49話 さよなら秋空市、愛しき『女』の子よ
ふぅ――。
学校の屋上で白い息をもわっと出す。二月の最後とは言えまだ寒い。防寒具は必要不可欠でニット帽、手袋、コート……他にも色々あるけど、その中でも多く見てきたのはマフラーだ。深緑のお気に入り水色マフラー。……それも後二日で見れなくなると思うと少し寂しさも感じる。
「深緑と一緒に住んで」という最初の言葉の約束の期限が迫っている。いつしか忘れてしまった時もあったが、二十八日付けで唯川家に帰宅。深緑はしっかりと覚えており頷いたが、寂しさを感じてかボタボタと涙を流してしまった。――まだ早い! と、突っ込みを入れてしまった程。
そして屋上では一人……あの日以来、俺のスマホは帰ってきていた。久々のスマホの厚み。すっかりこのポケットに入っているという厚みも忘れている程に時間が経っていたのか、しみじみ実感する。憂鬱に浸るこの時間もまた懐かしい。
「カーナちゃん!」
「……朱音」
いつも明るい朱音。今日に限っては羨ましく思う。俺はあの日以来、大きな罪を犯したのでは無いのか? 今更ながら重く感じてしまっている。警察からも何度も連絡があり、面倒なので継続してスマホの電源を落としてしまっている。勿論、ニカエルも閉じ込めたまま……申し訳ない。
「教室にいるのに、今日はここなんだね」
「まぁね、久々の空気……」
「いっつも空気吸ってるじゃん!」
トンっと肩を叩かれる。
そうなんだけど、一番空に近いここの空気はまた違った空気だ。何処よりも澄んでて冷たい。道路にいるよりも海の潮臭くなく、冬の教室に漂うストーブとかで燃焼された一酸化炭素とか人類に毒な素も無い。
「涼しい」
「……寒いってば」
冬なのに暑く感じるこの頃。
また“彼女”も一緒なのだろう、この今とは真反対な気持ちは。
――そして教室に降り立つと場所も問わず深緑がギュッと肩に顎を乗せ、抱きついてくる。まだ目新しい事だから教室も一瞬にしてざわつきからヒソヒソ話になる。
「どこ、行ってた」
「ごめんごめん、屋上」
「――離れないで」
「……ごめん」
薄っすらと深緑が泣いているのを耳元で確認する。
俺はそれを聞いてどうすればいいのか、またどういった感情になればいいのか戸惑う。また皆の前だ……変に行動付ければ“百合”として認定され、『男』らしい行動を取ったら俺の姿のギャップで違和感が生じる。
「あの唯川さーん、入り口立たないで? 授業始まるし、先生入れませ~ん……」
「あ……みちる先生。……深緑、今度離れたりしないから、ね?」
背中を二度とんとんと軽く叩くと離れてくれた。
なんとか椅子には座るけど、深緑の雰囲気はまだ曇ったまま。
「ふぅ――」
肘杖を付き、鼻からため息を出す。
やっぱり、生活を延長すべきか――。でも、延長したらそれでイタチごっこの始まりだ。いつしか秋空市に住み着いてしまう事になってしまうし、それは俺にとっても深緑にとっても悪い事になってしまう。いつまでも甘やかしては駄目だ……。駄目だ……と思いきや、やっぱり三ヶ月をも生活を続けていたら感情も抱くようになってしまう。さて――唯川奏芽、どうしたものか。
※ ※ ※ ※
残るは土日。
いつもだったら土曜日は七時に起き、ボーッとした一日を過ごすのだけど今日は違った。なんと深緑は今日の動きをスケジュールにして纏めたそうだ。しかもキッチリと午前中の過ごし方から午後の過ごし方まで……紙とペンを持って随分と忙しなく動かすなと思ったらフリーハンドで綺麗な線を書いて表にし、一時間単位の行動を埋めていた。まぁ――明日が最後みたいなものだから深緑と思いっきり楽しもう。
「“デート”ってやつかな?」
「――はっ。『男』になって」
下手に言葉を突っ込むと、僥倖が生まれるようだ。
仕方なくスマホの電源を入れるとニカエルが飛び出す。
「どーしてスリープモードにしないのょ――」
「はいお疲れー、もうちょっと黙っててね」
『男』の状態になればもう用は無い。まだまだニカエルには用は無いからねー。……服も『男』のに着替え、深緑が書いてくれたスケジュールを見てみる。
「午前八時、朝食……カフェ?」
「んっ」
深緑は頷いた。
秋空市でカフェなんて聞いた事が無いのだけど一体何処になるのだろう? 駅前? その駅前の通り? それとも俺がまだ行った所がない通り? この期に及んで新しい所へなんて案内としてはおかしいけど、これが深緑だからと妥協した。
「着替えさせて」
「あー……うん、今日は何に着替える?」
深緑はクローゼットを開いて考える。中には俺が買ってあげたコスプレ衣装……いや、実用的ではない服で詰まっていた。これも思い出の一つか、これらは深緑は処分するのだろうか? もしくは残しておくのだろうか?
「可愛いの」
「これ? ……うん、やっぱりいつものがいいよな」
トレンチコートにスカートがやっぱりいいらしい。そしてタイツを履かせて最後にマフラーを首に巻く……所で深緑は手を止めさせマフラーを脱ぐ。
「深緑……?」
「今日は、要らない」
「でも……お気に入りなんだよね?」
「しっかりと、顔見て」
深緑は俺の両頬を両手で掴んで顔を近づかせる。ものともしない深緑だが、普段では有り得ない行動で俺はドキッとする。マフラーの有無でこんなにも変わるものとは思わなかった。――恥ずかしい。顔色一つ深緑は変えないから気持ちの信管に触れそうで触れない。半押しされているような気分だ。
少し後ろに下がろうとすると身長の差で深緑がやや前のめりだったか、よろける。
「……とっ、ととと、ととっ⁉」
「――ごめん」
深緑に倒された。それもまだ顔を掴まれたまま。
唇と唇が重なりそうな距離まで顔が危うく近づいている。
「…………」
一時の沈黙。
深緑はここまで顔を近づけて何を思っているのだろうか? 目を逸らせようともせず、顔を掴んで固定させ、じっくりと目を合わせたまま。普段ここまで顔を近づけた事が無いからまた新しい事でも見つけたのだろうか? 俺は一個見つけた。深い緑色をした目はここまで近づくと緑に近い色をしている、と。
ガチャ――
玄関の扉が誰かによって開かれ、ようやく深緑は目を逸らす。
俺も深緑と俺の隙間からそちらを確認する。
「あ、わわわ……翠はこういう時どうすれば」
「翠ちゃん」
とんでもない所を見てしまったと勘違いしてしまった翠ちゃんは玄関であたふたしている。これはたいへん誤解を招くような所をお見せしてしまった。俺がいるから普段来ない翠ちゃんがこんな朝から来るとは思ってなかったし、そもそもこれは事故だ。
「ほら深緑立って、時間過ぎる」
「んっ」
深緑は頷く。
「えっと……朝から精力があるみたいで……」
「翠ちゃん、別にそんな事じゃないから大丈夫」
ほっと息を付く。
……精力とは翠ちゃんも勘違いに度が過ぎるのもアレだけど、別に深緑とはそこまでの関係にいく事もないし、深緑も思ってはないだろう。――そう願いたい。
深緑の袖をはたいて直し、翠ちゃんが入ってくる。
「それで、何か用だった?」
「唯川さん明日で会えなくなっちゃうんだよね? だから一目見たくて」
そういえば月曜日からもう深緑の実家に行く事もなくなるし、挨拶したかったという訳か。こんなに姉思いの妹も少ない。珍しい妹に会ったものだ。これも深緑との縁があったから翠ちゃんに会えた。
「また今後も遊びに行くからね。でもありがとう今日会ってくれて」
「いえいえ、今後も姉の深緑お姉ちゃんを宜しくお願いします」
ペコリと翠ちゃんは頭を下げる。
本当にこれだけの用だったのか、お茶も出す前に翠ちゃんは帰ってしまった。……こうなったら一度深緑のお母さんとお父さんにも会っておきたかったけど深緑のスケジュールには書いてなかったので残念ながら一目会う事は出来ないようだ。
「……行くか?」
「んっ」
深緑は頷く。
家から出て鍵を締めて歩きだす。
朝からバタバタとした……そういえばまだこの生活に慣れてなかった頃は朝食やら弁当やらでバタバタと急いで支度した事があったな。今じゃ平日は五時に起きて土日は七時に起きるのが基本になってしまった、一つの習慣直しかつ体が順応付いてきた。
「…………」
深緑とは何も会話が無く歩く音しか聞こえない。
最近のバタバタと言えば志苔を女子少年院とやらにブチ込んだ事ぐらい。最近のこの悪い話をタネにするのも俺はしたくないし、深緑にとっても触れたくない話だろう。
……割には深緑はウズウズとしている、そんな雰囲気を感じた。一体何が気に入らないのだろうか? 俺には話せない事でもあるのだろうか? ここまで何か問題があっただろうかと考えてみるが特に見当たらない。
「深緑、大丈夫?」
「――んっ」
少し反応が遅れて返ってくる。
やっぱり何かを隠している気がしてたまらない。こんなに反応が分かりやすい深緑は隠し事なんて出来ないな。
「俺には言えない事が何かあった?」
「……て……て……」
て?
『て』と言われると俺の手を見てしまった。……なるほど、手を繋ぎたい訳か。さっきは顔をあんなに近づけたのに何を今更恥ずかしがる事があるのだろうか。
「はい」
「――ありがとう」
一度深緑の手を触れた事があるけど、その時と動揺に冷たい。でも夏風町で触れた時の手とは違いそんな過敏に反応しない程の冷たさだった。柔らかく、手汗一つ無いとても小さな手。朱音とは違った触感の手だった。――こんな事を朱音に行ったら怒鳴られそうだな。ここ秋空市だけの事にしよう。
「YK、もうちょっと開いて」
「ん? こうか」
しっかりと深緑の手を掴んでいたが少し緩め、指との間を広くする。
何をするかと思ったら次々と指の間に指を入れ、手の甲を柔らかく掴まれる。
――深緑は恋人繋ぎがやりたかったのか。
「……最初から言ってくれればやるのに」
深緑の耳元で囁く。
「いじわる」
元々俺はそういう性格だ。
でも深緑はここまで頑張ってくれたのでカフェまでこの状態で行く事にした。
「……本当は気付いてたんじゃない?」
薄っすらと俺は思ったことを口にした。
深緑は会話のマニュアル通りに「何に」と返してくる。
「俺が『男』だって事」
「…………」
深緑は黙ったのち、口を開く。
「少し。でも、確信が無かった」
「やっぱり」
以前に深緑が俺の家に泊まって、実はミスを犯していた。そのミスというのはリビングに飾ってある様々な子供の写真、それは唯川家の家族の写真であり『男』として写ってる写真ばかりだ。何かに気付いてしまうんじゃないかと、俺はビクビクしていたので深緑が寝た後にひっそりとリビングに向かい全ての写真立ての面を下に向かわせたのだ。俺の焦りが出てしまい明らかに違和感のある姿ばかりにしてしまった。でも深緑はそれに関して深くツッコミを入れて来なかった……というより何も言ってこないから安心しきってしまったのだが、やっぱり気付いてしまったようだ。
「帰る時に随分と積極的だったからさ、今思うとね?」
「んっ、好き」
その言葉だけは容易に出せるのに、どうして行動には起こせないのか。
これも薄々な違和感だけど、これが深緑だからとキッパリ妥協する。
カフェ、レストラン、ショッピング……深緑が行きたい所を時間の限りいっぱい回る。どうして俺が長く時間取れる時に行けなかったの? と問いを投げると、志苔が色んな所を見ていて深緑を見つけ次第こちらに突っかかってくるから楽しめなかったと言っている。そう言われると確かに俺を秋空市案内出来なかったのも原因が志苔と理解。深緑、ここまで苦しめてたとは。
優雅な時間は続き、次に来た場所は銭湯だった。
ふぅ……安心した事がある、今回は『男』だ。という事は深緑と一緒に入る事も無し、恐ろしさまで感じた『女』風呂に入る事も無い。ちゃちゃっと受付を済ます。
「いらっしゃいませー、男性一人と女性一人」
受付の女性が受付票に鉛筆で書く。
「……っと? し、失礼しました!」
「ん?」
何故そこで「失礼しました」と言葉が出るのだろうか?
「女性二人ですね! 大変失礼しました! 奥へどうぞ!」
「えっ⁉」
あちこちまさぐり、スマホを鏡に見立てようとスマホを取り出そうとするとそのスマホが無かった。何処に落とした⁉ と思って周りを見てみたら深緑が手に持っていたのだ。一瞬の隙かつ誰も見てない時に俺を『女』に転換させるとは凄い博打を打ったな……。
「深緑、勝手にスマホ持っちゃ駄目だろ!」
「ごめん、でも一緒に入りたかった」
そう言えば人目に見られない場所で渋々『女』に転換したのに……俺までも肝を冷やさせてどうする。まぁ過ぎた事は根に思わず『女』風呂に入る。ここに入るのもこれが最後にしたい。いや最後にさせてくれ、色々と申し訳ない。特に『男』諸君には。
いつものように深緑を脱がせてからまずは体を洗う。ゴシゴシ、という強弱のハッキリした音よりも柔らかく深緑の体を洗う。いつも深緑を裸にして思うのだが、いいラインをしている。つい俺の気を許すと体に触れてしまいそうなので、気を抑えつつ体を洗う。
「お湯掛けるよ」
「んっ」
肩からゆっくりと桶に汲んだお湯を流す。
サッと流した後は頭を洗うのだが、今日は違った。深緑は手にボディソープを貯め泡立てる。――一体何の真似だろう? と思いその様子を見てみる。
「YKの体、深緑が洗う」
「……たまには用になってみるかな」
初めての行動だ。――深緑が体を洗ってくれるとは。
まずは腕から泡を付けられるが人にあまり体を触れられた事がないからだろう、ピクピクと俺の体は反応する。くすぐったいのだ。俺は深緑の洗い方と違って強く洗う方だからこの程度では洗った気にならない。でもせっかく深緑が洗ってくれているのだ。ここは何一つ文句を言わない。
「わたしの体どう?」
「すべすべ」
そうなのか。誰かに感想を求めた事がないから初めて理解する。
一人でしか風呂に入らないからこんな事は自分自身で思わないし、そもそも思いたくない。ただでさえ『女』になる事も特別なのだから。
「お⁉ おぅぅ――」
胸の下辺りは感度が違うのか、かなり性的な反応をしてしまった。かなり恥ずかしい声を出してしまったから周りに見られてしまってこれまた恥ずかしい思いをする。
ああもう自己嫌悪。
「流す」
「はーい……あぶっ!」
シャワーで強く掛けられてしまい耳にも水が入る。
はたまた鼻にも入ってしまいむせる。
「ごめん」
「ゲホッ……大丈夫。出来ればゆっくりね?」
「んっ」
深緑は頷く。
その後はゆっくりと掛けてもらい事は成した。
じっくり……ゆっくり……露天風呂で深緑と肩を合わせ空を見る。
かなり寒かった一月二月前期と違って外に裸で出ても寒くはなかった。
「深緑、今日はありがとうね」
「こっちこそ」
デートのはずなのに『男』から『女』に変わってしまったのは少しの失敗であるが、深緑に出来る事は今日出来た。もう後悔が残らない程に。
「――ありがとう、奏芽……ありがとう……」
「わっ、ちょっと! そんな頭下げなくても!」
俺がやったことなど些細で、特別じゃない。
「深緑、わがままばっかり」
「いいのいいの! そんな……嫌だったら最初から断ってるでしょ」
「――確かに」
「あ、そこは認めるんだ」
少し悪い事も深緑にはしてしまったが、俺としてはとても楽しい思いをしたし、鈍りきった体を治すのにも良かった。だから感謝するべきなのは俺なのだ。
「一つだけ、YK何でも」
「じゃあ一つ」
「んっ」
「笑ってほしいな」
深緑は性格が暗めだからせめて一つだけ俺の願いが叶うのならば、深緑には笑ってほしかった。だから何でも言われた時にはこの言葉しか無かった。当の本人は目を丸くしている。意外だったかもしれないが、俺の“何でも”がこれだけで十分だ。
「ふっ――あは、あははは」
意外だったからこそ、自然に頬を上げ幸福な顔をしていた、そして笑い声。
そう、今まで生活していてこの顔が一番見たかった顔だ。志苔という存在や口元に残った傷で笑えなかった深緑を見てそれだけが苦痛に感じていた、深緑自身もそうだろう。元々感情が顔にあまり出ない深緑だからというのもあるだろうけど。
「これからも、ずっと笑ってほしいな」
「んっ、約束する」
笑顔を見せ、明るくなった。
これで俺は思い残す事は無くなった。
雰囲気を感じ取るゲームは終わり――かな?
※ ※ ※ ※
日曜日――
十二時に帰る事にした、スマホの電源を付け荷物を纏め、布団を外に干す。もうこの布団ともおさらばだ。深緑は何をしているのかというとベッドで俯いていた。三ヶ月も過ごしていた人が帰るというのだからこういう場になるのも分かっていた。だからなるべく深緑の近くに寄るようにしていた。
「…………」
こうなると俺も掛ける声が無くなってしまい、寄るだけになっていた。
「YK……」
悲しく声をあげる。
「一人、寂しい……」
深緑の寂しさもひしひしと俺にも伝わっている。
「――“一人になる辛さ”。俺もようやく感じる事が出来たんだ。確かに一人になるのって一番寂しいし、辛いし、悲しい、一生に絶対感じる事。俺のお母さんもそんな事を言いたかったんだと思う。……けどさ、一人になるって一番正直になる方法なんだよね。今の深緑みたいに」
深緑の頭を撫でる。
そう言葉をあてると深緑は顔を歪まさせ表情を変化させてボタボタと涙を垂らす。……本当に深緑は正直な『女』の子だ。何にしても隠し事はしないし、下手な子だし、何よりも可愛い。可憐とまではいかないけど、何処か構いたくなるような甘さ。
「……もう時間」
ついにタイムミリット。
「――YK、唯川奏芽さん」
深緑は俺の名前を呼ぶ。
泣き顔で呼ぶ深緑は子供のよう。
「……言え、ないの。別れの言葉が言えない!」
俺も……言えない。
さようなら、なんて深緑に言えない。
だから「もう時間」だなんてごまかしていた。
そのまま出ていこうと思っていたのだが、そうも行かなくなってしまった。
「……また俺の家に遊びに来てよ」
「うんっ、行く……」
ちゃんと「うん」と深緑は言えるじゃないか。
そして少し間を空けて――
「深緑、さようなら――」
「さ、よ、う、な、ら」
一つ一つ呟くように吐き、俺に別れの言葉を言った。
その一つ一つがまた俺に突き刺さる。
過剰に反応させないように玄関の扉をゆっくりと開けてゆっくりと閉める。
「んん……」
咳払いをして、その場を立ち去る――。
左右に揺れ、少しずつ駅を目指す。
「奏芽ー! ごはん! あっ……ごはん……いいや……」
「ニカエル……俺、この気持ちどうすればいいんだよォ……!」
深緑には見せたくなかった涙が今になって出る。
涙腺の決壊はしていたけど、差し止め出さないようにしていた。
何だよ……笑って欲しいって言ったのに俺も笑ってさようならって言えなかったじゃないか。深緑に言ったことも約束出来ない俺は最低の『男』じゃないか。一番酷かった深緑に言った中で一番酷かったかもしれない。愚見だ、何の役にも立たない、最悪だ。嫌悪。これじゃ次に深緑に会う顔もない。
プルルル――
「……電話?」
かすかな音を聞いて俺のスマホを見てみると、深緑に発信していた。
ニカエルなんて余計な事をするんだ。お前の仕業は今日に限っては許せない。
「……YK」
「……深緑」
切ろうと思った時にはもう遅かった。
「――ごめん、YK。笑えなかった」
「そんな……別に、泣くのは当然だと……思う……?」
“笑えなかった”という所から声が遠くなったのを感じ、画面を見てみるといつの間にかビデオ通話に変わっていた。今日はもう見る事が無いと思っていた深緑の顔。またじっくりとその画面を見てしまう。
「――ずっと、ありがとう。さようなら、唯川奏芽」
「あ……あ……」
画面の中の深緑は笑顔を見せてくれた。
嘘なのか、本当なのか分からない。けど今までの深緑を通して考えてみればこれは真の笑顔。その後は通話が切れる。
――俺は何も言えず嗚咽を出さないように歯を食いしばり電柱を支えに下にゆっくりと落ちる。なんで俺がこんなにも心が悲しくて、痛くて。涙を流さなくてはならないのか。
「本当は……逆なのに……!」
少し悔しかった。
「奏芽、しっかり。深緑ちゃんに次に会う時に笑顔になればいいんだよ」
「ああ……今日だけは泣かせてくれ……お願い……」
「うん……」
ゆっくりと立ち上がり、俺は秋空市を去る――。
電車の中でも風景に流れ出る“秋空市”という文字が無くなるまでまた見る。
また心の中で思う。
――ありがとう、深緑。
色々教わったよ。
第四章、厩橋深緑書き終わりました。
元々としては犬みたいな性格の子を作りたかったのですが、途中で無口で感情を殆ど出さない子って面白いのでは? と思い深緑というキャラクターが出来上がりました。自分自身も時間が取れない事が多くて更新が遅くなってしまいましたが、自身で楽しいキャラクターだったので気に負けず書けました。ラスト部分はだいぶ迷ってしまいましたが、自分でスッキリと終わったので良しとしてます(笑)。
結構身に詰まったキャラクターに仕上げたかったので、志苔や深緑のお母さんやお父さんと無理で無駄な設定を入れてしまった所があるのですが……そこも隠された深緑の秘密的な所で楽しんで頂き、寄り道しつつ可愛い部分を入れてみました。「深緑を観照をするシリーズ」を見れば終わると言ったらまぁ終わるのですけど(笑)、そこでもまだ伝えてない部分を引き伸ばしにする。所々に伏線を入れ最後に要素を爆発させる。……うーんやっぱり楽しいキャラでした!
そして次の章から奏芽達の学年が上がり二年生になりますが、暫く時間を取らせてから書いて行きたいと思います。自分自身の仕事が忙しくも暇な部分が激しいので、書けると思ったら思い切り書き。忙しいと思ったら少しずつ書いていくスタイルになるのでまた更新に差が空くと思います。
それでは第五章でまたお会いしましょう、第四章の完読、ありがとうございました。




