41話 久々に『女』は家に帰る
暇だから日捲りカレンダーを無意識に同じ日に破っていくような日常が続いていく。変わった事は深緑も慣れて来て弁当を二人分作ってくれたり、学校でも少し会話が出来る程に近づけたくらいか。他に変わった事は無し、日曜日には銭湯に入りに行き、月曜日には実家に帰る。俺も深緑の家族として迎え入れられている。目的のスマホはまだ返してもらってはいないが、無しでも生きれる体になってしまい、もはや意識外の方が多い。「あっ、スマホ……」と思う事が無くなったと言った所か。
――そして二月になった。別に志苔からの妨害も無く暇だから土曜日に深緑に着させる服を買っては遊んでいる。バニーだったりチャイナ服だったりテカテカのレーシングスーツだったり……趣味全開であったが嫌がられずに着て貰えるので個人的に楽しんでいる。……名胡桃さんの気持ちが少し分かったかもしれない。
「…………」
深緑は一点に集中して見ている。
「深緑はメイド服がお気に入りのようで?」
「んっ」
深緑は頷く。
他に買ってあげた洋服は全てクローゼットの中にしまい、やっぱりメイド服だけがハンガーに掛かったままだった。着る事は無いのだが、片手で扱えるアイロンでシワを伸ばして消臭スプレーを掛けている所を見るとやはりお気に入りのようだ。あまりにも綺麗にしすぎてメイド服は輝いている……が、残念ながら初めてメイド服を着て以降は一度も着てくれない。結構似合っているのに勿体無い。
今日は何度目かの土曜日の朝。カーテンを開けて部屋を光で溢れさせる。周りにはポツポツと家が建っていて裏手には約十分でスーパーがある。他に数十分で行ける所は無し、銭湯は少し遠めだし駅はもっと遠い。何も無いというのは自分の見たところであって、深緑の行動範囲が狭いから……こう判断するしか無い。アウトドアな俺にとってこの行動範囲の狭さは苦しい。
ということで、この苦しさから開放されそうな事を深緑に言ってみる。
「深緑、一回わたしのお母さんに会ってみない?」
「何故」
「暫くわたしもお母さんに連絡してないし、会ってないし……」
「…………」
会話が無くなる。流石に一週間以上もお母さんに連絡もしてなければ会いもしない。夏風町も遠いけど深緑も一緒に着いていかなければ夏風町に帰れない。
「――行く」
「おっ?」
遂に承諾の言葉を貰った。最近のお母さんの休みは土曜日というのは聞いていたから今日に提案してみたのだ。秋空市を案内してくれないのなら、俺は夏風町に行く。やっぱり地元こそ一番なのだ。
「じゃあ、時間掛かるから今直ぐ行こっか」
「んっ」
今日はトントン拍子で話が進んでいく。何か裏で考えているんじゃないかとも察知してみたくなるのだが、素直に俺に付いていく深緑も悪くはない。
※ ※ ※ ※
今日は冷える。朝の天気予報によると夕方辺りから雪が降るらしい。そんな感じで夏風町も曇り空で包まれている。十年以上いる町とはいえ、一秒でも1ミリでも町から離れていて戻ってきたらこの空気が懐かしく感じてしまう。風が運んでくるこの匂いが好きだからかもしれない……。
歩きながら深緑に問う。これも何度目か。別に深緑は嫌だとは思っていないからこそ俺も何回も問いてしまう……反応が地味なのもあるからかな? とにかく深緑に対して言いやすい。深緑は質問は余りしてこないけど、答えるには易しい質問ばかりで突っ込んでこない。
「もう十一ヶ月、いや夏休みは抜いて十ヶ月。夏風町はどう?」
「良い、場所」
学校に通う為に乗り降りする場所だから深緑はそんなに感慨深い情は無いだろうけど、夏風町民としてはその二言でも嬉しい限りだ。
「秋空市は」
「秋空市……ごめんね、色んな所行ったこと無いから深くは言えないんだけど、市街って感じはする」
「…………」
「伝えるの下手くそだね、ごめん」
深緑は顔を横に振る。
あー恥ずかしい。もっと夏風町から出て色んな所に行くべきだった。
商店街のアーケード内に入ると急に寒くなってくる。お昼間近なのにこの寒さは雪が振る前兆なのやらか。――いや、スカートが悪いのか? 深緑はタイツ履いてるから……といっても表情の変わらない。でも深緑はマフラーにコートにタイツだもん、寒い訳がない。
「オジョーちゃん、御嬢ちゃーん。そこの"微"少女、ワタシの可愛い少女よ」
「……なんですか、お姉さん」
相変わらず商店街半ばに来るとケーキ屋のお姉さんが扉から出てきて俺に語りかけてくる。最近になって喋ってくる回数が多くなってきてるんだけど、秋以前は『女』の奏芽を認識していなかったから喋る事が無かったんだろう。……そして、認識してからは回数が増えた。という事は自業自得だこれ……面倒な事にならないようにお姉さんにはひっそりバラしたのだけど逆効果だったようで……。
「それと……? んー……緑のお嬢さん」
「深緑」
黒っぽい緑で派手な色はしてないんだけどな、深緑の髪の毛は。
妹の翠ちゃんの方が緑のお嬢さんの役割をしている気がする。
「ごめんね、ワタシ名前聞いてなかったからさ。それでケーキいる?」
「いや結構ですー……あぁー」
断ろうとしたら深緑が中に入っていってしまった。甘いもの好きの深緑にとってはここは天国みたいなものだ、誰だって好きな物が目の前にあって、店員が一言でも勧めてきたら買いにいってしまうのと一緒なもん。断っても店員はなんとしてでも購入してほしいからたたみに掛ける。特に……ケーキ屋のお姉さんはそんな性格のお姉さんだ。
「ワンホール」
深緑はまた九号ケーキを指差す。
「深緑⁉ い、イチゴのショートケーキでっ!」
その手を掴んでカットされたイチゴのショートケーキの方向に指を差させるが、反対の手が出てやっぱり九号ホールケーキを指差した。
「ほーい、九号ケーキお買上げ」
「うっそん……」
指差してからの箱詰めまでが早い。
どうしてお金が絡むと直ぐにお姉さんは乗り気になるのだろう。
「あい、九〇〇〇円」
「…………」
バッと取り出したのは深緑の方だった。
「――前のお返し」
「別にいいよ……お母さんしかいないし」
そんな九号ケーキを買った所で余らして捨ててしまうのがオチだ。ニカエルを除けば俺達は二人家族でおじいちゃんやおばあちゃんは他の所だ。呼んで直ぐに来るような場所ではないから九号はナシ。
「お父さんは」
「お父さんは俺の家にはいないんだ……」
深緑が俺から目を逸らす。初めての時は俺とも目を逸らす事が多かったけどそれは恥ずかしかっただけで、今回のように悲しい理由付きで目を逸らすのは初めてだ。
「気にしてないから」
「…………」
頭を撫でたら少し安心したような雰囲気を感じた。
「仲良しさんはそこまでで、どうするの? 四号?」
お店のテーブルで肘を付いて様子を見ていたお姉さんがついに口を出す。
「四号でいいですよ、ね?」
それを聞いて深緑に聞く。
「んっ」
深緑は頷く。
今日は中々スムーズに会話が進んだな。
「保冷剤は?」
「要らないです」
何とかしてケーキ以外の別料金を売り出そうとして必死だけど、案外お姉さんケーキ売れてるから特定の人から金を練りだすのは止めて欲しい。特に保冷剤とマカロン作戦の別料金はサービスオーバーだから。
ドアのベルを軽く鳴らして店を出る。
「チッ、ありがとうございましたー」
深緑には聞こえないように言ったつもりだろうけど、完全に舌打ちしたぞ。俺の前と俺の友達だからって素性出しすぎてて苦笑い。深緑は特に大した反応はしないけど、ケーキは両手で持ってて少し嬉しそうだ。……ケーキ、俺達が貰っていいんだろうな?
「お父さん、どうして」
「どうしてって? ああ、なんでいないかって」
「んっ」
深緑は頷く。
なんでいない……か。考えた事も無かった。物心付いてからお母さんからは「いない」としか言われて無いし、それ以上にお母さんに突き付ける事も無い。今だったらちゃんとした答えをお母さんから聞けるかもしれないけど、やっぱり事実は変わらないから聞く事がない。
本題に戻る、なんでいないか。
「嫌い……だったのかな」
「どっち」
「唯川家が嫌いだからいなくなったの、かな」
「…………」
悲しい理由になってしまった。優しい理由にしたかったのだけど急に発想が出るような脳をしていないから考えてない想が口に出た。自分がゴミすぎる、一滴深緑の目から涙が出てしまっている。泣かせるような事をしたくない俺が『女』の子を泣かせている。
「ご、ごめん。考えた事無かったから勝手に言っちゃった」
「嘘」
「嘘、そう嘘。あー嘘っていうか……」
「――ごめん」
逆に撫でられてしまった。俺の髪質は硬いぞ、元は『男』だし、髪解かして無いし。それと深緑が先に泣いてたんだから俺が撫でるんじゃないのかこれ。色々複雑な心情ばかりなのだが自分。
――無表情で泣く深緑は見たくない。
※ ※ ※ ※
一ヶ月とちょっとぶりに自宅に帰ってこれた。車は止まってるからお母さんは未だ土曜日を休みとしているようだ。庭の手入れもしているようだし、俺がいなくても日常的にはしているらしい。お母さんも意外とボケ役にハマっているから困る、俺にツッコんでくれる人物はいつか来るのだろうか……ニカエルくらいか。
「玄関の鍵、鍵っと――」
忘れないで持ってきた自宅の鍵を鍵穴に刺して捻る。カチャッと軽い音が鳴って解錠され中に入る。やっぱり自宅というのは安心、玄関の芳香剤がそれを示している。
「さぁ入って」
「んっ」
深緑とは違って一人でスーッと何処かに行ってしまうような人じゃない、ちゃんとリビングまで案内する。扉を開けて久々にリビングを拝む。
「しゅ、主人!」
「……あぁぁぁぁぁらっっっっっ」
最初に見た光景はお母さんが人間状態の猫子と喋っている状態。そしてタバコを吸っていて猫子は煙管で吸っていた。それよりもミニテーブルも設置してガラスの灰皿も購入して何本も吸い殻が突き刺さっている。
「あんたら……"俺"が居ない間こんなに部屋を臭くしやがって……」
「き、急に返ってくるのが悪いじゃない……どしたの?」
忘れていたけど猫子、お前はさっさと猫に戻ったほうがいいし、これじゃ深緑にも見せられない。しかし、準備が出来ない以上深緑を入れるしか無い。
「ほら、例の子。連れてきたよ」
「おー? おーん……?」
お母さんがその場で顔を左右に動かしているのは何故かと思って後ろを見てみたら深緑は完全に俺の後ろに隠れてしまって見えない状態になっていた。そういえば、元は深緑こういう子だったな……暫く一緒だったから性格も忘れてしまっていた。
「――無理」
「大丈夫。変わり者かもしれないけど……まぁ、前出てみて」
前には出なかったものの顔だけを覗かして何とかお母さんの顔は目視出来たようだ。深緑を見なくてもお母さんの表情がニヤついてたから分かった。
「どーも、奏芽のお母さんでーす」
「――深緑」
言葉を交わせただけ俺は十分だと思う。
「それで奏芽。急に来てどしたの?」
「一日泊まろうかな……って?」
深緑は服の裾をぐっと掴んで「話聞いてない」と小声で言ってきた。そりゃそうだ、言ったら深緑は絶対に反対するに決まってるじゃないか。「今日は寝泊まり」と自分も小声で返す。少し不満そうな雰囲気を出したけど妥協してくれたようだ。
「まぁ泊まるんだったらいいけど、時間まだまだあるよー? 昼だし」
「うん、だから夏風町を案内」
それまた聞いてない。という感じで深緑はまた裾を引っ張る。たまには深緑を雑に扱ってみたくなるものだ。一つ一つの反応が可愛く感じる。まぁ――やりすぎない程度にはイジってみる。
「じゃあ深緑ちゃんが寝泊まり出来る場所は作っておくから出掛けて行きなさい」
「うん。行こっか」
「んっ」
深緑は頷く。
冬の夏風町もまた良いものが見れるかもしれないぞ、深緑。
「――ッ」
「あ、くしゃみした」
深緑は目を横に逸らす。
やっぱり秋空市より夏風町の方が寒いか。
「主人待て」
久々に聞いた声だ。時折猫子は人間になっているのだが、今年に入ってぐらいから自分で猫から人間。人間から猫へと転換が出来るようになったらしい。会話をする時だけ転換するように言ってるのだが、これを見るとお母さんは息子(娘)への会話が少なくなったから猫子を相手に会話をしていたのだろう。
「余は後で甘えていいのか?」
「うん、あっちの姿でね」
承知した――。と言葉に出して行ってしまった。
相変わらず古いな、猫子は。少しは現代の言葉を使えるようになったのだろうか?
「誰」
「あれは猫子――」
俺は口を閉じた。ダメだダメだ、猫子は猫だとは言えない。三人家族とも言えば良かったけどまさか猫子が人間の状態で家で過ごしていたとは思わなかったから理由が考えつかない。
「猫子」
「そうだ、たまに遊びに来るんだ」
「主人」
「主人は……アイツの口癖だ」
本当、ウチの家族の訳は他の人には話せんな。性転換の出来る『男』と、カメラマンの母親と、仮住まいなのか許嫁として置いているのか分からない妹風な天使と、何故か人間になれる猫……これで見ると常識人は一人もいないように見えるな。物分りがいいのはお母さんか。
「…………」
まぁ、深緑に何言っても信じては貰え無さそうだな。
「外出よっか」
「んっ」
久々になるが、夏風町案内。二度目になる。




