38話 櫻見女の帰りの『女』はケーキ屋を知る
昼休み――
深緑はパカリと弁当の蓋を開ける。
一方で俺は腹の虫が鳴る。深緑は一人でお弁当を作って持っていたのは構わないんだけど、朝ご飯は俺がスクランブルエッグを作って食べたのでそれで我慢しなくてはならないのか。これでは午後には飢え死になってしまう、これは困った。
「どうしたのですか? 奏芽さん」
こう声を掛けてくれた天使は名胡桃さんだ。奇跡的にお弁当を持っているのだが、生憎ここに持ってくる人等は一人用のお弁当であり、せっかく声を掛けてくれたのにも関わらず俺は断りを入れなくてはならない。
「わたしはお弁当を持ってきていない……でも、申し訳無いけど名胡桃さんは一人で食べてよ」
「私、まだ何も言ってないのですが――」
「…………」
そうだった、ただ単に名胡桃さんが「どうしたの?」と声を掛けてくれただけで、本題には一つにも入っていなかった。ただ俺が言いたい事を名胡桃さんに言っただけで中途半端な空気になった。
「お弁当……欲しいのですか?」
「ん、まぁ――えへへ」
「どれが欲しいですか?」
「じゃあ、これ」
ウィンナーを二本貰って、口の中に放り込んでありがたみを噛み締める。うーん、ベーコンな味が広がるけど多分朝食にベーコンエッグでも食べて、その残りの油を使ってウィンナーを炒めたのだろう。とても美味しい。
「奏芽くん、もしかして……お弁当が無いんですか?」
「その笑顔はなんなの……」
秋の事があってから神指さんは俺の事を奏芽"くん"と呼ぶようになった。最初に『女』の子で奏芽"くん"と呼ばれた時は色々と焦ったが、それを呼ぶのは神指さんだけで他のクラスメイトからは何の事も無く自然な感じが生まれた。今となっては何も気にする事なく神指さんのわがままに従っている。――この頃ドジが増している気もするけど、これが彼女の個性だから何も気にすることはない。
「私がこれあげますっ。どうぞっ」
「あのー、ごめん。わたしニンジンは……」
生憎、そのニンジンが苦手だ。しかもとびきりデカいし、色もテカテカしていて気持ちが悪い。どうして中心もそんな明るいオレンジをしているのやらか。ニンジンはいつまでも嫌いだ。
「駄目ですよ、好き嫌いはー」
「うん、だからそれは駄目」
少ししょんぼりした顔をして別のを選ぶ。
「じゃあ、キャベツ!」
「オナカにタリナイモノばかりダヨー」
今回の神指さんには期待出来なかった。でも二人のありがたいお弁当のおかず分けで少しは満たされるようになった。これで午後は耐えられそうだ。
※ ※ ※ ※
放課後――
ベランダで新鮮な空気を吸って皆が帰るのを待つ、深緑は最後まで居残って皆の様子とやらを見ていたらしい。俺は直ぐに家に帰りたいが為に名胡桃さんと朱音の準備が済み次第直ぐに帰っていったから深緑の事など目にも留まらなかった。
窓のローラーが走る音が聞こえてそちらを見てみると名胡桃さんが顔を出していた。
「奏芽さん、帰らないのですか? それとも、何かもう巻き込まれてますね?」
「……察しがいいね、相変わらず」
「癖、出てます」
「はーぁ」
以前、指摘されたのは「左手で鎖骨を触る」……だっけか? 確かに鎖骨に沿って触ったり、掻いたりするけども、そんな癖を見抜いているのは名胡桃さん一人だけだった。朱音にさえ言われてない事を一発で見抜いてしまう名胡桃さんの察見は恐ろしい名胡桃さんの癖だ。
今までの事を名胡桃さんに話す。
「それは災難ですね」
「まぁね、もう四度目位の災難だけど――」
「三ヶ月、本当に厩橋さんと一緒に?」
「うん、わたしは深緑と過ごすよ」
そういうと名胡桃さんは少し悲しそうな顔をする。
「私が寂しいですね……」
「今までそうだったもんね、二年生迄は我慢だね」
「二年生……ですか。ずっと一緒……ですかね」
「あ……」
そうだ、クラス替え。櫻見女では人との交流を大事にしているから学年が上がるとクラス替えが発生する。二年生に上がる時も三年生に上がる時もこの最悪だと言えるイベントが発生するから何とも言えない。出会いあれば別れもある、出会いは嬉しいものだけど別れは悲しいものだ。名胡桃さんとは通学路は一緒でもクラスでは一緒になれない可能性が高い、少しでも俺と一緒に通学しクラスメイトとして過ごしたいのだろう。――そう思うと、俺も悲しくなってくる。
「大丈夫です、奏芽さんがそう決めた事なら私は文句言いません、私も……奏芽さんに救われた事多いですから」
「名胡桃さん……ごめん」
「謝る事ありません、私は――」
「シロち~ん、そんなベランダで中二病ってるバカ奏芽放っておいて早く~」
「奏芽さんのお陰で友達、増えましたから」
振り返って白い髪を軽く揺らし、俺に手を振る。
返り際に見せた楽しそうな顔で俺も安心する。
――最後、俺と深緑の二人が残った。深緑は席に座ったままで正面の黒板を見ていた。何処を見ているのかは定かではないが、ボーッとしているだけだろう。
深緑の目の前に立つと俺の顔を見る。この場合に顔が上がるから口が見えるかと思ったらマフラーもくいっと上がって口が見えなかった。ちょっと悔しい。
「深緑、帰ろう」
「ケーキ」
――チッ、覚えていたか。今朝の話を。
ワンホールケーキだったか、まぁケーキ屋さんだったら安いのもあるだろうから大丈夫だろう。何かしらの雑談はあるだろうけど、全て受け流してとっとと今の住込になってる秋空市に帰ろう。
深緑はカバンを持って立ち上がり、下駄箱へと向かう。
「案内」
「ケーキ屋さんね……はいはい」
秋空市でのケーキ屋さん購入も無しになった。次から次へと俺の考えている一手を打ち込ませないように先回り。俺ってそんなに考えている事読まれやすいのか?
「深緑はわたしの友達と仲良くならない?」
「どうして」
「どうしてって、仲良くなりたいんじゃないの?」
「…………」
何故知っているという感じでこっちを見ているけど、君はそれを酔ってその言葉を吐いたんだからね……まぁ酔っている間の記憶など知らないから「どうして」なんて言葉が出るのだろう。とても昨日の酔った深緑とは思えない言葉であるな、今は。
「深緑がその気になったらわたし紹介するから」
「…………」
深緑は頷かなかったが、まぁ聞いてはくれただろう。
深緑のペースに合わせなくては、いつ癇癪起こすか分からないからな。下手してまたコーラ飲むような事でもされたら俺が困る。あんな深緑を外に出したらどんな事が起きるかも分からない。
……下駄箱にいるのは墨俣さんじゃないか。
俺の姿を捉え次第、誘導付きのミサイルみたいにこちらに近寄ってくる。
「唯川さん……と厩橋さんでしたっけ? ごめんなさい、有紫亜を見なかった?」
「いや、見てないです……」
深緑も顔を横に振る。
「そう、気をつけて」
「はぁ――」
墨俣もそっけない態度にもぽかんとしてしまったが、自然に後ろに隠れてしまった深緑にもぽかんとしてしまう。そこまで対人恐怖症だとは思わなかった。クラスメイトだぞ……。ここ見る途中には有紫亜は見なかったけど、別に有紫亜も一人になるような事もあるだろう。そこまで気に掛けなくてもいいと思うのだけども……。
「ケーキ」
この言葉で結局考えている事もすぐに頭から離れる。
君は考える暇も与えないで君のわがままに答えなきゃ行けないんだな、俺は。
歩いている間も俺から離れずに移動はするが、相変わらず何を考えているのかは分からない。だけど少なくとも俺を友達と捉えているとは思うけど、この扱いだし……もしかすると、何も考えてないのか?
「ケーキ屋」
商店街の中まで入ってケーキ屋さんを見つけたようだ。どうやらケーキ屋は開店しているようだ、この日ぐらい開店しなくてもいいのに開店している。休みは水曜日だけど月曜日くらい休んだっていいんじゃないのか? ケーキ屋のお姉さんよ。本名は未だに聞いたことないけど一生聞くことはないだろう。俺にとってはお姉さんだから。
ドアを揺らし、ドアの角に付いているベルを鳴らして中に入る。それを聞きつけて紅茶のボトルを持って頭巾のせいで髪の毛を直接掻けず、頭巾を手で動かして擬似的に掻くお姉さんが現れた。奥で寝てたのかエプロンの肩紐もズレている。
「いらっしゃーい……あれ、奏芽くん……」
「眠そう……ですね」
「そう、寝てた」
「しっかりしてくださいよ……」
相変わらずマイペースなケーキ屋のお姉さんだ。櫻見女の生徒から良い人見つけてバイトを雇えばいいのにお姉さんはこの調子だもんな、面接もちゃんとやらなそうだ。……ついにはケーキケースからも離れて店の角に小さく設置しているテーブルと椅子に座って足を組み、あくびをする始末だ。
お前、本当に働け。ケーキを作る腕はいいんだから。
「そんで、何しに来たの? ワタシもう一寝したいんだけど」
「いつもと違って自分のペースも崩れそうッスよ……」
いつもなら「あんらぁ! 奏芽くぅん! また『女』の子連れてぇ!」とか良いそうなのにローテンションすぎてヤバい。お姉さんの寝起きは派手ではないのだな。
「……お? 奏芽くぅん」
「うーわっ、直ぐにいつものに戻った……」
テンションの上がり下がりが酷すぎる。古典的なB型だな、これは。
「いらっしゃい、ケーキは何が良い?」
「…………」
ずっとケーキケースを見ていた深緑はお姉さんの言葉など聞かずただワンホールのケーキを見ていた。約束の物は確かにそこだから、ただ一点を見ていた。……ホワイトクリームで誕生日プレートの付いたお姉さんお手製のケーキ。
「あ、分かった。今日誕生日?」
「…………」
深緑は違うと首を横に振り、そのホールケーキを指差す。
俺には理由は分かった。その誕生日プレートの付いたケーキが一番デカイからだ。七号ケーキ、直径二十一センチの店で販売するギリギリサイズ。ここまで来たら予約が必要なサイズだと思われるのだが、お姉さんの店では普通に売っていた。お値段――九〇〇〇円。
「それ買うぐらいだったら、二日待つけどウェディングケーキとか――」
「――ウェディング」
お姉さんが指差すのは「予約必須! 特注サイズ」と書かれた紙だった。予算五万から一〇万と書かれてるけど俺達学生が買える値段じゃないし、そもそも一人で食べるサイズじゃないだろウェディングケーキって。ちゃっかり深緑も反応してるけど絶対に買わんからな。……というか、ウェディングケーキ二日で出来るんかい!
「深緑、七号ケーキでいいね?」
「でも」
「でもじゃない、五万円もわたしが出せる訳ないじゃない」
「…………」
渋々頷いたようだけど、ウェディングケーキなんて絶対に祝賀会の時以外に買ってはいけない。それと、深緑の部屋のテーブルにずっしりと置かれても困るんだけど、あんなデカいケーキ。二人で何日分だと思ってるんだよ。
「YKが買うの」
「そうでしょ? ……そういう約束で来てるんだから」
こちらも渋々だけど、今年のお年玉で貰った一万円をこの場に出す。七号は九〇〇〇円だからとりあえずお釣りは出てくる。残り千円でも深緑との約束は約束だから守ってやらないと『男』として廃れる。
「奏芽くん、まいどごひいきに! あ、そうそう。保冷剤で千円だから合計で一万ね!」
「…………」
最初から一万円を見せるんじゃなかった。
こうやって俺の一万円は直ぐに無くなった。
店を出ようとした時に思いっきりお姉さんが俺に被さる。
「それで、女装好き奏芽くん。あの『女』の子は?」
「やっぱり聞きますか……」
幼少期から俺を見ていたお姉さんにとって朱音以外の『女』の子には興味がありありのようだ。俺の姉代わりとなっていたケーキ屋さんはとても面倒な存在だ。
俺がお姉さんと言うには理由がある。実は幼稚園や保育園に通う事が無かった俺はお母さんが本当に帰りが遅い時(当時はいつもだったが……)ケーキ屋さんに置かれる時が多かった。だから義姉として言われる存在でもあるのだ。……商店街ならではの付き合いではあるが、そのせいで微妙な嫉妬があるのだろう、お姉さんにも。
「お姉さん興味があるなー」
「別に意味深な関係じゃないですよ、気にしないでください」
「冷たいなー奏芽くんは。でもワタシはいつでも大歓迎」
「何にですか……」
「別に。ありがとうございましたー」と俺を蹴り出して店のドアを閉める。
深緑は七号のケーキを持って少し嬉しそうだ。無表情だがそういう感情は受け取った。――俺も帰ったらそのケーキを食べてみるか。七号でも味は変わらないだろうけど、久々に食べるからだ。あの変な性格さえ無ければお姉さんのお婿さんは何人も来ると思うんだけどなぁ。
「帰る」
「帰ろう、今日の夕飯は?」
「とんかつ」
揚げ物……なるほど、美味しそうだ。何故なら商店街のコロッケ屋のとんかつを買うからだ。別に深緑の料理が嫌いという訳ではないが、商店街で買える物はここだけだから深緑にも商店街の味というのを味わって楽しんでほしいと思ったからだ。




