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この中に『男』が一人います!  作者: TASH/空野輝
第四章 厩橋深緑
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33話 スマホを落とした『女』は静かに出会う

 年を迎え三学期――


 しくじってしまった事、英語の授業前にカイロで手を温めていてこれを机に置いてほほを当てたらもっと暖かいんじゃないのか? という間抜けな考えをして実際やってみた所……そのままじっくりと眠くなり、そして授業に入り、松前みちる先生に起こされ、呼び出しを喰らった。「お昼休みに職員室来て下さい」……最悪だ、というか寝るという行為なんて重罪じゃないだろ。


「こういうのは放課後にやればいいと思うんだけどな? ニカエル」


 …………。

 何も反応が無かった、寝てるのだろうか? ――こいつはいいよな。学校に生徒として出てる身じゃないからいつまでも寝てられるし、ゲームだってし放題だ。俺もそういう生活をしてみたい。

 職員室の前に辿り着いてドアをノックして中に入る。


「失礼しまーす……松前せんせ~い?」

「唯川さん来ましたね? こちらへ……」


 みちる先生の机は真ん中辺り、皆さん休憩中だったり作業中だったりなようで……他の先生に睨まれながらみちる先生の下まで辿り着く。失礼な行為じゃないんだからそんな目で見てほしくない。ただ俺はみちる先生に英語の授業の件で呼ばれただけなんだ。何か物を取り上げられるような事をした訳じゃない。


「先生おこってます。唯川さんがマジメじゃないから!」

「はぁ……」


 ゆるゆるとした声で言われても説得力がない。

 むしろ、脱力。


「ちゃんと聞いてノートの書き取りをして、ちゃんと努力してください」

「はい……」


 しかし、一つの動作をする度、みちる先生の胸は微動したり大きく揺れたりする。一体何を食べたら"きゅうじゅうご"まで大きくなるのだろうか?


「唯川さん!」

「はい! やっぱり――ラーメンですか⁉」

「ラーメン! そう、駅近くの新しいラーメン屋が美味しくって……って違いますぅ!」

「ご、ごめんなさい」


 急に俺の名字を叫ばれると思っていた事も口に出してしまう。というか、やっぱりみちる先生はラーメン通だな。まだ開店して二日しか経ってないのに。因みに俺はまだ行ってない、ニカエルに教えるとまた俺の財布が絶望に満ちるからだ。


「えーっと、次から気をつけてね」

「はい、ごめんなさい。失礼します……」


 礼をしながら後ろに下がり、そそくさと職員室の出口に向かった。


「ふんわり怒られてもやっぱり怒られてる事には変わりないんだよな……」


 なんて口に出して、今日は気分を変えて食堂で暖かいうどんでも貰おう。職員室を背中にして左に移動して階段で一階に降りて直ぐだ。今だったら朱音かウチのクラスメイトが居るだろう。

 階段の一段目に足を掛ける。


「……ん」


 一段目に足を掛けた……はずなのだが、足が浮いているような感覚に包まれて次の一歩が出ない。人から見れば一段目に足を置いて止まっている様に見える状態。そこから無理矢理行こうとすると弾き返されそうだ。――という事は。


「ニカエル、何処に行ったん……あれ? あれ⁉」


 青ざめる。

 ニカエルが俺のスマホから抜け出して〈契約の結界〉が発動しているのかと思ったが、そうではなかった。俺のスカートのポケットからスマホが消失していた。いつ落とした? 何処で? でも〈契約の結界〉が反応している以上スマホ内にニカエルが居て15m内にスマホがあるということだ。つまりこの学校内に俺のスマホがあるという安心も出来た。

 ――まず来た場所から探す、という事で職員室になるのだが、落とせば硬い音が鳴る訳だし職員室に落としてないと確信。じゃあ次に廊下を探すけど廊下は薄茶色のラバーシートで俺の携帯は白色だから直ぐに見つかるのだが……来た道を辿っても無かった。


 そうなるとますます焦ってくる。遂には三階の教室まで帰ってきてしまった。

 ……あまり考えたくない事ではあるが、盗られた。という一つの推理に繋がる。そして二階の階段の一段目から15m範囲内のほぼ中心が俺が勉強する場所、教室とピッタリだった。

 俺が英語の授業前の睡眠時に誰かがスカートのポケット内のスマホを手に取る、もしくは椅子の下に落ちていたのをそのまま持ち帰ろうとしている。どうせその人もスマホの〈契約の結界〉に引っかかる訳だから持ち帰れないのだけど、俺はこの教室内の誰かと知っているからその顔を見たくない。複雑な感情だ……。


「カーナちゃん、どしたの~? 酷く怒られた?」


 朱音が食堂から帰ってきた。まだ俺の状況を知らない朱音はニコニコ顔で俺に接してくる。一方で自分は肩と首がいつもより下がり猫背になって椅子に座っている。


「朱音、スマホ落とした……」

「落としたの⁉ 何処で」

「分からない……」


 事を大きくしたくない俺はこれ以上言うのを慎む。


「朱音も探さなくていいからね、今日で分かるから」

「それだったら良いんだけど……見つからなかったら一緒に探すよ」


 クラスメイトとはある程度仲良くはなってるし、知っている人なら直ぐに俺に届けてくれるだろう……。

 ニカエルもこの際だから出てきちゃってスマホを手にとって俺の下まで帰ってきてもいいのに、どうしてそこまで頭が働かないものか。……そう思ってても天使は人間に知られてはならない所謂UMAな存在だから簡単には出れないのか。




          ※  ※  ※  ※




 結局「拾った」と名乗りでる者もおらず、全授業が終了し放課後になった――。結果、俺の頭の中では「盗られた……盗られた……」と怒りの感情が出ていた。もしかしたら隣のクラスかもと思って授業の休憩中に廊下に出て〈契約の結界〉にぶつかった所から教室に戻って歩数を数えると十五歩、つまり〈契約の結界〉の限界の約15mで自分達の教室だった。


 全員がダラダラと帰る中、俺だけはカバンを持って廊下の教室前にいた。教室を背にして皆は右に帰っていく。こちらに下駄箱があって左は食堂に行く道。部活に用がある人も右から出てグラウンドに出るから大体は右に出る。

 右の階段に行くまで十五歩以上は掛かるから、その犯人は不自然に止まり動けなくなる。ニカエル……意外な所でお前の〈契約の結界〉が役に立つぞ。俺は獲物を狩るライオンの様にひたすら待ち、一人一人の様子を見る。名胡桃さんも神指さんも朱音もすんなり帰れたから違う……元から疑ってないが。


 俺の教室の左右は全員が帰ったのか、最後まで居座った生徒が扉を閉めて帰っていった。そして自分の教室も僅か数人となった。

 一人……一人……また一人と教室を抜けて行く。


「やっぱり、職員室に落としたのかな……」


 諦めて職員室に行こうと思った矢先に――

 引っかかった。

 俺自身も動こうとして引っかかった、〈契約の結界〉に。という事は相手も今止まっている状態で〈契約の結界〉の限度15mに引っかかっているはず。

 左右を確認してみると……いた……。まさかあの子だったとは思わなかった。

 その子は普段物静かで誰とも接触せず、昼休みでも一人で弁当を食べている所ばかり見る子だった。一度だけ話しかけてみたが、何も反応せずさっさと行ってしまった。そんな物静かな子がどうして俺のスマホを?


 厩橋まやばし深緑みろく


 その『女』の子は入学式の自己紹介で静かに自分の名前を言葉にした。

 それだけで座ってしまった子だ。髪の色は黒っぽい緑で、いつも水色のマフラーをして、口元までそのマフラーを広げている。髪の長さはマフラーに掛かるか掛からないくらい……セミロングか、後頭部の髪はカーブがかかってふんわりしていて、所々髪が跳ねている。身長は『女』の時の俺とほぼ同じくらいだ。


 厩橋さんはスマホの中にいるニカエルによって〈契約の結界〉に押し戻され、動けなくなっている。ここで俺が追いかけてもいいが、逃げられても困るからこのまま様子をうかがう。諦めて反対側に行こうと思った時に話をする事にしよう。今が絶好のチャンスなのだから。

 ――思った瞬間に厩橋さんは引き返そうとしてこちらに歩いて行く。一瞬目が合い、そして表情を変えずに俺の前を通った時に手を掴む。


「待って厩橋さん! わたしのスマホ……持ってるんだよね!」

「持ってない」


 初めて言葉を出して接してくれた、無理やりだけど。

 だが厩橋さんは首を横に振り持ってないと意地を張る。


「じゃあそのジャケットのポケットの膨らみは何⁉」

「…………」


 悩んだのか動きが止まった。

 そして諦めたのか直ぐに俺のスマホを取り出した。間違いなく白色の俺のスマホだった。


「良かった~ありがと――」


 取り出したスマホを手に取ろうと思ったら横にズラされて掴み損ねる。


「あ……れ……」

「これは渡せない」

「どうして」

「確証がない」


 厩橋さんがこんなに性格が捻くれた者だとは思わなかった。気を取り直して横にズラされたスマホを取ろうとすると上に持ち上げられ、それをまた取ろうとするもズラされて掴み損ねる。これが何度もループした。

 そしてすいっと手品のようにスマホは何処かに消えた。


「……厩橋さんわたしの物だって、スマホの暗証番号知ってるから開けるよ」

「そう言っても渡せない」

「じゃあどうすれば」「深緑と一緒に住んで」


 小さな声で即答されるが、俺の声と被って何を言ったのかが分からない。


「今、なんて?」

「――深緑と、一緒に、住んで」


 次はちゃんと分かりやすく厩橋さんは区切って言葉にする。

 みろくと、いっしょに、すんで……?


「…………は…………はーっ⁉」


 どうしてそうなるんだよぉぅぅ――――




          ※  ※  ※  ※




 駅前の公衆電話の受話器を手に取り十円玉を入れてお母さんの携帯番号を入力して通話を試みる。

 ――電話が繋がってざわざわした音が先に聞こえた。お母さんはまだ会社内にいるようだ。


「はい、唯川ですけど……」

「あ、もしもしお母さん。奏芽」

「公衆電話からどうしたの? 奏芽。携帯は?」

「あースマホはおいといて。あのさ……三学期終わるまで……家に帰れないかもしれない」


 受話器の先から何かを崩したような音が鳴る。


「なんでなんで⁉ 事故でもしたの?」

「事故とかじゃなくて、クラスメイトがさ、一緒に住んで欲しいって言ってるのよ」

「住んで欲しい⁉」

「限定的に三学期だけね……よく分からんけど」


 電車の中で厩橋さんとそういう話をした。流石に一生も厩橋さんと住むのは無理なので、三学期の終わりまで住むという条件でスマホを返してもらう事になった。


「で……何があったのかは聞かないけど、今何処に居るの?」

「秋空市、櫻見女からスッゲー遠くまで来ちゃった……」

「あきぞらしぃぃぃ⁉」

「声デカイ! 耳に響く」


 それから電話先でお母さんと色々な話をして、なんとか了承を貰った。暫く子供の顔は見せられないけど必ずスマホとニカエルを取り返してみるから。それまで三学期は我慢だ。

 受話器を元に戻す。そして横に待機していた厩橋さんと家まで歩いて行く。


「厩橋さんどうしてわたしなんかと」

「――上下の名前、教えて」


 俺の言葉なんか聞かず、そして俺の名前でさえ知らないと。

 入学式にあんな事故・・紹介で目立ったのに。

 正直全員の名前をあの自己紹介一発で覚えることは俺も出来ないが、格段に俺は目立ったからちょっとは覚えやすいと思うが……まぁ知らないなら改めて――


「唯川」

「Y」

「奏芽」

「K」

「宜しく」

「YK」


 俺はポカーンとする。YKなんて初めて言われた。


「なんでYK?」

「イニシャル読み」

「なんで……」

「面倒くさい」


 自分は頭を掻く。


「じゃあわたしもマヤバシミロク……だから、MMって呼んでいいの?」

「駄目、深緑って呼んで」


 どうして俺はイニシャル読みで厩橋さんの事は深緑って呼ばなきゃ駄目なんだ、そこの差異はなんなんだ……。困惑するぞ、その読み方。


「奏芽」

「K」

「唯川」

「Y」

「で?」

「KY」


 まやば……深緑さん、鼻で笑うな。

 誰が"(Ku)気、(Yo)めない"だ。


「それで深緑さん、駅から家だいぶ離れてるみたいだけど」

「時間掛かる……あと、“さん”、付けない」

「…………深緑?」

「んっ」


 なんらかのこだわりがあるのか。呼ぶのに指定が掛かっている、俺スゴイ面倒に感じてるんだけど。俺は普通に「厩橋さん」と呼びたい。なんでかって? 朱音以外の『女』の子を丁寧に扱いたいからだ。

 過去に中学の時にとある『女』の子を下の名前で呼んだら、他の『男』共に付き合ってるのか? などとからかわれた事があったからだ。それでその子に嫌われ続けられた記憶がある。……だから上の名前で呼ぶ、いや呼びたい。けど、今は『女』の子同士だから気にしなくていいのか? ……うん、悩むこと無しに呼ぶように指名入ったら呼ぶようにするか。忘れなきゃだけど。


 ――そしてさっきから俺達は平然の様に歩いているけど夏風町の駅から秋空市の駅までもう二時間は掛かってる。四つも乗り換えしてまで櫻見女に興味を持ったのはいいけど、そんなに櫻見女は名門校じゃないし、同じレベルの学校だったら秋空市にもあるんじゃないのか? そっちに行けば楽なのに。


 …………。

 そこからは特に深緑との会話が無く、黙々と歩く。深緑は寒がりなのだろう、下にはタイツを履いてジャケットの上にライトブラウンのダッフルコートを着てマフラー。おまけに指が分かれてないぬくぬく手袋もしている。


「……マフラー。口元寒いの?」

「…………」


 横目で俺を一瞬確認してまた前を見る。


「夏もマフラーしてたよね?」

「…………」


 同じく横目で瞬時な確認をした後、顔を一回頷かせる。


「く、口見てみたいなぁ……って」

「駄目」


 そこは否定するんだ……。


「えーっと、わたしに何か聞きたい事ある?」

「好きな食べ物」


 難しい事じゃなくて良かった。


「トルティーヤが好き」

「現実的な物で」

「トルティーヤも結構現実的だと思うんだけど……」

「トルティーヤ以外」


 トルティーヤ以外と言われると困る。トルティーヤが好きだからそれ以上でもそれ以下でもないからだ。俺が他に好きな食べ物とはなんだろうか? 逆にこっちが考えてしまう。


「うーむ……あ、ハンバーグかな。深緑は何が好き」

「――深緑は甘いものが好き」


 深緑は守備範囲が広いなー。

 それが模範回答か、俺もそうやって答えれば良かったな。


「…………」

「…………」


 黙々と歩き続ける。

 ――会話が続かない。




          ※  ※  ※  ※




「着いた」


 駅から三十分、ようやく辿り着いた。アパートのような感じであるのだけど、家族で住んでいるのだろうか。深緑にはそれすらも聞かずにここまで来てしまって今になって『女』の子の家で一日泊まっていいのだろうかとドキドキしている。

 自分の家の扉に着いたのだろう、鍵を取り出してドアノブの上の鍵穴に指す。普段は誰も居ないのだろう、ウチみたいなもんだ。


「入って」


 扉を大きく開いて俺を招き入れる。


「こ、これは……」


 入る前に衝撃の事に気付いてしまう。奥の扉が空いてて窓の奥にベランダが見える。ここまではいいのだが、その奥の扉の手前の左右にもう二つの扉。左の扉はこの玄関の扉の左に小窓が見えるから恐らくトイレ、そして右はきっとお風呂。……奥の扉とこの玄関の中間にはキッチンが見える。ガスコンロ二つと三合炊きの炊飯器、その横に洗濯機。


「深緑、ワンルームなの?」

「…………」


 深緑は顔を縦に振って俺は様々な感情が出ている。「『女』の子と接近して生活できる」という喜びと「こんな狭い場所で大丈夫か?」という不安と「早く俺の家に帰りたい」という悲しみと「深緑はどうして俺と一緒に住むような事を言ったんだ」という怒りが出てきた。

 本当に直ぐ帰りたい気分……でもスマホを取り返さない限り、俺もここからは帰れない――あっ、いや手段が一つ。


 息を吸って……言葉を吐く!


「ニカエルゥゥ! 出てこぉぉい!」


 少し腹に力を入れてニカエルを呼ぶ。が、深緑が無表情でこちらを見るだけでニカエルは出てこなかった。何で出てこれない? こんな状況だったら無理にでも出てこれるだろ、ニカエル。


「扉閉めたい」

「……はい」


 もう諦めた。

 玄関に入って足のつま先に何かが当たる。カバンを降ろして丸くて白い物体を持ち上げる。透明な板が付いていて頭に被れそうな物だった。


「ヘルメット?」

「あっ――それは駄目。しまうから返して」


 初めて深緑がほころびを見せた。俺は優しくそのヘルメットを差し伸べるが、深緑は奪い取るように取ってヘルメットのシールドをマフラーの先で拭いていた。


「深緑、バイク乗ってるの?」

「…………」


 目だけ横を向かせて少し黙った後、目を前向かせて顔を縦に振りそう――になって横に顔を振った、ここまで見られて横に振ることはないだろう。けど、深緑が顔を横に振った理由は分かる。何故なら櫻見女は免許の取得は禁止されているからだ。一年生から原付や自動二輪の免許の取得禁止、三年生からは自動四輪の取得禁止も追加される。もし乗り物を走行してる所や免許証が見つかった場合、免許証は櫻見女預かりになる。


「わたしは深緑が免許証持っててもみちる先生には何も言わないよ」

「信用できない」

「本当に言わないから、約束する」

「…………」


 ふいっと後ろを向いて部屋の奥へと言ってしまった。――何がともあれ、俺は報告する気はない。理由はなんとなくわかっているからだ。この家の周りにはコンビニも無ければスーパーも無い、だから移動に不便でスクーターでも買ったのだろう、さっきこのアパートの駐輪場で見た。


 奥まで入るとシンプルに部屋の中心に丸机と勿論シングルベッドと三十二型テレビしか無かった。後はクローゼットくらいか、ワンルームだから無駄に置くことも出来ず、生活できるだけの道具しか無い。今まで明るい部屋しか見てないから逆にこういう部屋もアリだなと感じてくる。――だが、『女』の子っぽさは出てない。そこが寂しい所だ。


「合鍵、寝床」


 合鍵は机に置かれ、クローゼットから紐で縛られていた布団を紐から開放して窓側に布団が置かれた。


「いや……深緑、窓側は寒いんじゃないんかなー……」

「…………」


 それに気付いたのか窓側からベッドと対向して置かれる。つまり、机を挟んで置かれる状態になる。

 ――さて、準備が整ったものの、実際は準備不足だ。過ごす服が今着てる櫻見女の制服とカバンしかない。さっきお母さんに電話した時に俺の服も持ってくるように言えば良かったな。


「深緑、電話したいんだけど――」

「電話機」


 指差した方向を見ると小さなテレビラックの下にこれまた小さな電話機が置いてあった、これからの俺のメインはこいつになるのか。と言っても暗記してるのはお母さんの電話番号ぐらいだが、何も覚えてないよりはマシであろう。早速受話器を取ってダイヤルする。


「待って」

「どうしたの?」

「何をするつもり」

「何をって、お母さんに服を持ってきてもらおうかなって」


「受話器置いて」と言われて、深緑が何をするかと思ったらクローゼットから何個かスカートとトップスを置かれる。――あれ、もしかして俺は今から深緑のお下がりでこれから過ごさなきゃ駄目なの?


「えっと――」

「パジャマもある」

「日用品は――」

「使ってないのある」


 ――読まれてる。

 完全にお母さんに連絡する事が無くなった。

 布団を一度三つ折りにして座るスペースを確保する。


「ハンガー、後ろ」

「ありがとう」


 深緑はコートを脱いで柔らかくベッドに座る。

 一方で自分はジャケットを脱いで壁に掛けてあるハンガーに服を通し、次々と脱いでいく。


「あ、わたし無神経でゴメンね。人が居ると脱ぎにくいよね」

「深緑を脱がして」


 …………。

 一体この『女』は何を言ってるのだろうか。人生で他人を脱がす時なんて心肺蘇生でAEDを使うかエッチな行為をする時ぐらいだぞ。深緑の感情を探ってみたくなるが、マフラーで口元が見えないし、眉も目も大きく動かす様子がない、顔も赤くする事も無いし汗も掻かない。そして座ったまま待機している。


「早く」

「はいはい……文句言わないでよ」


 マフラーに手を出そうとすると、力強く掴まれる。


「マフラー触らない、マフラー以外」

「そんなに駄目なのか……」


 顔を横に振られた。

 そこだけは絶対に譲れないようだ。

 一つずつボタンを外したり、スカートのジッパーを開いて畳んだり――普段俺も行う行為なのに恥ずかしくなってきた。勿論タイツも脱がしたりしたのだが、深緑は無表情だった。一つ一つの行動に目を追っているだけで何一つ文句を言わなかったのだ。


「はい、下着だけになったよ」


 目を背けながら言った。深緑は俺よりも胸が大きい、Cカップぐらい? これまた俺はカップ数で負けて悔しいのだけど、深緑は何も行動せず棒立ちしている。


「深緑の枕の上」

「……パジャマ、ですか」


 俺もここまで来たら諦めが付く。

 とことん俺を利用したいようだ。パジャマは上下長袖の同色無地、何処でも売ってそうな既製品。そのパジャマの上を持って深緑に着替えさせる。


「えーっと、深緑手を挙げて」

「んっ」

「片手だけじゃなくて、もう片手も」

「ん……」


 良くできました。パジャマを上から被せて袖を通す。頭も通そうとして下の方向に引っ張るが、深緑の目が出た所で俺の手を止められる。


「予想外」

「何が?」

「口見られる」

「…………」


 そんなに隠されると俺も気になって仕方がない。


「どうしよう」

「マフラーの代わりになるものとか無いの?」

「お気に入り」

「そっか……」


 そう言われたらどうしようもなく、時間が過ぎる。深緑はまだ下を履いてないし、このままでは俺も気まずい状態なので、思いついた事を提案してみる。


「じゃあさ、このパジャマ止めてボタン付きの……シャツみたいなの着れば」

「なるほど」


 深緑は動き出してクローゼット内のボックスからもう一つフカフカなパジャマを取り出す。このタイプだったらマフラーを口から動かす事無く着られるだろう。


「脱がせて、着させて」

「はいはい……」


 これを毎日やらせるのか、深緑は動くことが面倒のようだ。




          ※  ※  ※  ※




午後九時、明日は土曜日、深緑の家、深緑のパジャマ、深緑の――


「ご飯出来た、食べて」


 料理。

 お風呂の前に晩御飯が出て来る。俺の普段とは順序が違い、まだそんなにお腹が空いていない。深緑がキッチンで調理をしている間も小声でニカエルを呼んでみるが、アイツは一切出てくるような事が無かった。まだ様子を見ているのか? 流石に何時間も手元にスマホが無いと不安になってくる。スマホだって一つの個人情報にもなるし、何より道具の中で一番に落としたくない物でもある。後、ニカエルとの会話が無いと地味に寂しい――。


「ハンバーグ」

「……あ、今日はハンバーグ……」

「YKの好きな物、トルティーヤじゃなくてごめん」

「合わせてくれたの?」


 深緑は頷く。

 なんだかんだ言ってちゃんと歓迎はしてるんだな……顔の表情は変わらないけど、ごめんと言っているという事はそれなりには気にはしていたようだ。俺は箸を持ってハンバーグを六等分にして一口大を食べる。とっても柔らかくて、肉汁が出ない。赤みが残ってて、歯ごたえが無い。――半生だ。


「…………」

「美味しい」


 深緑はマフラーとマフラーの間から器用にハンバーグを口の中に入れる。勿論その深緑の前にあるハンバーグも悪ふざけとかではなく半生のままだ。ここで分かる事は、深緑は料理は俺と同レベルかもしれない……いやそれ以上の料理音痴だ。これは正直に言って良いのかどうか悩む。一人暮らしの『女』の子の料理に対して指摘をしてもいいのやらか。しかし、せっかく作って文句は言えない、遠回しに聞く。


「深緑、料理……いつからやってるの」

「一人暮らしから」

「その一人暮らしは」

「入学式前」


 十ヶ月か――。

 これから先がもっと不安になってきたよ、深緑、ニカエル。

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