑わせに来てるな。まるで御飯事だ」
ビビるどころがむしろ笑っている……?
「少し手抜きだ。この木刀で御飯事に付き合ってやる」
取り出す際にヒュンッと勢い良く空を切り、構える。
――手抜きとは言ったが、橙乃の目は本気だ。
「上等じゃねーか! オラァ!」
ナイフを両手で持ち真っ直ぐに突いてくる――。
「危ない橙乃!」
橙乃に呼びかけてみるが立ったまま動こうとしない。
「――踏み込みと構えが甘すぎる。上から叩くだけで落ちてしまうぞ、ほれ」
橙乃はかわすどころか木刀で軽く手を叩いただけでナイフを地面に落とす。そして落としたナイフを橙乃は足でギュッと踏み込む。
「ほら、取ってみろ。取れるものならな」
食いつくかのようにヤンキーはナイフを取ろうとするが、橙乃の挑発の通りになった。
「ぐっ……取れねぇ!」
橙乃はそれほど特別な重さでは無いのだが……ナイフが橙乃の一部かのように取れないようだ。恐らく鎧や兜の重さに負けないように足腰は現代では異常と思えるほど鍛えているのだろう。
「……首を貰う!」
『男』の髪の毛を掴み、首にドンッと木刀を当てる。
「ウッ」と言葉を漏らして『男』は地面に倒れ込む。橙乃の完勝だった。
「……やはり木刀では失神するだけか。ヌルい大将であったな」
「本当に首を切ろうとするなよ、橙乃」
癖なのか侍の一連の動作なのか斜めに木刀を払い血振りをし、鞘の代わりにベルトループに木刀を差し込む、橙乃の戦いは終わったかのように春の風が吹き、橙色の髪がなびく。
これが“暁の侍”か。生きるか死ぬかの世界を生きてきた橙乃は刀を向けられても怖くは無いのだろう。木刀の当て方に迷いが無かった。刃が付いていたら下に転がっているヤンキーは死んでいただろう。
「……お楽しみ中申し訳無いけど、後ろ後ろ」
「ん……あっ⁉」
ニカエルが後ろに指差すと人混みを掻き分けて警察が来ていた。
人混みでまだ警察が身動きが重い、今の内に逃げなければ――。
「えーと、えーと……なんて言うんだっけ! ……あ、橙乃! 侍所の役人が!」
「何……! しまった、ここは戦場では無いからか! 殿方、姫! 控えるぞ!」
これだから喧嘩は抑えてほしかった。
おいとましよう。
※ ※ ※ ※
「拙者はのけ払っただけだ! 殿方と姫を守るために!」
「そりゃ感謝はしてるけど……」
ケーキ屋の一角のテーブルで四人で固まって談話、というより反省会? なんとか北街を抜け出し、商店街の方へと戻ってきたが橙乃は先程の件で余りにも酷かった為に猫子が口を出したら弁解をしだしている。……『女』同士の会話も男女の会話も中々に酷いものだ。
「あいあーい、そこの“ござる”となんか……猫のコスプレは黙ってこれでも食べて。あ、支払いは奏芽くんね」
「なんだこの白いのは⁉ “かすてら”に白糊を塗ったくるとはなんと外道な! 高価なのだぞ!」
戦国時代ではまだケーキというのは無かったか。
しかし、カステラは知ってるんだな。
「まぁ食べてみてよ。美味しいから」
「……このようなものを足軽大将の拙者が頂いてもいいのか?」
「色々文句言ってた割には躊躇はするんだな」
「うっ――殿方が言うのならば頂こう。聞かねば失敬だしな」
一口大に切りパクっと口に入れる。
少し吟味した後、ガクッとうつ伏せプルプルと震える。……好みじゃなかったか。
「びっ……」
「ん?」
「美味ぃぃぃぃぃ――!! これは何だ! 南蛮渡来の品物か⁉ 是非教えてくれ! なんだこれは! 飲み込んでも甘さがずっと舌を追っている! この白糊もべたついておらず歯や口を舐めるとまだ甘いぞ! 砂糖か? いや砂糖じゃこの舌触りは無いな。なんだ? ――もしかして牛乳とやらか? しかし一度は飲んでみたことはあるがこの甘さでは無かった。気になる、気になるぞ! 殿方!」
「あっははは……」
意外な反応だった。
立ち上がって何を言うかと思えば「美味」。そして俺に立ち寄ってこれは何だと押し入ってくる。しかもさっきの冷酷な目は無くなり輝いている。
「そうだなー。……身の回りの事教えてもらえれば教えよっかな」
「是非我が生涯を教える! だから……頼む!」
侍の恥など知らず。スイーツに魂を売ったぞこの“暁の侍”は。
「――足軽大将とか言ってたけど君主は?」
「拙者は織田家の足軽大将、首里橙乃胤治! 数百と少ないが、これでも田楽狭間で今川義元の軍と戦った」
驚いた。織田家ってあの織田信長か。こんな大物が現代に生きて大丈夫なのだろうか? 大魔王と呼ばれた下で働いていたのだろう? ……ゾクゾクッと来た。
「……ってなると姫は?」
食い違いが出る。そうなると織田家の姫は濃姫という事になる。だが橙乃が言っている姫は“白姫”という。嘘は言っていないようだけど。
「それは拙者の幼馴染だ。ええと――本人目の前じゃ、恥ずかしい話が出る故、そこは抜きにしておくれ。口出しされると面倒じゃ」
「あーうん、都合上ね。はいはい」
一方で猫子は首を曲げて頭には「?」が付いている。
「あのうつけ者には飽きて他に行ってしまったからな……姫」
ボソッと何か口零したのを聞き逃さなかった。
「うつけ者って、織田信長?」
「……聞いてしまったか、そうだ。三郎は拙者の……幼馴染だ」
驚きすぎてフォークまで落としてしまった。
幼いころから織田信長を知っているとはますます恐ろしい巻物を拾ってしまったようだ、俺のお父さんは。
「こんなのだよ⁉ こんなのと幼馴染なのか⁉」
「無礼な! そうだ、こんなのと――ぷっ……」
スマートフォンで見せた写真は教科書とかに乗っているあの写真なのだが、橙乃は一息吹いていた。
「ははは――! 三郎はこんなに禿てはおらぬ! もっとあったぞ! むしろボサボサだ」
「ええーこれ描いたの誰だよー……」
意外な言葉で歴史が動かされるものだ。
この首里橙乃胤治の言葉は教科書に乗ってる事や見聞全てに影響する程の言葉だぞ。一言放つだけで一八〇度歴史が変わってしまう。
「まぁ、知らぬ事は知らぬ事だからな。殿方も実際に三郎に会った訳ではない。どうだ? 面白かろう?」
「全く――驚きっぱなしだ」
本当に、だ。
その後も色々と歴史が変わるような出来事を話すが、正直歴史はチンプンカンプンな俺は耳に通すだけで精一杯だった。その間の橙乃の顔や目、口調は殺伐とした物では無く、朗らかな物だった。巻物が人化したとはいえ、“暁の侍”と戦国時代に恐れられていた人物とは思えない程『女』の子だった。
「しかし、南蛮渡来の服は身軽なのだな。こんな薄い物で大丈夫なのか?」
今の橙乃の姿は現代の姿そのもの、Tシャツ一枚にチノパン一枚。
「人に切られるとか打たれるとか、もうそういう時代じゃないからな」
「――確かに、刀も銃も持ってなかった。どうしてだ?」
「簡単、戦うことを止めた」
橙乃はハッとした。
「戦うのを……止めた? 天下は? 天下は誰が取った? 織田は? 三郎はどうなった?」
「んん……」
果たして言うべきなのだろうか? もし記憶が巻物そのものだとしたら“暁の侍”の巻物はそこまで書いていなかったのだろう。――でも歴史、橙乃にも知らない歴史があるのだ。
「――言うの止めようと思ったけど言うよ。織田は天下を取った」
「じゃあ……!」
「取ったけど、次に豊臣秀吉、次に徳川が天下を取って徳川という天下が数百年以上続いた」
「なっ……⁉ う、嘘を言うな。織田は常に優勢であったのだぞ? ……じゃあ今の天下は徳川が?」
ふぅ、と俺は息を付く。
「今は誰の物でもない、大政奉還……だっけ? それで一応、日ノ本? は誰の物でも無くなった」
「……そんな、じゃあ拙者は何の為に。織田家に仕えて戦ったのか……」
本当に俯いてしまった。
これが史実なのだから仕方がない。俺が嘘を言った所でどうにもなる訳じゃない。これで良かったんだ。ありのままを言って良かったんだ。
「戦う……意味が無い。そして織田は滅んだ……」
「……なんか、ごめん」
「謝る事ではない、事実なのだろう? ――くっ、短刀を抜いて腹を切りたい」
「今は止めてよねっ⁉ 今だと面倒な事になるから⁉」
巻物とはいえ、自害されるのは困る。
――血は出るだろうし。
「少し、気が撚れたな。……殿方、城に帰ろう」
「城じゃないけどな。ケーキ屋のお姉さん。お持ち帰りで」
「あいよー、また来てねー」相変わらずお姉さんはこんな重い空気でも気楽そのものだった。
もしかして橙乃が生きる意味を俺自身で消し去ってしまったのではないかと後に気付いた。……やっぱり言うべきでは無かったか? 徐々に後悔が混ざりながらも家へと一歩ずつ近づいていく。




