EX-6 暁の侍 前編
春休みに入り、何もすること無く時が過ぎていく。
これはこれで俺は平和で結構なのだが、天使や人化出来る猫がいるともなるとそうもならない。
――これは一つの物語であり、一つの出来事だ。
というもの、何があったのか。
もう数十年以上整理整頓された状態で放置されている部屋がある。俺のお母さんがたまに掃除しに来ているだけで本当に何も触られてない部屋、そう俺のお父さんが過ごしていたであろう部屋があるのだけど、俺も幼少期から気になっていたものがある。
――本棚の角にギュッと押し込められて鎮座している巻物。幼少期に気にはなっていたが、あの時の身長じゃ手も届かない場所にあってお母さんに指差しで「これは何?」と聞いてみたが
「大昔の文字で書いてあってお母さんにも分からないの。昔にお父さんが古物商から十円か百円で買い取ってそのままの物なの」
……そう言われたっきり、俺もその巻物の話題に触れたことがない。
今はその巻物に手が届く身長になり物心が大幅に付いた歳だ。気になっていた唯川家の一つの謎を紐解いてみようと思う。
「ん? んん……」
独特なくずし字が読めず、唸る一向。
ようやく読めたのは本でいうタイトルになる文字。
「暁の侍……嫌にカッコいい名前だな」
そこだけしか読めず、重要な巻物の中身は一つも解読出来なかった。
俺のお父さん、どうしてこれを買い取ったのかが分からないぞ……。
結局、巻物を最後まで開いてみたが、この“暁の侍”がどういう経緯を渡ったのか、どうして“暁の侍”と呼ばれているのか……理解が出来なかった。
「奏芽ー、どこー?」
「俺の部屋の反対側」
家に響き渡るように大声を出すと、ドタドタと階段を駆け上がってきて部屋の扉が開く。顔だけを出してニッコリと笑ってきたのは母曰く、許嫁で“嫁”のニカエルだ。偽天使ニカエル。未だに天使っぽい所を見たことがない天使だ。だから偽天使。
「ここって元お父さんの部屋だっけ? その巻物は何?」
「暇だから読んでみようと思って。無理だった」
「そっか」
「……読んでみる?」
少し興味を持っていそうだったのでニカエルに巻物を手渡す。
どうせ渡した所で読めないだろうけど。
「ふんふん……ふーん」
「読めるの?」
「無理!」
「ええ……」
凄い満々と読んでいたのにその様か。
「それより、この巻物ホコリっぽい……ふぇ……ふぇ!」
ハックション――!!
くしゃみした勢いで巻物が俺の後ろに飛んでいく。
「ふぁぁ……巻物飛んでっちゃった」
「何やってるんだか」
天使でもくしゃみはする。
そういう所は人間らしい、と思いながらニカエルを見る。
スー……チャン――
「うっ……⁉」
一時の沈黙……。
首元に冷たい物が当たり、動けずゾッとする。
視線だけを覗かせると、平和な日本ではもう見られない長く銀色した物の先が正面のニカエルに向かって伸び、俺の頸動脈を通り後ろまで伸びているのだろう……。
――刃紋は反対側を向いているから俺の頸動脈を当ててるのは恐らく峰。
「刀……」
「口を閉じろ。さもなければ」
ギッと刀を縦にして次は樋が当てられる。
――どうしてこんなに刀に関して知識があるのかというと以前、神指さんに木刀で説明してもらった事があるからだ。どうしても分からない所はウィキで補完したが……こうして本物が首に当てられるのは初めてだ。というか一生にこんなシチュエーションは無い。
そして『女』の子の声だ……姿は見えてないが、さっきの声は明らかに『女』の子だ。
「あ……あ……」
「声を出すな『女』」
ニカエルが以前にニャコを人化出来たという事は、あの巻物も人化させる事が出来るのだろう。という事は今、俺の後ろにいるのは“暁の侍”。
ニカエルは竦んでベッタリと『女』の子座りしている、怯えている。よっぽど恐ろしい姿をしていて侍という戦乱の世を過ごしてきた人が俺の後ろにいる。
「南蛮の服を来た異人、答えてもらう。ここは何処だ」
「えーっと、ヘイセイ?」
「ヘイセイ? ここはヘイセイという場なのか」
「いや、俺の家……はぁ」
もう話が通じない時点でこの現世の全てを知っている人じゃないと知りため息を付く。色んな時代の日本人(?)がこの家を通じて来すぎだ。これも全部ニカエルのせいだ。
「とりあえず、敵じゃないからその……刀降ろしてもらえる?」
「無用」
降ろしてもらえなかった。
さて、どうしたものか。俺も場馴れして冷静を越えて冷徹になっている。このニカエルがいればなんとかなるとか思っている俺がいて少し震える。
――勿論、なんとかなるからこそ冷静になっている。
「何をしている、貴様?」
「ふっ、じゃあな」
ニカエルの手を握り握手をする。
俺からは一見、何も変わってないように見えるが、この理由はニカエルと俺しか分からない。刀から瞬時に離れ部屋の隅に移動する。〈透明化〉が成功して“暁の侍”は回りを見渡し俺の姿を探している。
「何⁉ 手妻か⁉ ええい、何処にいる!」
「いいいいぃ……⁉」
ようやく姿を見たかと思えば、手に持っている刀をぶっきらぼうに振り回し、ヒュンヒュンと音を立てている。ニカエルや俺に当たるのではないかと不安になってきたのでドアをゆっくりと音を立てずに開ける。
「そこかっ⁉」
ドスッ――
「うわああああああ⁉」
目の前に刀の平地が見える。
刀が飛んできて、壁にドッスリと刺さっている。
本物だ……本物だ……間違いなく本物だ。殺すも生かすも刀とその“暁の侍”次第。そんな重たそうな装備をしておいて、なんて軽い動きが出来るんだ。
殺気ある目をして、針を落とす音も逃さない程に聞き耳を立て、直ぐに動ける構えをしている。もう部屋からは出れなさそうだ。
これは交渉に出るしか……自分の腕を摘んで痛みを感じ、ニカエルの〈透明化〉を解除する。今“暁の侍”の手には刀はない。脇差を腰に差しているが、神指さん曰く本差が壊れるまでは抜かないという。俺はそれを信じる。
「そこにいたか、そこから出るでないぞ……」
カッ――
神指さん、目の前にいる本物の侍は脇差を抜いたぞ。
「ま、待て! 俺達は刀を持っていない! 侍として攻撃意思を持ってない人を切るのはどうかと――」
「ほう、ならば貴様の手にある南蛮銃の説明は如何する」
「えっ?」
――あー、モデルガン。これお父さんが置いていったモデルガンだ。
「いやっ、これは――」
パンッ――
つい引き金を引いてしまい、模擬薬莢が排莢される。
どうしてこんなリアルなモデルガンがこの場に置いてあり、最悪なタイミングで発砲(笑)が出てしまうのか……交渉という一つの道筋がモデルガンという物で亀裂が入り、“暁の侍”が出した答えは。
「切る!」
躊躇もない踏み込み。ヒュンと音を立てて刀が横に空を切る。
「――――――――!!」
大きく口を開けるが声が出ない。
危機に瀕すると言語なんて全く出ない。
ドタバタとお父さんの部屋を駆け回り、刀の錆にならないよう避ける。ニカエルは全く相手にされてないのか、平気にベッドの下に隠れている。どうすればこの“暁の侍”を止める事が出来るのだろうか。そうも考えられない程に“暁の侍”は切りつけようとする。
「ええい、うるさいぞっ! 部屋中駆け回り、余の昼寝を邪魔するか!」
全員の動きが止まる。
バンっと扉を大きく開けたのは猫子だ。
イラついた様子らしく、猫耳をピンと立て、尻尾はビンと天井に向かって立てている。目の黒い部分も縦になっている。相当イラついていると見た。
「新手……はっ⁉ 姫⁉」
“暁の侍”は猫子の方向を向いて、片膝を付く。
あれほど荒れていた“暁の侍”は猫子の姿を見て殺気が収まったようだ。
「ん……汝は誰だ。……汝か! この部屋で暴れよったのは」
「かたじけない! 拙者の不届きでこの曲者が……」
「馬鹿者! 余の主人に刃を向きよって! 下にこい!」
「主人……? 殿⁉ 新しい殿が……この軟弱者……⁉」
軟弱者とはなんだ!
※ ※ ※ ※
コトン――
“暁の侍”を座らせ、その前にお茶を出す。「すまぬ」と一言断ってくれた。とりあえず侍と言ってもそれなりの常識は持っているようだ。……腰から刀を降ろし正座をしている点、俺達はどうやら“暁の侍”より格上の存在と見られているようだ。先程、猫子が姫と呼ばれていたがそれも追々聞いてみる事にする。聞くのもおこがましいけど。
“暁の侍”の姿は見聞とかで見た装備をしており、髪の色は橙色。髪は後ろで一本に纏めている。――これが侍の姿か。
「さてと……色々教えてもらおうか」
「…………」
“暁の侍”は黙ったままだった。
「貴様、主人が問いておるのだ。聞け」
「いっ……⁉ お許しを姫!」
イチイチ猫子を通じて話をしなければならないのは少し腹が立つ。
ファーストコンタクトは確かに悪かったけども……今は本当に武器らしき物も持ってないのだから口を緩くしてもいいだろう。
「……なんなりと」
「まずは、生年月日と名前」
「天文三年の葉月(八月)、ガッピ……とは分からないが、出身は尾張国」
「名は――首里橙乃胤治」
天文三年……一五三〇年辺りか? という事は戦国真っ最中に生まれたという事になる? そして尾張国……これは今で言うと何処だ……愛知? もう少し巻物が読み取れればこの首里橙乃胤治という者が理解出来るのだけど。
「なんて呼べばいいのかなーなんて」
「橙乃だ。これが母方に貰った名。胤治は武士の父に貰った名だ。好きな方で呼ぶが候」
何ともややこしい……今で言うミドルネームというやつに値するのだろうな。
「それで橙乃――」
「む、殿方でそちらを呼ぶとは珍しい。馴れ馴れしいな」
「…………」
「失敬、拙者が好きな方で呼べと言ったのに留める事を言ったな」
なんだかんだ、今の日本人とは似ている所があるな。
「さて、拙者が終わった所で次は殿方だ」
「ああ……俺は唯川奏芽。こっちがニカエルで、猫子だ」
「猫子……? 白姫では?」
「まぁ――今は猫姫でいいだろう」
「あるか」
色々納得してくれた所で、沈黙が続く。
変な事を聞いたらいくら殿方と呼ばれていても切り捨てかねない。
現代を生きて訛が効いてる猫子とは違い、こっちは本物の侍だ。本当に現代というのを知らず、このまま外に出したら「斬り捨て御免!」と言って色んな人に刀を向けそうだから迂闊に外も出せない。かと言って巻物に戻る……というのはこの橙乃が巻物に戻るという気にならなくては戻れない。――後、嫌われているらしい。――俺と一緒というのが原因になりそうだから、ここは猫子に任せるとしようかな。
「……猫子、ちょっと橙乃を連れて外に出て行け。俺はニカエルと話があるから」
「分かった。貴様行くぞ」
猫子と橙乃は立ち上がる。
「あっ、待った。刀は置いていけ」
「すまぬが命に代えても刀は置いて行けぬ」
「はぁ――猫子」
猫子は頷く。
「承知した。おい胤治、余達が生きているここでは刀は要らぬ。代わりの物が玄関にあるからそれを差していけ」
「しかし……」
「口答えをするな! 刀は上に置いていけ、何代わりの物はしっかりと形あるモノじゃ」
「うう……ぐっ」
橙乃は刀の鞘を強く握るが、何とか説得は出来たようだ。
――猫子つえー。幕末か明治っぽい猫子と戦国の世を生きてきた橙乃とは息が合うのだろう。
……今回の俺はあんまり役に立たないと見えた。
二人が出て行った所で。
「おいニカエル、また面倒なのが出来たぞ」
「ごめんなさい、反省してます」
土下座して深々と頭を下ろしている。
「お前がコケると人間が出来て、くしゃみすると人間が出来て……挙句の果てにはイチゴとかメロンとかでも人化出来んのか?」
「ううん、意思を持ってる物だけ人化出来るの」
「巻物は意思持ってないだろ……」
「巻物は〈物〉であり、〈出来事〉であり、〈言葉〉で〈意味〉だから出来るの」
「なんだその条件は……」
天使の能力なんて理解も出来ない。
「そんで、お母さんにはどう言う?」
「ふぅーああああ――」
プリンを上からスプーンで押したみたいにグチャッとなる。
お母さんへの説明は全部ニカエルに任せようとする。猫子は家族であるが、“巻物”は流石に家族としては認められない。というか五人家族はかなり面倒だぞ。食費は猫子はキャットフードで間に合ってるけど橙乃にはちゃんとした食事を与えなければならない。
「強制的に巻物には戻せないの?」
「えーと、それは――もう分け与えたような物だから……」
「俺の転換みたいな物か?」
「まぁ……厄介」
俺は思いっきりニカエルにデコピンした。
一番厄介なのは……お前だ! 問題天使ニカエル!




