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この中に『男』が一人います!  作者: TASH/空野輝
第四章 厩橋深緑
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35話 『女』は深緑を観照する その2

 まだ慣れないものの十二時には何とか眠りに付いてまた深緑に起こされた。セグメント表示のデジタル時計を確認すると七時ピッタリだった、今日が日曜日とは思えない程の早起き。体が脳について行かず動きが硬い。そもそも七時なんて平日に起きるだけでいい、学校が休みの日くらい八時起き九時起きでいいんだ。……そう深緑に言っても七時に起こすんだろうけど。仕方の無い子だ。


「今日の朝食は何ですか? 深緑ちゃん」


 立ち上がって体をほぐす時間を使って深緑に質問する。手で「おいで」されて確認しに来いとジェスチャーを送られている。冷たい床を足全体に当たらないようにかかとを浮かせて歩き、キッチンに向かうと昨日の夕飯だった鍋の残り汁にご飯を入れている。


「雑炊」

「これっておじや――」

「雑炊」

「いやいや」


 俺の軽い発言で口喧嘩が勃発する。


「汁気が無いし、鍋の味は醤油味だったでしょ?」

「でも、雑炊」

「雑炊はなんか……もっと綺麗だから」

「それ、リゾット」


 遂には雑炊、おじや、リゾットを交えた三大ご飯入汁料理となってしまった。そもそも朝から頭が回らない俺が悪いと言えば悪いのだが、何故か名前で譲れない所があって深緑と口喧嘩してしまう。結果としては「おじや」より「雑炊」の方が正しいのだが、唯川家では鍋の残り汁で作る料理は「おじや」として決定されている所もあり、捻じ曲げは良くないのだ。

 ――最終的な結果としては


「"お"雑炊は美味しいですね……」

「美味しい」


 謙譲語となる部分がおじやの「お」だ。二つを組み合わせる結果となってしまった、深緑が怒ってしまったので頭を撫でて沈静させ、俺が負ける結果となった。でもどちらにせよ「雑炊」も「おじや」もご飯を使った汁物料理には変わらないのでネーミングだけ気に留めて美味しく頂く。残った鮭の骨も丁寧に取ったのか喉に引っ掛かる物が無く一杯食べ終わった。


「満足」

「朝におじ……雑炊の一杯は美味しいね」


 昨日は無かったお茶も出して頂いて本格的にもてなしを受けている。というか既に二泊はしているがこれから何泊もしなくちゃいけないから深緑との生活に慣れておかなくては。――正直に言うと今の所何も楽しくないし、今日家に帰りたい。


「深緑の休日はいつも家なの?」

「用が無い」


 朝早い割に深緑は行動が無い。昨日のスクーターの件も買い物に行きたいだけだったし、インドアな部分が目立つ。俺の夏休みを見てみろ、殆ど外で遊んでたぞ……神指さんの所に遊びに行ったのが大半だけど。それと、湯のみにストロー突っ込んで飲むのやめなさい深緑。


「わたしにこの街を案内してよ、息抜きしよ深緑」

「…………」


 何も言わないという事は面倒らしいな。


「翠ちゃんは、今日遊びに来ないの?」

「…………」

「来ないん……ですね」

「…………」


 深緑はお茶が進むようです……。


「深緑、にらめっこしよう」

「やる」


 ガッツポーズを作って急にやる気になったようだ。ただ暇だから適当に遊びの提案をしてみたら活きの良いブラックバスのように釣れた。というか深緑が笑うのかどうかも怪しい点で俺が勝てるかもどうかも分からない。はたまた深緑がどんな変顔するのかも分からない。むしろ見てみたい程だ。


「にーらめっこしーましょ、わーらうとまけよー」


 俺は定番に頬を膨らませているが、ただ必死漕いでたのは俺だけで深緑は顔一つ歪ませない、というよりマフラーで口も見えないし、俺が見る点は鼻もしくは目になっていた……これ勝負着くのか?


「…………」


 もしかして勝負が着かないのが狙いなのだろうか。ただ顔を変えず、にらめつける――とも言えず無表情で湯呑みを持ったままこちらを見ている。


「あの、ごめんなさい……」

「…………」


 深緑はガッツポーズをした割には顔一つ変えないのはどうかと思うんだけど、にらめっこで笑う事も出来ず謝ってしまった。


「深緑、もしかして……笑った?」

「笑ってない」


 一応確認をしてみたけど今確認をしてみてもマフラーで口元は見えないし深緑が声を出して笑った所も、感情的になった所も見たことがない。昨日も妹の翠ちゃんがやってきたけど、翠ちゃんにとっても無表情の姉が普通なのだろう。姉妹で対照的なのも不思議だ。自分には妹も姉といった兄妹関係が無いから違いというのが分からないが、現実厩橋姉妹を見ると姉妹というあり方に深く考えてしまう。




          ※  ※  ※  ※




 日曜日、午前十時――


 夏風町と違ってここは海に近くないから風が運んでくる匂いがやや違う。別に俺は鼻が利くワケじゃないが、大きく違うのが潮っぽさが無いのと、朝の澄んだ空気感が出ていない。と言っても秋空市は都でもなく深緑が住んでいる所は郊外で自然の緑が目に映る。じゃあ森林特有の匂いが鼻に刺さってくるのか? それは違うかもしれない。そもそも匂いを言葉や食べ物で表現するのは新築やクリーニング済みのマンション・アパートの匂いを伝えてみなさいと言ってるようなものだ。……簡単に言うと街特有の臭さ、だろうか?


 深緑に連れられて来たのはスーパーマーケット。昨日の鍋(冷蔵庫の余り物?)で食材を使い果たしたのか、スーパーのATMでお金を引き出してカートを持ち出して一つ一つ買う物を確認してカゴに入れている。牛乳にヨーグルトにバター。回った所が悪かったからか見事に乳製品だらけ。


「――はっ」

「ん?」


 深緑は何かを見つけて奥の棚へと移動していく。バドミントンで綺麗な円を描いてやってきたシャトルにスマッシュで打ち込んだような速さで棚へと突進していく。そんなに急いでも〈契約の結界〉が発動するのだから無理なのだが。深緑の後ろを追ってゆっくり歩いていこうかな。


「おわっ――⁉ あああァァっ⁉」


 〈契約の結界〉についておさらいしよう、〈契約の結界〉は俺――唯川奏芽と天使のニカエルとの俺が『女』になる代償で張られた結界で15mしか離れられない。もし15m以上離れようとすると中心に引っ張られるように結界に少し押し戻される。そして止まってるどちらかが中心になる、つまり現状で言うと俺が止まって深緑が動いて15m以上行こうとすると深緑が押し戻され、深緑が止まって俺が動いて15m以上離れると俺が押し戻される。


 おさらい終了、じゃあ何で俺が情けない声を出しているのか? 深緑が移動して俺がゆっくり歩いて行こうとしている。今までは、停止+移動=押戻。今回は、移動+移動=? という正解が未明の状態なのだ。

 結果は情けない声、俺が何故か引きずられている。清掃したての床でツルツル滑り〈契約の結界〉に押され、引きずられている。シャトルスマッシュの最大瞬速は約325キロ、大凡なスピード表現とはいえ深緑とは思えない程の足の速さで俺は引きずられている。


「ああああ――だっ⁉」


 深緑が止まり、その等速直線運動で俺は滑り商品棚に衝突する。棚は揺れるが商品は一つも落ちなかった。けど日曜日というだけあって人も沢山来てる中、高校生の『女』の子が何も無い所で数十メートル滑り棚に衝突する所は注目の的。恥ずかしい。


「ママー、あれがカーリング?」

「みちゃダメ!」


 あの親子の前の会話がちょっと気になる……。


 三〇メートルも移動して深緑がカゴの中に詰めているのはお菓子類。クッキー、チョコレート、スナック、ポテチ、プレッチェル、グミ、ソフトキャンディ……目に付いた物は全部入れている。この生活中に深緑が甘いお菓子を食べている所を見たことが無いが、事前に好きな物で聞かされた通り全部甘い味覚の物ばかりカゴに入っていく。


「深緑お金は大丈夫なの?」

「んっ」


 深緑は頷く……とはいえ、そのお菓子の量だとお値段は以上になると思うんだけど……。


「セール」

「セール? んん?」

「確認」

「ああ――」


 お菓子もカゴ一杯詰め終わり、深緑が指差したのはセールス商品の場所らしいのだが、俺にはそのセの文字も見えない。俺は視力1.0近くなのだが、目を細めても見えない。徐々に歩いていくと確かにお昼のセールス品の生肉だった。指差した所から約三〇メートル離れているのによく細かい文字が見えたな。


「凄いね深緑、視力いくつ?」

「2」


 深緑はそう答えるが、普通の視力測定じゃ最大が2.0だから答えがこれしかない。深緑の視力は双眼鏡レベルで遠くが見えるのだろう。そんなに全体が綺麗に見えたらどんなに素晴らしい事なのだろうか。それは深緑にはしか分からないし、その視力だったら困る事も無し。


「今日の昼食はお肉?」

「…………」


 深緑は頷く。お昼のセールス品をお昼に消化するのは当然だ。


 買い物した次いでにスーパーに並列して開店している大型洋服店も深緑と見てみる。秋空市に仮住まいしてから持ってきたのは着ていた櫻見女の制服と、カバンと下着として利用しているランニングシャツとパンツのみ。しかも下着は洗濯して干してあり今シブシブ利用しているのは深緑のパンツ。勿論ズボンとトップスも深緑の物だ。『女』の状態だと深緑とほぼ身長が一緒でピッタリなのはありがたい事だが、流石に深緑の物を何日も休日に利用するのは申し訳ない。――と、いう事でここでも買い物をしていく。


「水着から何やら特殊な服までここは売ってるんだな……」


 深緑が着たら面白そうな物が一着あったので自分が着る物と含めて自腹で買ってみる。娯楽が無いから少し深緑で遊んでみようと思う。因みに今日も深緑の服を着させたのは俺だ。俺が寝ている時以外は深緑は一人で着替えるが、俺が起きてるときは手を挙げて脱がしてと脳内に語りかけてくる。流石に三日ともなると着替えさせるのにも恥が無くなる。かたじけのう、男子諸君……。本当はもっと恥を知るべきだと思うが、俺は『女』だ。




          ※  ※  ※  ※




 家に帰り一段落、時計を確認してみると十一時半だった。とりあえず三ヶ月分の服は用意出来て良かった。深緑のお下がりからは卒業出来てかつ、自分の下着は一新できるし、土日の過ごし方も大体は分かった。深緑は面倒なのか外に出る事無く、テレビ視聴かお茶を飲んでて俺には娯楽を一切感じさせない生活だということ。何かしら深緑に許可を貰ってもっと秋空市を知らなくては……。


「深緑これ着てみて」

「んっ」


 手を挙げたという事はやっぱり着替えさせてほしいようだ。何を着るのかも見てないのにそんな生易しく手を挙げていいのだろうか。俺は持ってきた買い物袋から一つ服を取り出して机に置く。そして深緑の服を一つ一つ脱がして本日買ってきた服を深緑に着させる。


「ジッパーを締めて……カチューシャを付けて……くっ、ふふっ」


 ゴシック・アンド・ロリータ。かつて十九世紀に存在した使用服、基本はフリルの付いた黒いワンピースに白色のエプロンドレス。そしてまたフリルのついたカチューシャを付ける。――そう、メイド服。

 ワンルームの可愛い緑髪メイドさんの出来上がりだ。マフラーは本人の意思でそのままだけど、嫌がりもせず一式着てくれた。それはそれで大問題だが、メイド服というのは女性から見ても案外可愛い物に見えるそうだ。――特に男性は超が付くほど目の保養になるようだが、確かに。


「YK、これは」

「まあ、プレゼントだと思って」


 良い物見れたし深緑も妙な反応だが、その服で料理の準備をしているということは気に入ってくれたようだ。反応薄めだけど個人的には黙々と仕事を進めるメイドさんも好みだ。

 何故あの服屋でメイド服が売っているのかが謎だが、メイド服の他にも他の国の民族衣装や、需要が無さそうな服まで売っていた。――まさかメイド服を定期的に購入している人がいるという事か? 逆にメイド服を買いまくる人を見てみたい。


「深緑、ご主人様って言ってみて」

「――ご主人様」


 う~ん、少し間を置いて言葉を発したけど、これはこれでアリな気もする。

 深緑が包丁を浮かせて降ろす度にスカートのフリルが揺れてこれまた保養になる。今の自分に勃つ物が無いが、体は冬なのに熱くなってくる。『女』の体というのは興奮するとこういう風になるのか。


「ゴミ出し」

「はーい……」


 その服のままゴミ出しに行くとは中々気に入ってる模様で。途中で出くわした人は驚くだろうな。緑髪のメイド服がワンルームアパートから出てきてゴミ出しをしているのだから。別に使用人をとるほどこの部屋は広くはないのだけど、もしかしたら部屋着で着ているという可能性を考える人や趣味で着ているという考えをしている人は誰もいないし考えもしないだろう。


 ガチャ――


「おかえり、深緑」

「――恥ずかしい」


 無表情のまま耳が真っ赤。

 多分外で誰かと会ってしまったのだろう。

 感情がほぼ無いとはいえ、外に出てようやくメイド服が如何に恥ずかしい服装なのかが分かったようだが、自分から脱ぐ気も無いようだ。という事は気に入っているのか、もしくはメイド服の脱ぎ方が分からないのかのどちらかだ。でも個人的には外出しないのなら今日一日中その服で過ごしていただきたい。


「はは、でも深緑かわいいよ」

「…………」


 トイレの方に逃げてしまった、案外深緑の可愛い所もあるじゃないか。深緑と過ごしてみて少し距離が近づいてきたかな。まだ三日目ぐらいだし、深緑の目新しい所もまだまだ見つかるかもしれないが、これからも深緑の観照は続くだろう。

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