34話 『女』は深緑を観照する その1
体が揺れる、顔も左右に揺れ肩辺りに圧を感じる。
目を開くがまだかすれてるので人物像がハッキリしない。
もしかして――
「ニカ……エル……?」
「起きて」
優しい小さな声でわかった、深緑だ。目を擦って視界をクリアにし深緑をハッキリ捉える。窓からは日が差し、深緑は相変わらずマフラーをしたまま俺の腕辺りまで長く垂らしている。
……深緑も寝起きだからか、髪の毛は逆立っている。
「朝の七時」
「……早くないか?」
「深緑は普通」
「う~~ン」
寝たまま体を伸ばしてまた目を擦る。昨日の深緑は十一時と早く寝て俺もそれに合わせて寝たのだが、俺の普段はこれよりもう一時間遅くて更に枕も少し低いし環境も違うしズルズルと眠りに落ちる時間が長くなっていく。恐らく午前の二時、もしくは三時に眠りに付けた。テレビの下にデジタル時計が置いてあるのだけど細いボタンを押さない限りバックライトが付かないタイプだから夜は確認出来ず。
「……寝ていい?」
「駄目、朝ごはん」
「わたしはいらないから大丈夫」
「食べないと、深緑怒る」
…………
「一体どうやって怒るの?」
深緑はピクッと体を揺らして握り拳を作りすご~く緩い力でお腹を両手で右手、左手と交互に叩く。そうかー、深緑の怒り方はこうかー。これはここから起き上がらなくてはならないな。
「怒らせてごめんね、ちゃんと食べるよ」
「んっ」
深緑は自分自身の頭を何かしろと差し出している。
「撫でて」
「お、おう……」
表情が見えないから一つ一つの行動を聞かないと分からない。手の平を深緑の頭に乗せ、左右に手を動かして深緑の髪を整えるように撫でる。ふんわりとしていて肌触りがいい、いつまでも触りたくなるような感触だ。昨日お風呂に入ったら高級感のあるボトルに入ったシャンプーがあったからその効果も上乗せされているのだろう。しかし俺が撫でた所以外はボサボサ。
そしていくらか撫でて深緑は立ち上がってそのままキッチンの方へと向かった。
「なんか言ってもらえないと"俺"も寂しいなー……」
深緑に聞こえないようにうなだれる。
って、いやいや俺も深緑の調理に参加しないとまた変なのを作りかねん。俺も色んな友達の料理の味をしっているから深緑に教えないと。
「深緑、わたしも手伝うよ」
「座ってて」
キッチンの様子を見たらパンをフライパンで焼いてそのコンロの横でやかんで水を沸かしていた。インスタントコーヒーの袋と卵があるからきっと大丈夫だ。卵以外は。――殻はきっと入らないだろう。
後ろに下がりながら机の横に座って、テレビを付けて待機をする。この時間帯のテレビは余り見ないから珍しさがあった。このままボーッとテレビを見る。
パンッ――
「深緑⁉」
「卵跳ねた、大丈夫」
静かなだけあって色んな音が聞こえるから深緑が何をしているのかも見てなかったら分からない。目玉焼きを作っていた所だったか。――俺は深緑の保護者かなにか?
「食べて」
机に料理が出される。フライパンで焼いたパンとその上に目玉焼きが乗ってて、コーヒーとコーンスープ……? 俺と深緑に一つずつコーヒーとコーンスープがある。
コーヒーと、コーンスープ。
飲み物と、飲み物。
インスタント・アンド・インスタント。
「深緑、飲み物二つあるけど?」
「――サービス」
絶対やかんで汲んだお湯が多くて二つ作ったんだろ絶対。そうでもなきゃこんなダブル飲み物なんて出てこないだろう。それから深緑はどっちをサービスの飲み物としてるんだ? コーヒーか? コーンスープか? ……恐らくコーヒーのインスタント袋が先に出てたからコーンスープがサービスなのだろう。
「「いただきます」」
パンを手にとって目玉焼きと一緒にかじる。目玉焼きは若干焼きが緩いが、黄身がパンと混ざり合うからこれでいい。――良かった、これぐらいは普通でなくては。
一方で深緑はパンを口を隠しながらどう食べようかとパンを手で回して考えている、昨日みたいにマフラーとマフラーの間から食べようとするとパンくずがマフラーに付いて面倒なことになる。そんなに考えるくらいだったらいっその事マフラーを取ってしまえばいいのに。
「深緑、もう諦めなよ。わたし別に口を見てもいいでしょ?」
「妥協しない」
深緑は皿の上でパンを叩いて出来るだけパンくずを落とす。そしてちぎって一口サイズにしてマフラーの間から口の中に入れる。今回も口元は見れなさそうだ。
自分は目玉焼きを先に美味しく食べ、深緑と同じく一口サイズにちぎりコーンスープに浸して食べる。その食べ方に深緑は気が付かなかったのか暫く俺の手を見て、同じく浸して食べていた。せっかくサービスで出して頂いたのだから出来るだけ美味しい食べ方を複数回やる。
「……深緑、わたしのスマホはどうしてるの?」
「持ってる」
背中辺り……ここだと凄い所から取り出しているように見える。そんな所に収納する場所があるとは思わなんだ。
「電源オフ」
「オフってんだねー……」
電源オフにされるとニカエルもこの中から出てこれないんだね……初耳だ。という事はマイクも切れている状態だから真っ暗闇の中で一人の状態なのだろう。――三ヶ月ぐらい我慢してくれニカエル。必ずお前を取り返す。
「……深緑、コーヒーどうするの」
その状態で飲んだら間違いなくマフラーが汚れる。そうしたら、ようやく口元を見れる筈。
「…………」
片手で何を取り出したかと思ったら棒状の細い筒。ストローだ。コーヒーの入ったマグカップにストローを刺してマフラーの間からコーヒーを飲んでやがる。本日も口は見れなさそうです皆さん。深緑は相当口元を見られるのを嫌がる。目を合わせる事も無いし、手を握る事も嫌がっている。そう考えると口元も見られるのも恥ずかしいと妥当。
深緑の様子を見ながらパンを食べて飲み物二つを飲み終わって片付ける。
そういえば昨日は歯を磨いて無かった。昨日の分合わせて二倍歯を磨かなくては。
「深緑、歯磨いてくるね」
何も反応しないけど、まぁ聞いてるだろう。
洗面所はお風呂と一緒の場所で昨日確認済みだから直ぐに行ける。洗面所で顔洗うのも歯磨くのに靴下を脱がなきゃ駄目というのが面倒だ。何故なら床が水で濡れてて素足でも濡れる所が嫌。文句を言ってもワンルームはコンパクトさが重要だから何かがまとめられてるのは必ずだな。――トイレだけ浴槽と別で良かった。
今回は寝起きでまだ靴下は履いてないし、床は乾いているから素足で濡れる事も無い。新しい歯ブラシのパッケージを破って歯磨き粉を探す。洗面所に置いてるこのボトルは寝癖直しスプレーだし……これ普段使ってないからか中の液体がそのままいっぱいだぞ。これは……歯磨き粉ではない、チューブタイプの物だけど洗顔剤か。ん……じゃあ残ってるこれか。
「――アップル味?」
俺が十二年前に家で見たようなチューブパッケージだぞ。でも洗面所の置ける所全部を確認してみてもこのアップル味の歯磨き粉以外に見つからない。深緑……ミントとかのツーンとした辛さが駄目なのか?
でも歯ブラシに何も付けずに磨くのは苦だ。数十年ぶりにこのアップル味を付けて口の中に突っ込むとしよう。……うん、磨くとアップルの味が口の中に広がってとても甘い。
「うんべぇ……こんな甘かったかな……」
舌を出してボタボタと歯磨き粉を垂らす。
自分用にミント味買わなきゃ駄目だなこれ。
※ ※ ※ ※
「ゴミ出してくる」
深緑は出て行った。俺のスマホは――相変わらず電源を消したまま持っていってしまった。ゴミ箱はアパートの直ぐ隣にあって15m内だから離れても大丈夫だ。
「はぁ――」
にしてもゲーム機も無ければ娯楽になるような物も無いから暇だ。一体深緑は何を楽しみとして休日は生活しているのだろうか? まさか心も無にして何時間も過ごしてるんじゃないんだろうな? 一人暮らしを始めたキッカケも分からないし。深緑の家族はちゃんと存在してるんだろうな? 深緑が居ない時にこんな事を思うのも変だけど、深緑に質問しても何も答えてくれないだろう。
ガチャ――
「深緑お帰り」
「オマエ! 誰だ!」
その声を聞いて玄関を見てみると、深緑――ん? いや、深緑だよな? しかし、数分の差で性格から何まで変わる訳が無いし、俺の頭の中は混乱する。深緑だったら「誰だ」とは言わないし。
「……え、んぐッ⁉」
考えてると俺の顔に膝が入る。
超物理技を喰らったのは久々だ。
――クッソいてぇ。
「何で部屋にいるのよー! バカ! 変態!」
「ちょっと待て! お前こそ誰だ! ……って、蹴るのヤメー!」
誰か俺に状況を理解出来るように図で教えてくれ!
この『女』は誰だ! 何で俺は蹴られてる! この『女』何を思ってる!
「翠」
「あ、深緑お姉ちゃん。不審者が! 不審者が!」
ようやく俺の知ってる深緑が来て猛攻の蹴りが止まった。不意に来た膝蹴り以外は全部気を込めて我慢したから大したダメージは無いものの、他人にやられた精神的ダメージは大きかった。布団に血を流さなくて良かった。
「同居者」
「え? 深緑お姉ちゃんと一緒に住んでるの? この人」
深緑は頷く。
「なんだー、だったら深緑お姉ちゃん会った時に言えばよかったのに」
「ごめん」
「もー深緑お姉ちゃんはいっつも言葉が足りないんだからー」
「面倒」
そこは面倒と言わないでおくれよ深緑。妹に何発も蹴り入れられたんだけど。
――とりあえず落ち着いて全員丸机の周りに座った。厩橋姉妹は俺と対向に座り、俺は両者の顔を見る。――翠とでも言ったか、深緑と似ているようで真反対の性格だ。だけどそっくりな部分が多くて黙っていたらどっちがどっちかと分からない位かもしれない。身長と髪の色は全然違うけど。
深緑はいつもの片言で説明するけど、相変わらず言葉が足りてないから俺はながーく妹の翠に説明する。
「……分かった? だから殴られる理由が無いの」
「早とちりしちゃった、ごめんなさい唯川さん」
分かってくれればいい。俺が凶暴なヤツじゃなくて良かったな。
「それにしても深緑お姉ちゃん友達出来たんだね、珍しい」
「翠、余計」
……深緑も今まで友達が居なかった系か、そりゃこんな性格してれば友達の一人二人も出来ないだろう。本人を前にして非常に失礼な事を思うけど。
「それで、翠ちゃんは何で来たの?」
「深緑お姉ちゃんがちゃんとした生活してるかなって視察しに」
「視察……という事は家ここから近いの?」
「同じ秋空市に住んでるから自転車で四十五分くらい」
結構離れてるな。翠ちゃんもご苦労です。
――なんだ、家族がいるんだったら深緑も皆と一緒に住めばいいのに。こんな心配してくれる妹がいるんだったら一人暮らしする必要性が無いじゃないか。ちょっと妹が可哀想に思ってくる。
「深緑お姉ちゃんもこれだったら寂しくないね。じゃあ翠行くね」
「…………」
深緑は手を振るだけだ。もうちょっと、玄関まで送るとかしろよ。自分は翠ちゃんと一緒に玄関まで向かい翠ちゃんを見送る。
「暫くここで過ごしますので。ご迷惑おかけします……」
「深緑お姉ちゃんをよろしくお願いします。――深緑お姉ちゃん、結構喜んでるから」
「え……?」
「唯川さんじゃあね!」
元気よく翠ちゃんは行ってしまった。――やっぱり姉妹だからか、姉が思っている事も分かるのだろうか。その判別方法を教えてほしい所だけど行ってしまったから何も聞けない。姉の重要な所を言わないのは妹のあるあるか。
「寒い、閉めて」
「ああごめん。じゃなくってさ――」
急に傍に居るのはびっくりする。扉を閉めて部屋の定位置に戻る。深緑も自分の身の一つや二つ俺に教えてくれたっていいのだが、口を割ってくれない。でも俺に関する質問も無いし、こちらも聞きづらかった。――でも翠ちゃんの事は軽く聞く事にする。
「翠ちゃんは何歳なの?」
「十四」
「中学生か」
「…………」
「…………」
軽くどころか、深緑の一言だけで終わってしまった。俺との会話より、テレビの番組の内容の方がそんなに楽しいし濃いか。……一体俺がここにいる理由とはなんだろうか。今日は微妙な土曜日で終わってしまいそうだ。
端で丸めた布団を枕にして、テレビ鑑賞を続ける。
「深緑、ちょっと寝るね……」
土曜日の朝はこんなに早くないから眠くなってくる。暫くは深緑も動く事ないから大丈夫だろう。
……寝てる場所がフローリングで硬い場所とはいえ、横になってかつ頭の位置が体より高ければ何処でも寝れる気がする、本来の布団の使い方じゃないが、深緑が掃除しやすいように布団を端でまとめた。しかし、朝早くから起きて深緑は今何してるのだろうか? 耳には何も入って来ないし、掃除機を掛けるような音もしない。きっと朝早くから起きて二度寝でもしてるんじゃないか?
ガシャァ――
外から何かが倒れる音が聞こえる。まぁ外から聞こえる音などと日常茶飯事であり、ほぼ俺達には関係無い事ばかりだ……サイレンの音以外は。――これを合図に起きあがるとしよう。
「深緑……?」
狭い部屋を一目見て深緑が外に出て行ったのが分かったのと同時にここから動けないのにも気付く。……〈契約の結界〉が発動してる。でも窓側には下がれる、〈契約の結界〉の影響で玄関には辿りつけなさそうなので窓からベランダに出て深緑を探す。
深緑っぽい姿を見つけるが、正直起きてそんなショッキングな姿は見たく無かった。
「み、ろく……⁉ 深緑!」
昨日見つけた白いヘルメットといつもの水色マフラーを付けている少女はもう思い当たる節しか無い。クリーム色の原付を横にして倒れていた。……俺のせいだ、俺が寝てて深緑が結界に引っかかって倒れたんだ。ベランダを乗り越して深緑の下へ素足で急ぐ。深緑の家が一階で良かった、二階とかだったら多分躊躇してる。
「深緑大丈夫か⁉」
「YK」
深緑を立ち上がらせて深緑の体のあちこちを触るが痛がるような反応も無く無事で済んだ。チノパンでコートを着てヘルメットも顎紐を縛ってしっかり被り、顔もマフラーで隠れているから完璧な防具を備えていた。
「転んだ」
「転んだのは知ってる。でも怪我とか無いか? 何処か打ったとか捻ったとか」
深緑は顔を横に振る。
――良かった、本当に良かった。
「一旦家に帰ろう、深緑」
「…………」
俺はスクーターを持ち上げて駐輪場へと向かう。でも深緑は棒立ちのままだった。――多分何も無い所でスクーターで転けて解せないのだろう、そういう感性を取ってみる。……でも〈契約の結界〉をどう説明すればいいのやらか。
「えーと、わたしのスマホ呪い掛かってて」
「…………」
「ジュウゴメートル、わたしからハナれようとするとウゴきがトまるの」
「…………」
「えっと、えっと、わたしからハナれないで……」
説明が覚束ない、カタコトに聞こえるにも関わらず深緑は無表情で相槌も打たないから喋りづらい。つい話を中断したくなるし、今の話を信用してくれたのか。分かってくれたのかも分からない。そろそろ不満も出そうだがここは『男』奏芽は我慢する。『女』の子に手を出すような事はしない。
スクーターを元の位置に戻して一緒に部屋に戻る。深緑は自分のベッドに座り俺の事を見る。何か言いたい事があれば聞き返してくれればいいのに……。
「深緑、本当に怪我ない?」
深緑は顔を縦に振るが、念のために下のチノパンを膝まで捲ってみる。その際も深緑は嫌がる事も無く、ただ見るだけだった。――本当に怪我はしてないようだ。足首の関節も痛みが無いか動く範囲で回してみて深緑の様子を見るが眉一つ動かさない。ついでに足の裏もくすぐってみるけどやっぱり反応なし。――笑ってくれないのはちょっと寂しいな。
「くすぐったい」
「あ、はい……」
一応、な、反応は、してくれた。
「んっ」
深緑が俺に対して頭を差し出したという事は……撫でて欲しいという事だな。深緑は基本的に無口で何かを言う時は片言で、頭を撫でられるのが好きらしい。大体の癖は分かってきたけどそれでも謎は多い。何か癖を掴むキッカケをくれればもっと深緑に対する理解が強まるのだが。
――相変わらず撫で終わりは突然に来る。頭を突き出して満足したら体を垂直にして無表情なのだから。……満足したのかも分からないけど。
「足」
「え?」
深緑の足には何も無いということは……自分自身の足を見てみるとベランダから飛び降りた時に何かに引っかかって切ったのか、血が出ていた。深緑の心配ばかりをしていて自身の心配は全くしてなかった。
「気が付いたら少し痛くなってきた……でも少し切っただけだから大丈夫」
「絆創膏」
ベッドの下から薬箱を取り出して絆創膏を一枚取り出して傷に合わせて貼ってくれる。
「ありがとう」
「んっ」
深緑は一体何回俺に頭を差し出すのか……深緑にとっては言葉だけじゃ足りないのだろう、強請り方が凄い。「んっ」じゃなくて撫でてって言われる方がまだ可愛げがあると思うんだけど、こんな深緑だから多分俺の言う事などそんなに聞いてないだろう。――長々と思ったついでに深緑の頭を撫でる。ヘルメットを被って真っ平らだった深緑の髪の毛が徐々に膨らみ増していく。一度目と違ってかなり長く深緑の頭を撫でていた。
「今度は深緑と一緒に何処か行く訳だから……自転車とか?」
「一台」
自転車は一台だけか……時代の流れで自転車も罰則が強くなって二人乗りなんて今は見なくなった。片手スマホとか傘とか案外見るけども、ちゃんと取締はやってるのだろうかと考える。
「スマホ置いていってくれない? そうなれば深緑も自由に行けるけど」
「駄目」
「だよね……というか、深緑は何の為に外出たの?」
「買い物」
一体何の買い物かは聞かないけど、恐らく食べ物の買い物だろう。
「スーパーまで何分なの? 歩きで」
「一〇分」
「あれ、結構近いな。通る道には無かっただけか」
「…………」
深緑は顔を縦に振る。
「じゃあ何でスクーターで行こうと?」
「重い」
「買い物袋が?」
「…………」
また縦に振る。という事はスクーターを買った理由はただの荷物運びが欲しかっただけか。自転車じゃ重みで漕ぐのにペダルが重くなるし、徒歩だと何時か疲れて家までの帰りが長くなるし、結果としてスクーターが荷物運びで軽い。――深緑は重いのも持ち上げられない、と頭の中で記憶しておく。
「じゃあ今度からわたしと一緒に買い物しようね、わたしが荷物運びになるから」
「――ありがとう」
「お、初めて深緑から感謝された」
「…………」
深緑は少し恥ずかしかったのか、顔が横向いている。でも顔を赤くすることも無くただ平然と言っているが、そんな無口な深緑から「ありがとう」と言われて俺は少し嬉しかった。
「同居記念、鍋」
「今日は鍋――面倒だった?」
深緑の体がピクッと動く……これは図星だったか?




