40話 次、『女』は母に問う
夕飯を頂いている。タルタルが苦手なの? と聞いてきたけど、理由はチキン南蛮だった。その上に少し甘めのタルタルソースが乗っていてとても美味、甘い物が好きな深緑に合わせたのだろう。そして深緑のお父さんが作ったのであろう和食が並べられている。因みにお父さんは既に料亭の夕飯で終了して席を外している。それで良し、津軽弁の『男』はお風呂入って寝にでも入るのだろう。
「茶碗蒸しと煮付けと味噌汁だけやけど大丈夫? あと、深緑が買うてきたとんかつ」
「十分です、とても美味しいです」
この三つだけでも多く感じる。深緑が作る料理より美味しい……とは思ってはいけないのだろうけど俺はこの味は好み。俺もこんなお父さんが欲しかった……実の父は見たことないけど。
チキン南蛮は作ったから文句は言えないものの、とんかつは必要無かったんじゃ……色々と計画滅茶苦茶なのはどうなのだろうか。揚げ物と揚げ物に和食で食べすぎてしまうぞ。
深緑のお母さんも落ち着き、席に座る。
「部屋入ったらリバーシで遊んでたんか?」
「はい、深緑強くって一回も勝てませんでしたよ」
何戦も深緑に挑んで勝てなかった。深緑もかなり変な所に置いて後々その置き石が輝いたり、いつの間にか角四つ取られていたりと自分散々の結果だった。深緑の目を追って何を考えているのかも察してみようかと試みたが、そもそも行動自体に目も動かさず読めなかった。
「そらそうよー、深緑有段者やから」
「…………?」
深緑のお母さんが指を差したのは表彰状?
「リバーシ名人戦小学生の部、第一位……厩橋深緑⁉」
「せやで、深緑はリバーシ名人やで」
驚いた。深緑はリバーシの公式大会で優勝してるんだ。しかもその小学生の部の賞状の隣に中学生の部の優勝した賞状もある。……どうりで一度も勝てなかったのか。もしくは俺が弱すぎた可能性もあるが、これは凄い賞状だ。
「因みに翠は……何やったっけ?」
「もーヒドいな、チェス!」
翠ちゃんはチェスが得意なのか。チェスはやった事ないから翠ちゃんとは勝負が出来ないな。自分はテーブルゲーム類を持っていないからルールを覚えられない。リバーシと将棋位ならおじいちゃんの家でやった事あるぐらいで少しは真面目に出来る。
「深緑、後で食べたってええんやよ? マフラー汚れるで」
「大丈夫」
「ほん言うならええんやけど……」
「んっ」
マフラーの事は家族に話として触れられるものの、普通通りとして受け取られている。こうも普通通りにされると気になってくる。深緑の部屋で確認した写真を見ると、小学生と中学生の時には付けていないのに、高校入学の写真にはその水色のマフラーは付けている。この中学生から高校入学の間には何があったのだろう? どうせ深緑に聞いてみても分からないし、前にいる深緑のお母さんに聞いてみても既に先手打てられて深緑に口止めされている。
――まぁ、いつか見せてくれるだろうと期待はしている。
「……ご馳走様です」
「綺麗に食べよったねぇ。――奏芽ちゃん後で」
耳元で後で来て欲しいと言われてしまった。深緑の実の母に呼びつけられる『男』――ならぬ、『女』か。正直に言うと友達抜きの母親と一人会話するって恥ずかしい気持ちになる。
「眠い」
「おっと――寄りかからないで、わたしがお風呂入ってる間眠ってなよ」
深緑は頷いて自分の部屋へと行ったようだ。
……さて、俺はしばし、ようやくな一人の時間を過ごすとしよう。
※ ※ ※ ※
「なぁニカエル。お前だったら今頃、俺に何を言ってるんだろう?」
湯船に浸かり、天井を見てスマホに閉じ込められているニカエルの事を思う。
腹、空かしているのだろう――。
寂しくしてるのだろう――。
暇してるだろう……。
「考えるだけ何かろくでもないな……」
なんだかんだ言ってニカエルはスマホ内部にお母さんから買ってもらった食料を貯め込んでるし、前に「ペットボトルを入れ込んで電子基板ショートしかけた」とか言ってたし、あちらでの生活も出来ているのだろう。ただワンルーム並に狭いらしいけど、今俺が深緑と過ごしている部屋に比べれば広い物だ。
「……っていうか、『男』に戻りてぇ……」
スマホを取られてしまっては『男』に戻れないのが、残念だ。『女』の状態でいると自分の体のハズなのに自分の体ではない"否"感が出てしまい、イライラが積もってくる。どれだけ俺はニカエルという存在に依存していたのかが分かる。というより現状は依存せざるえない存在であるからだ。櫻見女に通ってる限りは……。
そういえば、入学初期に考えていた性転換をバラす事によるリスクは未だ出ていない。危なかったシーンは無いとは言えないが覚えてない事ばかりだ。三人……名胡桃さん、朱音、神指さんと次々に俺が『男』や『女』に性転換出来るとバラしたが、悩んだり驚かれたりされたけどそれなりに受け入れられている。という事は案外全員にバラした所でリスクは無いのでは? と思われがちだけど、少し不信じゃないといずれボロが出る。――人間以上に怖い物はない。
「…………」
ピピーッ――
湯沸かし電子板から声が出る。
「奏芽ちゃん、はよでーな。話あるで」
深緑のお母さんに急かされてしまった。
一人になる時間が少なかったから自問自答タイムが長くなってしまった。出て、深緑のお母さんの話を暫く聞くとしよう。何の話を聞くのかは分かってないけど、深緑の事に関してというのは絶対だろう。
「はーぁ、出るか」
『女』の体で湯船に入ると長風呂がしたくなる。
下半身への血液の流れ方が違うからか?
――パジャマの準備とかされてるけど、今日寝泊まりするんじゃないよね? 話が深緑側に上手い具合に行ってる気がするんだけど。一応着替えてリビングに向かうとしよう。
「相変わらずピッタリ……」
廊下で全体を舐め回すように見ても、実は深緑と瓜二つなのでは? と思うほど身長差に問題が出てない。胸辺り位は悔しいぐらいにブカブカだけど、俺はそんなの絶対に気にしないからな――。
リビングへの扉を開けると椅子に座って待ってたと言わんばかりに俺を見ていた。まぁ……そんなに期待のある話でも無いだろう。俺は深緑の友達としても日が浅い。
「あ、忘れとったわぁ。奏芽ちゃん椅子座っててな」
「はい」
椅子に座って待機していると、今日買ってきたホールケーキをカットしていた。ひとかけら分無くなっていたから翠ちゃんは頂いたのだろう。……ところで、翠ちゃんもさっきまでテレビ見てたのに自分の部屋に戻ったのだろうか? ……本当に深緑のお母さんと二人っきりか。
お皿にケーキを乗せて俺の前に出して深緑のお母さんは自分の前の椅子に座る。
「奏芽ちゃん、本当は『男』ちゃうんか?」
「うえっ⁉」
何故バレた。――いやいや、当てずっぽうで言ってるだけだろう。何せ関西人は冗談好きと聞いている。
「違いますよ! ゼンゼン!」
「ホンマかいなぁ? 股の下に隠しておらん?」
「いいっ……⁉」
自分はスカートの上から股に手をやる。触った所で膨らみも無く、ただ綺麗に局部が腹に向かって繋がっている。
「ふふっ、ごめんなぁ。何となく奏芽ちゃん『男』っぽいから冗談けしかけてもうたわ」
「ふぅ……ぁぁ、バレたかと思った……」
何かここからバレる要素でもあるかと思ったが、名胡桃さん程の察観力はこのお母さんには無いだろう。どうもこうも、真面目な人っていうのはいないな。秋空市には……。
「ほんで、ケーキ食べ進めながら聞いてほしいんやけど」
「はい」
さっきまで笑っていたのに、深刻な顔になる。
「志苔って、奏芽ちゃん知っとります?」
「……志苔、深緑の友達の?」
そう日曜日、昨日の夕方に銭湯で会ったあの志苔と言う奴だ。深緑に暴力を振り、汚い言葉を放って野良犬のような扱いをした。目の前で友達が侮辱に晒されて、自分が憎まない訳がないし、忘れない。
「奏芽ちゃん知っとったか。……なんで深緑と一緒に住んどるかは聞かん。深緑の母親として奏芽ちゃんに言いたい事があるんよ」
「なんです?」
「……深緑を志苔から守って欲しいんや」
「はい――」
まさか単刀直入にお母さんの方から頼まれるとは思わなかった。言われなくともそのつもりではあったが、こう言われるとますます正義感が強くなる。
「今日、奏芽ちゃん見て分かったんや。深緑があれほど親しなってるの初めて見たで。奏芽ちゃんは初や」
「だから頼めると?」
「せや」
あまりにも素早すぎる「せや」に言葉が詰まる。この家族は深緑の感情というのが何らかの方法で見えているのだろう。自分もいつしかその方法が分かる日が来るのだろうか。……自分は親しいという関係に近くないと思っていたが、もう深緑はそこまで関係性は強いという事か。
……自分は次に聞きたい事をお母さんにつきつける。
「聞きたい事、あるんです。いいですか?」
「奏芽ちゃんに言えない事多いんやけど……範囲内ならええよ」
先程も、深緑から口止めされている事も発覚したし、話せる範囲はとにかく聞き出してしまおう。
「深緑がマフラーしてる理由って――」
「あーそれは言えんなぁ。深緑がおらへんからって同じ質問はアカンよぉ」
「やっぱり駄目ですか」
「ただ、隠してる。としか言えんね」
個人的に一番に聞きたいのはそれだったのだけど、隠してるという事だけ分かって一歩進んだ。……って、隠したいからマフラーを使ってるだけで、それは普段から見えている事で何も進んでいない。深緑のお母さんから聞けただけで進歩したと思ってる自分がちょっと馬鹿っぽかった。
「じゃあ、深緑と志苔の関係は……深緑は何も言わなかったんで」
「うーん、何も言わんかったんか……」
少々苦しい顔をして深緑のお母さんは言うべきなのか、言わないでおくのかと悩んでいるようだ。黙秘の基準は深緑が俺に今まで言ったのか。言わなかったのかで決まっているようだ。別に深緑は家族に対してはマフラーの隠れている部分も、関係性も言っているようだが部外者に値する俺や第三の人物には言ってない事が多いよう。自分も言ってない事が多いからアレなのだが、バレたら大変な事にはなる模様。
「ええわ。中学生の時の友達なんよ。――友達っていうのもおごまかしいけどな」
「でしょう、ね」
「深緑の唯一の友達でもあるし、深緑から離れようとしてもあっちから近づいてくるしで中々な」
――言葉を選んで話してくれた。
深緑と志苔の関係は友達……と言っても怪しいくらいだが、中学生の頃に一人だった深緑に近づき声を掛けてくれ、そこから友達になったと。始めは優しい子だと思っていたのだが、深緑のお小遣いの強請りが多くなった時位から怪しく感じて後を追ってみたら深緑をパシリに使ったり、金銭を深緑から受け取ったりする光景を見た。次第にエスカレートして――
「……あっと、アカンな。志苔の話はここまでや」
「いえ、十分です。十分、許せない行為ですから」
「委員会にも問い合わせたりしたんやけど、志苔本人自身が認めん所があったから何にも発展しないんよ……だから守ってやることしか出来ん。そこで奏芽ちゃんや」
質問での内容の薄さで解せない所もあるが、深緑を守るというのは決心した。
「……わたしが必要なのはわかったんですけど、深緑が一人暮らししてるのは?」
「それも志苔から守る事に必要な事やから、深緑をあえて一人にしたんや」
「どうして?」
「中学三年の頃に、家によう遊ぶことも多なって、深緑が初めて志苔に対して「嫌だ」言うて櫻見女の受験の時に「一人暮らししたい」言うたから守備の一つやと思うて許したんや」
「本人、寂しくしてるみたいですけど……」
「しゃあない、我慢してるんや」
「…………」
我慢するほどに深緑は志苔という存在に怯えている。
しかし……俺は前に深緑が電車で言った言葉を思い出す。
「嫌いな人、いない」と深緑はそう言った。深緑がどういう心情で言ったのかは分からないが、志苔は嫌いではない……という事にはなってしまう。
――矛盾。深緑のお母さんが言っている事は正しいのかもしれない。でも、深緑の言葉もまた正しいのかもしれないが……。俺の中ではとにかく「嫌いな人がいない」という言葉が引っかかり続けた。
「あ、もう十時や。はよ寝んと明日起きれんくなるで」
「はい、ケーキごちそうさまでした」
「奏芽ちゃんが買うてきたんやろって。逆にごちそうさまや」
「はい、おそまつさまでした。おやすみなさい」
「おやすみなぁ」お母さんの笑顔を見た所でリビングの扉を閉める。宜しくされた所で志苔から守ると言われても一体、自分は何をすればいいのだろう。根本的な事さえすっ飛ばして「はい」と考えなしに言ってしまった。
ガチッと何処かの扉が閉まる音が聞こえる、そしてトイレの電気が付いている。
「……スルーしても存在感だけはあるんだよね、深緑」
「…………」
金具が軋む音を廊下に響かせ、トイレの扉が開いて深緑が顔を出してくる。本当は翠ちゃんかとも思ったが、やっぱり深緑であったか。
「部屋、布団」
「深緑の部屋にわたしの布団があるのね」
というか、完全に一泊する気になっている。
階段を登りながらも深緑の目が若干俯いているのを見て、深緑に問う。
「もしかして……聞いてた」
「…………」
「わたし、怒らないから正直に」
「んっ」
やっぱり……。
「何処から何処まで?」
「志苔の事」
話の主題を殆ど聞かれてしまったみたいだ。まさか深緑が起きてくるとはお母さんも思ってなかったのだろう、予想外な事が起きるとはだれも想定してなかった事、だから予想外なのだ。一手か二手先の僥倖な手だって出て来る事もあるものだ、リバーシで言うとな。
部屋に入る前に深緑が肩を叩いて来る。後ろを向いて深緑を見る。
「――宜しく、お願い、します」
……初めて深緑が俺に頭を下げた。これで晴れて矛盾という物が無くなり、電車で放った言葉は嘘だという事が分かった。まだ深緑の真意というのを見れてはいないけど、これで自分も大きく深緑と親交度が大きく上がったという訳だ。
「唯川奏芽、がんばります……」
俺は深緑の頭を優しく撫でる。




