48話 『女』の最後、『男』の痛罵
寝に入る前に深緑に一つ聞いてみた。
「どうして志苔と友達だったの?」という事を聞いてみた。ざっくりとした聞き方だけど珍しく口を開いてくれた。――口元の傷の事とか深緑の事情を全部聞いたからもうどうでもいいやとも思ってるのだろう。もう深緑が隠す事も無し。
「中学校の頃、確かに志苔の方から近づいてくれた」
「そこらへんはお母さんから聞いたよ」
「――んっ。深緑、寂しがり屋、恥ずかしがり屋、人に話出来ない」
「そこは、うん」
話は深緑のお母さんから聞いているから浅めの会話ばかりになってしまう。
もっと大きく話を広げたい。
「何でずっと志苔と付き合っていたかっていう――」
「唯一の友達、だったから」
あ、なるほど……。
さっぱりとした深緑の一言で全部に方が付いた。
軽く言っても友達と言われたら友達だし、それをずっと信頼して深緑は志苔の友達を演じていたのだろう。もっとも、何時まで友達になっていたのかは俺には分からないけど、途中から金づるになったのは確か。そして友達としての信頼と、もしかして裏切ってしまうんじゃないか? という気持ちで秋空市にいたのだろう。
――この唯一の友達という言葉だけでこんなに考察が生まれる俺も深緑スキーになってるのもまた気持ち悪いが、こんな所だろう。
「それでさっきの話、何時やるの?」
「――明日」
随分早いな、というツッコミは抜きに、うんと顔を振った。
「決めるのはいいけど、大丈夫? ――その、色々ヤバイから」
「――大丈夫、何があっても、受け入れる」
「そっか。うん……おやすみ」
「おやすみ」
天井のライトを暗くして寝に入る。
テーブルを見てみると薄っすらと俺のスマホのライトが明るくなっており、ゆっくりと小さなニカエルが出て来る。深緑も珍しく油断していてここに電源を付けっぱなしにして置いていたとは。今月はまだコイツとは会話したくはないんだがなぁ……。
「次に出れた時がまた夜なんて……しかもちょくちょく電源付けたり付けなかったり……どうして私の扱いはこうなってるの?」
「悪い悪い、それでたまたま出てきただけ?」
トスンと俺の腹に布団の上からゴロンと寝転がる。
「聞いてたけど、本当に明日やるの?」
「まぁな、大問題ではあるけども――」
もしかしたら犯罪的な行為に出る可能性もあるからという大問題だ。
「私の〈契約の結界〉を変な風に扱わないでくれる?」
「そもそもあるのがおかしいんだよ、電源切るぞお前」
「おっとぉ……私が中にいないと閉じ込められないんだよね、これが」
「あっそう」
机に置いてあるスマホを小さくなったニカエルの目の前にかざし中に吸い込ませて電源を切る。一瞬青ざめた顔をしたニカエルだが、そんな事もお構い無しに無慈悲に電源を切った俺。長々とニカエルと話もしたくないからというのもある。
「さーて寝るか」
少しスッキリした、寝る。
※ ※ ※ ※
水曜日、いや木曜日――になるかもしれない。流石の深緑も火曜日という当日になって躊躇しだし、ずるずると曜日がズレていく。学校で深緑の様子を伺う。
「…………」
相変わらず何も思ってない風を装っているけども、帰りに手を繋ぐと微々に震えてるのが伝わっていた。怖いのだろう、久々に志苔に会って何をされるのか分からない。――もっと別の理由もあるのかもしれないけど、深緑は志苔に会いたくないというのは事実。
……実質的に秋空市にいるのは半月。深緑の家から出る事は無いと思うけど深緑は俺を追い出そうとするだろう。
「深緑……止めとく?」
学校の食堂でそばを啜りながらあの作戦を止めようと勧めてみても。
「――また明日」
この言葉しか言わなかった。
三日目、いや勧めてみた数ほどこの言葉を繰り返している。この言葉を返している限りは安全だとも思っているのか? ――徐々に貯め込んでいた我慢も蓋から溢れ出している。
言うな、言うな、言うんじゃない。言ったら傷付ける。
――言え、言え、言ってしまえ。言って傷付けろ。
二つの貯めた我慢が体の中で擦り合っている。
すぅ――はぁ……
「深緑! ……これ以上先延ばしにするなら"俺"一人で行かせてくれ」
「…………」
一緒にそばを啜っていた深緑も手を止めてこちらを見る。
――話と違う、どうするの? なんて雰囲気を出している。
「『男』で志苔を殺す」
「…………」
深緑は目を丸くした。
俺の突然の殺害発言で驚いたのだろう。
「『男』で殺して『女』に戻れば"俺"は絶対にバレないし、半月すれば深緑との関係も終わる。――全部、解決するでしょ」
「YK、『男』になれない」
「もう捨てる。深緑の為なら捨てられる」
「…………」
一つの性別を無駄に出来るならここしかない。
十六年以上『男』として過ごして来た事は無駄にならないし、時効になればまた『男』になれるだろう……かなり長い時間になるかもしれないけども、それでも深緑が一生傷付かないから捨てられる。
「――今日、やる」
「もういいよ深緑。無理しないで」
「――やるから、本気。本気なの」
「……ようやく聞けた」
本当に可能なもう一つの作戦を深緑に聞かせたら深緑が本気になった。あまり言動で誘導させたくはなかったが、これで良かったのだ。深緑も仮りそめの決心とようやく決別が出来たようだ。
久々に深緑の頭を撫でる。
「大丈夫、わたしも一緒だから」
「んっ……」
泣きそうになっていた。
決めた事を何日も放置していた恐怖の気持ちが吐き出たのだろう。
「もう、逃げない?」
「逃げない」
ふぅ――。
そろそろ俺も何日もしまいこんでいた勇気を出さなきゃいけないな。
「隣いいですか?」
食べ終わった所で新発田さんが目の前に座ってきた。
「新発田さん、今日は食堂使ってるんだ」
「ママがお弁当作るの忘れちゃって」
ランチプレートの上に乗せてきたのは醤油ラーメン。食堂に使い慣れてないのだろう、ここのラーメン類は美味しくない。人それぞれだけど、明らかに注文数が少ないのだ。
「櫻見女は免許の取得が可能になって春休みを使って取ろうとしてる人が大勢みたいですね」
「そうだね、校則改正されてから三年生のクラスが許可申請の書類を出しに職員室に並んだとか」
前回の校則改正で学校中がこれで大騒ぎ。
今も対応している程で、なんとか受理はしている模様。というか三年生は卒業間近なのだから黙ってて申請しなくてもいいのでは? と、俺は思っているのだけど間近だからこそ退学を逃れたいのだろうな。因みに隣にいる深緑も免許証を出した後に申請書類を貰い、みちる先生に出したような。
「そうと、どうしてその話を新発田さんが? 原付か二輪取ろうとしてるの?」
「いいえ……あれ、私がやったんです」
「えっ……?」
「ふふん」
冗談で言ったのだろう。
そんな権力は新発田さんには無いだろうし、また令嬢とかの話も聞かない。そもそも何処かの令嬢だったらアルバイトなんてしてないだろうしね。それに……
「ラーメン、あんまり美味しくない……私の四百円」
俺達と同じ庶民の舌であり、同意見だ。
※ ※ ※ ※
放課後――
二時間掛けて深緑の家に帰った後は静寂に染まる。
何故か。それは志苔からの連絡が来ないのだ。徐々に深緑の気持ちも雰囲気も変わっていくのが身で分かる。早く実行したいのに今日に限ってどうして連絡が来ないの――? なんて深緑の隠している言葉も伝わってくるほど。俺も『男』に戻って何十分も経っている。この作戦に俺は参加しないが、『男』の状態で待機する事が必要になっていた。
ピクッ――
深緑が動いた。
スマホがバイブレーションで震動して志苔のみ特定の音楽にしてるのか深緑のスマホからは中々聞かないクロード・ドビュッシーの「月の光」が流れた。
「んっ……」
深緑は頷く。
着信のボタンを押し音源をスピーカーに、俺にも聞こえるようにする。
「もしもし」
「よう、お前から電話するなんて気が変わってるな」
いつも口調で志苔が出た。
今ここで俺がムッとしても何も出来ない。
「用件」
「用があるのか……いいよ、聞いてやる」
俺が言ったのはなるべく人が多い所。
そして、道路が近くにあるのが条件を満たす場所として言っておいた。
通りの場所があったので、そこを指定として深緑が志苔に伝える。
「場所決めるなんてよっぽどアタシに会いたいみたいだな……何か考えてるのか?」
「――久々、だから」
「おおそうか、まぁ"友達"だもんな」
「…………」
深緑は黙ってしまった。
俺は切るように手でジェスチャーして勧める。
「――待ってる」
「ああ、用意しとけよ」
電話が切れる。
深緑はかなり気を使ったのかベッドにバタンと倒れる。
「休んでる暇無いよ、行かないと」
「――怖い」
深緑は俺に手のひらを見せるとダラダラと手汗が滲み出ていた。
「何か落ち着く事無い?」
「――抱きしめて欲しい」
……お安い御用。
内心はドキドキしながらも手を大きく広げて「おいで」と小さく言葉にする。深緑はその通りに近づきギュッと抱きしめられる。
「――深緑、撫でられるより、抱きしめられる、方が好き」
「……そっか、落ち着くなら今はいいよ」
優しく出来た。
学校で思ってきた俺の我慢も開放が出来る。
深緑の俺に対する躊躇しない行動は俺にとっても癒やしなのだろう。
「深緑、頑張ってね」
「――頑張る」
時間は迫ってくる。
――俺達にとっての終わりなのか、志苔の終わりなのか。
早速法律違反をするが、原付一種のスクーターに二人で乗り込む。深緑が運転をして俺は申し訳程度に付けた帽子を被り後ろに座る。なるべく人が居ない所を通り指定の場所まで走る。スクーターの乗り心地は微妙。そもそも二人で乗るようには作られてないからこの微妙な乗り心地なのだろう。
「深緑、ここから俺は歩くよ」
「んっ」
深緑は頷く。
スクーターから降りて周りを見る。
見通しの良い道路、話を聞くのに丁度いいベンチを見つけ、ゆっくり座る。
深緑も指定の場所までエンジンを止めて歩き、スタンドを立ててスクーターを立たせる。……待っていたと言わんばかりに良いタイミングで志苔がビルの角から出てきた。
「……深緑、頑張れよ」
俺はただこれを思うだけ。
ついに二人だけで対面する。
「よォ……あの偽善『女』はいないのか?」
「――二人だけ」
偽善なのはどっちだ。
――色々と口出ししたくなるが今日は志苔も知らない『男』の状態だ。無駄な事は出来ない。
「……深緑、何かされないようにこんな人の多い場所を選んだようだけど、アタシはやるぜ?」
「ひっ――」
初めて深緑が怯えた。ベンチの真ん中に座っていたが、やや右に寄って深緑達に近づく。――他の人から見えないようにしているが、こちらから見えたのは折りたたみナイフ。まだ刃は出していないが、深緑に突き付けるように出している。
「お前の傷は知ってるんだよ、アタシが切ってやったんだからな……」
「…………」
カチカチと俺の怒りのスイッチが何度も入る。
が、飛び出る衝動を抑え、様子を見る。
「次はマフラーで隠せない部分……目か? いや、手でもいいな」
折りたたんだ状態でそっとその部分を沿らせ、深緑を脅す。
もう志苔は深緑の事を傷付けなきゃ気が済まなくなっている程らしい。
「……んんっ」
わざとらしく咳払いを入れて深緑に伝えてないジェスチャーを送る。
――そろそろ話の本題に入れないとマズいぞ! と。しかし、伝えてなかったジェスチャー。勿論、伝わらなかったようだ。事前に考えておけば良かったか。俺の甘い詰めが出てしまった。
「まぁ……流石に血を流すことはしないけどなッ!」
「…………」
深緑は志苔に油断を与えた。深緑のマフラーは志苔に思いっきり引っ張られ、深緑の顔があらわになる。深緑が一番に見られたくないマフラーの下……だった。
「……は?」
そう、深緑にとって一番嫌な事だった。それは全て過去形。志苔が傷を付けたであろう深い切り傷は無く、少女らしい顔立ちになっているのだから。志苔はマフラーを握ったまま深緑の顔を何度も何度も眼球を右往左往させて傷の位置を見ている。――もう無いのだから諦めろ、志苔。
「おいおいおいおい……嘘だろ。もう治んないのじゃなかったのかよ……」
「…………」
一つの動揺が生まれた。
――作戦通り。
「何とか言えっ!」
「待った」
志苔が殴りかかろうとした時に深緑が志苔に手のひらを見せてタイムを掛ける。
「今日は用があるって……これあげる」
「何だこれは……鍵? スマホ?」
ついに本題に出た。
まさに鍵。これがキーポイントとなる。
「スクーターの鍵か。それとなんだこのスマホは」
「拾った物、それとスクーターはあげる」
「へぇ、ありがたいね」何の疑いもせず、ノーヘルメットでスクーターに乗り込みスマホは落とさないようにしっかりとポケットに仕舞う。これで深緑の仕事はもう、一つだけになった。
「要らなくなったスクーターを第一にワタシにあげるなんてお前は最高だぜ、じゃ」
深緑はスマホを取り出してピッポッパッと三つの番号を入れる。
――こちら警察です。事件ですか? 事故ですか?
「厩橋深緑、と言います。――事件です。スクーターと、スマホを取られました。場所は秋空市、駅から右に行った所、です。――深緑、当事者。犯人は目の前に。犯人、ナイフ持って危険」
「なっ……み、み、みろくゥゥゥ!!! てめぇええええ!」
深緑の仕事は終わった――。電話を切りじっと志苔を見つめる。
「――さようなら」
志苔はその言葉を聞き深緑に飛びかかる前にスクーターのエンジンをスタートさせ、後ろの車にも気を付けず飛び出す。軽快な音が鳴るはずのスクーターも急にアクセルを全開にして破裂音に近い音が出ていた。
「三メートル……一メートル……」
俺は口に出ていた。そう俺に課せられた例の物が発動するまで。
そろそろ引っかかるはずだ。
「ウッ……わっ……」
スクーターのハンドルバーを握ったまま空に浮く。〈契約の結界〉が発動した。深緑が志苔に渡したスマホは俺のスマホ、つまりニカエル入りのスマホだ。という事は必ずこの〈契約の結界〉が発動する。……もう志苔は逃げられない。
結界の壁に沿うように倒れた志苔はスクーターを立ち上がらせその先に進もうとするが、絶対にこの〈契約の結界〉は破れない。そして志苔は反対側に逃げようとするが志苔自身が何に逃げているのか気付き反対側には逃げれない。何度も何度も〈契約の結界〉にぶつかってはスクーター倒している。
「はぁ――ナンデだ……?」
志苔は疲れ果てている。
またスクーターを立ち上がらせ、次に向かってきたのは深緑の方だ。
「……おい、さっきの電話。取り消せ」
「…………!」
チャキンとついに折りたたみナイフから刃を取り出し、深緑を本格的に脅しに来た。小動物のように深緑は震え、後退りをしている。
俺も手出ししたくなる、が抑えた。ここで変に飛び出し状況、俺が志苔のナイフを取り上げて悪化し警察にこの場を見られたらマズくなると。――深緑、頑張ってくれ。そう願うばかりだ。
「もう終わりなんだよ! 深緑ぅ!」
「うっ……!」
深緑の苦痛の声が漏れた……。
深緑の目に突き刺さる――。
直前に手が止まる……いや止めてくれた。警察が止めてくれたのだ。
深緑は直前の危機に救われ垂直に落ち、地面にペタンと座る。
「銃刀法、窃盗、恐喝。キミ、分かるね?」
「ち、違う! こ、これは……このナイフは護身用! お巡りさん、アタシは襲われてたんだよ! コイツに!」
ここまで来て苦しい言い訳。
だが現状は志苔が襲っていた方、誰がどう見たってそう言える。
「……はっ⁉」
志苔はようやく傍観していた俺に気付く。
「その恨めしい顔……てめぇ、どっかで見たことあるぞ……」
深く息を吸い込み、吐く。
「――消えろ、クソ女」
『男』の状態で言う志苔に対して初めてで最後の言葉。俺が唯川奏芽と気付いた時にはもう遅い。いや気付いてないかもしれない。――もう終わった事だ、何も気にならなくなっていた。
――そして長い聴取と被害届作成が終了して深緑が開放され、家に帰ってきた。
「ベッド、座って欲しい」
深緑に指示され、座るないなや抱きしめられた。
かなり強く……。そして強く……。
「――怖かった。怖かった。怖かった」
「…………」
細く悲しい声で深緑が叫ぶ。
こっちを向いた時には大粒の涙で顔がぐちゃぐちゃ。
――ナイフが目に突き刺さる直前という生命の危機まで深緑は達していたんだ。それは怖かっただろう。俺だってそんな危機に瀕したら青ざめ泣いてしまう。
「……深緑、よく頑張りました。もう最後だからね」
「んっ……んっ……」
深緑は頷く。何度も頷く。
子供のように泣く深緑はこれでもう無いだろう。
明日からまた甘える深緑が見れるだろうな……。
「今日はもうゆっくりお休み、深緑」
「んっ……」
これが今日の深緑、最後の頷きだった。




