EX-4 唯川美依はいつも忙しい?
シングルマザーというのは大変である。奏芽が小さい頃は保育所を使う余裕も無くいつも父と母に来てもらい面倒を見てもらって、奏芽の小学生の頃は出来るだけ連れていける所には連れて行った。『男』の子らしい子には育てたつもりなんだけど……。
「お母さんおはよう」
「おはよう、はいベーコンエッグ」
何がどうなったのか平日の朝は『女』の子の奏芽を拝む。
「今日は何処のスタジオ?」
「スタジオじゃなくて今日は外で撮影なの。こんな時期によく撮るよ、モデルも」
奏芽の食べてる様子を見て会話を進める。
「ふぅ……ごちそうさま、行ってくるね」
「はいよー『男』と車に気をつけてね」
「なんだそりゃ――」
奏芽は出て行った。
――奏芽には仕事を装った感じを出したけど、今日はモデルさん風邪で仕事丸つぶれなのよね……アポ取りと機材準備をする会社も私の予定合わせも大変なんだから。……会社にある灰皿も一杯になるのも分かるわ。でもまんま食う為には働くしか無いから仕方がない。
窓を開けてタバコを一本口に咥え火を付ける。私はキャリアが長いから月給で済んでるけど新人は日給月給で会社に出てるから一日休んだらその分だけ支払われなくなる。日給月給ってブラックな面が見え見えだけど一日単価が大きいから日給月給になるのも分かる。
ピリリピリリ――
「電話」
公私混合せず会社用と個人用と携帯を分けている。今回鳴ったのは会社用。昔懐かしのパカパカガラケーを開いて名前を確認してため息を付く。
「もしもし、唯川です……」
「美依さん? 今日一人撮影者風邪で、今美依さん暇でしょ?」
「暇って言われたら確かに暇ですけど、場所によりけり行きませんよ私」
「そんな事言わずに。場所は秋空市の――」
秋空市って夏風町から結構離れてるじゃないの……ここから駅で向かっても四つ程乗り換え必要な場所で車でも少し掛かる。……断ってもいいのかなぁ、どうしようかなぁ……。
「美依さん? 美依さぁん?」
「はい? ……別の人に言ってくれませんか。今日は仕事の断り入ってスイッチオフなんで」
「そうですか、分かりました。次回お願いします」
「失礼します」
パタンと携帯を折りたたむ。
今日一日何をすべきだろう……偶には夏風町をカメラ持って歩いてみるかぁ。急に奏芽が返ってくるような自体も今日に限っては無さそうだし、車は置いといても大丈夫でしょ。
※ ※ ※ ※
歩いてる時でも暇があったらまた煙草を咥えて火を付けてしまう。私は重度のストレスでヘビースモーカーだ。そしてお酒もグイッと飲み、酔いに任せて奏芽にウイウイ言って、また酔いに任せて眠りに付き明日を迎える。フォトグラファーなんてそんなもの……というより大体の喫煙者と晩酌者はこんなものだと思う。でもマナーと節度は守って吸いましょう、ポケット灰皿に吸い殻を入れる。
「あれ? 美依さんお疲れ様です!」
「どうも。ケーキ売れてる?」
商店街に来て久々に声を掛けてきたのはケーキ屋さん。ケーキは売れてる様子も無く、ケーキ屋さんは店の外で紙コップを持ってお茶でも飲んでたようだ。
「最近は奏芽くんしか顔見せてこないから心配しましたよォ!」
「ごめんね、ここ最近は仕事忙しくって」
「そうですか。というかカメラ肩にぶら下げてますけどこれから仕事ッスか?」
「ああ、これは――今日はプライベート。一枚撮る?」
ケーキ屋さんはその言葉を聞いて腰を手にやって顔を笑わせる。うーん、たまには知り合いを撮るのも悪くない。ピントを合わせてシャッターを切る。
ケーキ屋さんの傍に近づいてカメラの液晶内に先ほどの写真を表示させて出来栄えを見せる。
「流石プロ」
「後で送っておくけど、どうする?」
「お願いします」と頭を下げられたので、自分から話をしたとはいえ現像するのが面倒になってきた……というかケーキ屋さんもこの写真を貰って誰に渡すのやらか、もしくはお見合い写真にでも使うのかな……。
「そういや、奏芽くんって女装が趣味なんスね」
「えっ……そうなの? 奏芽」
「今日もウィッグ付けてオレンジのヘアクリップして櫻見女のコスプレして行きましたよ」
「んんん……?」
もしかして、奏芽が『女』の子になるのを知ってるけど勘違いしてるのかな、ケーキ屋さんは。でも奏芽からは「他の人に言わないで」と固く口を縛られてるし、本当にケーキ屋さんの勘違いだったら困るし――ここは適当に相槌打つだけにしよう。
「まぁ今後ともよろしくお願いします。ケーキも私も」
「ははは……じゃあまた今度」
慕ってくれるのはいいんだけど、感の良さとその見当違いは相変わらずなのね、ケーキ屋さん。絶対奏芽にも変な事言ってそう。
――ここの商店街の風景もだいぶ変わった。私は普段人物しか写真に納めないから風景を撮るのもたまにはいい。ここケーキ屋さんから左右の写真を撮る。私の姿を見る人がいるけど別に今あなた達にピントを合わせてる訳じゃないから大丈夫。
歩いて駅にたどり着いてまたタバコを咥えて火を付けてしまう。歩くという行為が滅多になってしまうから止まっては口にタバコを咥えて歩いてしまう……一番最悪な循環をしている。次は何処に行こうかなぁ……。
「ごめんなさいお母さん。ここ禁煙地区なんですよー」
「ええっ」
警察の方がやってきて下を指さす。何かと思ったら自分自身で禁煙地区の印を踏んでいた。まだタバコの火を付けて間もないけど仕方なく灰皿ポケットにタバコを突っ込む。許すまじ、禁煙地区。歩きタバコは許されてるくせに禁煙地区の指定するとか喫煙者には微妙な話。因みに罰金は無し、少しありがたいけどやっぱり微妙だった。
「あちらの方に灰皿が用意されてるので、今度からそちらで吸うようにして貰っていいですか?」
「…………」
それを消す前に言ってくれ。目を細め、眉をしかめて警察官を睨む。タバコ一本一本が命みたいな物だからそうそう短命にしてはならないんだ、たかがタバコ一本されどタバコ一本。
「警察には肖像権は無いのよね?」
カシッァ――
帰って行く警察官の後ろ姿を皮肉りながら写真を撮る。今度駅前では吸わないし休日以外では来ないだろうからこれで最初で最後の忠告になるだろう。四十代、腹が立って人の後ろ姿を勝手に撮る。
ピリリピリリ――
この音は間違いなく会社用の携帯、前の電話から一時間経つけど、どうしたのだろうか? でも休日を過ごすのにはよくない電話というのだけは知っている。
「もしもし、唯川です……」
「あ、美依さん? 今から撮影って出来ますか?」
「いや無理です」
「即答しないでください大丈夫ですって、美依さんの家の近くで一時間程で仕事終わりますし、ちょっとお金出しますんで」
そう条件を取り付けられると非常に困った。そのちょっとの手当は大きい。
もう少しだけ話を進めてみる。
「それでロケは何処なの? 機材の用意は?」
「既に取り揃えてモデルさんも待機してます。ロケは夏風町の海です」
「海……最悪。本当に近くね、それじゃ今から行きます。タイムカード刺しといてね」
「了解です、それじゃお願いしますね」
この言葉で電話が切れる。相変わらず扱いが悪いんだから。
「パタンと……ウチは派遣会社じゃないんだからね!」
携帯に向かって小さな声で怒りをあらわにする。
二十年社員、どう足掻いても仕事が歩いてくる。
※ ※ ※ ※
海まで歩いてきたけど相変わらず人も車も通ってないのねここは。そして途中でタバコの新箱を買って現場まで辿り着いた。もうタバコ止めようかな……疲れた。
砂浜に立って左右を見渡すと不自然に建てられたテントを発見して近づく。
「おはようございまーす、株式会社グラフィの唯川美依です。よろしくお願いします」
「ああやっと来てくれた。打ち合わせ無しで直ぐ撮影に取り掛かれる?」
「大丈夫ですよ、後ろで指定してくれればその写真撮るんで。えーとモデルの方は――」
テント内を見渡してタオルに包まれた今回のモデルの人を見つける。
「おはようございます、今日あなたを撮影する唯川美依です」
「はい……仁宮蘭です……」
他のグラビアとは違って随分物静かな子、活発性が無いというか余り本番に向いてないような子だった。でも私も仕事は仕事だからしっかりとこの子を写していかなくては。
一応企画書に目を通してみると仁宮蘭の水着グラビアで日本で誰も来なさそうな砂浜と言ったら夏風町になったらしくこれで無理に企画が通り、フォトグラファーでたまたま手が空いてたのが私、と。
「夏風町も甘く見られてるものね……町長もっとアピールしなさんと」
何十年と夏風町に住んでるけどここまでとはね。
「美依さん、指定のポーズは――」
「……わかった、じゃあ後は自由にやらせて」
私の撮影スタイルはなるべく被写体の子に自由になってもらうこと。事前に仁宮蘭ちゃんにはこんなポーズっていうのを教えてあるし、後は一緒に相談して後はどんなポーズを撮りたいのかを聞くだけ。写真というのは自然体こそが一番、作られすぎるのもよくない。
「えーと、蘭ちゃんお願い出来るかな?」
「はい……唯川さん、お願いします……」
私と蘭ちゃんの撮影が始まる。
※ ※ ※ ※
「はいお疲れ様! よく体拭いてね!」
撮ってて一番楽しい子だったかもしれない。モデルの中には「ちゃんと撮れ」と言った感じで気取って来る子が多いんだけど蘭ちゃんだけは尖ったようでほんのりとした甘さが出てるような……フォトグラファーとしての感想が出る。この子の専属先は随分と良い子を取ったねぇ、気に入った。
「蘭ちゃんお疲れ様、今日寒かったでしょ? 暖かいお茶用意したから」
「ありがとうございます……」
キャンプチェアに座ってお疲れ状態の蘭ちゃんにお茶を渡す。
「仁宮蘭って芸名?」
「いえ……本名です……」
「良い名前だねぇ。体付きもいいしお嬢様な感じ」
「私はそんな……定時制出身ですし……」
聞けば聞くほど興味が湧く。私フォトグラファーとしては基本的に被写体の子と打ち明けたいからこうして撮影終了後は時間が許す限り話をする。中には「面倒」や「いや、そういうのいいんで」と断られたりする事もあるが、蘭ちゃんはすんなり自分の事を教えてくれた。
「蘭ちゃんはなんでモデルになったの? 自分に惚れてた?」
「初めは気にもならなかったんですけど……友達に言われてから、読者モデルで採用されて……」
「読モ……凄いね、友達も君の事を見抜いてその話持ち込んだって事は相当その友達も蘭ちゃんの事好きみたいね」
「私も好きですから……」
「へー、もしかして『男』の子?」
「いいえ……『女』の子です……」
……ま、そういう感情は誰にでもあるからそれ以上は聞かないとしましょう。
ウチの奏芽だって現状そんな感じだし。
「その友達は定時制の子?」
「えっと……全日制課程です……」
「ん? どういう事?」
「私、常日高校という学校に通ってた事がありまして……」
そこからその友達とゴタゴタした事があって、一度離れてまたその子と付き合いを初めた、と。
蘭ちゃんも蘭ちゃんだけど、そこから復縁したその友達も気の持ち前が凄い。
「すみませ~ん、そろそろアップで~す……」
「もうこんな時間。それじゃ蘭ちゃんまた会える時があったら撮影で楽しもうね」
「はい、ありがとうございました……」
一時間と聞かされてたのに二時間の撮影になったけど、蘭ちゃんとの撮影が楽しかったから休日とはいえ良い出勤日となった。今度はしっかりと私を含めた打ち合わせと会議をしてほしいものですなぁ、グラフィさん……。
「さて、私もこのデータを会社の編集部に渡さないと……」
フォトグラファーが次にやるのはこの仕事、パソコンでサーバーに送っちゃってもいいかなこれ……SDカード渡すの今からだと時間掛かるし。
蘭ちゃんが車に乗って向こうに消えるまで車を見る。人生何処で転ぶか分からない、そう蘭ちゃんから教えてもらった。定時制課程でも履歴は高校だし、芸能界となればもっと履歴が必要になる時もある。でもそんな苦難を乗り越えてきた蘭ちゃんならきっとこの業界でも頑張れるはず。初めて私が応援したくなったモデルかな。
……と言うのに、連絡先聞きそびれちゃった……プライベートでも会ってみたかったのにぃ。でも東京の方の専属モデルらしいから中々会えないでしょうなぁ。少し悔しいけど帰るとしますか。
※ ※ ※ ※
撮影が終了した後は、会社に戻って写真の選別をするんだけど……今回は家でパソコンを使って選別をする。私どうも撮影以外の技術は持ち合わせてないみたいでこのパソコンもイマイチ使い方が分からない。編集部の人なんて踊り狂うようにキーボードをカタカタと打ってマウスをザリザリ言わせながら色合い調整してるもんね。
「私もその技術あったら月給上がるのかね……」
なんて思いながら今日撮影した仁宮蘭の写真を見ていく。何人もこうして写真を見ていくけどどれも編集前は可愛いのよね……編集した後は白くなりすぎててお人形さんみたいになってるのが多いのは秘密。でもそれは個人の話で私はあくまでも自然体の写真が好きだからそうな訳で。
ポケット灰皿を机に置いて箱の封を破る。まだ奏芽は帰ってこないハズだから一本また口に咥え火を付ける。今日は何本吸うのさ、唯川美依。
――何で家に吸わないのかというと、これはウチのお父さんとの約束でタバコは副流煙で他人に影響が強い、つまり奏芽に影響させないための約束でタバコは家で吸うな……と言われてたんだけど、奏芽が高校に上がってからは休日の土曜日に一本位は……一本位は……と思ってた挙句、遂には普通に吸うことになってしまった。それで灰皿は家に無いからポケット灰皿を机に置いての喫煙。
三本ゆっくり吸って作業が終わる。ついでに蘭ちゃんの写真も一枚ここで現像してパソコンの横に置く。今日も時間二時間と作業一時間で合計拘束時間三時間、疲れるわぁ……。
「ただいま……」
「おかえり。どしたの? そんな険悪な顔して」
「ケーキ屋が今日の朝に姿見たって。何してたの?」
「うえっ⁉ あっちゃー、商店街通るんじゃなかったー」
唯一の誤算はケーキ屋さんだったかー。
「今日のロケ、夏風町の海だったから……」
「絶対ウソだ、間違いなくウソだ」
「本当なんだって……」
「へぇーーーーーーーーー」
長いブレスだなー、奏芽。
私のちょっと違った一日だけど、仕事はいつもこんな感じで忙しい。暇があれば電話が掛かってくるし、スケジュールもズレる事あるし、撮影に取り掛かるまで面倒な事ばかり。でもこういうモデル達が可愛いから止められない所がある。ツラい所から僅かな楽しみを探すのが仕事、やっぱりフォトグラファーは止められない。
「さて、晩酌と行きますか!」
「その前にちゃんと飯作ってよー」




